第16話 契約は最後まで
翌朝、買ったばかりの端末に起こされた。
『航宙契約局との面談は、船内標準時の10分後に開始されます』
機械音声をスーツが意味の分かる言葉へ変えている。昨日教わった音声読み上げ用の突起を押すと、同じ案内がもう一度流れた。
数字は読めても、船内標準時が地球では何時になるのかは分からない。
それでも、通知に書かれた時刻を自分で確認できるようになっただけで助かった。
寝台から起き、スーツの上に濃い灰色の上着と黒い作業用のズボンを着た。靴も大きさは合っている。スーツの左内ポケットには、結衣へ渡すはずだった腕時計を入れたままだった。
「レン。右手の振戦を確認しています」
「昨日と比べてどうだ?」
「大きな変化はありません。首と肩の痛み、右薬指の運動遅延も継続しています」
「面談を受けても大丈夫そうか?」
「会話だけであれば、現在の数値から中止を勧める理由はありません」
扉の表示が橙から青へ変わり、ガレスとトウマが入ってきた。
「外へ行くんじゃないんですね?」
『隔離はまだ解除できん。局長との面談は、この部屋で受けてもらう』
『契約局側との回線は、私が許可しました』
トウマが机の端末を操作すると、正面の壁に男性の上半身が映った。
青黒い肌に、額から後頭部へ続く低いひれがある。首には透明な襟が巻かれ、中を水が循環していた。襟の内側で小さな泡が動くたび、首筋にある細い切れ目が開閉する。
『航宙契約局長、ラクス・ベルです。カミシロ・レンさんで間違いありませんか?』
「はい。神代蓮です」
『音声変換を使用していると報告を受けています。私の言葉は理解できますか?』
「理解できます。文字はまだ読めません」
『承知しました。今日提示する文書は、読み上げ対応の形式で送ります。セトさんにも、同じ内容が表示されているか確認していただきます』
俺の端末が短く鳴った。音声読み上げ用の突起を押すと、面談記録の開始と、参加者の名前が読み上げられる。トウマも自分の端末を見て頷いた。
『最初に、あなたが民間輸送艇を救助した事実は確認済みです。乗っていた全員が生存し、あなたの行動がなければ被害が拡大した可能性が高い。これは評価します』
「ありがとうございます」
『ただし、その救助に成功したことと、傭兵として依頼を受けられることは別です』
「それを審査するための面談ですよね?」
『はい。昨日の仮登録で、傭兵になるための申請は済んでいます。ただし、まだ正式な傭兵ではありません』
『救助時、あなたは民間輸送艇の同意を得て、《未記載路》を使用したと記録されています。到着先の安全は保証されていませんでしたね?』
「はい。大質量反応と重ならないことしか確認できませんでした」
『もし到着先に別の危険があり、民間輸送艇が失われていた場合、誰が責任を負うと考えますか?』
「《未記載路》を使うと決めた俺です」
『責任を認める姿勢は必要です。しかし、あなた一人が責任を認めても、修理費や治療費は支払われません』
壁の画面に三つの欄が並んだ。文字は読めないため、ラクスが順に説明する。
『契約では、誰が依頼を受けるのか、誰が作業を監督するのか、事故が起きた時に誰が補償するのか。この三つを出発前に決めます。善意だけでは、壊した船の修理費も、負傷者の治療費も払えません』
「助けない方がいいってことですか?」
『いいえ。救助を優先することを、最初から契約に入れておきます。想定外の事象が起きた時に、誰へ報告するのか、誰が作業中止の判断をするのか、その時にかかった費用を誰が負担するのかも事前に決めます』
「何も決めてない状態で動くな、ということですね?」
『緊急時には、その場で細かく決めている時間がないこともあります。それでも、その時に何を知っていて、なぜその判断をしたのかは記録に残す必要があります。「正しいと思って行動した」だけでは、被害を受けた相手に説明できません』
輸送艇を助けた時はたまたま結果がよかったから、補償問題が起きなかっただけだ。
「俺の仮口座には、二万一千六百四十クレドあります。それでは足りないですか?」
『一般的な作業機一台分の金額にも届きません。宇宙船の修理や複数人の治療が必要になれば、個人の預金だけで負担するのは困難です』
「だから契約と補償が必要になる?」
『はい。傭兵資格は、武器を使うためだけのものではありません。どこまでが仕事で、誰が責任を負うのかを明確にし、事故や損害が起きた時に補償を受けるためにも必要です』
ラクスは説明を終えると、そのまま次の質問へ移った。
『あなたが資格を求める理由を聞かせてください』
「この世界で仕事をして、自分の生活費を稼ぐためです。それと、《ソヴリン・ゼロ》を勝手に持っていかれないよう、異議を申し立てするためです」
『あなたは機体のためなら、危険な依頼でも受けますか?』
「内容を確認してから決めます」
『それは、あなたが読めない契約書でもですか?』
「契約書は読み上げてもらいます。分からないところが残ったら、同意しません」
『誰かを助けるためなら、契約で禁止された行動もしますか?』
すぐに「する」と答えかけた。だが、契約を無視して動けば、事故が起きた時に誰が責任を負うのか分からなくなる。さっき説明されたばかりだった。
「まず、救助を優先できる条件が契約に入っているか確認します。なければ、追加できるか聞きます。現場で助けが必要な人を見つけた時は、勝手に動かず、まず監督する人へ報告します」
『報告を待てない状況なら?』
「助けるために動きます。その時に見たものと、何をしたかは全部記録します」
『処分を受ける可能性があっても?』
「はい。ですが、契約を無視していいとは思いません。でも、契約に書いてない人なら見捨てていいとも思いません」
『ロウ船長。あなたは、カミシロさんを監督できますか?』
『監督できる。現場では俺が判断し、もし、指示に従えない状態なら任務を中止してでも連れ戻すつもりだ』
『彼の判断で損害が出た場合、《ラグナ》が監督責任を負います』
『承知している。監督を引き受ける以上、レンの判断で生じた損害も《ラグナ》の責任として扱う』
「船長。俺はまだ、依頼を受けられないんですよね?」
『まだ資格はない。だから最初の仕事は《ラグナ》が引き受ける。お前は俺の監督下で参加して、仕事を任せても大丈夫かを見る』
ラクスから、任務の内容が俺の端末に届いた。俺は読み上げ機能を使って内容を確認する。
『資格審査のための任務です。港の外で、小型貨物船が動けなくなったまま漂流しています。船の登録情報は確認できていますが、乗員とは連絡が取れていません』
「救難信号は?」
『現在は出ていません。最後の通信以降、船内の状況も確認できていません』
「中に人がいる可能性はあるんですね?」
『あります。無人船だと決めつけないでください』
端末が任務条件を一行ずつ読み上げた。
契約主体は《ラグナ》。監督者はガレス。俺は審査対象の作業補助員で、武器の携行と使用は禁止される。
《ソヴリン・ゼロ》の封印は解除せず、操縦席にも入ることはできない。もし、船内で人を発見した場合は救助を最優先し、判断と作業は全て記録するという契約だ。
『ルミさん。今回の任務で、何ができますか?』
「レンとの局所音声接続と、生体状態の確認を継続できます。《ソヴリン・ゼロ》の機能、任務先の外部センサー、船内設備には接続できません」
『では、ルミさんは通信補助として登録します。操縦や船内調査を担当することはできません。また、契約を結ぶ本人としては扱いません。ただし、ルミさんの発言や報告は、レンさんとは分けて記録します』
「私の現在の状態と矛盾しません」
「ルミの法的な扱いが決まったわけではないんですよね?」
『決まっていません。今回の記録方法は、発言者を混同しないための措置です』
「任務を完了できなければ、不合格ですか?」
『危険を正しく報告し、撤退理由を記録できれば、それだけで不合格にはしません。回収そのものより、契約と安全手順を守れるかを確認します』
「身体の調子が悪くなった場合は?」
『ソナ医師に中止権限を与えます。医療上の中止だけを理由に不合格にはしません。ただし、症状が悪化したにも関わらず、報告せずに隠した場合は、安全手順への違反として審査しますが』
「分かりました。体調が悪化した際は報告します。それと、資格審査に合格した場合はどうなりますか?」
『その際には45日間有効の灰級仮免を発行します。灰級では受けられる依頼、使用できる装備、監督条件には制限がつきます。正式資格ではありませんからね』
「機体の所有権はどうなりますか?」
『変わりません。資格審査と所有権審査は別です』
灰級仮免を取っても、《ソヴリン・ゼロ》の所有者になれるわけではない。受けられる依頼や使える装備にも制限があり、45日後には期限も切れる。
それでも、昨日までは参加できなかった実地の資格審査へ進めるようになった。何を守ればいいのかも、その次に何をすればいいのかも分かった。
「資格審査を受けます」
『文書の確認はまだ終わっていませんよ?』
ラクスに止められた。
『返事は、全項目を確認してからにしてください。』
「すみません。続きをお願いします」
端末の読み上げを再開する。費用の負担、記録の提出先、中止命令の権限、医療上の制限、違反時の扱いまで聞いた。トウマが自分の画面と一行ずつ照合し、内容に違いがないことを確認する。
最後まで聞いてから、俺は同意の表示を押した。
「今度こそ、受けます」
『受理します。出発は船内標準時の2時間後です。それまで警戒隔離を継続してください。移動時はロウ船長の監督に従っていただきます』
「分かりました」
『カミシロさん。応答がないからといって、無人だとも、乗員が全員死亡したとも決めつけないでくださいね』
通信が終わり、青黒い顔が壁から消えた。
端末には、回収対象の小型貨物船と、応答なしという二つの情報が残っている。
乗員がどこにいるのかは、まだ誰にも分からなかった。




