幻覚ですわ
軽やかなワルツの、最後の旋律が溶けていきます。
少々ぎこちなくもファーストダンスという大役を終えてお互いお辞儀をするソフィア様と巫女様に、わたくしたちは惜しみない拍手を送りました。
「素敵でしたわ!お二人とも!!」
「ああ、まさに眼福だった!」
「ありがとう。久しぶりだからどうなるかと思ったけれど……巫女様の足を踏まなくてよかったわ」
「わたしこそ……あの、ありがとうございました、ソフィア側妃様」
「どういたしまして。可愛らしいダンスでしたわ。昔取った杵柄も役に立つものね」
にっこり微笑まれるソフィア様に、頬を上気させたままどこか夢見心地の巫女様。
ああ、本当に素敵でしたわ!緊張しいの巫女様も、殿下相手より踊りやすかったのではないかしら!
そうこうするうちにもダンスフロアには生徒たちが溢れ、楽団が次のダンス曲を奏で始めます。
それに目を配りながら、わたくしたちは王妃様にご挨拶を、と列をなす来賓の対応に追われたのでございます。
「……デミトリオはまだ見つからないのかしら……」
小半時も過ぎた頃でしょうか。
挨拶の列もひと段落し、ようやく息をついた王妃様が冷たい果実水のグラスを受け取りながら呟きました。
「……ええ。さすがにちょっと変ですわよね……」
「ハルベルト先輩やランデール先輩たちが探しているはずなのですが……」
リディア様とわたくしも、不安に顔を見合わせてしまいます。
ああ、いったいどこへ行ってしまったの?殿下!たとえ大事なファーストダンスをすっぽかしてしまったとしても、夜会自体からトンズラなさるような方ではないのに!
「……わたくし、少し探してまいりますわ」
「アリア嬢、私も!」
「いいえ、お待ちなさい。二人とも」
そう言って御前を辞そうとしたわたくしたちでしたが。
その動きは王妃様の厳しい声に押しとどめられました。
「ここでそなたたちまで姿を消せば、なにかあったのかと勘繰られましょう。アリアドネ、リディア嬢、二人ともそろそろ踊っていらっしゃい。せっかくの冬祭りなのよ?少しは楽しまなければ」
「そのとおりよ。二人とも生徒会の仕事にかかりきりでしょう?ちょっとくらい羽を伸ばしても誰も文句なんて言わないわ」
隣からソフィア様も言葉を重ねます。
「いかにも。主催者側とはいえ、これはきみたちの宴でもある。ここはお言葉に甘えて存分に楽しみなさい」
学園長先生にまでそう言われては従うしかありません。わたくしたちは皆様に深く一礼すると素直にダンスフロアへ降り立ちました。
「やれやれ……踊るような気分ではないんだがな」
「そうですわね……」
こっそりため息をつきあい、ダンスフロアを見渡します。
赤、青、緑、黄色……淡いピンクや若草色、水色やオレンジ色……花のように広がり、翻る色とりどりのドレス。それをリードする、落ち着いた色調の礼服や騎士服に身を包んだ男性陣。
少し離れたところでマリナ様に引っ張って行かれた巫女様が2年生の特待生と踊っているのが見えます。その向こうでマリナ様が踊っているのは……あのとき青カードをさしあげた、騎士候補生のトランテス様ではないかしら?
そんな風に周りを確認していた、そのとき。
(お嬢様……ランバウムのお嬢様!)
半ば無意識にメイドの差し出すお盆からグラスを受け取ろうとしたわたくしは、小声で囁かれてはっとそちらを見ました。
(こっち見ないで!グラスを選んでるふりをしてください!)
お辞儀をしながらお盆を差し出しているのは、あのエリスさんだったのです!
(エリスさん?)
(しっ!いいから聞いて!カーラっていう赤毛のメイド。あの子から受け取ったものを口にしないで!)
「赤毛の……?」
「はい!!レモン水ですね?こちらになります!」
何やら物騒な物言いに目を見開くわたくしにレモン水のグラスを押し付け、エリスさんはそそくさと離れていきました。
「……エリスさん……」
今のは一体どういうことなのでしょう……?赤毛のメイド?受け取ったものを口にするな……?
レモン水のグラスを口に運ぶふりをしながら、わたくしはさりげなくフロアに目を走らせました。
踊る生徒たちの向こう、楽団のすぐそばで来賓の貴族に給仕をする赤い髪のメイドがいます。
年のころはエリスさんと同じくらい、見覚えのない顔立ちで……彼女がそのカーラさん、なのかしら。
パッと見た限り、そつなく給仕をこなしているようですが彼女に何か問題が?口に入れるなということは……何か、わたくしに害意があるということ?何故エリスさんはそれを知っているの?
いえ、それよりも……もしカーラさんがエリスさんのお知り合いなのだとしたら、それはもしかして……
「アリア嬢?どうした?」
「あ…リディア様……」
不意に肩を叩かれ、わたくしはびくりと身を震わせました。振り向くと、不思議そうな顔のリディア様とハンコック様が。
「もしかして、気分でも悪いのか?なんだかぼーっとしてるみたいだが」
「ああ、いいえ。ただ、不手際がないことを確認してほっとしておりましたの」
いけない。今はまだエリスさんの忠告をリディア様に申し上げる段階ではありません。きっぱりとしたご気性のリディア様のこと、これを知ったらエリスさんに直接聞きに行きかねません。それではこっそり伝えてくださったエリスさんの気遣いが無になってしまうでしょう。ただでさえドロレス様ともめていたうえ、リディア様が親切になさったことで他の使用人からやっかまれているらしいのに。
「そうだな、みんな楽しんでくれてるみたいだ」
「ええ……でもなんだか灯りが薄暗いかしら?」
幸い、リディア様はうまくごまかされてくれたみたいです。それにほっとしながらも、わたくしはもう一度ホールを見渡しました。
シャンデリアは燦然と輝き、壁際の燭台にも明るく火がともっています。にもかかわらず、なんとなくホール全体に靄がかかっているような……妙な薄暗さのようなものを感じていたのです。
「そうか?私には十分明るいように思えるが……なあ?」
「はい、ぼくも暗いようには思えません。むしろ、明るすぎるくらいだと……」
リディア様に同意を求められたハンコック様も首をかしげます。
「……そう?わたくしの気のせいなのかしら……」
お二人に否定され、わたくしも首をひねりました。……そうですわよね。気にしている方など一人もいらっしゃらないようですし……わたくしの目が疲れているのかしら。
「それより、気分転換に少し踊ってきたらどうだ?さっきからコイツがそわそわしっぱなしで見ていられない」
「リディ先輩!!!」
あらあら……人の悪い笑みを浮かべながらからかうリディア様に、ハンコック様は真っ赤になって抗議なさいます。でも……そうですわね、お相手する約束でしたものね。
「では……わたくしのファーストダンスのお相手をお願いできるかしら?」
「っ……光栄であります!!」
そう言って手を差し伸べると、ハンコック様は耳まで真っ赤になって、押し戴くようにわたくしの手を取りました。
「あっあのっ……アリアドネ様……その、おみ足踏んだらごめんなさい!」
ダンスフロアへと歩を進めながら、そんなことをおっしゃったハンコック様でしたが。
次の曲が始まり、踊りだした途端わたくしは思わず目を瞠ってしまいました。
―――まあ……なんて踊りやすい。
少々硬さがあるのはしかたないとしても、ハンコック様のリードはとても軽やかで踊りやすかったのです。決して自分の技巧をひけらかすことのない、相手のことを第一に考えたリード。これは一朝一夕に身に着くものではありません。かなり練習をなさったはず。我慢強い努力家だというハンコック様の気質はこんなところにも表れているのですね……。
やがて曲が終わり、わたくしたちはお互いにお辞儀をします。
「……ありがとうございました、アリアドネ様。一生の思い出になりました」
「まあ!」
涙目でそんなことを言われ、ちょっと胸が熱くなってしまいます。
前にも思いましたが、なんてお可愛らしい。こんな弟が欲しかったですわ!
「こちらこそ、思い出に残る素敵なダンスでしたわ。もっと踊っていたかったくらい。機会があったら、また是非お願いしたいわ」
「!!……ぼくもう、いつ死んでもいいです!!」
「いやですわ。またお相手くださいってお願いしてますのに」
本当に泣いてしまいそうなハンコック様に苦笑しつついったんフロアを退こうとして……わたくしはさっきちらりと見えた人物の方へ目をやりました。
「……あのかた……やっぱり参加なさいましたのね……」
「え?ああ……キッペリング卿ですか」
ダンス中に他所へ目を移すのはマナー違反ですから目をやらないようにしましたが(というか、見たくもありませんが)フロアの中央より少し奥まった方ではあのキッペリング様が踊り続けていらっしゃいます。
「リキエシタ妨害や虚偽の申告、悪評を流した件については保留になったらしいですけど、白カードの件はやっぱり問題になったみたいで……責任を取って、カードをくださった全員と踊るようにって厳命されたそうです。……出来なければ、年明けに懲罰だって」
「まあ………」
21人、でしたわよね。確か。お一人当たり10分としても3時間半。……踊り切る前に夜会が終わってしまいますわね……。
「本当は冬祭りに参加させないことも検討されたらしいですけどね。それだとカードを渡した生徒が落胆するって、ああいう処置になったそうですよ。とはいえ、取り巻きの中には殿下に叱責されたのを聞いて離れた方もいるみたいで、ずいぶん寂しくなっちゃったって話ですけど」
「マリナ様」
どこから聞いていらっしゃったのか、鼻にしわを寄せたマリナ様がケッという効果音付きで吐き捨てます。
「確かにな。だが、ハンナ様との婚約解消を聞きつけてこれ幸いとすり寄る令嬢もいるみたいだぞ。後釜狙いというのか」
「信じらんない!どこがいいの?!あんなの!顔?顔だけ良ければいいの?」
先日の茶番の怒りがまだ収まらないらしいマリナ様は、口をはさんだリディア様にも突っかかります。
「ハンナ先輩へのあの態度を見れば、婚約者を大事にするような男じゃないのは明らかなのに!」
「まあそう言うな。そうだ、ハンナ様と言えば。あの傷も思ったより目立たないようで、ちゃんと参加されているぞ。さっきドナルドと踊っていらっしゃった」
「まあ!それは何よりですわ!」
殿下のことでバタバタしていて夜会前にお会いする機会がありませんでしたが、ハンナ様がいらっしゃっているか、ずっと気になっていたのです!リキエシタをくださったドナルド様と踊っているということは、少しは楽しんでくださっているのかしら。だといいのだけれど。
「あーもー!!あんなののこと考えてイライラしてる時間がもったいない!オスカーくん!踊りましょう!次はわたしとお願いします!」
「へあっ!?は、はいいっ!」
手に持っていたグラスを一息に飲み干してハンコック様の手を取るマリナ様の勢いに笑いながら、わたくしたちもまたダンスフロアへと足を向けたのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜会も半ばを過ぎたころ、楽しい時間を過ごしたわたくしたちは王妃様のお傍へ戻りました。
「ただいま戻りました、王妃様」
「お帰りなさい、アリアドネ、リディア嬢。少しは楽しめて?」
「ええ。おかげさまでとても。楽しい時間をありがとうございました」
「それはよかったわ。わたくしたちも今、巫女殿とあの馬鹿息子の愚痴で盛り上がっていたところよ」
「まあ!」
見れば、王妃様たちの傍らに座った巫女様がちょっぴり困ったように笑っていらっしゃいます。
「ということは……殿下はまだ見つかりませんのね?」
「ええ。守護精を飛ばしてもさっぱり。いったいどこへ雲隠れしたのやら」
大仰なくらいのため息をつき、王妃様は果実水のグラスを口に運びました。
いろいろと便利な守護精ですが、万能ではありません。メッセージを届けるには、相手の居場所がある程度わかっている必要があるのです。それなのに、学園内で守護精が届かない、ということは。
「……まさか、学園を脱走したんじゃないでしょうね」
「さすがにそれは……」
眉を顰める王妃様に苦笑して、飲み物のお代わりをいただこうと振り返ったわたくしは、給仕に来たメイドの顔を見てぎょっとしました。
年若い、赤い髪のメイド―――彼女は、エリスさんが警告したカーラというメイドではないでしょうか!?
「どうぞ、果実酒と果実水です」
「ありが……」
それは一瞬の判断でした。
受け取らないというのも不自然ですし、ほかのものを注文するにしても用意するのは彼女になるでしょう。ですからわたくしは、よろめいたふりをして彼女のお盆をひっくり返したのです!
「ああっ!」
「まあ!」
「アリアドネ様!?」
がしゃんと音を立てて落ちるグラス、飛び散る飲み物。
その音と、なによりあり得ない不調法に、その場はちょっと騒然としました。
「ごめんなさい、かかってしまったわね」
「どうしたのです?アリアドネ」
「申し訳ございません。ちょっと眩暈がして……あなた、いったん奥へ下がって着替えていらして?メイド長、ここの始末を」
驚いたように腰を浮かせるソフィア様にそう言い訳し、カーラさん(多分)を下がらせます。慌ててすっ飛んできたメイド長は、すぐにその場を片付け新しいグラスを用意させました。
「……どうしたのです、あなたらしくもない」
メイド長から受け取った新しいグラスを差し出すと、王妃様は訝しげな顔でそれを受け取ります。
「……申し訳ございません」
頭を下げながら、それでもわたくしはすぐ傍にメイド長が控えているのを確認し、そっと息をつきました。
先ほどのメイドが誰であったにせよ、本来ならば新規のメイドが王族の傍に上がることなど許されることではありません。
おそらく、メイド長が何らかの理由で席を外した―――その一瞬の出来事だったのでしょう。いえ、その一瞬の隙を突いた……と言った方が正しいでしょうか。
あの瞬間―――お盆をひっくり返された、あの瞬間わたくしを睨んだ彼女の目は、とても飲み物を掛けられただけとは思えない、憎悪ともいえるほどの憎しみに満ちていたのですから。
「なんにせよ、怪我がなくてよかったわ。あなたもドレスは大丈夫?」
「はい、なんとか。あの方には申し訳ないことをしてしまいましたが……」
「アリアドネ様、大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとうございます」
心配してくださる巫女様にもそう答え、ようやく一段落つくか、と思ったのですが。
「あらぁ、あたくしにはアリアドネ様がわざとあの子のお盆を叩き落としたように見えましたけれど?」
「……ベアトリス様」
背後からかけられた猫なで声に、わたくしは内心『まためんどくさい方が来た』とげんなりしたのでございます。
「ベアトリス嬢?」
「ご歓談中のところ失礼いたしますわ、王妃殿下、ソフィア側妃様。少々お耳に入れたいことがございまして」
くねっとしなを作ったベアトリス様は、ちょっと気取った動作で淑女の礼をなさいます。
親しい人にしかわからないくらい微かに憮然とした顔で頷く王妃様に促され腰を下ろした彼女は、左手の人差し指を頬に当てたままちらりとわたくしを見ました。
「びっくりしましたわぁ。まさか、アリアドネ様があの可哀そうなメイドを甚振るような真似をなさるなんて。あの子がなにか気に障るようなことをしましたの?」
「……なんのことでしょう?」
「まあ!お惚けになるつもりですの?でもあたくし、ちゃんと見ていましたのよ?あなたがあのお盆を叩き落とすところ!」
「……見間違えではございません?」
だってわたくし、叩き落としたのではなく、下から突き上げたのですもの。叩き落としたのを見たのでしたら、それ、幻覚ですわ。
「ベアトリス様!」
何か(わたくしへの非難に違いありませんが)言いかけたベアトリス様を、巫女様が震える声で遮りました。
「お言葉ですが……アリアドネ様は眩暈を起こされたのです!ジークハルト様やランス兄さまが今まさに戦っていらっしゃるんですもの、準備の激務に加え、昨夜はろくに寝てもいらっしゃらないはず!ちょっとよろめいたくらいでそんな言い方……あんまりです!」
「まっ!」
いつも控えめな巫女様が面と向かって逆らうとは思わなかったのでしょう、ベアトリス様は明らかにむっとした顔をなさいました。それでも王妃様の御前であるということ思い当たったらしく、しおらし気に目を伏せます。
「そぅお?あたくしにはやっぱりアリアドネ様がわざとやったようにしかみえなかったのだけれど……」
「ベアトリス嬢」
眉を顰め、王妃様が口を開きました。
「わたくしの耳に入れたいこととは?アリアドネがわざと粗相をしたと、そう言いつけに来たのですか?」
「そんな!とんでもありませんわ!」
苛立ちのこもったその声色に、ベアトリス様は大袈裟に傷ついたようなそぶりをなさいます。……こういう、いかにもわざとらしいところが王妃様に嫌われる要因なのですけたりれど……懲りないかたですわね。
ちらりとわたくしわたくしを一瞥し、ベアトリス様はゆっくりとあたりを見渡しました。
「殿下のお姿が見えないようですが……もしや、何かありまして?」
「……さあ……それがそなたに何か関係ありますの?」
「やっぱり……」
冷たく突き放すような王妃様の態度に、ベアトリス様は頬に片手を当てたまま大きなため息をつきました。
「さきほど、ドリーちゃ……いえ、ドロレスから連絡がありましたの。ご気分が悪いらしく、中庭で殿下が蹲っていらした、って」
「まあ!」
ベアトリス様の言葉に、わたくしたちは思わず腰を浮かしました。
中庭!?いったいどうしてそんな場所に!?
でも、そんな判りやすい場所にいたなら何故ハルベルト先輩たちが見つけられなかったの!?
「それで殿下は!?」
「まだ中庭に!?」
「まあ!そんな。ご気分の悪い殿下を放置できるとでも?」
勢い込んで訊くわたくしたちに、さも心外だという顔をして。
「殿下なら、我が家の馬車でお休みいただいておりますわ。もちろん、ドロレスがつきっきりでね」
そう言って、ベアトリス様は真っ赤な唇を引き上げ意味ありげに笑ったのでございます。
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