第8話 防衛の夜と焚き火の誓い
「……坊ちゃん」
作業台の脇で火箸を握ったまま、ボルドが低くだみ声を響かせた。
挟まれた鉄片を炉の残光にかざし、その鋭い眼光を俺へと向けている。
「この地金、一体どこから持ってきた。鉱石から製錬した鉄じゃねえ。不純物がまるでねえんだ。こんな代物、王都の宮廷工房ですら拝めねえぞ」
手元の火箸がわずかに震えていた。
出所への強い疑念と、職人としての底知れぬ驚愕がその声に滲んでいる。
だが、俺は視線を逸らさずに言った。
「落とし穴の底に立てる杭のことなんだが」
「あ?」
「先端を炉の火で焼いて、硬化させたい。石混じりの土を掘る道具は揃ったが、落ちてきたオーガを確実に仕留めるには、底に並べる杭の強度が要る」
ボルドの眉がぴくりと跳ねた。
手にした鉄片をじっと見つめ、それから荒々しく舌打ちをした。
「……チッ。化け物がすぐそこまで迫ってきてるってのによ、詮索なんぞで時間を潰してる暇はねえわな」
火箸の先を炉の火床へ戻すと、ボルドは丸太のような太い腕を捲り上げた。
「詮索は後回しだ。杭をありったけ持ってきな。先の尖った丸太なら、炭火で表面を焼き締めて油を吸わせりゃ石より硬くなる。一本残らず叩き込んでやるよ」
目前に迫る危機に対し、ボルドは職人としての仕事を優先させた。
だが、火箸を握り直すその手元と、炉の残光に浮かぶ横顔には、依然として消えない鋭い疑念が刻まれていた。
「助かる。すぐ運ばせる」
俺は短く礼を言い、鍛冶場を出て西の境界へ向かった。
西の境界では、昼前から防衛設備の設営が進められていた。
打ち直された鋭利なクワとスキで凍てつく地面が掘り返され、林からは木々を伐り倒す斧の音が響いてくる。
村人たちの顔には、依然としてオーガへの恐怖が濃く残っていた。
青ざめた顔で震えながらムシロを抱え、必死に泥土を運び出している。
逃げ場のない現実の中で、目の前の作業にしがみついている状態だった。
その現場を支えていたのが、シェリーだった。
「みんな、無理しないで! 一度手を止めて、温かいものを飲んで!」
シェリーは竈で煮出した野草茶の大鍋を運び、泥まみれの村人たちへ木椀を手渡して回っていた。
木椀から立ち上る温かい湯気とお茶の熱が、冷え切った指先を温めていく。
「ダンさん、西側の掘削は予定の深さまで届いたよ。次は丸太の運搬班と交代して」
「そっちの丸太は、奥の杭打ちへ回してください!」
シェリーは村長代行として、作業全体の進捗を把握していた。
誰が疲労しているかを見極め、資材の配分を的確に指示していく。
開拓地で領民と共に汗を流してきた彼女だからこそ、村人たちもその声に頷き、作業を止めずに動いていた。
防衛の図面を引くのは俺の役割だが、現場の人心を束ねて動かしていたのはシェリーの献身だった。
夕暮れ時。
西の空が赤黒く染まる頃、ついに防衛ラインが形を成した。
食い破られた丸太柵の裂け目を起点に、侵入経路を狭めるように左右へ張り巡らされた頑丈な逆茂木。
左右を塞がれた敵が直進せざるを得ない細い道、その誘引路の足元には、深さ二メートルを超える巨大な落とし穴が掘り抜かれていた。
穴の底には、ボルドが炉火で焼き締めた黒く硬い鋭利な杭がびっしりと林立している。
穴の上には細い木の枝と枯れ草が敷かれ、上から薄く土を被せて偽装されていた。
木柵の太い支柱には、非常時を告げる警戒の鐘も括り付けられている。
敵の巨躯と突進力を逆手に取り、自重で落とし穴へ誘い込む。
前世の技術者としての知見を落とし込んだ防衛設備が、完成を迎えていた。
日が落ちると、冷え込みは一段と厳しさを増した。
作業を終えた村人たちは集会所や自宅へ引き上げ、最低限の見張りを残した広場は静まり返っていた。
中央に焚かれた小さな焚き火の前に、俺とシェリーは並んで腰を下ろしていた。
パチパチと音を立てて小枝が爆ぜる。
シェリーは両手で木椀を包み込み、焚き火の赤い炎をじっと見つめていた。
その小さな手には、今日の作業で新しくできた擦り傷と、長年の農作業による固いタコができている。
「……クラウス」
静寂の中、シェリーがぽつりと呟いた。
「私、ちゃんと役に立てたかな」
その横顔には、昼間の凛とした表情とは違う、微かな怯えが揺れていた。
本家から魔力ゼロとして追放された過去が、彼女の胸の奥に今も影を落としているのだろう。
「私には魔力がないから、魔法で魔物を倒すこともできない。畑を豊かにする祝福も使えない。こんな時、私ができることなんて、お茶を配ったり声をかけたりするくらいで……」
「そんなことはない」
俺はシェリーの言葉を遮り、静かに首を横に振った。
「お前がいなければ、半日でこれだけの設備を完成させることなんてできなかった」
「え……」
「防衛の図面を引くのは俺の仕事だが、恐怖で足が竦んでいた村人たちを動かし、現場を繋ぎ止めてくれたのはシェリー、お前の人望と献身だ」
俺の言葉に、シェリーはヘーゼル色の瞳を丸く見開いた。
やがて、その瞳に微かに光が宿る。
「ありがとう、クラウス……。そう言ってもらえると、嬉しい」
だが、シェリーは唇を小さく噛み、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
その指先には、まだ強張りが残っていた。
「でもね、やっぱり少し怖いよ。本当にあんな化け物に勝てるのかなって」
「勝てるさ」
俺は意識の奥にある武器庫を見据えた。
鉄の在庫は使い切ったが、俺の手元にはまだ戦うための手札がある。
「俺たちの家だ。誰にも奪わせはしない」
「うん……絶対に守ろうね、私たちの居場所」
シェリーが頷き、俺の手の甲にそっと自分の手を重ねた。
冷え切った夜気の中で、互いの体温が静かに伝わってくる。
その時だった。
グルオオオオオオオオオッ!
夜の静寂を切り裂き、大気をびりびりと震わせる獰猛な咆哮が轟いた。
村のすぐ西側、境界の木立のすぐ向こうから響いてきた重低音だ。
地面がビリビリと小刻みに揺れる。
カン、カン、カン、カン、カン!
西の木柵の支柱に吊るした鐘が、けたたましく乱打された。
「大鬼だ! オーガが森から出てきたぞ!」
見張りに立っていたダンの叫び声が、夜の寒村に響き渡った。
集会所の扉が開き、武器を手にした村人たちが広場へ姿を現す。
俺は焚き火の前から立ち上がり、手元へ意識を集中させた。
ついに現れたか。
冷たい夜風を正面から受け止めながら、俺は西の暗闇を鋭く見据えた。




