どういうこと!?
「馬車……ですって!?」
「馬鹿な!!」
思わずわたくしたちは立ち上がりました。
「御心配には及びませんわ。あたくしどもの馬車は、巫女様やその従者であるドロレスを乗せるのに相応しく、ゆったりとして豪華な作りですもの。外にはちゃんと御者がおりますし。殿下もずいぶんと回復されたご様子で……」
「そういう問題じゃないだろう!?」
見当違いな自慢をするベアトリス様を怒りのこもった目で見据え、リディア様が低い声で吐き捨てます。
「トカフマン卿、ハルベルト卿と一緒にモンテナ家の馬車へ。あの恥知らずの小娘を引き離し、殿下を今すぐここへ連行なさい!」
「はっ!直ちに!」
「ハワード!!」
顔色を変えたソフィア様の指示を受けて、トカフマン先輩がすぐに動き出します。ほぼ同時に衝立の向こうにある生徒会用の控室から慌てた様子のハルベルト先輩が顔を出しました。
「今おまえの蝶が……見つかったのか!?」
「ああ!悪いな、せっかく休んでたところ……急ぐぞ!来い!!」
いつの間にか殿下探索から戻ってきて休憩していたらしいハルベルト先輩は、ただならぬ様子のトカフマン先輩に即座に後を追います。
「まあ!恥知らずだなんて!ソフィア様、口が過ぎますわ!ドリーちゃんは神に選ばれた巫女様の従者ですのよ?それにあの子は殿下を一生懸命介抱しつつ、あたくしたちが心配しないようにと御者に伝言を持たせてよこすほどの気遣いを……」
「なにをふざけたことを!それが問題だとなぜわからない!!」
必死で声を抑え、リディア様は不当な扱いを受けたと言わんばかりのベアトリス様を叱りつけます。
ああ、リディア様のおっしゃる通りですわ!ベアトリス様ともあろうお方が、何故わからないのでしょう!!
周りを無人の馬車に囲まれた裏庭で、御者をも使いに出した今、殿下とドロレス様は密室に二人きりだということが!!
普通、貴族社会では婚約者同士の間柄であっても結婚前ならば二人きりになるのを避けます。
二人で外出することがあっても、周りには誰かしら第三者がいますし、自宅で会うにしても侍女なり従僕なりが同席するでしょう。
わたくしだって殿下と会うときは王宮かさもなくば我が家のサロンかお兄様の居間ですし、リディア様だってヒューバート様にお会いする時は周りに騎士がうじゃうじゃいる駐屯地の面会室ですわ!それこそが、淑女としての嗜みであり、貞淑さの証となるのです!
もちろん、密室だなんてもってのほか。それを………婚約者同士でもなんでもない、年頃の男女が狭い馬車の中に二人きりだなんて!!どんな噂を立てられるか、わかったものじゃございません!しかもその相手は……ああ、ただでさえ不本意な噂を立てられた、あのドロレス様だというのに!!
「……ベアトリス・マリア・モンテナ」
冷たい、凍えるような声で王妃様がベアトリス様の名を呼びます。
「これは、モンテナ家の企てか」
「お……王妃様!?」
「体調不良の王太子を馬車という密室に連れ込み、あまつさえ娘と二人きりという状況を作り出すとは……作法もわきまえぬ礼儀知らずを養女に迎えたのはそのためか?疎まれる実の娘の代わりに養女を使って既成事実をでっち上げ、次期王妃の座を狙ったか!どうなのだ!ベアトリス!」
「そ、そんな!!」
王妃様の鋭い叱責に、ベアトリス様は真っ青になりました。激怒する王妃様は、もしモンテナ伯がこの会場にいたら、すぐに召し上げてベアトリス様と二人並べて叱り飛ばしていたことでしょう。
「そんな……企てだなんて、あんまりですわ!!あたくしは……ドリーちゃんは……ただ……ただ……」
おろおろと取り繕おうとしながらも、ベアトリス様の顔色はどんどん悪くなっていきます。今になってドロレス様の所業がどれほど常識はずれであり得ないものか理解したのでしょうか。
「巫女殿!」
次に王妃様の怒りは巫女様に飛び火しました。
「あの娘はそなたの従者であろう!そなたは知っていたのか!よもや、この下劣な企みに加担したのではあるまいな!!」
「!!」
「お……お待ちください!王妃様!!」
王妃様の怒りに気圧され口を挟めずにいたわたくしは、ここでやっと声を上げるのに成功しました。
「巫女様がこんなことに加担なさるはずはありませんわ!ドロレス様がいなくなって、誰より狼狽えていたのは巫女様ですもの!」
王妃様のお叱りを受けて息を飲み、真っ白な顔でただ首を横に振るしかできなかった巫女様の肩を抱き、訴えます。
「巫女様は小さいとはいえちゃんとした男爵令嬢です!宮廷のしきたりには不慣れですが、基本的な作法はわきまえていらっしゃる方です!そんな方が、こんな愚かな真似を黙認なさるはずがありませんわ!ね、そうですわよね?巫女様!」
「っ…」
震える肩を摩り顔を覗き込めば、巫女様はわたくしを見上げて必死に頷きました。
「わ……わたし……そんな……全然知らなくて……ドリーとは……おとといからろくに口もきいてなくて………だって……だってあの子……わたしに……」
「アリアドネ様!!」
がたがたと震えながらも、巫女様が必死に何かを言おうとした、そのとき。
ざわっとホールの向こう側がざわめき、同時に血相を変えたケイトリン様が駆け寄ってきました。
「ご……御前を失礼いたします!!でも……でも、アリアドネ様……っ」
「アリアドネ様!で……殿下が!」
ケイトリン様だけではありません。後を追うように、これまた顔色を変えたマチルダ様とジュディス様が駆け込んできます。
「殿下……?」
「まさか!」
殿下はトカフマン先輩とハルベルト先輩が連れ戻しに行ってくれたはず。それとも……まさか行き違いになって!?
「おい!何があった!殿下がどうなさったんだ?」
さっと壇から降りたリディア様がへたり込んでしまったケイトリン様に尋ねています。その間にも、どんどん大きくなる会場のざわめき。そして。
「まあ!!」
「なん……と……」
ざわめきとともに人波が割れ、現れたその姿にわたくしは思わず息を飲みました。
王妃様もソフィア様も声を失っていらっしゃいます。
それほどに殿下と……そして、殿下に寄り添うように現れたドロレス様の姿は、あり得ないものだったのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やあ……遅れて申し訳ありませんでした……母上……」
どこか覚束ないような声で、青ざめた顔で、妙にもの苦しい瞳で深く一礼をする殿下。その身には冬祭りのしきたり通り『白』の礼装を纏っていらっしゃいます。
丈の短いマント、手袋、ブーツから肩章に至るまですべて王族にのみ許される白一色で統一された服装に乱れはなく、一見するといつもの殿下のように見えるかもしれません。
でも、その殿下にぴったりくっついたドロレス様は。
「殿下、足元に気を付けてくださいね」
語尾にハートマークでもついていそうな声で殿下の背中に腕を回すドロレス様。
その身にまとっているのはもう、巫女様と色違いのシンプルなラインのドレスではありませんでした。
大きく膨らんだ上袖とレースたっぷりの姫袖。胸元を飾るリボンとフリル。
広がったスカートは……ええと、いち……にい…さん……6段のティアード!?そのティアードを覆うようなバッスルっぽいオーバースカートは大きなリボンでまとめられています。
でも問題はそのデザインではなく(いや、デザインもどうかと思いますが…)その色が真紅……深い赤だということなのです!
冬祭りで王族にのみ『白』の着用が許されるように、王族に嫁すことが決まっている者……その者にのみ許される色があります。
やがて王族となる者……それを示す色こそが、この『深い赤』なのです。
自然と、みんなの目がわたくしと彼女のドレスを見比べます。なにしろつい先ほどまで―――明るい赤のドレスの方はいても、『赤』を纏うのはわたくしだけだったのですから。
「ど……いう……ことだ……なんであの女が……『赤』を……?」
わたくしのドレスを振り返り、リディア様が呆然と呟きます。いえ、そんなのわたくしが知りたい。
とはいえ、こんな公衆の面前で、ひけらかすように『赤』を着る女も、それを咎めるでもなく傍に置く殿下も、黙って見過ごすわけにはまいりません。
「殿下!これはいったいどういう趣向ですの!?」
壇から少し離れたところに立ち尽くす二人に声をかけると、ドロレス様は髪に飾った生花を殿下の肩にこすりつけるようにしていやいやと首を振りました。
「いや~ん、アリアドネ様こわぁい!」
……て、またそれですか。そうですか。何度聞いてもムカつくものですわね、そのわざとらしい『こわぁい』!悠長に殿下の肩に着いた花粉の心配してる場合じゃありませんでしたわ!
「なにをしているの!ドリー!!」
さすがに腹が立って口を開きかけたわたくしより一瞬早く、巫女様が参戦されました。
「どうしてそんな……なんなの!そのドレスは!!なんであなたがその色を!?教会からいただいたドレスはどうしたの!」
「だってぇ、巫女様」
真っ青な顔で、震えながら叫ぶ巫女様とは対照的に、ドロレス様は余裕たっぷりにしゃなりとしなを作ります。
「あんなみすぼらしいドレス、あたしにはふさわしくないんですもの。ほらこのドレス、殿下が贈ってくれたんです!きみによく似合うドレスを、って!!」
「おお!」
「なんだと!?」
「まさか、殿下が!?」
「あの娘に『赤』を!?」
「ではまさかあの噂は!」
どよどよどよどよ。
誇らしげに胸を張るドロレス様の爆弾発言に、地鳴りのようなどよめきが起こります。
そりゃそうですわよね。婚約者がいながらほかの女性に婚姻の意志を示す『赤』を贈る。
なんという愚行、なんというスキャンダル!
ああもう……どう収集つけますの!?この騒ぎ!せっかく、あんなに頑張ってみんなで準備した冬祭りなのに―全部台無しですわ!殿下のバカ!
「ば……馬鹿を言うな!殿下がそんな贈り物をするものか!」
なんとか驚愕から立ち直ったらしいリディア様が声を荒げます。
ええ、そのとおりですわ。女性のドレスに無頓着な殿下が、あんな奇抜なドレスを贈るものですか。贈るにしたって、もっとありふれた当たり障りのないデザインで……そう、少なくともあのティアードはございませんわね、ティアードは……。
「酷い!リディア様!何を根拠にそんなことをおっしゃるんですか!?」
「うっ…そ、それは……」
ドロレス様の切り返しにうっと詰まるリディア様。さすがのリディア様も本人を前にして『殿下にそんな甲斐性はない』とは言い難いでしょうか。
「………色味ですわ」
なんだかもう付き合いきれなくなって、早く帰りたくてしかたありませんが、このまま放置するわけにもまいりません。ため息をつき、わたくしはドロレス様に指摘しました。
「『赤』は深い赤と言われておりますが、実際には真紅よりももっと暗めの…落ち着いた色を示しますの。ちょうど、わたくしのドレスのような……そう、蘇芳色に近い色ですわね。ドロレス様のドレスはそれに比べると、明るすぎるのです。殿下が贈られたのなら、そんな色の間違いをするわけがございませんわ」
そう、ドロレス様の『赤』とわたくしの『赤』では同じ赤でもまるで違うのです。国鉄赤2号と11号くらい違いましてよ?!
「そっ……そんなの!」
わたくしの指摘に、今度はドロレス様の方がうっと詰まったようでした。かっと頬に朱を走らせ、殿下の腕を引きます。
「あたしには明るくて鮮やかな赤の方が似合うって!だから、殿下はあたしに合わせてこの色を選んでくださったんです!ねっ!殿下!!」
そうなんですの?だったらデザインを変えるべきでしたわね。そんなひらひらならもっと柔らかい色か合いますわ。その色だと、デザインと色がちぐはぐですもの。
「あ……ああ……うん。そう……そうだね。ドロレスの言うとおりだ」
ドロレス様に抱き着かれ、引きつった笑みを張り付けたままぼうっと返事をする殿下。明らかに尋常ではありませんわ。お顔の色だって頬は赤いのにそれ以外は真っ青で、目もどこか虚ろで……このご様子はまるで……まるで。
わたくしは王妃様とソフィア様の方を振り返りました。
憤りのあまりか青ざめてソファに身を預ける王妃様の背を摩っていたソフィア様が、わたくしにひとつ頷いて殿下とドロレス様を厳しい目で見据えました。
「戯言はそこまでになさい、デミトリオ!せっかくの冬祭りをめちゃくちゃにするつもりですか!騎士たち!すぐにその痴れ者二人を引き離し、退出させなさい!」
「はっ!」
「直ちに!!」
ソフィア様の命令を受けて、それまで殿下の傍で待機していたトカフマン先輩やランデール先輩が殿下とドロレス様を引き離そうと詰め寄ります。
「きゃあ!」
悲鳴を上げるドロレス様、慌てて避ける生徒たち、同じように悲鳴を上げるご令嬢。あたりは騒然とした空気に包まれました。
「ドロレス!」
「殿下!」
そんな混乱の中、殿下は先輩方の手を振り払い、ドロレス様とひし!と抱き合います。そう、あたかもロマンス小説の、運命に引き離されそうになる恋人同士のように。
「……殿下?」
みしり、と。
募る苛立ちの中、わたくしは自分の堪忍袋の緒がきしむ音を聞きました、
ああ、つい数日前に2度もぶった切ったばかりなのに、ごめんなさい、わたくしの堪忍袋。
でも、すべて殿下が悪いのですわ。何やら尋常ではないのは判りますが―――お兄様は今も魔獣と戦っていますのよ!?それなのに、あなたという方は!!
「いい加減になさいませ!!ご自分が何をしているか、判っていらっしゃるの!!」
「判っているさ!この悪女め!!」
はあ!?悪女!?
「薄汚い計略で母上だけでなくソフィア側妃までも味方につけたか!この女狐が!お前が巫女殿を排し、王妃の座につくためこの心優しいドロレスにどんな酷い仕打ちをしたか、今の私はすべて知っているのだぞ!」
とんでもない言い掛かりに絶句している間に、殿下は芝居じみた台詞をつらつらと並べ立てます。
「おおかた私のこの不調も、狙った男を侍らせるために貴様が仕組んだのだろう!そのうえ、彼女のドレスを汚し、初めての夜会に出席できないようにするとは!!だが生憎だったな!ドロレスは苦しんでいた私を見つけ、ずっと介抱してくれた!彼女の愛情で、私はようやく自分の本当の気持ちに気づけたのだ!」
「そんな……ほめすぎですわ、殿下」
狙った男?侍らせる?……いったい何の話??
まくしたてる殿下の言葉があまりに頓珍漢で、だんだん怒りより心配の比重が重くなってきます。
侍らせるも何も、あなたがどっか行方くらませてたせいで、リキエシタのダンスと社交以外はずうっとわたくし、あなたのお母様に侍っておりましたけど?
ドロレス様のドレスを汚したっておっしゃいますけど、汚すどころかわたくし、つい先ほどまでドロレス様にお会いしてもいませんけど?
「あの……本当に大丈夫ですか?殿下……」
どっかで頭でも打ったんじゃないかしら。このひと。
「ふん!優しい言葉で今更私の気を引こうとしても遅いのだ!」
恐る恐る伺ったわたくしを、ご機嫌取りとでも受け取ったのでしょうか。
ふふん、と勝ち誇った殿下はなお一層ドロレス様の肩を抱き寄せて。
「母上!それにソフィア側妃殿も!私、王太子デミトリオ・フェルゼン・カリュートは、今この場において侯爵令嬢アリアドネ・フィーネ・ランバウムとの婚約を破棄させていただく!」
満場の聴衆を前に、そう宣言したのでございます。
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