第25話 借金百八十万クレド
翌朝、医務室の机に置かれた端末には、三つの数字が縦に並んでいた。
上から「1,800,000」「21,622」「45」。数字は分かるが、横に書かれた文字は読めない。
「上から、修理費、俺の残高、期限ですか?」
「最初の二つは合っています。最後は、これから審査する機体の稼働許可期間です」
トウマが端末の読み上げ機能を使うと、表示内容が順番に音声で流れた。
修理費、百八十万クレド。
仮口座残高、二万一千六百二十二クレド。
《ソヴリン・ゼロ》の暫定稼働許可の予定期間、四十五日間。
「この四十五日で、修理費を全部返さなきゃいけないんですか?」
「いいえ。四十五日以内に必要なのは、銀級資格の取得と、港が認める返済計画の本審査に通ることです。全額返済ではありません」
四十五日で百八十万クレドを返す必要はない。その点だけは、少し安心した。
端末へ手を伸ばしかけて、まだ動かしにくい右腕を見た。左手で端末を引き寄せる。
ソナが椅子を近づけた。昨日は診察のために座っていた人が、今日は契約を聞き届けるために、俺の隣にいた。
机の向こうに、青白い通信画面が開いた。
青黒い肌と、首を囲む呼吸襟が映る。航宙契約局長のラクス・ベルだった。
『おはようございます、カミシロさん。ロウ船長、セトさん、ソナさんも同席されていますね?』
「全員います」
『では、修理費から確認します。確定額は百八十万クレドです。胸部と右肩の修理、仮腕、右脚の爪、港の検査、共同封印の再設定を含みます。元の右腕と失われた武装の再現費用は含まれておりません』
昨日の暫定見積から、金額は変わらなかった。
『次に保険です。共同封印中の機体には、港の保全保険を申請できます。ただし、《ソヴリン・ゼロ》は正式な機体登録がないため、構造と損傷範囲を解析しなければ補償額を決められません』
「解析って、どこまでですか?」
『装甲の一部を取り外し、内部構造の記録や材質の採取、制御系への読取り接続を行います。得られた解析記録は、保険会社と委託研究機関に保管され、申請が終わっても削除されません』
以前、テオから提示された売却契約を思い出した。今回も、機体の内部を調べた記録が相手の手元に残ってしまう。
「その解析を受ければ、百八十万は保険で出るんですか?」
『全額が認められる可能性はあります。解析中に損傷が起きない保証もできませんが』
「ルミ。外部の機器を制御系につないでも、安全かどうか分かるか?」
「保証できません。接続先、取得範囲、機体側の反応を事前に確認できないためです」
『もちろん、解析を拒否することもできます。その場合は保険金は支払われません』
保険が使えれば、百八十万クレドの負担を減らせるかもしれない。それでも、持ち主すら確かめられていない機体の内部を調べさせ、その記録を永久に残すことには同意できなかった。
「解析は断ります」
『分かりました。保険金を受け取れなくなることを理解した上で、装甲の取り外しを含む解析と、記録の永久保存を拒否しますか?』
「はい」
『確認しました。保全保険は不適用となりますので、あしからず』
端末の保険に関する表示が赤くなった。修理費の「1,800,000」はそのまま残っている。
『続いて、修理費を引き受けて機体の修理を続けるか、修理を止めて港の保全区画へ移すかを選んでいただきます』
「保全区画へ移した場合、機体はどうなりますか?」
『共同封印を維持したまま保管します。港が機体の所有者になるわけではありません。ただし、保管費と今回の緊急修理費が未払いの間は、移動も運用も認められません』
「修理費を引き受けた場合は?」
『港が修理業者への支払いを立て替え、百八十万クレドをカミシロさんの債務として登録します。完済前でも、修理と必要な許可が出れば、決められた条件でのみ機体を仕事に使えます』
機体を預けてしまえば、この数字からは逃げられるかもしれない。その後、俺とルミがどうなるのかは、画面のどこにも書かれていなかった。
「条件を教えてください」
『一つ目。医師が許可するまで、搭乗も神経接続もしないこと。二つ目。機体は《ラグナ》の監督下で、契約局に登録された仕事にだけ使うこと。武装の使用には、仕事ごとの許可か、人命を守るための緊急性が必要です』
ラクスは一度区切り、画面の右側へ四十五個の小さな枠を表示した。最初の一つだけが暗くなっている。
『三つ目。機体の封印を緊急解除した昨日を初日とする計四十五日間で、銀級資格を取得し、返済計画の本審査に通ること。今日を含めて、残り四十四日で、です』
「それが出来なければ?」
『港は修理費の保全措置として、《ソヴリン・ゼロ》を差し押さえます。これは所有権の確定や没収ではありません。債務と安全条件が解決するまで、港の保全区画から動かせなくなるという意味です』
期限を守れなくても、港が機体の持ち主になるわけじゃない。だが、《ソヴリン・ゼロ》を使って仕事をする道は閉ざされる。地球に帰る手がかりを探すのも、今より更に難しくなるだろう。
「灰級仮免のままでは駄目なんですか?」
『灰級は、監督を受けながら経験を積むための仮資格です。百八十万クレドの修理債務を継続して返し、正体不明の大型機を管理する能力の証明には足りません。銀級への昇格には、仕事の件数だけでなく、安全記録、操縦審査、契約違反の有無も含まれます』
最初の枠は、俺が寝台にいた間にも暗くなっていた。
残り四十四日。早く何から始めるかを決めなければ、四十四日という短い日数はあっという間に消えていく。
「返済計画は、今決めるんですか?」
『返済計画の本審査は、四十五日以内で構いません。ただし、今は暫定的な返済計画がなければ稼働許可を出せません。セトさん、あなたに案はありますか?』
「ありますよ」
トウマが別の画面を開くと、報酬の使い道を示す三本の帯が並んでいた。
「仕事の報酬から、燃料費や港の使用料、機材費を先に差し引きます。その後、レンさんに配分される手取りの六割を返済に、二割を生活費と医療費に、残り二割を資格審査と機体整備の予備費に回します」
「返済に、もっと多く回さなくていいんですか?」
「生活費を削りすぎれば、働き続けることが難しくなります。かといって、資格審査費を残さなければ、銀級にも上がれません。返済だけを急いで、仕事を続けられなくなっては意味がありませんよ」
「返済割合を上げるのは、収入が安定してからでいいぞ」
ガレスが言った。
「機体を使うには監督者も必要だ。俺が《ラグナ》の船長として引き受ける。借金の保証人にもなる」
「保証人って、俺が払えなかったら船長が払うってことですよね?」
「そうだ。出撃を認めて船を守らせた責任を、ただ、同席しただけで終わらせるつもりはないからな」
「でも、百八十万ですよ?」
「請求書は昨日見た。問題はない」
「船長が保証人になれば、《ラグナ》の運転資金にも影響します」
トウマがガレスへ向き直った。
「分かっている。最初の仕事を選ぶ時は、お前も同席しろ。燃料代まで借りるような仕事なら断るぞ」
ガレスは俺ではなく、ラクスの画面へ向かって続けた。
「監督者と保証人は俺だ。仕事の記録と支出はトウマが管理する。医療上の可否はソナに従う。この条件で申請する」
『ロウ船長の責任範囲を確認しました。カミシロさん、この計画を自分の返済方針として提出しますか?』
もし俺が払えなくなれば、保証人になったガレスにも支払いの責任が生じる。船の金にまで影響するかもしれなかった。
「提出します。仕事の手取りから六割を返します。治療と資格に必要なお金も残すようにします」
『暫定計画を受理しました。最後に、債務登録への同意が必要です』
トウマが俺の前に端末を置いた。そこに書かれた文章は読めないので、トウマが全文を読み上げ、ラクスが修理範囲、借金の額、支払い条件、期限を守れなかった場合の扱いを順に確認した。
内容を聞き終えてから、左手で承認欄へ触れた。
画面に表示された「1,800,000」の枠が、橙色に変わった。
『百八十万クレドの債務登録と、四十五日間の暫定稼働許可が成立しました。契約書の控えは、読み上げ音声を添えてお送りします』
通信が終わると、トウマが依頼一覧を開いた。俺には画面の文字が読めないので、トウマが内容を説明してくれた。
「今の資格と機体の状態では、護衛や海賊警戒の仕事は受けられませんが、武装を使わない救難補助の募集が一件あります。崩落した採掘所で、大型機による瓦礫の移動を求めています。出発は早ければ明日ですが、ソナさんの許可と仮腕の動作試験が必要です」
「応募だけ先にできますか?」
「条件付きの参加希望としてなら送れます。医療許可が出なければ辞退になります」
「それでお願いします」
ソナが依頼の内容を手元に取り込んだ。
「現場までの移動時間も調べておきます。午後の検査で、何分の作業ができるか見ましょう」
「お願いします、先生」
トウマが参加希望を送信すると、依頼欄の表示が黄色へ変わった。「先方の条件確認待ちです」とトウマが教えてくれた。
画面の端には、四十五個の枠がまだ表示されていた。最初の一つは、すでに暗くなっている。
残り四十四日。
左手を机から離すと、承認欄に触れた指先が汗ばんでいた。
ガレスはまだ席を立たず、トウマの端末で明日の仕事を確かめている。俺が引き受けた借金のために、自分の船の金まで危険にさらした人だった。
「船長」
「何だ?」
「明日の仕事、できるようにします。……できるかどうかは、まだ先生に診てもらってからですけど」
「そうだな」
ガレスは俺を急かさず、依頼の画面をこちらへ向けてくれた。




