バカバカバカ!!
「……………は?」
「……………へっ?」
「え………?」
瞬間、ぴしりと固まるハンナ様、ハンコック様、キッペリング様。
頭を抱えるリディア様。
そして次の瞬間、あちこちからとんでもない叫び声が上がりました!
「えっ?えっ?」
焦って周りを見渡して……わたくしは仰天いたしました。
いつの間にか、四阿の入り口から、ハンコック様が伐採した植え込みの隙間から、結構な数の生徒がわたくしたちの言い争いを聞いていたのです!!
「………アリア嬢~~~~」
「殿下!!」
さああっと血の気が引いたわたくしに、野次馬をかき分けて現れた殿下が特大のため息をつきます。
ああああああどうしましょう!!わたくしのバカバカバカ!!
いくら怒っていたからとはいえ、こんな一大事を軽々しく口にしてしまうなんて!!うっかりお兄様とのことを暴露してしまった殿下のことを言えませんわ!!
「……まったく、きみはまだ拗ねているのかい?」
誰にも見えないように、唇を『バカ』と動かしながら近づいてきた殿下は、そう言ってわたくしの肩を抱き寄せます。
「で……殿下?」
「変な噂が出たのは、私が悪かったと謝っただろう?婚約解消なんて悪い冗談はやめてくれないか、婚約者殿」
「そうですよ!アリアドネ様!知らない人が聞いたら本気にしちゃいますよ~」
……は?殿下はいったい何を?
そう思いかけたところで、今度はマリナ様が飛び込んでいらっしゃいました。
あっ……そういうことですか!
わたくしが殿下とドロレス様の噂に拗ねて、婚約解消なんて心にもないことを言いだした、と!
そういう話に持っていくのですね!!
「もっ……申し訳ありません。でも……」
拗ねたふり、拗ねたふり……って、どうしたらいいんですの?!
「アリアドネ様も可愛いところあるんですねえ~」
どうしたらいいのかわからなくて、それでも精いっぱい拗ねたふりを装って俯いて見せると、マリナ様は仕方ないというように明るく笑います。
「そ……そうだぞ、知らない人が聞いたら誤解するー……はは……あはっ……あははははー…」
そして、そんなマリナ様に肘でつつかれ、慌てて話を合わせようとするリディア様のダイコンなことと言ったら!
小さく「下手かよ!」とツッコむマリナ様に咳払いをして、殿下は立ち尽くすキッペリング様とハンナ様を抱えたままのハンコック様に目をやりました。
「さて……話は大体のところ聞かせてもらったが………ハンコック卿」
「はいっ!」
殿下に名を呼ばれ、ハンコック様は丁寧にハンナ様を放すとその場で騎士の礼を取ります。
「きみの義憤は理解する。だが、一般生徒との決闘はいただけないな。植え込みの損壊も、今回は不問とするが、以後気を付けるように」
「はっ!肝に銘じます!」
「そして、キッペリング卿」
「は……はい」
冷たい殿下の視線を受け、キッペリング様は青ざめて深く腰を折りました。その姿はいかにもしおらしく、さっきまで怒鳴り散らしていた人とは思えないくらい。
「……卿は女性を何だと心得ているのか」
「……は……」
「アリア嬢に対する思い上がりもそうだが、婚約者に対する仕打ちは目に余る。このようなことが続くのなら、王命によりそなたたちの婚約を破棄することになるぞ」
「そっ……それはあまりにも!」
「……いいえ、殿下」
厳しい叱責にキッペリング様が思わず、というふうに声を上げる横から、ハンナ様が一歩進み出ました。
「ハンナ……」
ほっとしたような顔をするキッペリング様。
でも、ハンナ様はそんな彼を一瞥もすることなく、まっすぐに殿下を見て言いました。
「お手を煩わすには及びませんわ。アリアドネ様のおっしゃる通り、わたくしにジュリアンは必要ありません。この婚約は破棄させていただきます」
「ハンナ!?」
「言ったでしょう?ジュリアン」
驚愕するキッペリング様を見つめ、ハンナ様は静かに続けます。
「いまさら何の話?って。あなたがわたくしに『ラストダンスはほかの伯爵令嬢と踊る』と言った時、わたくしのあなたへの気持ちは死んでしまったの。それに、わたくしはあなたの言いなりになることもできないし、偽証もできない。だとしたら……前言は撤回しないのでしょう?」
「ハン……ナ………」
「……さようなら。わたくしの大好きだった、小さなジュリアン」
最後に寂しそうに微笑んで、ハンナ様は毅然とキッペリング様に背を向けました。
「ああ、ハンコック卿、それにリディア嬢。ハンナ嬢をビベカ家に送り届けてくれないか。眼鏡を割ってしまってはいろいろと不自由だろう。怪我の手当ても必要だし」
「承知しました!」
「喜んで!」
殿下の計らいにリディア様とハンコック様がハンナ様を追うのを見送って、殿下はぐるりと野次馬を見渡しました。
「さて、諸君。騒がせてすまなかったが、この見世物はこれで終いだ。アリア嬢の戯言は、ここだけの話にしていただけるとありがたい。こんなことが母上の耳に入ったら、私は今度こそ牢にでも入れられかねないからね」
ぱちんとウィンク付きで悪戯っぽく言う殿下に、誰が異を唱えられるでしょうか……。
少々騒めきつつも散っていく野次馬を見送って、わたくしたちはほっと息をついたのでした………。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……まったく、きみときたら!」
「申し訳ございません……」
そうして、約1時間後。
わたくしは自宅のサロンで、がっつり殿下に叱られております………。
「確かにあの男の言動は許しがたいが……だからと言って、まさかきみともあろう者があんな軽率に秘密を漏らすとは……」
「わたくしも自分が信じられないのです~……」
なんと叱られようと、返す言葉もございません。わたくしはただ肘掛けに置いたクッションに突っ伏し、自分自身に呆れ果てておりました。
「まあまあ、殿下。なんとか場は誤魔化せたんですから……」
一緒に我が家まで来てくださったマリナ様が、ぷんすか怒る殿下を宥めてくださいます。
「マリナ様……」
「殿下がああおっしゃった以上、表立って言いふらす奴はいないと思いますよ。……裏では噂になるでしょうけど」
「あああああ~~~」
そうですよね、そうですわよね~~~。
「でもまあ言っちゃったもんは今さらどうしようもないし」
さらりととどめを刺して、マリナ様は悶絶するわたくしの肩を摩りました。
「バスター教授に伺ったんですけど、あの茶番の後、教授会はさっそくあの最低男に召喚状を出したそうですよ。明朝一番に学長室に出頭するようにって。だからアイツ焦ったんじゃないですかね。このままじゃオスカー君のリキエシタに割り込んだことだけじゃなく、9枚もの白カードについても追及される、って」
「……そういえば、そのようなことをおっしゃってましたわ……白カードのことは、ハンナ様のアドバイスだったって教授たちに言ってくれって……」
「つまり、ハンナ嬢に責任を押し付けようとしたわけか!?なんて見下げ果てたやつだ!!」
ウダウダしながらも申し上げると、殿下はがしゃん!と音を立ててカップを置きました。
「軽薄な奴だとは思っていたが、そこまでとは。ハンナ嬢も気の毒に。ビベカ伯もあの男の本性に気付かなかったのだろうか」
「そのことですが、殿下……」
顔を上げ、わたくしはビベカ家の事情を殿下にかいつまんで説明しました。あの時のやり取りも、すべて。
「なるほど、経済的な事情が……」
ソファの背に寄りかかり、殿下は眉を顰めます。
「確かにそれでは不満があってもお父上には何も言えまい。ビベカ伯もキッペリング子爵家の援助が当てにできる以上、王家に困窮しているとは上奏し難かったのだろう。……だがな、アリア嬢」
殿下は身を乗り出し、じろりとわたくしを睨みました。
「そういう事情を知っていたのなら、きみが私に注進してくれてもよかったのだぞ?こんな騒ぎになる前に!」
「も……申し訳ありません!ハンナ様とは親しくさせていただいているだけに、わたくしの口から申し上げるのもどうかと……」
ますます身を縮めるわたくしを見て、殿下はひとつ息をつきました。
「まあ、いい。いずれにせよ、ビベカ領の窮状はフェアリントン家からも報告が上がっていて、内密に調査が入っていた。今回の討伐で兄上が実際の状況をその目で見れば、近いうちに正式に王家から援助が入ることになるだろう。つまり、キッペリング家と縁が切れたところで支障はないということだ。よかったな、アリア嬢」
「まことでございますか!!」
現金なことに、わたくしはそれを聞いてしゃきんと飛び起きてしまいました!
ああ、良かった!!キッペリング様には大見得を切ってしまったものの、わたくしからの援助をビベカ伯に受け取っていただけるか相当不安だったのです!
「ならば、さっそくハンナ様にお知らせしなくては!きっと安心なさいますわ!」
「ちょ、アリアドネ様!もう夜ですから!」
「お嬢様、少し落ち着いて!」
「お、何の騒ぎだ?」
喜びのあまり今すぐ使いを出そうとしてマリナ様とルビーに止められたところに、ひょっこりリディア様が顔を出しました。
「ああ、リディア様!いえ、ちょっとアリアドネ様が暴走して」
「またか?今日はよく暴走するな、アリア嬢」
屈託ない笑顔でかなり失礼なことを言ったリディア様は、ソファに座る殿下に向かって一礼します。
「殿下、ハンナ様を無事送り届けてまいりました」
「ありがとう、リディア嬢。傷の方は大事なかったか?」
「はい。一応医務室で診てもらったあと、ビベカ家の方でも医師に診せましたが、縫うほどではないと。少々痕は残るかもしれないが、化粧で隠せる程度だとのことです」
「まあ……」
大きな怪我ではなかったのは不幸中の幸い、というべきなのでしょうが……痕は残ってしまうのですね……。
「それに、あの恥知らずを振ったことにもあまりダメージは受けていないようだ。むしろ、晴れやかな顔をなさっていたよ。馬車の中ではオスカーの恐縮っぷりに笑い声をあげていたくらいだ」
眉を顰めるわたくしの肩をぽん、と叩き、リディア様は隣のソファに腰を下ろしました。
「安心しろ、アリア嬢。あなたは苦しんでいたハンナ先輩の背中を押したんだ。しばらくは引きずるかもしれないが、きっとすぐに吹っ切れる。あんな痴れ者と結婚しなくてよかったって、いずれそう思う時が来るさ!」
「そうですよ!あんな奴にハンナ様はもったいなさすぎますもん!」
「リディア様……マリナ様……」
お二人の心遣いに、わたくしは柄にもなく涙が滲みそうになりました。そう……ですわよね。きっとまた、穏やかな笑顔を見せてくださいますわよね。
今はそう信じるしかないと、わたくしは気持ちを落ち着けたのでございます。
「ときに、マリナ嬢……巫女殿のご様子は?」
わたくしが落ち着いたのを見計らったように殿下がマリナ様に声を掛けます。そうですわ!巫女様!!あの恥知らずの件で頭に血が上って、すっかり失念しておりました!
「はい、寮長先生に伺ったんですが、やっぱりまだ謹慎室に閉じこもったままだと……」
慌ててマリナ様に向き直ると、マリナ様は難しい顔でそう言います。
「昼食にも出て来なくて、仕方なく謹慎室に昼食を届けたそうです。アリアドネ様のお名前を出したそうなんですけど、やっぱり会いたくないって」
「アリア嬢にもか!?……それは重症だな……」
「無理に引っ張り出すわけにもいかないし……その『家出』の原因は判ったのか?」
「……それなんですよねえ」
マリナ様はお茶を飲み、ため息をつきました。
「一応、寮長先生が双方に事情を聞いてくれたんですが……ドロレス様によると、冬祭りのドレスについての意見が食い違って、巫女様がいきなり怒り出したって言うんです」
「まあ!」
「はあ!?ドレス?たかがドレスのことでそんな大喧嘩になったっていうのか!?」
リディア様が驚くのも当然です。わたくしでさえ呆気に取られてしまいましたもの!
冬祭りのドレスは、ある程度の規定はあるものの、各自が用意したものを着ることになっています。特待生や事情により用意が難しい場合には学園から補助が出ますし、後ろ盾になっている家があれば、そちらが贈ることもあります。
かくいうわたくしたちも、マリナ様のドレスをどちらが贈るかでリディア様とじゃんけんをし、今年はリディア様がドレスをプレゼントすることになりました。
巫女様とドロレス様に関しては、教会が相応しいドレスを用意しているはずなのですが……。
「そんなことで巫女様が従者を信じられないとまで言うとは到底思えないが……教会の用意したドレスってのは、そんなにとんでもなかったのか?」
「いいえ?仮縫いの時ちょこっと見せてもらいましたが、すっきりしたシンプルなラインで、よくお似合いでしたよ。そりゃあ、モンテナ伯が用意するドレスに比べたら質素かもしれませんけど」
「……ですわよねえ……」
当惑のあまり、わたくしは殿下と顔を見合わせてしまいました。
「私は男で、そういった女性の機微には疎いからそう思うのかもしれんが……そこまでの大事になるようなことなのか?」
「……普通は違うと思いますわ。そりゃあ、どなたか意中の殿方がいて、その方に美しく着飾った自分の姿を見せたい、とか言うのならドレスにもこだわるでしょうが……」
「あとは、誰かに張り合いたいときとか、自分ちの財力を見せびらかしたい、とかですね。ほら、春の園遊会!ベアトリス様が凄かったでしょう?」
「ああ~!あのゴテゴテのドレス!あれは凄かったな!」
「ああ。せがまれて1曲踊ったが、飾りが多すぎてエスコートが大変だった」
あの時のことを思い出してかため息をつく殿下に、思わず笑ってしまいます。
ごてごてと、これでもかというくらいフリルとリボンと造花をちりばめた、ベアトリス様のプリンセスラインのドレス。
確かにあれでは近付くのも一苦労だと驚いた覚えがあります。とてもガーデンパーティ向きとは思えないドレスでしたが………あのかた、ご自分の足元、見えていたのかしら。
「……まさか、巫女様にもああいうドレスを着ろと……?」
「だったら巫女様が怒るのも無理ないですね」
ふと思い至った可能性を呟くと、マリナ様も真顔で頷きました。
「まあ、冗談はさておき……ドロレス様の言うことがすべてだとはとても思えませんが、巫女様が話してくれない以上お手上げです。討伐直前ですし、また神託が下りないとも限りません。ケイトリン様やアンナ様も協力してくださるそうですし、今夜のところは交代で巫女様の様子を見守りますよ」
「すまないな、マリナ嬢」
「マリナ様、わたくしでお手伝いできることがあれば……」
「大丈夫!任せてください!!」
にっこり笑って、そう言って。
マリナ様とリディア様は夕食をご一緒したのち、帰っていかれました。
「……マリナ様……巫女様……」
わたくしは、ただその馬車を見送るしかできなくて……。
「お兄様……オレイアス殿下……ランスロット様……」
星を見上げ、ご武運を祈るしかできないまま、その夜は更けていったのです。
そうして。
巫女様とお会いすることも叶わぬまま慌ただしく翌日が過ぎ。
とうとう、冬祭り本番を―――そして、魔獣討伐の日を迎えたのでございます。
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