第15話 その名はソヴリン・ゼロ
格納庫の映像が消えてからも、俺は机の前に座っていた。
港警備局の封印は機体に残っている。運び出されるのは止められたが、所有者不明の扱いは変わっていない。
「レン。心拍数が上昇しています」
「分かってる。まだ持っていかれる可能性があるからな」
「はい。移送停止は、所有権問題の解決を意味しません」
扉の表示が橙から青へ変わった。ガレスとトウマが戻ってくる。
トウマはさっきとは別の端末を持っていた。机へ置くと、画面の上半分に読めない文字が並び、下半分には「24,000」と表示された。
『民間輸送艇の乗員から、救助への謝礼が届いています。二万四千クレドです』
「俺にですか?」
『受取人はあなたです。支払理由には、あなた個人と救助に使用された機体への謝意が記載されています。受け取るには、先に受取人として仮登録を行う必要があります』
「登録できるんですか? さっきは港の記録に俺がいないと言われました」
『正式な市民登録ではありません。航宙契約局が、身元を確認できない救難者や漂流者へ発行する申請者番号です。出身地や国籍を証明したことにはなりませんが、報酬の受け取りと手続きの申立人にはなれます。また、希望すれば、航宙契約局を通して仕事を受けるための資格審査にも申請できます』
「仕事を受けるための資格審査?」
『はい。傭兵資格もその一つですが、申請するかどうかは、まだ決まっていません』
「資格審査申請というのは、何の審査ですか?」
『航宙契約局を通して仕事を受けるための審査です。傭兵資格もその一つですが、申請するかどうかは、まだ決まっていません』
俺はガレスを見た。仕事の話をした覚えはなかった。
『地球へ帰る道が見つかるまで、《ラグナ》に置くこと自体は構わん』
「いいんですか?」
『救難者を宇宙に放り出す気はない。ただし、いつまでも客人のまま置いておくつもりもない。身体が治った後も船に残るつもりなら、自分にできる仕事をしてくれ』
「《ラグナ》で働けるんですか?」
『審査に通り、任せられる仕事があればな。うちは傭兵船だが、戦闘だけをしているわけじゃない。護衛、救難、回収、荷役も請け負う。お前が何をできるかは、これから確かめるがな』
地球へ帰る方法は見つかっていない。機体は封印され、俺にはこの世界で使える身分も仕事もなかった。いつまで世話になるか分からないまま、何もせず《ラグナ》に置いてもらうつもりはなかった。
「審査を受けます。今の俺にできる仕事があるかも含めて、判断してもらいたいです」
『申請へ追加します。ただし、仮登録を行っても、傭兵になったことにはなりません。依頼を受ける資格も、武装機を運用する許可も、審査が終わるまでは得られません』
「分かりました。その内容なら同意します」
『登録文面は、私が一行ずつ読み上げます。あなたが覚えた表示も使いますが、読めると仮定して進めません。内容が変わった場合は、最初から確認し直します』
「お願いします」
画面の最初の行が青く囲まれた。
『申請名、カミシロ・レン。二十三歳。出身星系、国籍、恒久住所は未確認。現在の連絡先は傭兵船です』
「住所が《ラグナ》になるんですか?」
『いいえ。連絡先と住所は別です。恒久住所の欄は空欄のままです』
地球の住所を言っても、ここでは場所を示せない。
分かっていたが、空欄になると聞けば少し寂しかった。
「次をお願いします」
『登録目的。救助謝礼の受領、無主物候補に対する異議申立て、航宙契約局への資格審査申請です』
「機体の所有者として登録されるわけではないんですね?」
『されません。機体について登録されるのは、異議申立ての対象を区別するための仮登録名だけです』
ガレスが腕を組んだまま言った。
『名前を付けても、所有権までついてくるわけじゃない。ただ、《アンノウン》のままでは、うちの仮札と港の手続き上の名前を区別できんぞ』
「分かりました」
残りの項目も一行ずつ確認した。虚偽申告が判明した場合は仮登録を取り消される。
依頼を受けるには別の審査が必要になる。機体への封印と医師による再搭乗禁止は継続する。
トウマが読み上げた内容に変更がないことを確認し、同意の表示を押す。
端末の脇から白い光が出た。顔と両手を順番に読み取られ、身体情報が申請者番号へ登録される。
「これで、俺が地球から来た証明になりますか?」
『なりません。顔と両手の情報は、今後この番号を使う人物が、今日登録したあなたと同じ人物か照合するためのものです。出身地と過去の経歴は、未確認として残ります』
「本人確認はできるようになっても、俺が地球から来たことはまだ証明できないんですね」
『はい。仮登録によって増える権限と、未確認のままで残る経歴は別に記録されます』
画面に俺の顔と番号が表示された。出身星系、国籍、恒久住所の欄は空白のままだった。
新しい画面が開き、輸送艇との通信がつながった。
『聞こえるか?戦場で助けてもらった輸送艇の者だ』
雑音は前より少なかった。顔は映らず、男の声だけが届いている。
「聞こえてます。皆さんは無事ですか?」
『怪我人は治療を受けている。幸い、死者は出なかった。船内で話し合って、全員が謝礼の支払いに賛成したんだ』
「二万四千クレドって、どれくらいの金額なんですか?」
『安くはない。だが、多すぎるとも思ってない。あんたが助けたのは船一隻だけじゃない。中にいた全員の命だ』
「この金額の価値は、俺にはまだ分かりません。でも、謝礼をもらうつもりで助けたわけじゃないです」
『分かってる。あの時は、金が残っても、使う俺たちがいなくなるところだった。だから受け取ってくれ。船の救難積立と、乗っていた者たちが出し合った分だ』
そこまで言われて、これ以上断る方が失礼な気がした。
「分かりました。受け取ります。ありがとうございます」
『礼を言うのはこっちだ。次に会う時は、そっちの名前も聞かせてくれ』
「神代蓮です」
『あんたの名前はもう聞いた。俺たちをここまで運んだ黒い機体の名前だ』
そう言われて、返事に詰まった。機体の名前は、まだ決めてなかった。
『まあ、決まってからでいい。生きてるうちにその名前が聞ければ十分だ』
通信が終わる。画面には「24,000」の数字が残り、その横に新しい記号が表示された。
『受領を確認しました。仮口座の残高は二万四千クレドです』
「一クレドで、どのくらい買えるんですか?」
『港の簡素な食事が一食です。一般的な作業機なら三万クレド前後です』
「作業機一台には届かないけど、食事なら二万四千回もできる?」
『計算上はそうなります。ただし、物価は一定ではありませんし、栄養面からも同じ食事を続けることはお勧めできません』
「そこまで真面目に答えなくて大丈夫です。比較しただけなので」
『失礼しました』
次に、画面へ支出の一覧が表示された。
『《ラグナ》があなたの回収と保護に使用した消耗品、医療用品、追加の港湾費用は、合計千八百六十クレドです。この金額に、乗員の作業時間と船室使用料は含めていません』
「食事代は?」
『三食分で三クレドです』
「それも支払う必要があるんですか?」
『必要経費として精算できますが、支払いにはあなたの承認が必要です』
ガレスが口を挟んだ。
『支払うかどうかは、内訳を確認してから決めればいい』
「請求内容は、船長も確認するんですか?」
『ああ。うちが請求するのは、実際に使った分だけだ。助けた相手に、理由の分からん借金を背負わせるつもりはない』
内訳はトウマが一件ずつ読み上げた。牽引索の交換部品、外部救難架の気密材、医療検査の消耗品、入港時に追加された検査費用だった。
「払います」
『差し引き後の残高は、二万二千百四十クレドですが、それでも支払いますか?』
「自分の食事代まで返すって言ったのは俺です。それに、内容も確認しました」
送金を承認する。残高は二万二千百四十クレドに減った。
続いて、トウマが衣服の一覧を開いた。文字は読めないため、形と値段を説明してもらう。
「今のスーツの上から着られる物をお願いします。派手じゃなくて、動きやすいものがいいです」
『濃い灰色の上着と黒い作業用のズボンを二組、靴を一足。合わせて九十六クレドです』
「それで」
『個人通信端末はどうしますか? 最安品は百八十クレドですが、文字の読み上げ機能がありません』
「文字を読み上げられる物がいいです」
『音声案内、文章の読み上げ、表示拡大に対応した機種が三百八十クレドです。ただし、文字を直接翻訳する機能ではありません。端末が文字を機械音声で読み上げ、その音声をスーツが翻訳します』
「それを買います。隔離中でも使えますか?」
『船内連絡と学習機能だけです。外部通信と送金は、ガレス船長か私の確認が必要です』
「分かりました」
登録手数料二十四クレドを含め、残高は二万一千六百四十クレドになった。金を受け取った直後なのに、画面の数字はもう何度も変わっている。
しばらくして、扉横の受取口へ二つの箱が届いた。
大きい方には畳まれた服と靴、小さい方には掌より少し大きな黒い端末が入っていた。
端末の縁には、指で触って区別できる三つのボタンがある。トウマが、音声読み上げ、表示拡大、緊急停止の順に使い方を教えてくれた。
音声読み上げのボタンを押すと、端末が仮口座の残高を機械音声で読み上げる。その音声をスーツが翻訳するので、俺にも内容が分かった。
『これで、読み上げ機能に対応した文は確認できます。ただし、画像の中にある文字や、手書きの文字までは読みませんのでご注意を』
「読み取れない時は、読み取れないと音声で知らせてくれますか?」
『はい。推測で読み上げない設定にしてあります』
「ありがとうございます」
『最初にもらった謝礼と、今日使った金額は覚えておけ。こっちの金がどれくらいの価値なのか、少しずつ分かってくるだろう』
「分かりました」
トウマが支出の画面を閉じ、仮登録の残りの項目を開いた。
『次は、機体の仮登録名です』
ガレスは機体の仮登録名を入力する欄を指した。
『異議申立てには、対象の機体を区別できる名前が要る。持ち主を決める欄じゃないが、お前があの機体を呼ぶ名前を入れればいい』
黒い機体の全身を初めて見た時、割れた王冠のような頭部が印象に残った。
所属も製造記録も分からない。持ち主が誰なのかも、まだ決まっていない。
それなら、何者でもないところから始めればいい。
王冠から思い浮かんだ言葉は、ソヴリン。
そして、何も分かっていない今の状態を表すなら、ゼロ。
「ソヴリン・ゼロ」
『意味を確認してもよろしいですか?』
「ルミ。ソヴリンの意味を説明できるか?」
「レンの言語では、主権者、または君主を意味します」
「この機体には、誰かに決められた所属も名前もない。だったら、これから進む道は自分で決める。そういう意味でソヴリンにしました。ゼロは、所属も製造記録も所有記録も分からない、何もないところから始めるって意味でつけました」
『その名前は、機体だけにつけるんですか? ルミさんも含めるんですか?』
トウマの質問にすぐ答えず、先にルミへ確認した。
「ルミ。この名前で登録してもいいか?」
「登録名として使用することに異論はありません。ただし、私の呼称はルミを維持します」
「もちろん。そこは変えないつもりだ」
「確認しました。登録に賛成します」
ルミの賛成を確認して、トウマへ向き直った。
「俺とルミが一緒に動かす機体の名前です」
『承知しました。その条件も記録へ加えます』
トウマが俺の発音を何度か確認し、現地の文字で同じ発音になるよう入力した。俺には文字は読めないため、登録前に読み上げてもらい、発音が同じであることを確かめた。
同意の表示を押す。
画面に二つの欄が並んだ。
仮登録申請者、カミシロ・レン。
機体仮登録名、《ソヴリン・ゼロ》。
どちらも正式な登録ではなく、機体の所有権すらも決まっていない。それでも、この世界の公的な記録へ、俺と黒い機体の名前が初めて残った。
直後、端末が短く鳴った。トウマが届いた文面を読む。
『航宙契約局の仮登録が完了しました。ただし、傭兵資格の審査は保留です。明日、契約局長との面談が指定されています』
「仮登録できたのに、まだ審査があるんですか?」
『はい。申請者番号は、手続きを始めるためのものです。仕事を受ける資格は、明日の面談で別に審査されます』
トウマの説明が終わると、ガレスは扉へ向かった。そして、立ち去る前に言った。
『今日、お前は自分の名前で報酬を受け取れるようになった。明日は契約局の面談だ。そこで、お前に傭兵の仕事を任せても大丈夫か判断される』
その言葉を聞いて、頭の中は明日の面談のことでいっぱいになった。
だが、この時の俺はまだ知らなかった。
《ソヴリン・ゼロ》と名づけたこの機体が、やがて星間世界の歴史を左右することを。




