イアソンとフレデリク
殿下の爆弾発言に、サロンは水を打ったように静まり返りました。
一瞬……二瞬……
我に返ったデミトリオ殿下がはっと口を押さえるのと、マリナ様とリディア様の絶叫が響くのと、どちらが早かったでしょう。
わたくしは蟀谷を押さえ、特大のため息をつくしかありませんでした。
「婚約破棄!?なんなんですか!それはぁっ!?」
「殿下!?しかも、ジーク様のためって!?」
「やっ、いやそのっ、それはっ」
テーブルに乗り上げる勢いのお二人に詰め寄られ、デミトリオ殿下は赤くなったり青くなったり。あわあわと目を泳がせていらっしゃいます。お兄様はと言えば、真っ赤になって硬直するばかり。そして、弟の不義(?)を知ったオレイアス殿下は。
「………っ……ふ、ははっ…あはははははは!」
堪えきれないというように肩を震わせ、爆笑したのです!
「あ……あにうえ……?」
「っはは……いや、すまないデミ……」
唖然とするデミトリオ殿下に、オレイアス殿下は滲んだ涙を指先で拭いながら震え声で謝ります。でも、まだ笑いの発作は収まる様子もなく。
「…………おばか……」
どさくさに紛れ、ルビーがぼそりと正直すぎる毒を吐きます。
「いや……いつか打ち明けてくれるかなあと思っていたが……こんなとこで………ああもう、脇が甘いというか……あわてんぼうなとこは変わらないなあ、お前は」
「兄上~~」
くっくっと肩を震わせるオレイアス殿下と、情けない声を出すデミトリオ殿下。
それでもオレイアス殿下の様子に嫌悪や怒りの色が見えないことに、わたくしもほっと息をつきました。でも、マリナ様とリディア様にとってはそうではなかったようで。
「笑い事じゃありませんよ!!お二人とも!!」
「そうですよ!!そんな、いきなり婚約破棄だなんて!アリアドネ様がどんなに傷つくか……」
二人して殿下たちを怒鳴りつけ、二人してはっとわたくしを振り返ります。ああもう……しょうがありませんわね。
「わたくしのことならお気遣い無用ですわ。だってわたくし、結構前から知っておりましたもの」
「知ってたァ!?」
「そんな……いつから!?」
「そうですわね……巫女様が転入なさる、数日前からかしら?」
「「そんな前から!?」」
お二人はこの世の終わりみたいな顔で声を揃え、がーっと天を仰ぎます。
「そんな……アリアドネ様が1ヶ月以上もそんな辛い思いを抱えていらっしゃったのに……わたしったら……暢気に緑の乙女シリーズの新作の話とかして笑ってて……」
「マリナ嬢はまだいい方だよ……私なんか、ヒューとの揉め事の仲裁までお願いしちゃったんだぞ……ああ……なんで気付かなかったんだ、私……」
「まあ………」
地面にめり込みそうに落ち込むお二人には悪いですが、わたくしは胸の裡が暖かくなるのを禁じ得ませんでした。だって、わたくしにはこんなに親身になって怒ったり悲しんだりしてくれるお友達がいる……。そのことが、とてつもなく嬉しかったのです。
「本当にお気になさらないで。お二人がいつも通りでいてくださって、どんなに救われたか。それに、わたくし本当に気にしていませんのよ。だって、わたくしだって、殿下を愛しているわけじゃありませんもの」
「アリア嬢……」
「アリアドネ様……」
「言うなあ、アリア嬢」
―――あ。
ついうっかり正直なところを暴露してしまいましたが、オレイアス殿下もいらっしゃったんでしたわ。でもまあ、気分を害した様子もないようですし、構いませんわよね。
「………あの………」
素知らぬふりを貫こうと思ったところでお兄様が復活なさいました。
「その……オレイアス殿下は………驚いていらっしゃらないのでしょうか……」
少し青ざめた顔で、そう言ってオレイアス殿下の顔色を窺います。
「ん?ああ……まあね。実は父上からそれとなくデミの様子を訊かれてね。その時に、婚約解消の意向についても少し。それでなくとも……デミが幼いころからジークを好きだったのは知っていたし」
「えっ!」
「まあ!!」
これにはわたくしも驚いてしまいました!というか……そんな昔から殿下はお兄様を?
「そんな……兄上、そんな素振りは少しも……」
「ふふん、お兄ちゃんを甘く見るものではないよ?デミ」
同じように驚いているデミトリオ殿下に、悪戯っぽくオレイアス殿下は胸を張ります。
「3つくらいのときかなぁ……やたら真剣なデミに、ジークをおよめさんにするにはどうしたらいい?って聞かれたことがあったからねえ」
あのころからちっとも変ってなかったんだねえ、としみじみされて、デミトリオ殿下とお兄様は真っ赤になりました。
「あらあら……」
あまりに可愛らしいエピソードに、思わずほぼのぼのしてしまいます。人前でそんな昔話を披露されたお二人にしてみれば、それどころではないかもしれませんけど……殿下にもそんな可愛らしい頃があったのですね。
「では……オレイアス殿下はお二人の仲をお認めくださいますの?」
「さあ………それはどうだろう……」
思い切って切り出した質問に、笑いを収めた殿下は思案深げに言葉を濁しました。
「第一王子として、王族として……王太子たるデミトリオと男の恋人の仲を認めると即答することはできない。……だが、私個人としては、デミとアリア嬢が自分たちの意志で婚約を解消したいというのならそれを支持するし、デミとジークの恋に反対するつもりもないよ。他の相手ならいざ知らず、ジークのことならその性格も能力も幼いころからよく知っているし……なにより、たったひとりの、可愛い弟の幸せのためだしね」
「殿下………」
「兄上………」
オレイアス殿下のお優しい言葉に、デミトリオ殿下もお兄様も、感極まったような顔をなさいます。
ああ、なんて広いお心でしょう!立太子のあれこれで少し距離ができたように見えていても、オレイアス殿下は昔と同じ、弟思いの優しいお兄様のままだったのですね!
「……まあ、アリア嬢が納得しているというのなら、私たちが口出しすることじゃない……か」
「……そうですねぇ。正直、承服はしかねますけど……」
「……しょうがねえだろ。当事者同士がそれでいいって言ってんだ」
和やかムードの当事者組とは裏腹に、部外者組は頭を抱え、大きなため息をつきました。
「……しかし……言われてみれば、思い当たる節はあったんだよな……確かに、殿下とジーク様はいっつも距離が近かったし……」
「……てっきり、イェニールとクメニグみたいなブロマンスだと思ってましたよ。まさか、イアソンとフレデリクの方だったとは……」
「えっ!?」
「はっ!?」
頭を掻くマリナ様のぼやきに、デミトリオ殿下とわたくしは飛び上がりそうになりました。
イアソンとフレデリク。
デミトリオ殿下が耳にしたという、陛下の呟きを何故マリナ様が……?
「マ、マリナ嬢!?その『イアソンとフレデリク』というのは!?」
「教えてくださいませ!それはどういう意味ですの!?」
「へぁっ?」
殿下と二人して詰め寄ると、マリナ様は驚いてカップをひっくり返しそうになりました。
「えっ?あっ、イ……イアソンとフレデリク、ですか?」
慌てて零れたお茶をナプキンで拭き、マリナ様はわたくしたちと、同じく顔色の変わったお兄様を見比べます。
「えっと……『ラ・プルメイザ』って歌曲の下敷きになったって言われている話なんですけど……みなさん、『ラ・プルメイザ』はご存知ですか?」
「え?ええ……確か、英雄譚ですわね?魔王に立ち向かう勇者イェニールと魔導士クメニグ、そしてフィオレッタ姫の……」
『ラ・プルメイザ』は数十年前の歌曲ですが根強い人気があり、今も時折上演されていますし、本にもなっています。
かくいうわたくしもその本は持っていますが、この歌曲の見どころは、何と言っても主人公であるイェニールと親友クメニグの熱い友情!お互いを自分の命より大事に想う二人は力を合わせ魔王を退治するのですが、特に終盤、イェニールを救うために自分の命と引き換えに大魔法を放つクメニグと、魔王を倒し、クメニグの亡骸を抱いて立ち尽くすイェニールの場面は、涙なしには読めませんわ!本当に、ヒロインのフィオレッタ姫がオマケに見えるくらい……って、話がそれましたわね。
名シーンを思い起こしつつ答えたわたくしに頷いて、マリナ様は今一つぴんと来ていないような殿下とお兄様に向き直ります。
「その、イェニールとクメニグ。この二人は魂の兄弟とも言うべく熱い友情で結ばれてるんですが……その二人のモデルになっているのが、100年ほど前に実在した、イアソン王子とフレデリク・ランバウム公爵令息なんです」
「まあ!!フレデリク大叔父様が!?」
「お二人は同じ年代の方だったのか!」
思わず、わたくしはお兄様と顔を見合わせてしまいました。
「そんな……少しも存じ上げませんでしたわ。フレデリク大叔父様は謎多い方で、若くして亡くなったとしか、聞いたことありませんもの」
「ああ。肖像画が一枚残るだけだし……大叔父というからには祖父の弟なのだとばかり……では、曾祖父の代の方だったのか……」
「イアソンは王太子で……北の山脈に棲みついた魔獣と戦い、若くして戦死したと聞いている。……では、そのフレデリク卿もともに戦死を?」
「……いいえ」
ちょっとためらって、マリナ様は首を横に振りました。
「イアソン王子とフレデリク卿のことは、イライザという王子の侍女が日記に書き残してて、それがイライザの手記という形で残ってるんですが……それによると、このお二人は密かに愛し合っていたそうなんです」
「!!」
息を飲むわたくしたちに構わず、マリナ様は先を続けます。
「イアソン王子はフレデリク卿の双子の妹エロイーズ嬢と婚約中でしたが、彼が本当に愛していたのは兄のフレデリク卿。やがて二人の仲は国王と侯爵の知るところとなり、思いつめたフレデリク卿は自力で討伐した魔獣の魔結晶を王子に遺し、自ら命を……残されたイアソン王子はその石を胸にただひとり魔獣に立ち向かい、そして二度と戻らなかった、と……」
「そんな………」
あまりに悲しい結末に、わたくしたちは言葉を失ってしまいました。あの英雄譚の裏に、そんな悲劇が隠されていたなんて……。
「名目上、イアソン王子とフレデリク卿の死は戦死と発表されました。何一つ知らされなかったエロイーズ嬢は婚約者と兄の死の真相を知らぬまま修道院に入ったそうです。歌曲の方も、イアソンとフレデリクを題材にはしたものの、王家が隠した関係をそのままなぞることはできず、ブロマンスとして描いたそうです」
ふう、と息をつき、マリナ様は一口お茶を飲みました。
「フレデリク卿とエロイーズ嬢も、アリアドネ様とジーク様みたいに男女ながらそっくりな双子だったそうですよ……」
「……妹と婚約した王子と、兄の恋……か。まさにアリア嬢たちと同じだな」
「……そうか……それで父上はあのとき……イアソンとフレデリク、と……」
ややあって、ため息とともに呟かれたリディア様の言葉に、デミトリオ殿下も大きく息をつきました。
「ということは……父上にも俺とジークのことは……」
「……かもしれないね。私には何も言っていなかったけれど」
そう言ってお茶を一口飲んだオレイアス殿下は、ため息とともにカップを置きました。
「それより、デミは自分の噂を何とかした方がいいな。マリナ嬢の言っていた噂が学園内だけで留まっているうちはいいが……拡散すれば、いずれ王妃殿下の耳にも入るだろう。そうしたら面倒なことになるよ。判っているね?」
「は……はい。肝に銘じます。兄上」
オレイアス殿下の忠告を受けて、デミトリオ殿下も畏まって頭を下げました。
わたくしを殴打した件でも相当お怒りだったという王妃様。そこへ原因となったドロレス様との噂と婚約破棄が加わったら……想像するだけでも恐ろしいですわ!
「とにかく、できるだけドロレス嬢には近寄らない方がいいですね。間違っても、二人っきりにはならないように」
「そうだな。あとはその噂を広めてる1年に釘をさすくらいか。ハンナ先輩がガツンと言ってくれたそうだが……」
「そのことなのですが……」
そう言って、わたくしは少し身を乗り出しました。
「マリナ様、寮で噂について調べてくださったそうですが……ケイトリン様とアンナ様はいかがでした?お二人が責められているような素振りはありまして?」
「あ、はい。それは」
リディア様と今後について話していたマリナ様は、さっとこちらに向き直ります。
「お二人が言うように、寮の中でも不自然にドロレス嬢を持ち上げるような人もいるにはいるんです。でも、だからと言ってケイトリン様たちを詰るような感じは今のところないですね。責められたとしても、一時的なもので、言うだけ言ったら満足したって感じでしょうか」
「そう……」
「……アリア嬢?」
「どうした?まだ何か心配事が……?」
それを聞いてもまだわたくしは浮かない顔をしていたのでしょうか。心配そうに殿下とお兄様がわたくしの様子を伺います。
「いえ、ケイトリン様たちが不当に責められていないのが判っただけでも安心はしましたの。ただ……」
あのとき、ドロレス様に駆け寄ったのは、パトリシア・カイゼル様、ジャンヌ・ベリエール様、そして。
「マリナ様、1年のエレナ・ミンハム様はたしか寮生でしたわよね?あのかたはどうでしょうか。最近になって、過剰にドロレス様の味方をなさったりはしていません?」
「!…そ……う……いえば……」
わたくしの問いに思い当たる節があったのでしょう。マリナ様はゆっくりと目を見開きました。
「マリナ嬢?」
「アリアドネ様のおっしゃる通りです!エレナ様は以前はドロレス様の横暴に恐れをなして君子危うきに近寄らず、って感じでした。でも今は……いつも自分からドロレス様に声をかけて。しょっちゅう巫女様やドロレス様の後をついて回ってますよ!」
「なんだと?」
慌てたようなマリナ様の言葉を聞いて、殿下とお兄様も驚いたように声を上げます。
「ど……どういうことでしょう。謹慎が明けて以来、大人しくなったドロレス様の周りに集まる人が多くなったのは事実なので、あまり気にしてはなかったんですが……言われてみれば確かに、あの子を避けていたはずの人が、手のひらを返したみたいに慕い寄ってます……それも、何人も!」
「やっぱり……」
こみ上げる不安に、ぶるりと身が震えました。
「さきほど、ドロレス様を害そうとしたと糾弾されたとき、1年生が3人駆け付けたと申し上げましたわね。その3人というのが、パトリシア・カイゼル伯爵令嬢、ジャンヌ・ベリエール子爵令嬢、そしてエレナ・ミンハム様なのです。しかも……」
息を整え、わたくしは顔を上げ、皆様を見渡しました。
「それより数日前……わたくしが殿下に叩かれたあの日、ジュディス様やマチルダ様と一緒にわたくしを多目的ホールへ引っ張っていった1年生……パトリシア様とジャンヌ様は、その一団の中にいらっしゃったのですわ」
「ええっ!!」
「なんだって!?」
それを聞いて、今度はランスロット様やリディア様も声を上げました。
「それは確かなのか!?」
「確かですわ。おまけに、お二人はわたくしが復学した時にもわざわざ教室の前で待っていてくださったくらいですもの」
「た……確かに……」
あの時居合わせたリディア様もはっと息を飲みます。
「教室の前に溜まってた1年生には私も会った……パトリシア嬢ってのは……あれだろ?いっつもバランス悪そうなでかいリボンを付けた……巻き髪ツインテールの?」
「え……ええ、そうですわね」
狼狽えたようなリディア様の描写があまりに的確で、わたくしはちょっと笑いそうになりながらもそれを肯定しました。
「だとしたら、間違いない。確かにパトリシア嬢はあの場にいた……アリア嬢が殴打されたのは自分たちのせいだと泣いて……」
「馬鹿な……じゃあ、従者殿を糾弾しアリア嬢を焚き付けたような娘が、たった数日で態度を翻しアリア嬢を糾弾する側に回ったというのか!?」
呆然と呟く殿下に、答えを持つ者などいるはずもなく。
わたくしたちはただ、うすら寒いような不穏な予感を抱えたまま顔を見合わすしかなかったのでございます。
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