第30話 秩序を守る男
要塞星ヴァルガードの中央作戦室には、窓がなかった。
岩盤の内側に造られた部屋で、外の状況を知る手段は壁面の画面表示だけだった。鉄灰色の画面には、艦隊の配置、民間船の航路、各居住区の電力使用量が並んでいた。
居住区へ向かう列車に遅れが出て、乗換口の混雑警告が点灯した。中央管制は別の列車を待避線へ移し、到着が重ならないよう予定を調整し、混雑予測が許容範囲に収まると警告は消えた。
ヴァルガードでは、交通も電力も軍の指揮系統で管理されていた。
予測できる混乱は、起きる前に防ぐ。それがこの星の方針だった。
星海暦7421年3月11日。
作戦卓の中央に、自由港ミラージュ周辺で撮影された戦闘映像が表示された。
映像に記録された日付は、星海暦7421年3月7日。ヴァルガードへ届いたのは、四日後の今日だった。
ヴァルガ総統アルクト・ヴァレクは、黒い人型機が海賊巡洋艦へ向かう場面で映像を止めた。
六十三歳。短く整えた白髪に、鋼色の義眼。襟のない鉄灰色の制服を着て、背筋を伸ばしたまま画面を見ていた。
『右腕の変化を、もう一度』
作戦局の女性士官が、右腕の変形が始まる直前まで映像を戻した。
黒い機体の右腕が長い砲身へ変わり、白い光を放った。海賊巡洋艦の主砲支持部が壊れ、砲身が射線から外れた。発射直後、黒い機体の右腕も崩れて機体から離れた。
『映像から確認できる結果を報告しろ』
『巡洋艦の主砲支持部は破壊されましたが、艦そのものは撃沈されていません。港防衛隊の到着後、海賊側は撤退しています』
『古代兵器だという報告は?』
『公開情報には、約七千年前の記録に似ているという主張があります。ただし、古代兵器だと確認されたわけではありません』
『その説を事実として扱うな。映像で確認できることと、推定を分けるんだ』
『了解しました』
作戦卓には、映像で確認できることと、推定にとどまることが分けて示された。黒い人型機。全高は船体との比較から二十四メートル前後と推定されるが、質量は不明。右腕を砲身へ変え、巡洋艦の主砲支持部を一撃で破壊した。発射後、その右腕を失っている。現在は、自由港ミラージュに停泊する傭兵船へ収容された可能性が高い。
操縦者の名前、所属、機体の製造元は、どの欄も空白だった。
『傭兵船の登録情報は?』
『船名は《ラグナ》。船長はガレス・ロウです。自由港へ提出された入港記録では、黒い機体の所有者と操縦者は確認できません』
『《ラグナ》を敵性船に指定する根拠はない。監視対象とし、攻撃対象にはするな』
『了解しました』
ヴァレクは、黒い機体が攻撃する直前の映像を再生させた。
海賊巡洋艦の主砲は、傭兵船と輸送艇の方向を向いていた。黒い機体はその射線へ割り込むように動き、主砲支持部へ砲撃している。
『この映像では、港を攻撃していない』
『輸送艇を守るための行動と判断できるか?』
『その可能性は高いと考えます。ただし、機体側の記録も操縦者の証言も、まだ受信していません』
『ならば、その可能性だけを記録しろ。断定はするな』
女性士官が報告欄を修正した。
作戦卓の反対側にいた戦略補佐官が、三つの行動案を開いた。
『第一案は、自由港へ臨検艦を入れ、黒い機体を直ちに押収します。第二案は、港外で監視し、出港後に拿捕します。第三案は、自由港へ正式な引き渡しを要請し、回答を待ちます』
『第一案を却下する』
補佐官が理由を尋ねる前に、ヴァレクは続けた。
『自由港は民間船が集中する区域だ。臨検を拒否された場合、武力衝突になる。黒い機体を得るために、無関係な船と居住区を危険にさらすことは認めない』
『港が機体を隠した場合は?』
『港内では手を出すな。出港後、民間航路の外で停止を求める』
ヴァレクは第一案を作戦卓から消した。残された第二案の進路は、民間船の往来から外れていた。補佐官が捕獲位置を一つ選ぶと、作戦局の女性士官が首を振った。
『その時刻は、旅客船の出航があります』
補佐官は時刻をずらした。今度は帰港する作業艇の航路と重なった。
『追い込める場所が限られます』
『限られた場所で確保しろ。そのための部隊だ』
補佐官もそれ以上は言わず、民間船が去った後の時刻へ印を移した。
『もし、対象の推進器を止められなければ?』
『拘束できる手段を選べ。機体は壊さず、操縦者は生かして連れ帰るんだ』
『相手から攻撃された場合、現場の乗員を危険にさらしますが?』
『自衛は認める。ただし、操縦席を撃つのは最後の手段だ』
女性士官が条件を入力した。画面の隅では、黒い機体がいまだに同じ二秒間の映像を繰り返していた。主砲の前に出て、右腕を失う。ヴァレクはその動きが終わるまで待った。
『民間船を盾にされた場合は、追撃を中止する。位置を見失うな。投降した者は保護しろ』
戦略補佐官が命令文を読んだ。
『自由港への引き渡し要請も送りますか?』
『送る。引き渡しを求める理由と、拒否されても港内では武力を使わないことを明記しろ』
『回答期限は?』
『受信から二十四時間だ』
『四十八時間なら、外交上の反発を抑えられます』
『その間に対象が出港する。期限は変更しない』
補佐官は反論を止め、命令文へ期限を入力した。
『総統。自由港には、引き渡しを拒否する権利があります』
法務担当の士官が言った。
『そうだな』
『拒否された後に港外で拿捕すれば、自由港側から主権侵害だと抗議されるおそれがあります』
『その主張も記録しろ。賠償請求と外交交渉には応じる』
『法的な問題が残っても、港外での確保は続けるのですか?』
『もちろんだ』
『それでは、要請ではなく通告になりますが?』
法務担当の士官は文書を閉じなかった。ヴァレクはその顔を見た。
『合意する相手には、手順や日程も交渉する。操縦者が自ら応じるなら、拘束せずに話を聞くつもりだ』
『検査を拒否した場合も、自由に戻すと約束できますか?』
『それはできない』
士官が返答を書き留めた。
『その点を、相手に伝えます』
『伝えろ』
ヴァレクは、黒い機体が巡洋艦の主砲を破壊する場面を指した。
『自由は尊重する。だが、この機体が次に誰を守り、誰を攻撃するかを、操縦者一人の判断に任せるわけにはいかない。被害が出てからでは遅い』
法務担当の士官は何も答えなかった。
命令文の承認欄が赤く点灯した。
ヴァレクは命令文を読み直した。対象、禁止区域、武器使用条件、確保した操縦者の扱い、追撃を中止する条件。必要な項目を確かめ、自分の認証を入れた。
『周辺宙域の回収部隊へ送れ。命令を受信したら、捕獲担当の操縦者を一名選ばせろ。対象の監視を始め、港外へ出るまでは待機させろ』
『了解しました』
捕獲に向かう機体は一機。支援艦は民間航路の外へ置き、逃走経路を観測させる。複数の武装機を港へ近づける案は、採用されなかった。
『現場には、この命令の全文を渡せ。捕獲の指示だけを抜き出すな』
回収部隊への命令は、折路沿いの伝令球へ送られた。自由港への引き渡し要請も発信されたが、どちらも届くまでには時間がかかる。ヴァレクは港からの回答を待つ間に、回収部隊の準備を進めさせることにした。
会議が終わると、作戦卓の表示が消えた。
部屋の奥には、作戦画面とは別の壁面表示があった。《ソレイユ門標崩壊》で亡くなった人々の名前が、細い列になって画面を流れていた。
四十四年前、最初の門標に異常が見つかった時、退避を決める採決は十一時間も続いた。各地域の代表が、避難先や輸送船の配分、指揮を執る者の権限について合意できなかった。
採決が終わる前に、門標は崩壊した。
二百十万人が死亡した。
当時十九歳だったヴァレクは、次の門標にも同じ異常が出た際、議会の承認を待たずにその門標を封鎖した。被害が第二門の先へ広がるのを防ぎ、八百万人が暮らす居住圏を守った。
命令違反の責任は問われた。だが、封鎖を解除しろという命令には従わなかった。
ヴァレクは表示へ近づいた。名前の列が、下から上へ流れている。何度ここに立っても、画面に出る全員の名を読むことはできなかった。
背後で、法務担当の士官が会議記録を送信している。さっきの異議も、そのまま残される。
『異論の記録は削るなよ?』
『もちろん削りません』
士官が退出すると、部屋は静かになった。
あの時も、代表たちにはそれぞれ守る人間がいた。避難先を変えれば、自分の地区の船が足りなくなる。指揮権を渡せば、後回しにされるかもしれない。ヴァレクはその議事録を何度も読んだ。それぞれの事情も、後で納得できた。
納得できたとして、二百十万人がもう戻ることはないのは明らかだった。
ヴァレクは、その死を「尊い犠牲」とは呼ばなかった。避難の決断が遅れたために失われた命だった。
黒い機体の正体は、まだ分からない。
何があってもヴァレクは、回収命令を取り消すつもりはない考えだった。




