第31話 灰色の狼
ヴァルガ統制領から、《ソヴリン・ゼロ》と俺の引き渡しを求める文書が届いたのは、噂が広がってから四日後だった。
自由港は要求を拒否した。俺に犯罪記録はなく、機体についても引き渡しを認める根拠がない。
それが港側の回答だった。
ただし、自由港が守れるのは管理区域の内側のみで、港を出た後の安全までは保証されなかった。
翌朝、二十分の接続許可が届いた。仕事は回収作業、戦闘はせず、襲撃を受けたら戻る。その条件を、ガレスと一緒に確かめた。
今回の仕事は、自由港の管理区域外にある旧採掘宙域で、故障した無人観測器を回収するものだった。観測器には周辺の破片や航路の記録が残っている。港の作業艇が届かない場所まで流されていたため、契約局から《ラグナ》に依頼が回ってきた。
人の乗った船を護衛するわけではなく、場所も海賊の航路から離れている。仮腕で観測器をつかみ、《ラグナ》の格納庫へ運べば終わる仕事だ。
依頼内容を説明したガレスが、俺に言った。
「ヴァルガの連中が港の外で待っている可能性がある。仕事が必要なのは事実だが、お前に『出ろ』とは命令しない」
「出なかった場合、依頼はどうなりますか?」
「断ることになる。違約金はない。別の回収船に仕事が回されるだけだ」
断る選択肢はあった。
それでも、四十五日間の仮許可は残り三十六日しかない。身体が少しずつ回復しても、仕事をしなければ銀級審査に必要な実績も積めず、修理債務の返済も進まない。
「出ます。ただし、ヴァルガの機体が来たら、観測器を置いて《ラグナ》に戻ります」
「それでいい。回収物より、機体とお前自身を優先しろ」
回収依頼の受理を受け、港と《ラグナ》が共同封印を解いた。機体は今回の仕事のために使い、帰港後に封印を戻す。
《ラグナ》は《ソヴリン・ゼロ》を格納したまま、旧採掘宙域の手前まで移動した。
格納庫で固定具が外れ、機体の右肩から灰色の仮腕が下がった。元の腕より太く、手の代わりに二本の爪が付いている。観測器をつかむには十分だった。
「接続を開始します。制限時間は二十分です」
「ルミ、頼む」
ルミの声と同時に、操縦席の周囲に外の映像が広がった。
右手をレバーに置いた。手の反応を確かめ、格納口の灯りが変わるのを待つ。
《ラグナ》の格納口が開いた。
格納庫を出ると、赤茶色の《ラグナ》が背後に見えた。今回は先行せず、船との距離を保ったまま目的地へ向かった。
無人観測器は、折れた採掘設備の間に引っかかっていた。円筒形の本体は《ソヴリン・ゼロ》の胴体より短く、片側の通信板が曲がっている。画面には、観測器を囲む黄色い回収枠が表示された。
「周辺に登録外の熱源は?」
「ありません。観測器まで二百八十メートル。右側の梁が回転しています」
通常航法予測が示す線をたどり、回転する梁を避けて接近する。観測器の手前で速度を落とした。
「右の仮腕で掴むから、位置の調整を頼む」
「了解しました」
二本の爪を開き、観測器の中央に合わせる。つかもうとした瞬間、視界の左端に赤い点が現れた。
「登録外機、一機。高速で接近中」
「急いで《ラグナ》に戻る」
爪を閉じずに仮腕を引き、機体の向きを変えた。
《ラグナ》へ戻る航法線の前を、灰銀色の機体が横切った。
《ソヴリン・ゼロ》より少し小さい人型機だった。頭部からは狼の口先に似た細長いセンサーが突き出し、背中には槍のように長い二本の推進器が伸びている。
「機体識別信号を受信。VX-88《グレイ・ウルフ》。所属はヴァルガ統制領です」
外部通信が開いた。
『黒い機体の操縦者へ。推進を止め、こちらの誘導に従え』
「自由港は引き渡しを拒否したはずです」
『回答は受け取っている。ここは自由港の管理区域外だ』
「従ったら、俺と《ラグナ》の乗員はどうなる?」
『傭兵船には手を出さない。確保するのは黒い機体と操縦者だけだ』
「俺を連れていく理由は?」
『その機体の危険性を調べる必要がある。詳しい説明は移送後だ』
通信画面に、操縦者の顔が映った。
黒い髪と金色の瞳。左の頬には縦の傷があり、俺より少し年上に見える。怒りも興奮も感じられなかった。
『カイル・ヴァルドだ。十秒以内に停止しろ』
通信が切れ、数字だけが減り始めた。
「船長、引き渡しを要求されています!」
「こちらでも聞いている。回収は中止だ。そのまま戻ってこい」
「了解」
《ラグナ》へ戻る航法線に機体を向けた。
残り四秒。《グレイ・ウルフ》が進路を塞ぎ、右手の長い槍をこちらの胸へ向けた。
「槍の内部に電磁加速機構を検出。可変レール槍フェンリルと照合しました。穂先を高速で伸ばせます」
「見た目以上に届くってことか」
「はい」
数字がゼロになった。
『停止を確認できない。機体を制圧する』
灰銀色の機体が急加速し、正面から右へ外れた。
半透明の《ソヴリン・ゼロ》が二つ現れた。一つは左へ身をひねり、もう一つは右へ退いている。《エコー》が示す0.4秒先の候補だ。
左の像には槍が届く。右なら外れる。
「右だ」
右手を倒した。
《ソヴリン・ゼロ》が右へ滑った。このままなら槍を避けられるはずだった。
だが、《グレイ・ウルフ》は槍を伸ばさなかった。背中の右側の推進器だけを噴かし、俺の回避先へ回り込んできた。
《エコー》が次の候補を示した時には、槍の柄が仮腕に当たっていた。
衝撃で右肩が押し戻された。損傷警告は出なかったが、《ラグナ》へ戻る進路から大きく外された。
「今の動きは見えてなかったのか?」
「観測した時点では、槍を伸ばすか、機体ごと旋回するかを判別できませんでした。相手はレンの回避を見てから推進方向を変えています」
《グレイ・ウルフ》は次に槍を横に構えた。半透明の像は、上へ抜ける動きと下へ潜る動きを示した。
「通常航法予測で《ラグナ》までの別経路を出してくれ」
「提示します」
青白い線は三本。上へ抜ける線だけが、《ラグナ》まで続いていた。
上を選んだ瞬間、《グレイ・ウルフ》の左腕から灰色の粒が広がった。
「散布盾ミストを検出。金属粒子で通常航法予測の精度が落ちています」
灰色の粒が視界を覆い、航法線の先が何度も揺れた。
「進路を変える!」
左へ切り返すと、《エコー》の像も左へ移った。
《グレイ・ウルフ》は後ろを追わず、背中の二本の推進器を左右へ開いて、俺が切り返した先へ回り込んできた。
槍の穂先が左肩のすぐ横で止まった。
そこから穂先を突き込まれれば、胸の操縦席まで届く距離だった。
『お前は攻撃を避けた後、自分がどこへ逃げるかまで考えていない』
カイルは淡々と言った。
「ルミ。次は右の爪で槍をつかんで、左腕で相手を押し離す。そこから《ラグナ》へ戻る」
「接触後の成功率は算出できません」
「それでもやる。このままじゃ戻れない」
槍が引かれる。次の攻撃に合わせ、仮腕の爪を開いた。
《エコー》は、槍が胸、左肩、右脇腹へ伸びる三つの動きを示した。その中央へ仮腕を合わせる。
だが実際の槍は、どの予測よりも手前で止まった。
《グレイ・ウルフ》の右脚が持ち上がる。踵から細いワイヤーが放たれ、《ソヴリン・ゼロ》の右脚へ巻きついた。
「右脚を拘束されました」
ワイヤーに右脚を引かれ、機体が回転した。
仮腕の爪は何もつかめず、左腕も相手には届かなかった。姿勢を戻そうとすると、槍の柄が左肩へ押しつけられた。
右脚を引かれ、左肩を押さえられている。推進器を噴かしても、姿勢を立て直せなかった。
《グレイ・ウルフ》の槍が胸部中央へ向いた。
《エコー》は起動している。それでも、逃げられる像は一つも表示されなかった。
『停止しろ。次は肩では済まないぞ』
カイルは槍を胸へ向けても、突き刺そうとはしなかった。俺を殺さずに動きを止める余裕があった。
「レン、左腕を伸ばせ!」
ガレスの声と同時に、《ラグナ》から二本の牽引索が飛んできた。
一本が機体の左前腕へ巻きつく。もう一本は腰の固定部へ接続された。
《ラグナ》が俺と《グレイ・ウルフ》の間に船体を割り込ませ、牽引索を巻き取り始めた。
『傭兵船、進路を変えろ。巻き込まれるぞ』
「うちで保護してる人間を、勝手に連れていかせるつもりはない」
『黒い機体を離せ。船は攻撃対象ではない』
「なら、撃たずに見てろ」
牽引索が強く張った。
《ソヴリン・ゼロ》の右脚へ巻きついていたワイヤーがさらに食い込む。カイルが引けば脚部が壊れる。だが、《グレイ・ウルフ》はワイヤーを切り離した。
「拘束解除を確認」
「レン、《ラグナ》の動きに合わせろ!」
ガレスの指示に従い、推進器を噴かして牽引方向へ機体を向けた。
《ラグナ》は民間航路へ向けて加速した。《グレイ・ウルフ》は追ってきたが、槍も射撃も仕掛けてこなかった。
民間航路を示す標識を越えたところで、灰銀色の機体は減速した。
『民間航路へ入ったため、追跡を中止する。次に会う時までに、降伏条件を確認しておけ』
「俺は引き渡しに同意してない!」
『同意は求めていない』
通信が切れた。《グレイ・ウルフ》はそれ以上追ってこなかった。
《ラグナ》の格納庫に戻ると、ミラが仮腕と右脚を調べた。右肩の接続部にずれはなく、右脚の装甲にはワイヤーの跡が残っただけだった。内部の損傷も出撃前から悪化していない。
帰港後、港側と《ラグナ》側の封印板が、再び機体へ取りつけられた。
無人観測器は回収できなかった。依頼は未完了となり、報酬も発生しない。
ソナの検査では、新しい負傷も、神経反応の悪化も見つからなかった。
それでも、右手の指先は震えていた。毛布を渡され、ようやく自分が冷えていることに気づいた。毛布を羽織っても、体は細かく震えていた。
《エコー》は動いていた。もちろんルミによる補助も止まっていなかった。
なのに俺は一度もカイルに触れられなかった。
槍を胸へ向けられた時、少しでも動けば刺されると思った。操縦席を降りた今も、あの時の怖さが消えない。
そして、何よりもカイルに、全く歯が立たなかった自分が悔しかった。




