夜会の始まり
ちょっとだけ修正しました(7/17)
冬祭り当日は、よく晴れた穏やかな日でした。
危惧した冷え込みもなく、無事に全校礼拝と大晩餐会を終えたわたくしたち生徒会の面々は、ようやく一息ついたのでした。
大晩餐会の後は、約1時間の休憩をはさみ、いよいよ夜会が始まります。
夜会の準備を終えた生徒たちが三々五々会場である大ホールへ集まりつつある中、わたくしたちは来賓の対応に追われておりました。
すべての生徒の家族が参加するわけではありませんが、王都やその近郊に居を構えている貴族や、所謂大貴族と言われる家はほとんどが招待されています。今頃始まっているであろう討伐に思いをはせる余裕もなく、わたくしたちは忙しく立ち働いていたのです。
「アリア嬢、王妃様の馬車が王宮を出られたそうだ。15分くらいで着くらしい」
「まあ!ではこうしてはいられませんわね。すぐにお迎えの準備を。控えの間の用意はできているかしら?」
「はい、準備万端整っております」
リディア様からの報告を受けて、傍に控えるメイド長に確認し、わたくしもドレスの上に羽織っていた白のローブを脱ぎました。
いくら夜会の前に休憩があるとはいえ、たった1時間ではできる準備もたかが知れています。生徒の多くは終業式の後すぐにドレスに着替え髪を整え、礼拝用のローブをその上から羽織って礼拝や晩餐会に臨むのです。
「殿下は……」
「それが……まだご気分が優れないそうだ。夜会には根性で出席するが、出迎えは遠慮させてもらいたいと」
「まあ……」
なぜか申し訳なさそうなハルベルト先輩にわたくしも困惑してしまいました。
殿下は普段いたってしぶと……健康な質でいらっしゃいますが、どうしたことか昨日から急に体調を崩してしまわれました。今朝も死にそうな顔色で登校していらっしゃって、礼拝の後は生徒会室で休んででおられるはずなのですが……。
「なにか悪いものでも食べたのではないか?」
「夢見が悪くてほとんど眠れなかったそうです。やはり今日の討伐のことが心配だったのかもしれませんね。なにしろ、親友のジークハルトだけでなく兄君のオレイアス殿下まで戦地に赴いているのだから……」
「そう……ですわね……」
ああ、お兄様。
眠れなかったのはわたくしも一緒ですわ。
昨夜は一晩中礼拝堂で祈りを捧げておりました。
どうかお兄様が、オレイアス殿下が、ランスロット様が―――みなさまがご無事で帰りますように、とそれだけを祈って……。
「……まあ、しかたない。夜会が始まるまで少しでも休んでいただいて、気合で復調していただくしかないな!とにかく、ファーストダンスがないことには夜会も始まらないし」
夜会の始まりを飾るファーストダンスは王族が踊るしきたりです。
今回の夜会は討伐のせいで陛下のご参列が見送られたため、どうあっても殿下に踊っていただく必要がありますわね。
沈みかけた空気を救い上げようと、ことさら明るくリディア様がそう言った時。
「あの……ランバウムのお嬢様、ちょっとよろしいですか」
不意に横からそう声を掛けられ、わたくしは驚いて振り返りました。
「あ……あら、ゴードンさん。どうかなさいまして?」
そこに立っていたのは厩番のゴードンさん。古くから学園に勤めてくださってる、初老の男性です。
「すいやせん、お忙しいところ……」
「いいえ、構いませんわ。何か……?」
帽子をとってほかの皆様にもお辞儀をしたゴードンさんは、ちらりと連れてきた少年の方を見て頭を掻きました。
「じつは、こいつが言うにはカフタン子爵家の馬がどうも具合が悪いようなんで。馬車から外して休ませた方がいいってんですが、休ませようにも馬術部の厩は空きがなくて……奥の馬房を開けるか、鶏小屋に入れるかなんですが……」
「まあ!鶏小屋に馬を?」
わたくし、ちょっとびっくりしてしまいました!
新鮮な卵を得るため、学園では結構な数の鶏を飼育しております。そのため、馬場のすぐそばに鶏小屋があるのは知っていましたが……鶏小屋って、馬が入れるもの!?
「いや、鶏小屋とはいえ、厩の半分くらいの大きさはありやすからね。馬の1頭や2頭、入れられんことはありません。今はロバだっていやすしね」
「ロバ!?ロバですって!?ロバさんがいらっしゃるの!?」
ロバ!!あの、茶色くて愛らしい動物ですわね!絵本でしか見たことありませんわ!!
「俺のロバを預かってもらってんだ。悪いか?!」
つい『ロバ』という単語に食いついたわたくしに、ゴードンさんの連れていた少年が苛立たし気に舌打ちをしました。
「おい!なんて口の利き方をしやがる!!」
ゴードンさんは大慌てで少年の首根っこを掴み、強引にわたくしに頭を下げさせます。
「すいやせん、こいつは最近入ったばかりで、腕はいいんですがてんで作法がなってなくて……」
「いいんですのよ、話の腰を折ったのはわたくしですもの。で、ロバさんがどうなさいまして?」
「アリア嬢、ロバじゃない。カフタン家の馬だ」
どうにもロバから離れられないわたくしを見かねてか、苦笑しながらリディア様が助け舟を出してくださいました。
「奥の馬房は開けられないのか?」
「あっちは貴族の方々の馬をお預かりする時用なんで……わっしらの一存で開けるわけにゃいかねえんです」
「まあ、そうなんですのね」
それでわたくしにお伺いを立てにいらっしゃった、というわけですか。
「でしたら、問題ありませんわ。そちらを開けて具合の悪い馬を休ませてあげてくださいな。馬房は使えるようになっているのかしら?」
「それはもう!掃除は毎日しておりますし、寝藁もたっぷりありやす。水桶さえ用意すればすぐにでも!」
「ではそうしてさしあげて。もし必要なら、獣医さんにも連絡を。それと……」
わたくしはいまだ憎々し気にわたくしを睨んでいる少年に目を移しました。
「もしよろしければそのかたのロバさんもご一緒に。奥を空ければ余裕があるでしょう?」
「なっ……」
ほっとしたようなゴードンさんにそう言うと、何故か少年はぎょっとしたように目を剝きました。
あら、もしかしてロバさんって馬と相性悪い?
「鶏小屋の方がよろしければそれでもかまいませんけど……」
「いや、そりゃあ厩の方がロバだって快適でさ。ではお言葉に甘えてそうさせていただきます」
笑いながらそう言って、ゴードンさんは去っていきました。
「じゃあ、俺が一緒に行って確認してきます!」
言うが早いか、これ幸いとランデール先輩がゴードンさんの後を追います。
「あいつ……接待から逃げたな」
「ランデール先輩、嫌々でしたもの」
その逃げ足の速さにハルベルト先輩は呆れ、わたくしは笑ってしまいました。
そうですよね。殿下さえ不調にならなければ、ランデール先輩は裏方に徹していられたはずですもの。
でも……羨ましいですわ、ランデール先輩。ロバさんに会えますのね。ゴードンさんにお願いして、わたくしも会わせていただけないかしら……
「すみません、遅くなりました!」
と、そこに巫女様を連れたマリナ様が正面玄関の階段を駆け下りていらっしゃいました。
「どうした?珍しく遅かったな、マリナ嬢」
「すいません、ちょっといろいろ……」
挨拶もそこそこに息を整えるマリナ様の横で、巫女様はゴードンさんたちの背中を驚いたように見送りながら呟きます。
「………アランジェロ……?」
「巫女様?お知合いですの?」
「え……ええ。あの、若い方の馬丁さん。あの人はアランジェロといって、ドリーの友人で……昔、ドリーのお父様の一座にいた方です。でもどうして彼がここに……」
「ドロレス様の…………」
驚いてわたくしも去っていく背中を見つめました。
ドロレス様ともめていたエリスさん、わたくしに敵意をむき出しにしたアランジェロさん。
この短期間で、二人もドロレス様の関係者が学園に雇われるなんて……これは偶然なのでしょうか。それとも……。
「そういえば、従者殿は?一緒ではないのですか?」
「それが……」
ストロベリーブロンドの髪を緩く巻き、淡い空色のシンプルなドレスを纏った巫女様は、ハルベルト先輩の問いかけに不安そうに瞳を揺らします。
「まだ来てないんですよ!晩餐会のあと、準備があるからってモンテナ邸に行ったんですけど!」
「はあ!?」
言い淀む巫女様の代わりにマリナ様が吐き捨て、リディア様も不快そうに眉を顰めました。
「いったい何をやってるんだ!?着替えは寮ですませたんだよな!?」
「はい。わたしと一緒に、教会からいただいたドレスを……ドリーは色違いで薄紫のドレスを着ていますわ」
「あれ?でもモンテナ家の馬車なら、さっき見かけたが」
わたくしたちの話を聞いて、警護に入っていたトカフマン先輩が首をかしげました。
「なにぃ!?」
「間違いないよ。伯爵家のくせに4頭立ての馬車で来たから、うっわ~って思ったんで覚えてる」
「4頭立て?」
明文化されているわけではありませんが、登下校で使用する馬車は1頭立て、2頭立てが一般的となっています。王家が参加するような行事の時には…侯爵以上の家は4頭立ての馬車を仕立てることがありますが……伯爵家が4頭立てというのはまずありませんわね。かくいうわたくしも2頭立ての馬車で参りましたし。
「なんのつもりだあのクソ狸!巫女様の世話役で偉くなったつもりか!?」
「だいたい、4頭立ての馬車仕立てたって乗ってるのは巫女様じゃなくて従者ですよね!」
リディア様とマリナ様がイライラとそう吐き捨てた時。
「いらっしゃったぞ!!」
ちょうど正門から王妃様を乗せた、王家の馬車が入ってきました。
「ほら、王妃様だって4頭立て……」
「しっ!」
不満そうに呟くマリナ様を窘めつつ、わたくしたちは腰を折り、王妃様を迎えたのでした。
「ようこそお越しくださいました、王妃殿下、ソフィア側妃様」
ややあって、馬車から降り立ったお二人は、出迎えたわたくしたちに優しく微笑んで頷かれました。
お二人ともしきたりどおり純白のイブニングドレスに身を包み、金の縁取りのある赤いサッシュをかけていらっしゃいます。
「出迎え、ありがとう。陛下も来れないのを残念がっておいででしたわ」
「もったいのうございます。時期が時期ですもの。しかたありませんわ」
「デミトリオは……」
「殿下は少々ご気分が優れないそうで……お出迎えできない無礼をお許しください、とのことです」
「まぁ、そうなのね。それはそうと……ドレス姿も素敵だわ。フェアリントン嬢。こんな姿を見逃すとは、マイセン卿もさぞ口惜しいことでしょう」
「お……恐れ入ります」
殿下の不調を告げてくださったリディア様は、大きく背中の空いた深い青のマーメイドドレスを褒められてぽっと頬を染めました。
そう、普段ドレスなどに興味がないようでいて、リディア様はセンスが素晴らしいのです!
マリナ様の若菜色のドレスも、すっきりしたラインでありながらピンタックや小さなリボンが可愛らしく、とてもよくお似合いです。これはもう、さすがリディア様!と称賛するしかないでしょう!
「では、王妃殿下、ソフィア様、こちらへ」
リディア様が褒められたことが自分のことのように嬉しくて、わたくしは(はた目にはわからないでしょうが)上機嫌で王妃様たちを控えの間へご案内したのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
やがて、すべての来賓が到着し、すべての準備が整って。
定刻を迎え、鐘楼の鐘がゆっくりと荘厳な音色で夜会の始まりを告げます。
いったん控えの間での接待を辞したわたくしとリディア様は、大ホールに駆け込んで王族がお出ましになるのを待っていました。
大ホールの一番奥、一段高くなった場所には王族の席が設けられ、その手前で学園長先生が夜会開始の挨拶をしていらっしゃいます。
この後、学園長先生の合図で王妃様とソフィア様、殿下が巫女様と一緒に入場し、王妃様の挨拶で乾杯、そのあとに殿下と巫女様がファーストダンスを披露するはずで……乾杯の用意ヨシ、楽団の準備もヨシ!……などとこっそり指さし確認をしていた、そのとき。
「ア……アリアドネ様!!」
「えっ!?巫女様!?」
いきなり後ろから巫女様に袖を引かれ、わたくしは仰天して悲鳴を上げそうになりました。
「どっ…どうなさったの!?巫女様は王族と一緒に入場なさるはずじゃ……」
「それが、殿下がいらっしゃらないんです!!生徒会室にも、生徒用の控室にも、どこにも!!おまけにドリーも戻って来なくて……もうわたし、どうしたらいいのか……」
「なんですって!?」
「なんだと!!?」
泣きそうな巫女様の訴えに、思わずわたくしたちは声を上げました。
「殿下はハルベルト先輩が迎えに行ったんじゃなかったのか!」
「でも、生徒会室にはいらっしゃらなかったそうなんです!今、先輩と護衛の方々が学園中を探してくださってますが……」
「そんな……」
思わずわたくしは壇上を振り返りました。
学園長先生の話は冬の神に対する祝詞に差し掛かり、今にも終わろうとしています。
ああ、殿下!何をしていらっしゃるの!
王族のファーストダンスがなければ夜会が始まらないことなど、重々承知のはずですのに!!
「と……とにかく、なんとか先生のお話を引き延ばして……」
と、そう言いかけた途端。
「では、今年も冬祭りにご参列くださった、カリュートス王家の方々をお呼びいたしましょう!」
事情を知らない学園長先生の、厳かな声。鳴り響くファンファーレ……ああああ!
頭を抱えるわたくしたちを他所に大扉が開き、王妃様たちの入場が始まってしまいました………!
「と、とにかく!行きますわよ!巫女様!!」
「へっ?は、はい!!」
こうなったら殿下の不在をお話しし、王妃様の決を仰ぐしかありません。
わたくしは巫女様を引っ張り、さも当然であるかのように王妃様たちの後ろにささっと入り込みました。
(アリアドネ様!!殿下が!)
(聞きましたわ!まだ見つかりませんの!?)
(いねーんだよ!どこにも!!)
王族の脇を固めるヒギンズ様やトカフマン先輩と小声で囁きあい、わたくしは前を行く王妃様にこっそり声を掛けます。
「王妃様!殿下が……」
「大丈夫、わたくしに任せて」
前を向いたままそう言った王妃様は、悠然と歩を進め壇上へと上がりました。
そして、満場のホールに向き直り、よく通る声で挨拶をなさいます。
殿下の不在には触れず、無事に1年の締めくくりを迎えたこと、巫女様をお迎えできたことを祝い、流れるように乾杯へ。それから。
「本来ならここで王太子デミトリオがファーストダンスを披露するところ……でも、今年は巫女様という稀有な存在を迎えた特別な年……今宵は趣向を変えましょう。巫女様、ソフィア様、お願いできて?」
「えっ?」
「ええ、王妃殿下。喜んで。……さ、巫女様?」
「えっ?えっ?……ええっ?」
なるほど、そう来ましたか。
王妃様の要請ににっこり微笑んで、ソフィア様は慌てる巫女様を優雅にホール中央へ誘いました。そうして始まるのは、定番のファーストワルツ。
「王妃様……」
「懐かしいわねえ。学生時代、ソフィアはよくああやってエナリアやわたくしの相手役を務めてくれたのよ。器用だから、男性パートも難なくこなして……まあ、巫女様の初々しいこと。まるで昔に戻ったみたい」
「そう……だったのですね……」
半分唖然と、わたくしは多分何が何だかわからないままにソフィア様のリードで踊っている巫女様を眺めました。
確かに、王族のファーストダンス……ですわよね。
間違ってない……うん、間違ってませんわ!
「とにかく……早くあの馬鹿息子を探し出して、ここへ引っ張っていらっしゃい。こんな大事な役目を放り出して、いったいどこをほっつき歩いているのやら……」
ゆったりと微笑んだまま苛立ちを隠さない声での命を受け、慌てて散開する騎士候補生たちを見送って、わたくしもほっと息をつきました。
こうして、どうにか無事冬祭りの夜会は始まったのです。
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