あああああああああ
「………駄目だわ。これにもそれらしい話は載っていない……」
開いていた本を閉じ、わたくしはため息をつきながら本を書架へ戻しました。これで、調べた本は何冊目でしょうか。ここ数日図書館通いをしているというのに一向に成果の出ない調べ物に、わたくしはもうひとつ大きなため息をついてしまいました。
あの、ドロレス様との邂逅から数日。
時間が経つにつれあの『声』のことが気になって、わたくしは図書館に通い詰めているのです。
「やはり……歴史書ではだめなのかしら……だとしたら伝承か……いえ、幻聴だとしたらいっそ医学書かしら?」
ぶつぶつ呟きながら書架を回り込んだところで、わたくしは向こうから来たかたにどん、とぶつかってしまいました。
「あっ、申し訳…」
「お?」
ありません、と謝ろうとしたところで聞こえたよく知った声に、わたくしはぱっと顔を上げました。
「まあ!ランスロット先輩?」
「おう、久しぶりだな」
数冊の本を抱え、ランスロット様は屈託のない顔で笑います。
「先輩も調べものですの?」
「あー、いや。俺じゃなくて殿下が」
「オレイアス殿下が?」
ランスロット様の影から顔を出すようにしてその背後を窺えば、窓際の書架に寄りかかるようにして本に目を落としていたオレイアス殿下がこちらに気付いたように軽く手を上げました。
というか……最近よく学園に顔を出されますわね、オレイアス殿下も。
「……で?なんか調べものか?」
その殿下に淑女の礼を返したところで、ランスロット様がそう声をかけてきました。
「ええ……まあ……」
ちらりとランスロット様の持っている本を見やると、守護精の歴史……魔結晶辞典……魔獣討伐史……まあ、ではオレイアス殿下は北の国境に棲み着いたという魔獣のことを調べていらっしゃるのかしら。
「……どうした?」
「んあ」
そう、思ったとき。
ずん、といきなり眉間をつつかれて、わたくしは思わず変な声を出してしまいました。
「!?」
「眉間。しわ寄ってんぞ」
唖然とするわたくしに、ランスロット様は平然としてつんつんと自分の眉間を指差しますが。ふ……普通、女性の顔にそんな気軽に触れたりします!?子供じゃありませんのよ!!?
「こら!」
「痛えっ!」
いつの間にか近寄ってきていたオレイアス殿下が、持っていた本の角でランスロット様の頭を叩きます。
「すまないね、うちの馬鹿が失礼な真似を」
「い……いえ、お気になさらず」
そうとしか言いようがなくて、わたくしはじろりとランスロット様を睨みました。本当に、なんてかたでしょう!ちょっと痛かったんですのよ!?
「お詫び……というわけでもないが、もし学園図書館で調べ物がはかどらないようなら、王宮の図書館を利用できるように手配しようか?あちらの方がかなり蔵書量が多いが……」
「あ、いえ。そこまでしていただくほどのことでは……」
ありがたい申し出ではありますが、王宮図書館は蔵書量が多すぎてかえって探すのに時間がかかりそうです。殿下の申し出を辞退しつつ、わたくしはふと思いついたことを聞いてみました。
「そういえば……殿下は学術塔にもよく出入りなさっていますわよね。どなたか、歴史や伝承に詳しい方をご存知ないでしょうか?」
学術塔と言えば、我が国随一の研究機関です。専門知識に長けたかたでないと所属できず、マリナ様の卒業後の進路もここか、学園の教師ではないかと噂されています。そんな場所ならば、あの『声』のことを知っているかたもいらっしゃるかもしれません。
「歴史や伝承?」
オレイアス殿下はちょっと意外そうな顔をして。
「そうだなあ……当てがないこともないが……具体的に、どういった事象だい?」
「それは………」
ちょっとためらったものの、わたくしは正直に先日のことを申し上げることにしました。
ドロレス様に呼び止められ、謝罪……のような何かを受けたこと、その最中、不気味な『声』を聞いたこと、その『声』は他の誰にも聞こえていないようだったこと。そして……。
「ちょっと待った、アリア嬢」
その『声』に導かれるまま、危うく彼女に危害を加えそうになったことも、包み隠さず申し上げようとしたところで、オレイアス殿下の待ったが入りました。
「それは、図書館で話していい内容ではないな。場所を移そう。構わないかい?」
「………はい」
何やら真剣な顔でそう言うオレイアス殿下に異を唱えることもできず。
わたくしたちは場所を移すこととなったのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
小一時間後。
予想通り、わたくしたちは我が家のサロンに集合しました。
顔ぶれは、オレイアス殿下、ランスロット様、マリナ様、リディア様。そして、たまたま遊びに来ていてたデミトリオ殿下とお兄様。
「お前にも無関係な話ではないよ」とオレイアス殿下に引っ張り出されたデミトリオ殿下は、わけがわからないという顔で、わたくしを見つめます。
「それで……いったい何があったというんだ?兄上まで巻き込んで……」
「じつは……」
大事になってしまったことに内心ため息をつき、わたくしは先日のことを話し始めました。
ドロレス様に呼び止められたこと、謝罪という名のなにか、そしてあの謎の『声』のことを。
「……で、その謎の『声』はほかの誰にも聞こえていないようだったと?」
「はい、殿下」
わたくしの話を聞いたデミトリオ殿下は、難しい顔で腕を組みます。
「ドロレス様も……ほかにも何人か生徒が通りましたが、みなさま特に注意を払う様子はありませんでした。わたくしの後ろにいて、一部始終を見ていたというハンナ様も、その『声』については何も」
「なるほど………それで、『幻聴』か……」
わたくしの独り言をしっかり聞いていらっしゃったらしいランスロット様も考え込むように背もたれに背を預け天井を睨みました。
「その『声』は小さくはなかったんだな?」
「ええ。最初は囁くように小さなものでしたがどんどん大きくなって。最終的には耳を聾すほどの大声になっていましたわ。それに……」
「……それに?」
思わずわたくしは言い淀みました。
あの一瞬、『声』に唆されたとはいえ、わたくしは確かにドロレス様を害そうとしたのです。あんな大声が誰にも聞こえなかったことといい、巫女様の予言といい……ああ、あの『声』はわたくしの中から聞こえたのでないのかしら。それこそが、わたくしが邪悪の少女であるという証ではないのかしら………
「………アリア……?」
「……失礼しましたわ」
気遣うようなお兄様の声に、わたくしは覚悟を決めました。たとえみなさまに見損なわれようとも、ここはきちんと真実を述べるしかありません。だって、本当にわたくしが予言の『邪悪の存在』なのだとしたら、一番近しいみなさまには知っておいていただかなければなりませんもの。
「……その『声』は、亡くなった母のことまで持ち出して、わたくしを悪役令嬢と罵りました。そして、ドロレス様を段差から突き落せと。……わたくし、一瞬だけその『声』に従いそうになりました。でも危ういところでレガリアが……あの子が具現化して、わたくしを噛んでくれましたの。おかげでわたくしは我に返り、落ちそうになっていたドロレス様を引き戻すことができたのですわ」
「それで……そのあとその『声』は……」
「はい。気が付くと『声』は消えていました。ドロレス様はわたくしがあのかたを突き落とそうとしたと糾弾し、遠巻きに見ていた方たちの中から1年生が3人ほど駆け付けて……どう説明したらいいのかと困っているときに、見兼ねたハンナ様が仲裁に入ってくださったのですわ。本当に……あの方がいらっしゃらなかったら、どうなっていたことか……」
「なるほど……」
すべてを話し終えると、殿下たちは眉根を寄せ、考え込んでしまわれました。
「だ……だが、ドロレス嬢は勝手に落ちそうになっていたのだろう?むしろアリア嬢はそれを助けたんじゃないか!それなのに……なんでアリア嬢が糾弾される流れになっているんだ!?」
そんなの、おかしいだろう!?とお茶を一気飲みしたリディア様が声を荒げます。
「マリナ嬢!何か、ないのか?そういう変な『声』の史実とか、そういう魂の力の記録とか!?」
「………ちょっと待ってくださいね~……」
指先を額に当て、マリナ様も唸るような声を出します。
その肩には、いつの間にか具現化したマリナ様の守護精・フクロウのミネルヴァ。ミネルヴァの『記録』という魂の力を借り、マリナ様は知識を総動員して『声』に関する記録を掘り起こしてくださっているのでしょう。
「……いくつか、確認させてくれるかな、アリア嬢」
ややあって、オレイアス殿下が足を組み直して顔を上げました。
「その謎の『声』は、きみだけに聞こえていた。そしてきみを罵り、悪役令嬢だと責め立て、ドロレス嬢に危害を加えさせようとした。……他に、その『声』が言った内容を覚えているかい?」
「そう……ですわね。わたくしが何かをぶち壊しにしたと怒り狂っていましたわ。なんでも……図書館で?オレイアス殿下に助けていただくのは巫女様だったとか……出会うはずだった?とか……あと……どなたかと仲良くなるはずだったとか……全部ドロレス様のためのものだった、って。そう……それから……どなたかに固執するような気配がありました。その方がドロレス様のために忍んでくるはずだった……と……」
「ふぅむ……」
顎に手を当てて何事かを考え、オレイアス殿下はデミトリオ殿下に目を向けます。
「………お前はどう思う?」
「その『声』の正体は判りません。ですが……何やら筋書きを書いている者がいるようですね……。しかもアリア嬢を悪役令嬢呼ばわりしたことからもわかるように、その者は巫女殿の予言を知っている……知っていて、自分の思うように物事を進めさせようとしている……」
「ああ。そのうえ。その者は学園内に深く入り込んでいるようだ」
ため息をつき、オレイアス殿下はもう一度わたくしに目を戻しました。
「その執着しているという相手だが。その者の名は出なかったのだね?」
「ええ……でも……」
わたくしは、ちらりと斜め横に目をやりました。
「ランスロット先輩のことだと思いますわ」
「ぶはっ!!」
まあ!まるで大道芸みたい!わたくしの言葉に、ランスロット様は見事にお茶を噴きました。そのままゴホゴホと咳き込む背中を、お兄様が慌てて擦って差し上げています。
「おまっ……なん……で……」
「だって、あの『声』が言っていましたのよ?『邪悪な蛇に一人で立ち向かうドロレス様の身を案じて』って。学園内で蛇退治なんて、あのとき一度きりですわ」
「だからって……なあ!」
なんとか咳を治め、ランスロット様は涙目で食ってかかりました。
「なんで俺があんなのを!だいたい、知り合いでもないのにわざわざ女子寮忍び込むような真似するかよ!」
「いや、それは判らないよ?」
そう言って、オレイアス殿下は書類挟みから取り出した書類をテーブルに置きます。
「以前、図書館でアリア嬢が梯子を踏み折った時の報告書だ。きみは自分の体重が、なんて可愛らしい心配をしていたが……あの一番下の段には細工がされていた。段の付け根に切り込みが入れられ……それこそ、幼子が乗っても折れるくらいにね」
「まあ!!」
「なんだって!?」
思わずわたくしは声を上げました。お兄様も顔色を変えて身を乗り出します。
「じゃあ、その筋書きを書いた者がアリアを害そうと!?」
「いや、そうとは限らない」
真剣な顔でランスロット様が口を挟みました。
「殿下の命ですべての梯子を検めたが、細工された梯子はあと二つあった。いずれも自然科学の書棚の梯子だ。……あの時、アリア嬢が本を探すよう頼まれたのは、物理学の教授にだったな?」
「え……ええ……」
物理学は自然科学に分類されます。ではやはり、その細工はわたくしを狙って……?
「だが、『声』によると、私が助けるのは巫女殿だったという。ならば、声の主の筋書きでは教授に本を頼まれるのは巫女殿。そして、私が巫女殿を助け、梯子の細工に気付く。そうしたら……何が起きると思う?」
「必然的に殿下はランスに調査を命じ……」
「なるほど、ごく自然にランスは従者殿と出会う、というわけか」
「となると、アリアドネ様の推測通り、その『声』とやらが執着してるのはランス先輩で間違いないようですね。その『声』は、巫女様を罠に嵌めてまでランス先輩とあの子を出会わせたかった。そして親しくならせて、ランス先輩にあの子を助けさせたかった。ロマンス小説みたいに、深夜に窓から忍んで来させて」
「……ロマンス小説ってのはそんなことすんのか……」
お兄様と殿下の呟きに口を挟んだマリナ様は、嫌そうな顔で呟くランスロット様にビシッと指を付きつけます。
「甘い!!なに他人事みたいに言ってんですか!ランス先輩!その『声』は、ランス先輩とあの子をくっつけようとしてるんですよ!?」
「やめてくれ!!」
今度こそゾッとしたようにランスロット様は叫びました。
「確かに顔はちったぁ可愛いかもしれんが、あんなの、俺は願い下げだ!」
……あら。可愛いとは思っていらっしゃいますのね………じゃなくて!!
一瞬ムッとしてしまった自分を慌てて打ち消しながら、わたくしはマリナ様に向き直りました。
「マリナ様、それは……」
「間違いないと思いますよ。おおかた、あの子をヒロインにロマンス小説もどきを繰り広げたいんじゃないですか?多分、仲良くなるはずだった誰か、ってのもランス先輩のご友人の誰かか、その妹とかでしょう。その子に『友達なんです~』とか紹介させて、接近させるつもりだったんですよ!きっと!」
「………そういえば……紹介とか馬術部とか言っていましたわ……」
マリナ様の慧眼にわたくしはちょっと唖然としてしまいました。
さすが、ロマンス小説マスター。高等部に入るちょっと前から読み始めたわたくしとは年季が違いますわ……。
「冗談じゃないぞ!」
それまで静かに話を聞いていたリディア様がばん!とテーブルを叩きました。
「ロマンス小説はよく知らないが!ランス先輩とアレをくっつける!?ランス先輩!私は絶対反対だからな!!」
「だから俺も嫌だって言ってるだろうが!」
吼えるリディア様にランスロット様も叫び返します。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
憤るお二人を、苦笑しながら宥め、お兄様はルビーにお茶のお代わりを淹れるよう目で合図しました。
「私としても、ランスの意志でならまだしも、そんな訳の分からない存在に大事な友人の伴侶を決められたくないな」
「ランス先輩の意志でも、ですよ!あの従者と恋に落ちたりしたら、即刻縁切らせてもらいますからね!!」
「……だから、落ちねえって……」
げんなりとため息をつき、ランス様はルビーが淹れたお茶を口に運びます。
「しかし……いったいなんなんだ、その『声』とやらは。俺とあの女をくっつけて、何の得がある?」
「損得じゃないんじゃないですか?」
お茶を受け取りつつ、マリナ様が鼻を鳴らします。
「ドロレス様自身がランス先輩に気があるんですよ。だから、巫女様の予言を利用してランス先輩をモノにしようと……」
「おいおいマリナ嬢」
よっぽどご立腹なのか、うっかり下町言葉が出たマリナ様を窘めつつ、デミトリオ殿下が目を眇めました。
「きみは……あの『声』の主が従者殿だと思っているのか?」
「そう思います。だって、あんまりにもあの子にとってだけ都合がいいんだもの」
「でも……だったら、『すべてはわたしもの』と言わないかしら……あの『声』は、『ドロレスのためのもの』と言っていましたわ。それに、ドロレス様ご自身は……その、デミトリオ殿下のお心がご自分に傾いているような……そんな口ぶりを……」
「はあ!?」
ご本人を前に言うのもなんだとは思いましたが、率直に言われたことを申し上げると、殿下は素っ頓狂な声を上げられました。はい、そこ!!慌てたようにお兄様の顔を見ない!!
「冗談じゃないぞ!なんだそれは!」
「わたくしが聞きたいくらいですわ。でも、ドロレス様の謝罪というなにかは、そういった含みが満載でしたのよ。おまけに、カイゼル伯爵令嬢の口からも、そんなお言葉が」
「それに関しては、全面的に殿下の自業自得です」
お茶を一口飲み、マリナ様がため息をつきました。
「アリアドネ様から相談されて、寮内のこととか、1年の噂話を集めてみたんです。デミトリオ殿下、先日の殴打事件、結構噂になっているんですよ。アリアドネ様を袖にするつもりだ、とか、浮気が本気になったんだ、とか。中でも主流になってるのが、巫女様に尽くすドロレス嬢の健気な姿に殿下がお心変わりして、それに嫉妬したアリアドネ様が衆人環視の中ドロレス様を糾弾し、怒った殿下がアリアドネ様を打ち据えた、ってヤツ。一部では、婚約者を乗り換えるのも時間の問題だって言われてます。まあ、お相手が巫女様ってバージョンもありますが」
「なっ……」
ああ、やはり噂になっているのですね。
でも、殿下は本当にご存知なかったよう。目を見開いて固まっていらっしゃいます。お兄様はどうかしら、と、ちらりとお兄様を見やったとき。
ばん!!と殿下が思いきり両手をテーブルに打ち付けました。
そうして。
「馬鹿を言うな!確かに父上に婚約破棄を進言したが、それはジークのためだ!!断じてあのような娘のためではない!!」
あああああああああ言っちゃった―――!!!!!
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