第14話 この機体は誰のものか
食事室から警戒隔離室へ戻ると、扉はすぐに閉まった。
白い測定シールは、首も右手首も緑のままだった。食事室では久しぶりに笑えた。
それでも扉が閉まり、話し声が聞こえなくなると、また孤独を感じた。
「測定値に変化はありません」
「分かってる。確認してくれてありがとう」
寝台へ腰を下ろした直後、床から低い振動が伝わってきた。一定だった音が弱まり、数秒後に止まる。壁の端へ黄色い表示が浮かんだが、俺には読めなかった。
「ルミ、何の表示か分かるか?」
「室内表示には接続できません」
「そうだったな」
通話器が鳴った。ガレスの声が、返事を待たずに入ってくる。
『レン。今から俺とトウマでそっちに行く。机の前にでも座っててくれ』
「何かあったんですか?」
『港に着いたんだが、そこで面倒事が一つ増えた』
扉が開き、ガレスとトウマが入ってきた。ガレスは普段と同じ赤茶色の上着を着ている。
トウマは薄い板状の端末を両手で持ち、丸眼鏡の奥で何度も表示を確かめていた。
ガレスが言った。
『自由港ミラージュの外縁検査区に入港前の確認で、《アンノウン》が引っかかった』
「何にですか?」
『登録のない機体、製造番号なし、所有者を確認できず。港警備局は無主物の候補として、一時保全するつもりらしい』
「一時保全?」
トウマが端末を机へ置いた。読めない文字が何十行も並び、一番上だけが赤く囲まれている。
『売却や廃棄ではありません。所有者が決まるまで、港の管理下へ置くという手続きです。ただし、機体は《ラグナ》から保全用の係留区画へ移されます。移送後は《ラグナ》側では動かせず、調査用の接続を拒む権限もありません』
「《アンノウン》という登録は?」
『あれはうちの記録で空欄を作らないための一時的な措置だ』
ガレスが答えた。
『港の登録名でも、所有を示す記録でもない。俺が付けた仮の登録で、他人の物を俺の船の物にはできんのだ』
「俺が乗っていた記録は?」
『あります。輸送艇の映像も、当船の救難記録も提出済みです』
「だったら、所有者不明じゃないでしょう?」
トウマはすぐには答えず、端末の一行を指でなぞった。
『記録が証明するのは、あなたが操縦していたことと、輸送艇を救助したことです。購入、譲渡、相続、製造、登録の記録はありません。操縦した事実だけでは、所有権の証明にならないそうです』
「記録にそう書いてある、じゃなくて、トウマさんもそう思ってるんですか?」
『私が決められることではありません。ですが、規則の意味を変えて伝えるつもりもございません』
厳しい答えだったが、誤魔化されるよりはよかった。
「俺の名前を出せばいいんじゃないですか?」
『現在のあなたは、《ラグナ》の船内記録にいる救難者です。港の記録には身分も居所もありません。
存在しない人物を、正式な権利者として入力することはできません』
俺が文字を読めないことより前の問題だった。今の俺には署名する資格がない。
「それで、港の警備局はいつ機体を運ぶんですか?」
『もう格納庫で検査を始めてる。ミラが立ち会ってる』
ガレスが壁の操作部へ手を置く。正面へ格納庫の映像が開いた。
固定具に押さえられた黒い機体の周りに、灰色の防護服を着た人間が三人いる。ミラは機体と検査員の間に立ち、金属の義手で太い線を押さえていた。線の先には四角い接続器がついている。
『船長。いいところに。港の担当官が、そこの坊やにも確認したいとさ』
ミラの隣に別の画面が開いた。灰色の制服を着た細身の男が映る。胸元には文字の刻まれた銀色の板があったが、役職も名前も読めない。
『カミシロ・レンさんで間違いありませんか?』
「はい」
『あなたは映像内の機体について、法的な所有を主張しますか?』
すぐに答えかけて、口を閉じた。自分のものだと言い切れる記憶はない。
機体の名前も、誰が造ったかも知らなかった。
「分かりません」
『所有者ではない、という回答でよろしいですか?』
「違います。分からないと答えました」
男は表情を変えず、手元へ視線を落とした。
『では、所有を証明する記録はありますか?』
「ありません」
『当局は当該機を無主物候補として一時保全します。これは所有権を確定する処分ではありません。異議を申し立てる場合、身分登録と権利の根拠を提出してください』
「今は身分登録ができてません。それを知った上で、先に運ぶんですか?」
『機体を移しても、あなたが所有権を主張することはできます。安全な区画へ移すだけです』
「誰が中を調べるんですか?」
『港警備局の認定技術者です』
「武装や操縦系にも接続する?」
『安全を確認するために必要な範囲で行います』
答えは丁寧だったが、必要な範囲というのが分からない。俺は机の端末へ目を向けた。
「トウマさん。書面には、どこまで接続すると書いてありますか?」
トウマが表示を上から追う。
『機体識別情報の読み取り、動力部の固定確認、武装停止状態の検証、保全区画への遠隔移送に必要な制御鍵の設定です。最後の項目は、機体側への書き込みを含みます』
「機体の情報を確認するだけじゃなくて、機体側の設定も変えるんですね?」
『はい』
画面の男がトウマを見る。
『移送先で暴走させないための標準処置です』
ミラが接続器を持ち上げた。
『こいつは駆動系も表示も動いてない。外から電源をつながないと反応もしない。読み取るだけなら、何か異常があった時にすぐ電源を切れるようにして試す。制御用の情報は書き込ませないよ』
『識別確認が成立しなければ、移送手順へ進めません』
『だったら進めるかどうかは、返事を見てから決めな』
担当官は数秒黙り、読み取り用の接続だけを許可した。
ミラが接続器を黒い機体の腰へ当てる。検査員の一人が携帯電源を入れた。機体の装甲も格納庫の照明も変わらない。ルミの声だけが、俺の耳元で聞こえた。
「外部接続要求を確認。接続元はレンではありません」
ルミの声は、俺の耳元だけでなく室内の通話器からも流れた。
「何を要求されてる?」
「機体識別領域の読み取りと、その後も回線を維持する権限を要求されています」
「危険は?」
「接続継続後の処理を確認できません。機体の安全を保証できないため、拒否します」
映像の中で、検査員の端末が赤く点滅した。接続器は外れていないが、機体の識別情報は表示されなかった。
『応答を遮断されました。カミシロさん、あなたが拒否させたのですか?』
「いいえ。俺は何も命令してません」
『統合支援知性ルミ。カミシロさんの承認があれば接続できますか?』
「現時点では回答できません。接続後の安全を確認できないため、要求を受諾しません」
『命令への拒否ではなく、未確認接続を防ぐ安全機能とも解釈できます。これだけで独立した権利主体とは扱えません』
「そこまで主張してません」
ルミを機体とは別の存在だと証明できる材料はない。だが、俺が命令していない拒否まで、俺の操作として扱われるのは違う。
「ただ、今拒否したのはルミです。俺が操作したことにしないでください」
『当局記録には、機体側の接続拒否として残します』
「ルミの名前は?」
『身分登録のない支援知性を、機体と別の主体として記載する欄はありません』
事情聴取の時と同じだった。《ラグナ》の内部記録では、俺とルミと機体を別々に扱える。だが、港の正式な書類には、そこまで細かく分けて記入する項目がない。
『こちらの記録には残します』
トウマが端末へ指を置いた。
『外部接続の要求内容、ルミさんの発言、レンさんが命令していないことを、時刻と映像に結びつけます。ただし、これは当船の記録です。法的人格や所有権を証明するものではありません』
「それでお願いします」
『安全な移送方法を確認できないため、本日の移送は停止します。当該機は《ラグナ》格納庫内で一時保全とし、当局と船長の双方が封印を管理します。再起動、移送、分解、外部接続を禁じます』
「異議申立てがある場合は?」
『受け付けます。まず、申立人として登録可能な身分を取得してください』
通信が切れた。格納庫ではミラが接続器を外し、検査員が固定具の脇へ細い封印板を取りつけた。
「止められたんですか?」
『運び出されるのは止めたが、一時保全が消えたわけじゃない』
ガレスは画面の封印板を見て答えた。
『港は規則どおりに動いてるだけだ。機体は未登録で、持ち主だと証明できる人間もいない。そんなよくわからん武装機を、自由に置かせるわけにはいかんだろうな』
「でも、あれは拾った物じゃない」
『なら、機体との関係を証明できるものを探せ。「目が覚めたら中にいました」だけじゃ、登録は進められんだろ』
腹は立ったが、言っていることは間違っていなかった。俺はこの世界では、自分の身元すらまだ正式に登録できていない。
「先に、俺の身分が必要なんですね?」
『そうだ。今日のところは機体の心配より自分の身分の登録を済ませろ。』
ガレスとトウマが出ていく。扉が閉まった後も、壁には格納庫の映像が残っていた。黒い機体は固定されたまま、どこも光っていない。
「レン」
「どうした?」
「私は、あの機体の一部ですか?」
すぐに答えられなかった。人間だと言い切る根拠も、ただの機能だと言い切る根拠もない。
「分からない。ルミにも分からないんだろ?」
「はい」
「だったら、持ち主が誰なのか分からないまま、勝手に決めるのはやめよう。俺はあの機体を拾ったわけじゃないし、目が覚めた時には、ルミもあの機体もそこにいた」
「その発言を記録しますか?」
「してくれ。あと、今日ルミが自分で接続を断ったことも」
「記録します」
画面の中では、港警備局の封印板が黒い機体の横に残っていた。
あれが誰のものか、まだ答えは出ていない。
だからこそ、答えが出る前に持っていかせるつもりはなかった。




