何かが起きている……?
そのあと―――。
とうとうハンナ様とは会えずじまいのまま一日が終わりました。
「アリア嬢、そこまで気にする必要はないんじゃないか?自領が襲われるとなればハンナ様も心穏やかじゃいられないだろうし」
「おうちのほうがバタバタしてるのかもしれませんよ!」
「ええ……自分でも気にしすぎだとは思うのですけど……」
一日中ふさぎ込んでいたわたくしを元気づけようと、リディア様とマリナ様が代わる代わる声をかけてくださいます。
ああ……情けないですわ、結局お二人に心配をかけてしまいました。
でも、わたくしの気がかりはそれだけではないのです。いえ、もちろんビベカ家のことも心配ですが、それより気になるのは先週末の―――
「おや、これはアリアドネ嬢。またお会いできましたな」
「まあ!マースデン伯!」
そこまで考えたところで、突然後ろから声をかけられたわたくしは、相手を見て思わず声を上げました。
そう、そこにいたのは先日王宮でお会いした冒険家のマースデン伯だったのです。
「先日は失礼しました。意外な所でお会いしますわね」
「ははは、お茶はお口に合いましたか?今日は講演会のことでブース教授と打ち合わせをしていたのですよ」
これ幸いと、わたくしはリディア様、マリナ様をマースデン伯に紹介いたしました。
「では、あなたが!!」
「御本、全部拝読してます!!」
愛読している本の作者が目の前にいると知って、読者が喜ばないはずがありません。当然のように目を輝かせるお二人を誘い、わたくしたちはホールでちょっとだけお茶をいただくことになったのです。
マースデン伯はとてもお話の上手な方でした。
本に載っていること、その裏話、まだ本には載っていない、新しい冒険の話……。わたくしたちはいつしか話に引き込まれ夢中になっておりました。
ややあって、注文したお茶をすっかり飲み干してしまった頃、満足げな息をついてマースデン伯は椅子の背に身を預けました。
「いやはや………さすが噂に名高きマリナ・サフォノワ嬢だ。学術塔と教授連が奪い合いをしているというのも頷ける。私の本を読んだだけで、これほどまでに高度な学術的考察を展開させるとは」
「恐れ入ります。でもそれはマースデン伯の本が面白かったからこそですよ!おかげでわたし、関連文献を読み漁ったんですもの!」
「それに、リディア嬢も。あなたは空間認識能力がとても鋭いようだ。私の拙い表現で、あそこまで正確に地理を把握できるとは。騎士候補生でいらっしゃるとのことだが……正直なところ、次の冒険に同行して道案内をしていただきたいくらいだよ」
「いやぁ……」
マリナ様もリディア様も、マースデン伯の誉め言葉に頬を染め、満更でもないようです。でもわたくしも驚きましたわ。3人で話しているときには、こんなに掘り下げた話はできなかったのですもの。
「そういえば、マースデン伯は北方にも行かれたことがあるのですよね」
やがて、時計を見やったマースデン伯がお開きを提案なさろうとしたとき。不意にマリナ様がそう質問しました。
「ええ。と言っても、ガルシア砂漠を越えたことはなく、北のグラーツには東隣のワイルワースから北上したような行程ですが……?」
「では、その行程で……いえ、東方への旅でもいいんですけど、そのどこかで『神の花嫁』もしくは、『封じられた白き乙女』について聞いたことはありませんか?」
「マリナ様!」
わたくしははっと息を飲みました。
『神の花嫁』に『白き乙女』……それは、あの神託に出てきた言葉ではありませんか!
「ふむ、『神の花嫁』に『白き乙女』、ですか………」
神託を知る由もないマースデン伯は、顎に手を当てて中空を睨みました。
「『白き乙女』には心当たりがありませんが……『神の花嫁』ならば、聞いたことがありますよ」
「ほ……本当ですか!?」
「それはどんな!?」
つい、わたくしたちはマースデン伯が驚くような勢いで身を乗り出しました。
「お願いです!お教えください!マースデン伯!」
「……言っておきますが、私の知る話があなた方の求めるものだとは限りませんよ?」
縋るようにお願いすると、マースデン伯は目を丸くしながらもそう言い置いて話し出しました。
「つい3か月ほど前、魔獣の被害が甚大だったグラーツ王国が魔獣に花嫁を奉りました。その話は知っていますか?」
「はい、奉ったらしい、という噂だけは……」
「だが、本当に生贄を捧げたわけではないんでしょう?」
「ええ、あくまでも、そういう儀式です。ですが、その原型となった史実がガルシアに存在したのです。しかも、かの国が亡びる寸前まで」
真剣な顔でわたくしたちの顔を見回し、マースデン伯は新たに注文したお茶を一口飲むと、改めて口を開いたのです。
「100年ほど前……ガルシア王国は我が国との国境の山に住み着いた魔獣のせいで、滅亡の危機にあったといいます。魔獣は水を汚染する瘴気を吐き、大地を乾涸びさせる力を振るって瞬く間にガルシアの大地を人の住めぬ砂漠に変えていったとか。その魔獣は一人の男に操られていました。そしてガルシア国王は、魔獣の蹂躙を止めるため、自らの末の姫をその男に花嫁として差し出したのです」
「それが……」
「ええ。彼女は『神の花嫁』と呼ばれ、ひとり国境の離宮へ送られたそうです。そして、まさに魔獣を操る男が姿を見せた時、ひとりの騎士が現れた。それこそが我が国の王子、イアソンだったのです」
「まあ!」
では、イアソン王子はフレデリク大叔父様を失った後、隣国の姫の危機を救ったのですね!?
「イアソンは男と戦い抜き、見事魔獣ごと男を倒したそうです。……おとぎ話ならば、ここで姫とイアソン王子が結ばれてめでたしめでたし……となるのでしょうが……」
ため息をつき、マースデン伯はお茶をもう一口飲みました。
「史実は時に残酷です。姫を囮に魔獣を倒そうと隠れ潜んでいたガルシアの騎士たちは、戦いのさなか誤って姫を射殺してしまった。目の前で花嫁を殺された男と魔獣は怒り狂い、イアソンに倒されながらも最後の力を振り絞ってガルシア王国を呪った。そうして彼の命が尽きた時、呪いは発動し、ガルシアは一夜にして砂に飲まれたそうです」
「そんな………」
わたくしたちは、言葉を失ってしまいました。イアソン王子は魔獣討伐から帰らなかったと聞いていましたが、まさか……魔獣の呪いで命を落としていたなんて。
「で……では、イアソン王子もそれに巻き込まれて?」
「さあ……そこまでは。この話は、ワイルワースの北部に住むとある部族に伝わっている話なんですが、あくまでもイアソンは異国の王子としてしか登場しないんです」
絞り出すようなリディア様の問いに、マースデン伯は申し訳なさそうに答えました。
「つまり……本当の意味での『神の花嫁』となったガルシアのお姫様はもうとっくに亡くなってるんですね……」
お代わりのお茶のカップを抱えて、マリナ様が呟きます。
「ガルシアは滅んでるんだから、その子孫ってことはあり得ない……グラーツ王国の奉った花嫁だって、ただの儀式なんだから花嫁役の子を指すとは思えない……だったら、蒼天の言う『神の花嫁』ってのは……?『白き乙女』とは別物?……ああ……せめて、『冬薔薇の庭』が何を指すかが判れば……」
「冬薔薇の庭?」
辞意を示し、立ち上がりかけていたマースデン伯が、そのマリナ様の言葉に反応しました。
「ああ、それなら心当たりがありますよ。正式な名前は違うと思ったが、あそこのことではないかな」
「ファッ!?」
「へっ!?」
さらりと告げられたその言葉にうっかり奇声を発してしまったお二人。驚くのも当然です。わたくしもお茶に噎せてしまったくらいですもの。
ですが、事情を知らないマースデン伯は大慌てでナプキンを渡してくださいました。
「本当ですか!?で、その場所というのは!?」
いち早く立ち直ったマリナ様の問いに、困ったような顔をしつつもマースデン伯はその場所を教えてくださいました。
「冬薔薇宮。幻のバラ、セレステ・ステラッティーヤが咲き誇る、唯一の場所―――ヒューレイ辺境伯の、北の離宮です」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜半から出てきた風が、がたがたと窓を揺らします。
見下ろせば、闇に包まれた庭のそこかしこに点在する常夜灯の光……手入れの行き届いた広い庭の輪郭。
真っ暗な空にはただ星だけが瞬いています。きっと、月が上るのはもっと遅い時間になってからのことでしょう。
ああ、討伐に向かうお兄様たちが寒さに苦労していなければいいけれど。
ため息をひとつつき、わたくしはそっとカーテンを閉めました。
「……冬薔薇宮……か」
その名前を呟くと、つきんと頭の奥に鋭い痛みが走ります。でも最初にこの言葉を巫女様に聞かされたときは、わたくしは倒れてしまったのでしたわね……。
「……冬、薔薇宮……」
それでもその名前を呟かずにはいられなくて、わたくしはソファに座り込んで痛む頭を押さえました、
冬薔薇宮。
幻のバラが咲き乱れるという、ヒューレイの離宮。
銀の縁取りのある白と水色の花びら、真っ白い雪。
当然、巫女様はその場所のことを知っていたのでしょう。おそらくは、殿下も、そしてお兄様も。
それなのに……わたくしだけがなぜその場所を知らないのでしょう?知らないはずなのに、どうしてその場所を夢に見るのでしょう。そしてなぜ、その名前を聞いただけでこれほどの痛みに苛まれるのでしょう?
「あの子は……あなたですの?ランスロット様……」
夜ごと夢に現れ、わたくしを違う名前で呼ぶ、顔のない少年。ああ……あの子の顔さえ見えたら……せめて、あの名前だけでも思い出せたら……。
半ば無意識に、ルビーの用意してくれた熱いミルクを一口飲んで………その温かさに、わたくしはふと我に返りました。
「そうだわ………ランスロット様と言えば」
図書館でお預かりした小袋。あれを保管しておかなければなりません。
鞄から青い絹の小袋を取り出して、わたくしはちょっと悩みました。
手触りから、中に小匣が入っているのは間違いありません。でも……中身は何なのかしら。さすがにナマモノということはないでしょうが……しまい込んでもいいもの?それとも、手許に持っていろということ?
小袋とにらみ合うことしばし、わたくしは諦めて寝室のチェストに向かいました。
見るなと言われたわけではありませんが、人様からお預かりしたものを安易に開封するわけにもまいりません。わたくしの護り刀と一緒にしまっておけばいいでしょう。
「………え……?」
そう思って引き出しを開け―――わたくしはぎょっと目を瞠りました。
引き出しの中、紫の絹のクッションの上にいつも通り横たわるわたくしの護り刀。その柄に埋め込まれた目貫の魔結晶が、淡い光を帯びて輝いていたのです!
「う……うそ……光ってる!?」
今まで見たことのない現象に、わたくしは驚いて小袋を脇におくと護り刀を手に取りました。
護り刀とは、貴族の子女が生まれた際に祝いの品として贈られるものです。
刃渡りは15センチほど、人により誂えは異なりますが、わたくしの護り刀は白の鞘に黄金の拵え、目貫には赤い魔結晶をあしらった、とても美しい刀なのです。
とはいえ、あくまでもお護りですから、武器としての威力はほとんどありません。そのせいもあって、護り刀を携帯している方はほとんどいないでしょう。御多分に漏れずわたくしも、大事にしまい込んでいるくちだったのですが……。
「い…いったいどうして……初めてだわ、こんな……魔結晶が光るなんて」
混乱しながらも、わたくしは刀を抜いてみたり、鞘や刀身を確かめてみたりしました。
ですが、それは間違いなくわたくしの護り刀。肌身離さず身に着けているわけではないとはいえ、生まれた時から持っているものですもの、間違えるはずがありません。
「あ……」
そうして、矯めつ眇めつすること数分。
目貫の輝きはやがて静かに光を失い、消えていったのです。
「……消えてしまったわ……」
成す術もなく、わたくしはただ護り刀を見つめることしかできませんでした。
そもそも、魔獣や魔物の体内で生成される魔結晶というものは、魂の力と同様に固有の力を持つもので、魔獣の力の源だとされています。
採取された魔結晶はその力に応じてさまざまな魔法具へと加工され、戦などでも使用されていますが……発動中ならまだしも、装飾品として細工されたものが光るなんて聞いたことがありません。
「見間違い……ということはないわよね?」
念のため護り刀を灯りに翳してもみましたが、目貫はきらりと光を弾くだけで、先ほどのように内側から光を放つような、あんな輝き方はしませんでした。
まさか、お兄様やランス様、オレイアス殿下の身に何か……と悪い想像が頭をよぎりますが、皆様はまだビベカ領に着いてもいないはず。非常事態が起きたとは思えません。
「………いったい……何が起こっているの……?」
途方に暮れ、わたくしは護り刀を握りしめることしかできませんでした。
護り刀の異変、知らないはずの場所の夢、顔のない少年。
わたくしをのけ者にするような、何かを隠すようなお兄様や殿下の言動、謎めいた巫女様の言葉…………ああ、なにかが…………………わたくしの知らないところで、なにか恐ろしいことがが起きているのではないかしら……。
得体のしれない不安に胸が騒いで、とても眠ることなどできなくて。
わたくしは一睡もできないまま次の朝を迎えたのでした。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいのですが。
また、評価やリアクションなどいただけると励みになります!
よろしくお願いいたします!




