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無冠の星間皇帝  作者: 天瀬航
第一章 名もなき機体と漂流者

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第18話 機体の価値は

 灰級仮免を取った日の午後、最初に来たのは依頼人ではなかった。


 《オルカ》は隔離調査区画で調査が続いている。

乗員六人の行方も、白い円と信号の正体についても、まだ新しい報告はなかった。


 警戒隔離室の透明な扉の向こうに、荷車を押した女性が立っていた。肩まで伸びた橙色の髪と丸い顔で、青と黄色の派手な上着を着ている。


『ポルカ・ゼンです。船の補給品から個人用品まで、代金を払える方には何でも売ります』


「本当に何でも?」


『合法で、こちらが仕入れられる物なら』


 ポルカの横にはガレスがいた。警戒隔離中の俺が呼んだわけではない。ポルカは、仮口座を得た救難者が《ラグナ》にいると知り、船長へ面会を申し込んでいた。


『緊急用に貸した洗面道具を、いつまでも使わせるわけにもいかんな。必要な物だけ選べ』


「まだ使える物まで買い替えるつもりはありません」


『必要な物だけ買ってください。無理に売りつけたら、次から呼んでもらえませんから』


 ポルカは荷車から透明な箱を五つ出した。口内清掃用のブラシと洗浄剤、顔と手を拭く清浄布、薄いタオル二枚、蓋つきの飲料容器、衣類を入れる袋などだ。


『漂流者向けの生活用品一式、十八クレドです。食事十八回分と考えると高く感じますが、全部ばらで買うより四クレド安いです』


「俺が文字を読めないことは聞いてますか?」


『聞いてます。ですので商品の一覧を読み上げ対応にしてきました』


 俺の端末が鳴った。商品の一覧は、トウマが内容を確認して受信を許可していた。読み上げ用の突起を押すと、五種類の品名、数量、単品価格、合計額が順番に流れた。


「清浄布は、このスーツに使えますか?」


『使わないでください。スーツの素材が分かりません。本来は顔と手に使う商品です』


「分からない物を大丈夫だとは言わないんですね?」


『目先の十八クレドのために嘘をついたら、次から商売してもらえなくなります』


 ガレスが受取口の検査器へ箱を一つずつ通した。危険物も通信機も入っていない。俺は一覧を最後まで聞き、合計額が変わっていないことを確かめた。


「買います」


『ありがとうございます』


 ガレスが外部送金を許可し、俺が支払いを承認する。端末は残高二万一千六百二十二クレドとなったた。ポルカへ送られたのは、十八クレドの入金完了通知だけだった。


 受取口から箱が入ってくる。どれも《ラグナ》から借りていた物と大きくは変わらない。

それでも、自分で選んで買った物だった。


 右手にはまだ少し震えがあるが、落とさないように箱は両手持ちで机まで運んだ。


『ところで、その端末は文字を読み上げるだけですか?』


「端末が読み上げに対応している文書なら読めます。でも、画像の中にある文字や手書きの文字は読めません」


『商品に、端末で読み上げられる説明書をつければ、レンさん以外にも売れそうですね。文字を読むのが苦手な人や、画面を見づらい人もいますから』


「俺に売りに来て、新しい売り方を見つけたんですか?」


『売れると思っただけです』


 ポルカは笑い、空になった荷車を引いて通路の角へ消えていった。


 買った物を机へ並べ終えた時、扉の表示が再び青へ変わった。


 今度はトウマが入ってきた。その後ろに、細身の男性がいた。黒に近い紫の上着には汚れも折り目もなく、袖口と襟に細い銀色の飾りがついていた。


『こちらはテオ・マルク会長です。マルク商会から、《ソヴリン・ゼロ》に関する面会要請が届きました』


 トウマは机へ自分の端末を置き、俺の正面に座った。テオは扉の外から、透明板越しに軽く頭を下げる。


『突然の訪問をお許しください。あなたの異議申立てと、機体の仮登録名が公示されました。機体買取のご相談に参りました』


「俺は、まだ所有者だと認められてませんが?」


『承知しています。ですから、所有権の確定を条件とした契約です。その際の手続きと費用は当商会が引き受けます』


 俺の端末へ契約書が届いた。外部文書の受信はトウマが許可している。読み上げを始める前に、画面中央へ大きな数字が表示された。


 10,000,000。


「一千万クレド?」


『所有権が確定し、機体を引き渡した時の代金です。契約時に準備金として二十万クレドを先にお支払いします』


 一般的な作業機が三万クレド前後だと、トウマから聞いている。一千万あれば、同じ価格の作業機を三百台以上買える。もちろん今の残高とは比べるまでもなかった。


『機体の保全費、調査費、今後発生する修理費も当商会が負担します。住居も用意し、当商会が港での身元保証人になります。危険な傭兵業を続ける必要もありません』


  地球へ帰る方法は、まだ分からない。傭兵として働けるのも、今は四十五日間の仮免だけだ。正式資格を取れる保証もなく、《ソヴリン・ゼロ》への再搭乗も、まだソナから許可されていない。


 一千万クレドがあれば、当面生きていく金には困らないだろう。機体をめぐって《ラグナ》まで危険に巻き込む可能性も下げられる。


「売った後、ルミはどうなりますか?」


『統合支援知性も機体設備の一部として引き渡していただきます。貴重な技術ですから、破損させないよう扱います』


「私は現在、レンとの局所音声接続だけを維持しています」


『ルミさんですね。あなたの記録も、今後の研究へ大きく役立つでしょう』


 言い方は穏やかだった。だが、ルミ本人の希望は確認しなかった。


「全部、読み上げてください」


『もちろんです。ただ、標準的な機体売却契約ですので、重要項目だけでも――』


「全部です。最後まで確認するまでは、返事をしません」


 テオは少し黙り、それから笑顔のまま頷いた。


『慎重なのは良いことです。どうぞ』


 端末が契約書を最初から読み始めた。


 売却対象、支払額、所有権が認められなかった場合の扱い、手続き費用、機体の保管場所。読み上げは何分も続いた。トウマは自分の画面で同じ箇所を追い、俺の端末と内容が一致しているか確認している。


  契約すれば、まず準備金として二十万クレドが支払われる。


 その後、機体の所有権が認められれば、一千万クレドで売却できる。認められなかった場合は売却代金は受け取れないが、先にもらった準備金を返す必要はない。


「そこまでは分かりました。売れなかった場合、契約は終わるんですか?」


『売却に関する部分は終了します』


 テオは「売却に関する部分」と範囲を限定した。


「ほかに残る部分がある?」


『技術資料の保全など、一部の条項は残ります。詳しくは、この先に記載されています』


「続きをお願いします」


 さらに読み上げが進んだ。分からない用語が出るたび、俺は停止させてトウマへ意味を聞いた。


 やがてトウマが片手を上げた。


『レンさん。同意の表示には触れないでください』


「何かありましたか?」


『売却後に解析を許可する、という内容ではありません。契約に同意した時点で、マルク商会へ永久的な解析権を与える条項があります』


 端末の読み上げが、該当する部分まで戻された。


 契約を解除しても、売却が成立しなくても、俺の所有権が認められなくても、この解析権だけは残る。


 解析できるのは、機体の構造、装甲、動力、制御記録、保存されたデータ。それだけではない。機体に組み込まれているルミも対象に含まれていた。


 さらに、マルク商会は機体を分解したり、構造を複製したり、他の業者へ解析を依頼したりすることもできる。


「でも、今は港の封印がありますよね?」


『この契約だけで封印は解除できません。ただし、将来あなたが機体への権利や接続許可を得た場合、売却が成立していなくても、解析への協力義務が始まります』


「二十万クレドは、その権利の代金でもある?」


『文面上は区別されていません。売却準備金と、永久解析権への対価を兼ねています』


  売却が成立しなければ、二十万クレドだけ受け取って終わる契約ではなかった。


 一度同意すれば、あとで《ソヴリン・ゼロ》の所有権を認められても、マルク商会に機体やルミを解析させる権利は残り続ける。


「ルミも対象なんですね?」


『はい。統合された支援知性という記載に含まれます』


「レン。私への解析が何を行うか、契約書からは確認できません」


「分解や複製まで許可する内容なら、全部理解するまでは同意できない」


 テオは否定しなかった。


『未知の機体へ一千万クレドを提示する以上、技術を調べる権利は必要です。所有権が認められない可能性も、当商会は引き受けます』


「だったら、解析権は売却が成立した後だけにしてください。ルミは、本人が内容を理解して同意しない限り、解析対象から外してください」


『その条件では、一千万クレドは出せません』


「金額の問題じゃありません。この条件のままなら、契約には同意しません」


  端末の停止用の突起を押し込む。読み上げが止まり、同意の表示も閉じた。


 惜しくないと言えば嘘になる。一千万クレドは、俺がこの世界で得た金の四百倍以上だ。

それでも、機体を売れるか決まっていない段階で、権利だけを渡すことはできなかった。


『残念です。ですが、契約内容を最後まで確認した上で断るのであれば、こちらから無理に勧めることはありません』


 テオは笑顔を崩さなかった。


『ただし、保全費と修理費は今後も増えます。今日より良い条件を、いつでも提示できるとは限りませんよ』


「それでも、今日この契約へ同意はしません」


『承知しました。条件を変える気になった時は、ご連絡ください』


 テオは一礼し、通路を去った。


 室内に残ったトウマが、端末から契約書を隔離保存する。


『永久解析権の条項は、後で条件が変わっていないか比較できるよう保存しておきます』


「助かりました。俺一人なら、金額だけを見て同意していたかもしれません」


『今後も、文字が読めるようになるまでの間の契約は必ず別の者が同席します。高額な契約なら、なおさらです』


 トウマの端末が短く鳴った。


『《ラグナ》へ、灰級仮免で参加できる依頼が届きました。港外縁のデブリ撤去です。ガレス船長の監督下で標準作業機を使用し、武装は禁止されています』


「標準作業機なら、俺でも乗れるんですか?」


『灰級仮免で使用できます。ただし、参加するにはソナ医師の診察を受け、搭乗を許可される必要があります。報酬と作業条件も、これから一つずつ確認します』


 机の上には、ポルカから買った十八クレド分の生活用品が並んでいる。


  一千万クレドという大金でも、機体とルミの解析権まで渡す条件には同意できず、契約は断った。

 それでも今の俺には、自分で買った生活用品と、四十五日間の灰級仮免が残っていた。


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