冷静ですわっ!
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「いいいいい家出!?」
わたくしはがしゃんと音を立ててカップをソーサーへ戻しました。
巫女様が家出。
しかも、今朝方!!!ということは……ああ、もう半日以上経っているではありませんの!!
「いやあ、わたしもびっくりしたんですけど」
「びっくり、じゃありませんわ!巫女様が家出なさったんですのよ!?」
巫女様は王都にも不慣れで、わたくしの知る限り身を寄せるような親類もいないはず。それがこんな寒空にたったお一人で……すぐにでも警備隊に捜索を!!いえ、まずは陛下にご一報を入れなければ!それから教会に……ああもう、ドロレス様は何をしていらっしゃいますの!悠長に登校している場合じゃないでしょうに!それに、マリナ様もマリナ様ですわ!こんな大事なことを今まで黙っているなんて!!ああ、こうしている間にも、巫女様は!!
「ア…アリアドネ様?あの、落ち着いて……」
「落ち着いてなどいられませんわ!今頃巫女様がどんな危険な目に遭っていることか!もしかしたら、お可愛らしいから攫われてしまうかもしれませんのよ?!」
そう口走ったわたくしに、マリナ様はきょとんと目を丸くして。次の瞬間、いきなり笑い出したのです!
「マリナ様!?」
「あ、すいません。つい。アリアドネ様の慌てっぷりがあんまり可愛かったので」
しれっとそんなことをのたもうたマリナ様は、落ち着けとばかりにわたくしにお茶のカップを渡します。
「大丈夫、言い方が悪かったですね。家出と言っても、寮から出てったわけじゃありません。部屋を飛び出しただけで、行方不明にもなってないし、誘拐もされてません」
「はい?」
噛んで含めるようなその説明に、わたくしは今度こそ固まってしまいました。
「………出て行って……ない?」
「はい。ちゃんと寮にいらっしゃいます」
「部屋を……飛び出しただけ……?」
「そうです。今日はお休みなさいましたけど、ぴんぴんしていらっしゃいます」
そう言って、にこにこ笑うマリナ様。
「………っっっっ!!」
事態を悟るとともに、かあああっっと顔が熱くなるのが判ります!じゃあ……じゃあ、全部わたくしの早とちりだったということ……!?
「……アリアドネ様って、けっこう過保護ですよね」
「………お願い……おっしゃらないで……」
撃沈するわたくしを、マリナ様はうきうきと覗き込みます。ううう……絶対面白がっていらっしゃいますわね?
恨めしく見上げると、マリナ様は全然悪いと思っていない顔で謝りました。
「すみません、寮生活が長いんで、つい特有の言い回しだっていうの忘れてて」
マリナ様によると、二人部屋などで喧嘩なさった場合、片方のかたが部屋を出て行ってしまうことを寮では『家出』というのだとか。
「高等部の寮は基本一人部屋だから起きたことないけど、中等部のころはちょくちょくあったんですよ、家出騒ぎ」
なるほど。確かに中等部の寮は二人部屋ですものね。でも、一般的には『家出』と言ったら家を出て出奔することだと思いますわよ!?
照れ隠し半分に勢いよくお茶を飲み……わたくしは、はたと重大なことに気づきました。
「……いま、家出は喧嘩なさって部屋を飛び出すことだって……」
「ええ、そうです。今朝、まだ夜も明けきらない頃に」
わたくしが事態の重要さに気付いたと察したのでしょう。マリナ様はすっと真顔になりました。
「ひどく取り乱して、わたしの部屋へ逃げ込んでいらっしゃったんです。もうドロレス様が信じられないとおっしゃって」
思わず、わたくしはひゅっと音を立てて息を飲みました。
聞いたわたくしも、言い出したマリナ様でさえも信じられない思いだったのです。
何故なら、巫女姫と従者とは、誰にも断ち切ることのできない、固い絆で結ばれているはずだから。巫女姫にとって従者は絶対の味方であるはずだからです。
「巫女様が……おっしゃったのですか?ドロレス様を信じられない、と……?」
「はい。振り絞るような声で。何を聞いても泣くばかりで、何があったのかは判らないんですが……」
「そう………」
わたくしはぎゅっと手を握りしめました。
以前、その横暴を殿下たちから批判されても、一貫してドロレス様を庇い続けた巫女様。
ドロレス様がモンテナ伯の養女になった時も、彼女は変わってしまったと嘆きつつも信頼し続けた巫女様が、そんなことをおっしゃるなんて……。
「それで、巫女様は今……?」
「誰にも会いたくないと、自ら謹慎室に閉じこもっていらっしゃいます。まあ、あそこなら寮長先生の目が届きますから、万が一の時にはすぐ連絡がいただけることになっていますが」
しばらくわたしの部屋でお預かりしてもよかったんですけど、とマリナ様はおっしゃいますが、それはきっとドロレス様が承知しなかったでしょうね。むしろ、今寮長先生に巫女様を預けていることの方が不思議なくらい。
「アリアドネ様、一度寮へいらっしゃって、巫女様と話をしてくれませんか?アリアドネ様になら、巫女様も事情を話してくれるかもしれません」
「そうね、殿下がいらしては大事になってしまうでしょうし……」
頭の中で残っている仕事の割り振りを考えながらわたくしが頷いたとき。
不意にノックの音がして、外からリディア様の声がしました。
「マリナ嬢?」
「はい!すぐ開けます!」
そうして、マリナ様が扉の鍵を開けると。
「あら!」
そこにはリディア様と、先ほどの小間使いの少女が立っていたのです。
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「あの、さっきは……ありがとうございました。その、ハンカチ……汚しちゃって……」
わざわざ謝りに来たという少女は、勧められるまま恐る恐るソファの端に腰を下ろすと、わたくしにむかって頭を下げました。
「洗ってお返しします!ほんと、すいません!」
「いいのよ、気になさらないで。わたくしが勝手にしたことですもの」
「ほらな?言っただろう?アリアドネ様はそのくらいのことで怒るようなかたじゃないって」
「で……でも!こんなきれいなレース、見たこともないし……」
隣に座ったリディア様が安心させるように肩を叩いても、少女はハンカチのレースに血がついてしまったことを相当に気にしているようです。
「構いませんわ。それより、足は大丈夫?ええと……」
「あっ、エ、エリスです!エリス・ホワイト。えっと、冬祭りのパーティのメイドで雇ってもらいました!」
さすがに臨時で雇い入れた方の顔と名前までは把握しきれずに言葉に詰まると、少女はぱっと居住まいを正し、慌てたように名前を教えてくださいます。
「エリスさん。では改めて2年、生徒会のアリアドネ・ランバウムですわ。この度は、当校の生徒が申し訳ございませんでした。臨時とはいえ、職員のかたに怪我をさせるなんて、あってはならないことですわ」
改めて名乗り、頭を下げると、エリスさんは大きな目を真ん丸にしてぽかんと口を空けました。……わたくし、何か変なことを言ったかしら??
「驚いてるんですよ、アリアドネ様。普通、貴族のご令嬢は平民のメイドに頭を下げたりしませんから」
首をかしげるわたくしに、エリスさんの前にお茶を置きながらマリナ様が笑います。
「このかたは、これが通常なんですよ。わたしはマリナ・サフォノア。平民の特待生です。そして、あなたを助けた王子様がリディア・フェアリントン様。辺境伯令嬢です」
「ひえっ」
「誰が王子だ、誰が」
リディア様は苦笑しながらお茶を受け取り、わたくしに向き直りました。
「足の方は、軽い捻挫だった。今日一日安静にしていれば、冬祭り当日の仕事に支障はないそうだ。今日の仕事は免除して、明日も軽い仕事に回ってもらった方がいいな」
「そうですわね。動き回らないで済むお仕事をお願いしましょう」
「さ、お茶をどうぞ。冷めないうちに。あ、クッキー食べます?おいしいですよ」
わたくしたちが仕事の割り振りを見直す横で、マリナ様がエリスさんをもてなします。半ば呆然としていたエリスさんは勧められるままお茶を飲み……それからほっと息をつきました。
「なんか………聞いてたのと全然違う……」
「……氷の蛇女だと思ってました?アリアドネ様のこと。お高くとまった、傲慢なお貴族様だって?」
ややあってぽつりとつぶやいたエリスさんは、マリナ様の笑いを含んだ問いかけに、躊躇ったのち頷きます。
「すっごい……意地悪で、ドリーにつらく当たるって……シャルのことも……うまく言いくるめて、シャルとドリーを仲違いさせようとしてるって……」
それから戸惑ったように顔を上げ、わたくしを見ました。
「あの……お嬢さま……ホントなの?いえ、本当、ですか?ドリーを……ドロレスを階段から突き落とそうとしたり、言い掛かりをつけて、悪いうわさを流そうとしたって……」
「むしろ、言い掛かりを付けられてるのはアリア嬢の方だな」
ふん、と鼻を鳴らし、リディア様がサインした書類をエリスさんに差し出します。
「このとおり、アリア嬢は差別もしないお優しいかただ。むしろ、人が良すぎてだまくらかされないか心配になる。少しばかり表情が出にくいせいで誤解されがちだがな。……さ、これをメイド長に提出するといい。今日と明日、仕事を調整してくれるはすだ」
「あ……ありがとう……ございます……」
おずおずとエリスさんが書類を受け取ったのを確認して、マリナ様は立ち上がりました。
「さ、職員寮まで送りますよ!足、まだ痛むんでしょ?」
「え?で……でも……」
「いいのいいの。同じ平民同士、困ったときはお互い様ですよ」
言いながら、マリナ様は多少強引にエリスさんを支え、扉へ向かいます。聡いマリナ様のことです、職員寮への道すがら、ドロレス様ともめていた経緯について聞き出すおつもりなのでしょう。
ですが、マリナ様は一歩生徒会室を出たところで立ち止まり、少し困惑顔で振り返りました。
「あの、アリアドネ様?リディア様!」
そう言って、彼女が身をずらすと。
「まあ、ハンコック様?」
そこには、先ほど別れたハンコック様が思いつめたような顔で立っていらっしゃったのです。
「すいません、お忙しいところ」
マリナ様に促され、恐縮しながら入室したハンコック様は、扉の前で立ったまま頭を下げます。
「どうした?オスカー。そんな所に居られても困る。こっちに来い」
「は……はいっ!」
リディア様に呼ばれ、ハンコック様はかちんこちんになったままソファに腰を下ろしました。
「どうなさいまして?珍しいですわね、生徒会室にまでお越しになるなんて」
興味深そうにあたりを見回すハンコック様の前にお茶を置いて差し上げると、ハンコック様は真っ赤になって飛び上がります。
「そそそんな!アリアドネ様手ずからお茶を……」
あらあら……わたくしだってお茶くらい淹れられますのに。
「ああもう、いちいち感動するな!話が進まん!で、何の用だオスカー!」
「はいっ!!」
業を煮やしたようなリディア様に一喝され、ハンコック様はピンと背筋を伸ばしました。それから、テーブルに頭突きをしそうな勢いで頭を下げます。
「あのっ!まず謝らせてください!ぼくのしたことは、紳士として恥ずべきことかもしれませんので!!!」
「「はっ?」」
いきなりの謝罪に、リディア様とわたくしは声を揃えてしまいます。
恥ずべきこと?
この初々しくも礼儀正しいハンコック様が何をしたというのでしょう……?
「と、とにかく。何をしでかした。言ってみろ、オスカー」
「は……はい」
そうして、ハンコック様が打ち明けた話は、わたくしを激怒させるに十分なものだったのです……!!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おい!アリア嬢!」
すぐ隣からリディア様の声がするような気がします。
「アリア嬢ってば!落ち着け!なあ!」
「アリアドネ様!!」
おかしいですわね。後ろからは、ハンコック様の声も聞こえる気がします。
でも、そのすべてを無視し、わたくしは走る一歩手前の速足で、廊下を突き進んでいました。
血の上った頭の中で繰り返されるのは、先ほど打ち明けられたハンコック様の話……信じられないような、紳士の風上にも置けないような所業……!
「絶対に許せませんわ……!!」
怒りに震え、わたくしは1年の教室へと足を進めたのです。
『さっき、学長室では言い出せなかったんですけど……実はぼく、先週末、アリアドネ様たちにリキエシタを手伝っていただいた後、守護精を使ったんです』
リディア様に促され、ハンコック様は顔を上げそう言いました。
『キッペリング卿が、去り際にビベカ先輩に言った、覚えておけ、という捨て台詞と、あの方を睨んだ眼付き……それがどうしても気になって』
『私生活を覗き見するみたいで申し訳ないとは思ったんですが……何事もないのを確認できればそれでいいと……ビベカ先輩の馬車に守護精を忍び込ませて……』
『それで……ハンナ様のご自宅までついて行ったのか?』
呆れたような声を上げるリディア様に身を縮こませてハンコック様は頷きます。
『無事にご帰宅されて……夕食をすませて……取り越し苦労だったかと安心して守護精を引き上げようとしたとき、キッペリング卿が現れたんです』
『まあ!キッペリング様が?』
『おいおい、女性を訪ねるような時間じゃないだろう?』
『はい。でも彼は半ば強引にビベカ先輩の部屋に押し入って。窘めるビベカ先輩を罵倒して……よくも恥をかかせたな、とか婚約者のくせに俺を告発するような真似をして、とか……』
『告発って……だって、マナー違反をしたのは事実だろう!?お前のリキエシタの妨害をしたのだって、白カードの話だって!なんでハンナ様が責められるんだ!』
『ぼくだってそう思いますよ!でも、キッペリング卿は箔付けにどうしてもアリアドネ様の青カードが欲しかったみたいなんです。1年生でただ一人、自分だけがアリアドネ様と踊るという目論見がビベカ先輩のせいで台無しだって……』
『まあ………』
なんですの?それ……呆れてものが言えないとはこのことですわ!!
確かに、きちんとマナーを守ってリキエシタをしてくださっていればわたくしはあのかたにも青カードをお渡ししたでしょう。
でも、だからと言ってハンコック様のリキエシタを受けないわけがありません。
それともあのかたは、自分がおねだりすればわたくしがほかのかたのリキエシタを断るとでも己惚れていたのかしら!
『なんだ、箔付けって!!』
ばん!とリディア様がテーブルを叩きました。
『いちいちムカつく奴だな!アリア嬢は景品じゃないんだぞ!!』
『さすがに、ビベカ先輩も呆れたみたいでした。10人以上から青カードをもらっておきながら、なんだと。どうやってその全員と踊るつもりだと、窘めたんです。そうしたら……』
ハンコック様は唇を噛み、言葉に詰まりました。
『……オスカー?』
しばらく言い淀んで、ハンコック様は意を決したように口を開きます。
『あいつは……キッペリング卿は、ビベカ先輩に、そうだ、俺はたくさんのご令嬢と踊らなきゃいけない。だから、お前とラストダンスは踊らない、って。お前みたいな地味で冴えない女と踊るより、同じ伯爵令嬢でももっと愛らしい、別の令嬢と踊ることにする、そう言って、テーブルの上にあった本を先輩に投げつけて出て行ったんです!』
『っ!?』
『なんだって!?』
思わず、わたくしは立ち上がっていました。
リディア様も同じように立ち上がって目を見開いていらっしゃいます。
だって、ハンコック様から聞かされたキッペリング様の振る舞いは、それほどにありえないものだったのです!
どの夜会でもそういう傾向はありますが、冬祭りの夜会でのラストダンスは、婚約者かそれに準ずるかたと踊るしきたりとなっています。
リディア様のように婚約者が学園外の方でも、何とか折り合いをつけて出席なさるか……それが無理な場合は、身内や友人のご兄弟などと踊ります。今回は討伐が重なったから仕方ありませんが、リディア様も本来はヒューバート様の代わりにわたくしのお兄様と踊るご予定でした。
それが―――同じ会場内にいながら、ほかのご令嬢とラストダンスを踊るなんて……公衆の面前で、ハンナ様が婚約者に捨てられたと発表するようなものです!!ハンナ様がどれほど傷つき、恥をかくか………あの男は本当にそんな非道を行うというの!?自分だけがわたくしと踊るという、そんな馬鹿げた目算がハンナ様のせいで外れたと、たったそれだけの理由で!?
「アリア嬢!!」
わたくしは無言のまま扉へ向かいました。
そしてそのまま生徒会室を飛び出し、すべてを問いただすべく1年の教室を目指してるのです。
「とにかく、一度落ち着けって!」
「落ち着いていますわ。わたくし、恐ろしいくらいに冷静ですわよ」
「冷静!?」
「ええ!冷静ですとも!頭のつま先から足のてっぺんまで、怖いくらいに冷静ですわ!」
「それのどこが冷静だ!」
とうとう、リディア様はわたくしの腕を取り、強引に立ち止まらせました。
「いいか、頭を冷やせ。その勢いで1年の教室へ突撃して、もしあのスケコマシがいなかったらどうする!アリア嬢がそんな剣幕であいつを探し回れば、噂はあっという間に広まるぞ!万が一こんな醜聞が漏れれば、一番不名誉な想いをするのはハンナ様だ!」
「……ハンナ様……」
肩を揺さぶるようにして小声で叱咤され、ようやくわたくしも少し冷静さを取り戻しました。
……そうですわね。ハンナ様が傷つくこと。それだけは避けなければなりません。
ああ、それに、ハンコック様が守護精ですべてを見聞きしていたことも。
学園長室ならまだしも、ご令嬢の部屋へ、しかも何の断りもなく守護精を放ったなど、公になったら大問題ですもの。
「……そうですわね。少し、冷静さを欠いていたようですわ……」
「少しどころじゃなかったぞ?まったく……」
わたくしがおとなしくなったのを見て、リディア様はほっとしたように手の力を緩めました。
「アリアドネ様、たしかこの先に四阿があるはずです。そこでいったん休憩を……」
暴れ馬のように突き進んでいたわたくしが止まったことにこちらも安心したのでしょう、ハンコック様がそんな提案をしてくださいます。
「そうね、そうさせて……」
いただこうかしら、と続けようとしたとき。
不意にその四阿の方から聞こえてきた聞き覚えのある声に、わたくしたちは思わず回廊の柱の陰に身を隠したのでした。
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