そんな……
「はっ?」
殿下のトンデモ発言に、広いホールはし……んと静まり返りました。
それはそうでしょう。つい2日前、わたくしたちは婚約解消がどーのともめたばかりなのですから。
さらに、その時は「内密に」と口止めした当の殿下が手のひら返しのこの発言。
周りの皆様も呆気に取られようというものです。
「ふん、驚きすぎて言葉もないか?」
それなのに、わたくしの沈黙をショックのせいとでも受け取ったのでしょうか、ふふん、と鼻で笑った殿下は偉そうにふんぞり返りました。
「自分は何をしても許されるとでも思い上がっていたのか?馬鹿な女だ!もう一度、その腐った性根にも判るように言ってやろう!たった今、この時を持って!私は貴様との婚約を破棄する!母上が反対しようが、構うものか!!」
胸を張り、どどん!という効果音付きで再度宣言する殿下。今度はギャラリーの皆様もざわざわとざわめきました。
(おい、どういうことだ!?婚約破棄って!)
(この前のは、アリアドネ様が拗ねて心にもないことを言いだしたって話だったよな!?)
(殿下、婚約破棄なんてとんでもないって……)
(アリアドネ様のお言葉を否定なさってましたわよね?)
(じゃあ、ドロレス様との噂は本当だったってこと!?)
……ああ……やっぱり水面下では噂になってましたのね……てか、ひそひそなさってるおつもりでしょうが、丸聞こえですわよ、みなさま。
「………殿下……」
額を押さえ、わたくしは肺が空になる勢いでため息をつきました。
「なんだ?今更泣いて縋ったところで遅いぞ!私は貴様との婚約を…」
「はいはい、破棄なさるんでしょう?さっきも伺いましたわ」
だいたい破棄も何も………もうとっくに、円満に婚約解消しておりますわよね!?わたくしたち!!
「なっ……!?」
すっかり呆れ果ててしまってぞんざいに手を振ると、何故か殿下はぎょっとなさったようでした。
「こ……婚約破棄だぞ?判っているのか?」
「ええ、判っていますとも。何度もおっしゃらなくても聞こえてますわ」
あなたこそ、王妃様や陛下になんて言われたか、忘れたわけじゃないでしょうね?
「ちょ……ちょっと待ちなさいよ!!」
と、ここで何故かドロレス様までが泡を食ったように声を上げました。
「ほんとに判ってるの!?あんた!婚約破棄よ?みじめに振られたのよ!?殿下と結婚できないのよ?」
「別に……構いませんけれど?」
自分で破棄すると言っておいて、何を慌ててるのかしら。このかたたち。素直に同意したんですもの、むしろお褒めの言葉をいただきたいくらいですわ!
「……っ……なん……って女なの!アリアドネ・ランバウム!!」
しばし呆気に取られていたドロレス様は、やがて怒りに肩を震わせ真っ赤な顔を上げました。
「こんな公衆の面前で殿下に恥をかかせるなんて!やっぱり、殿下のことなんてこれっぽっちも愛していなかったのね!ただ王座が欲しかっただけなのね!」
「はぁ?」
ちょっと待って、なんでそんな話に!?そりゃ確かに愛してはいませんけど、それはお互い様ですし。恥をかかされたのって、どうみてもわたくしですわよね!?
急旋回する主張についていけずに唖然とする間にも、ドロレス様の独演会はなおもヒートアップしていきます。
「こんな女に騙されていたなんて……なんてお可哀想な殿下!でも、大丈夫ですわ!殿下!殿下にはもっとふさわしい方がいますから!わたしのお義姉様だって……そうよ、シャルだって!それに、この女は……」
「もう……もう、いい加減にして!ドリー!!」
そのとき、悲痛な声で巫女様がドロレス様を遮りました。
「せっかくの冬祭りで……こんな……こん……な……」
「巫女様!?」
真っ青な顔でそう言いかけ……巫女様は立眩みでも起こしたかのようにその場に頽れます。
「巫女様!しっかり!誰か……誰かお水を!早く!!」
「アリアドネ様!」
「ありがとう!巫女様、さ、これを……」
咄嗟に巫女様に駆け寄って抱き起したわたくしは、冷えた水のグラスを受け取り巫女様に飲ませました。
そうして。
お水を飲み、落ち着いたかに見えた巫女様は、次の瞬間びくっと体を震わせ、大きく咳き込んでがあっと血を吐いたのです!
「巫女様!?」
「巫女様!!」
「巫女殿!」
思わずわたくしは悲鳴を上げました。リディア様が、マリナ様が、警備のトカフマン先輩までが血相を変えて駆け寄り、ベアトリス様が金切り声で悲鳴を上げます。
「巫女様!?しっかり!」
「あ……ア……ャ……ね……さま……」
ああ、どうしよう、どうしたらいいの!?
グラスを放り出し、巫女様を抱きしめるしかないわたくしの手に、巫女様は震える手で縋ります。
「医者を!早く!!」
「医務室へ!」
「……ど……か……きを……しん…た……しんじ…な……」
騒然とする周りの声にかき消されそうになりながらも、どうにかそれだけを囁き―――
「巫女様!!」
巫女様の細い体はぐったりと力を失いました。
「巫女様!?巫女様!!」
「お退きください」
半狂乱で取り縋るわたくしを、突然現れたマースデン伯が優しく、でも毅然と押しのけます。彼はそのまま巫女様の脈を取り、ほっと息をつきました。
「……大丈夫、息はあります。昏倒なさっただけのようだ。とはいえ一刻も早く医者に診せたほうがいい」
「そんな……」
そこへ遅れて駆けつけてきた侍医のノーデンバーグ伯が意識を失った巫女様の診察を始めます。
「ノーデンバーグ様!巫女様は……巫女様は大丈夫なのですか?」
血の気の失せた巫女様の顔は青を通り越して真っ白で、唇の端に残る血の赤がぞっとするほど際立って見えます。ああ……巫女様……いきなり血を吐くなんて……本当に息をしているの?
いてもたってもいられなくてノーデンバーグ伯に詰め寄った、そのとき。
「何を白々しい!あんたがやったくせに!!」
いきなりの大声とともに、わたくしは強い力で突き飛ばされその場に倒れこみました。
「!?」
「アリア嬢!!」
何が起こったのかもわからぬまま顔を上げると、そこには鬼の形相をしたドロレス様が。
「よくも……よくもシャルを!巫女様を!」
「ああっ!」
「アリア嬢!」
今度はしたたかに肩を蹴られ、たまらずわたくしは壇から転げ落ちました。すかさず壇から飛び降りたリディア様がわたくしを抱き起してくださいます。
「貴様!」
「この女……この女が巫女様に毒を盛ったんです!」
怒鳴りつけるリディア様をものともせず、ドロレス様はわたくしに指を突き付け、叫びました。
「みんな……殿下も、王妃様も……見たでしょう!?この女が巫女様に毒を飲ませるのを!!この女、巫女様を殺そうとしたのよ!!」
「そんな馬鹿な!!」
「だってそうじゃない!その女が何かを飲ませた途端、シャルは血を吐いて気を失ったのよ!?毒を飲ませたにきまってるわ!!」
「そんな!!」
毒を盛る!?そんなこと、わたくしがするはずがありません!
でも、ドロレス様の告発に周りは大きなどよめきに包まれました。
「そんな……アリアドネ様がそんなことをするわけが……」
「し……しかし、実際巫女様はアリアドネ様が水を飲ませた途端苦しみ出したんだぞ!?」
「じゃああの水になにか!?」
「わ……わたくしは何もしておりません!」
次々と向けられる疑惑のと恐怖の眼差しにぞっとしながら、わたくしも声を張り上げました。
「わたくしはただ、巫女様にお水を……渡していただいたものをそのまま差し上げただけですわ!!」
「あ……あたくしだって何もしていませんわ!!」
「まあ!酷い!!今度はお義姉様に罪を着せようというの!!」
グラスを渡してくださったベアトリス様が慌ててそれを否定し、そんな彼女を庇うようにドロレス様がなおもわたくしを糾弾します。
「おおかた婚約破棄されたのが悔しくて、次の婚約者にふさわしい巫女様を殺し、お義姉様に罪をなすり付けようとしたんでしょう!でもお生憎さま!あたし、ちゃんと見てたんだから!お義姉様がお盆から取ったグラスをそのまま渡すところを!」
「そんな……」
では一体なぜ……と目を彷徨わせたわたくしは、壇の隅、人々に隠れるようにして立ち尽くしていたメイドの姿にはっと息を飲みました。
わたくしと目が合った瞬間、にやりと笑みを浮かべた若いメイド―――それは、エリスさんが警告してくれた赤い髪のメイド、カーラさんだったのです。
そんな………では……ではもしかして……本当に狙われていたのはわたくしだったの?巫女様はその巻き添えを食ってしまったの?
呆然とする間にもドロレス様の告発はどんどん過熱していきます。
幸い容体は安定しているが毒を飲まされた可能性が高いという、ノーデンバーグ伯の証言を聞いて、殿下は立ち尽くす騎士候補生たちに命じました。
「聖女たる巫女様の命を狙うとは……なんという所業を!おい、何をしている!さっさとこの悪女をひっ捕えろ!!地下牢に繋ぎ、拷問してでも罪を認めさせ、極刑に処すのだ!」
「殿下!?」
「なんということを!!」
「リリアーナ様!!」
あまりに過激な命令に、青ざめてソフィア様に介抱されていた王妃様までが声を荒げました。
「気は確かですか!デミトリオ!何の証拠もなくアリアドネを極刑になどと!!アリアドネはそなたの婚約者で……ジークハルトの妹なのですよ!?」
「お聞き分けください、母上」
肩で息をする王妃様に、殿下はゆっくりと一歩前へ出ました。
「いかに親友の妹とはいえ、巫女様の暗殺を企てたこの女は死をもって贖うべきなのです。さもなくば、我がカリュートス王国は神の怒りに触れましょう」
「そん……」
「お待ちください、殿下!」
言いかけた王妃様を遮るように、ドロレス様がそんな殿下の腕に触れました。
「実は、シャル……巫女様には冬祭りが終わるまで内密に、と言われていましたが、巫女様は昨夜、神託を受けていたんです。とても大事な、重大な神託を」
そう言って、ドロレス様は何故か勝ち誇ったような目で座り込んだままのわたくしと、手をこまねいている騎士候補生のみなさまを見比べます。
「神託は言いました。邪悪の娘、蛇を連れた少女を神に捧げよ、と。今夜の討伐では魔獣を完全に仕留めることはできません。魔獣を鎮めるには、邪悪の娘を神の花嫁として差し出すしかないと」
「おお!」
「蛇を連れた少女……だと?」
「で…では…まさか……」
ざわめくみなさまに頷いて。
「そう、蛇を連れた少女。蛇の守護精を持ち、巫女様を殺そうとした悪女……アリアドネ様こそが、その邪悪の娘なんです!」
そう言って、彼女はまっすぐにわたくしを指さしたのでございます。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ランバウム嬢……よりによって、まさかきみをこんなところへ幽閉することになろうとは……。……残念でならんよ」
「判っているとは思うが、騒ぐと為にならんよ。おとなしく沙汰を待つことだ」
「ええ……承知しておりますわ」
苦渋の表情で扉を閉める学園長先生と副学園長先生。
淑女の礼でその背中を見送り、わたくしは深いため息をつきました。
扉の向こう、お二人の足音が遠ざかり、ゆっくりと消えていきます。
暗く、じめじめした石壁、冷たい石畳の床、そう、ここは恐ろしい地下牢……………ではなく。
わたくしがいるのは少々狭く不自由ではありますが、清潔な小部屋―――学園の反省室なのです。
ドロレス様の告発劇(後半はあんまり聞いていなかったのですが)のあと、わたくしはランデール先輩とハワード先輩に連行され、ひとまずこの反省室に入れられることとなりました。殿下とドロレス様は何やら地下牢を連呼していらっしゃいましたが、もちろん学園にそんなものあるわけがございません。
加えて、
「事態がはっきりするまでアリアドネを牢に入れることなどわたくしが許しません!!」
という王妃様の断固たる拒絶のもと、自宅謹慎を主張する理性派と地下牢を要求する感情派が戦った結果、このような処遇となったのです。
「………巫女様……」
もう一度ため息をついて、わたくしは固いベッドに腰を下ろしました。
殿下の希望した地下牢とは真逆、北側の塔のてっぺんにある反省室は5メートル四方ほどの狭い部屋で殺風景ながらも最低限の設備は整えられています。
古びた机と椅子、ベッドのほかには脇机と衣装箪笥がひとつずつ。飾り気のない壁にはお手洗いに通じる扉がひとつと、顔を出すのがやっとなくらいの細長い窓がふたつ並んでいるだけ。それでも机の上には大きな水差しと3本のろうそくが灯った燭台があり明るさに不自由することはありません。暖房器具はないものの、何らかの魔法具が使われているのか凍えるほどの寒さはなく、囚われ人としては、待遇がいい方と言えるのではないでしょうか。
ただ、その窓の外も今は真っ暗な闇が広がるだけ……まるで世界から隔絶されたかのように静まり返っています。
「……お兄様……お父様……」
戦いはどうなったのでしょうか。お兄様は……そしてオレイアス殿下とランスロット様はご無事でいらっしゃるでしょうか。きっと今頃、ビベカ領の本陣に詰めているお父様の許へもわたくしが捕縛されたという知らせは届いているでしょう。いえ、討伐が終わるまで………夜が明けるまで、余計な知らせは留め置かれているのかもしれません。だとしたらわたくしは……。
「ああもう!急いで出たところで、どうしようもありませんわ!あんな疑惑をかけられた以上、巫女様のお傍になんて近寄らせていただけるはずありませんもの!」
つい悪い方へ向かってしまう考えを振り払い、わたくしは机へと向かいました。せめて巫女様の無事を祈ろうと思ったのです。椅子を引き、机の引き出しから備え付けの聖書を取り出そうとして―――わたくしはふと、あることに気付きました。
―――昨夜、神託を受けていたんです。とても大事な、重大な神託……。
ドロレス様は、確かそうおっしゃっいました。巫女様に、冬祭りが終わるまで内密にしろと言われていたとも。
でも、あのとき……王妃様に叱責された巫女様は、おとといからドロレス様とはろくに口もきいていない、とおっしゃっていたはず。
だとしたら、ドロレス様が主張するようなやり取りがあったとは思えません。
それに、先日のドロレス様のお役目失敗を受けて、神託があった際はどんなに小さなものでもすぐに報告するように、と陛下直々に通達があったと聞いています。
それなのに……神託を黙っていた?それも、あんなに重要な神託を………?
「変……だわ……おかしいわ、そんな……」
ドロレス様の言うことが本当なら、巫女様は意識的に王命を無視し、わたくしたちにうそをついたことになります。
それに……あの水のこともそう。
あのとき……緊急時のことであまり覚えてはいませんが、水を求めたわたくしに、ベアトリス様はすぐさまグラスを渡してくださいました。
ということは……カーラさんはすぐそばで機会をうかがっていたということ?
わたくしがお盆をひっくり返したことでわたくしに飲み物を取らせるのは簡単ではないと思ってベアトリス様を経由させた?
とはいえ、ベアトリス様が狙いのグラスを取るかどうかは判らないはず。だとしたら……あの時のお盆の上には、わたくしが受け取ったグラス以外にも毒入りのグラスがあったということ……?
「ぬかりましたわ………あの場で彼女のお盆を押さえておくべきでした!」
そうすれば、せめて身の潔白だけでも証明できたでしょうに。
それにしても、彼女の動機は何なのでしょう。わたくしへの恨み?それとも侯爵家への?
心当たりはありませんが……侯爵家ともなれば、数多の使用人を雇い入れています。身に覚えがなくともどこかで恨みを買っていることも考えられます。
でも、だからと言ってあんな……巫女様を巻き込むような真似を……エリスさんから話を伺うことができれば、もう少し詳しいことが……
「っ!ちょっと待って……まさか……」
エリスさんからの警告を思い出し、わたくしはもう一つのことを思い出しました。
あの時のエリスさんの口調……彼女は、カーラさんのことを「あの子」と呼びました。「あいつ」でも「あの人」でもなく、「あの子」と。
つまりそれは知り合いだということ。そう、あの時も思ったのです。もしカーラさんがエリスさんとお知り合いなら……すなわち、カーラさんはドロレス様とも知り合いなのではないかと……!
「そん……な………まさか………」
頭に浮かんだ恐ろしい疑惑に、すうっと血の気が下がるのがわかります。
―――あの子から受け取ったものを口にしないで
―――こいつは入ったばかりで、口の利き方もなってなくて……
―――アランジェロといって、ドリーの友人で……
「まさか………そんなことがあるはずが……」
耳の底に、あの時のエリスさんの叫びがよみがえります。
『だって、おかしいでしょう、そんなの!!あの子は友達なんじゃなかったの!?』
まさか………その「あの子」というのは……ああ、そんな……巫女様のこと……だったの?
エリスさんの抗議は……ドロレス様ともめていた原因は……巫女様を巻き込むことに対して、だったの?
「まさか……従者が……巫女様を………?」
わたくしを陥れるためなら、巫女様に毒を盛るのも厭わないと……そういう……ことだった……の……?
「あら………思ったより察しが良かったのね」
不意にそんな声が耳を打ち、わたくしは驚いて立ち上がりました。
「だ……誰?」
慌てて室内を見渡しても誰もいません。
でも、確かに聞こえたのです。
低い、しわがれた―――しゅうしゅうという掠れたような音を伴った、あざけるような声。
それはあの時……ドロレス様を段差から突き落せと命じた声と同じものでした。
「……っ!!」
狼狽えるわたくしの前で、突然ろうそくの炎が大きく燃え上がります。そして。
炎の中、浮かび上がったのは。
「ドロレス様!?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべた、ドロレス様の姿だったのです。
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