第7話 蘇る炉火と鋼の刃
集会所を出ると、朝の凍てつく風が頬を打った。
背後から、板戸を隔てて村人たちの怒号がかすかに漏れ聞こえている。
俺は立ち止まらず、北側斜面の麓にある鍛冶場へと足を速めた。
鍛冶場の中は薄暗く冷え切っていた。
煙突から煙は上がらず、金床の脇には空の酒瓶が転がっている。
奥の作業机に腰掛けたボルドが、濁った目で俺を見上げた。
「また来たのか、坊ちゃん。言ったはずだぞ。ここには貴族のおもちゃを置く場所はねえ」
「オーガが村のすぐ外まで来ている。集落を囲む木柵だけでは耐えられない」
俺は作業台の前まで進み、低く告げた。
「木柵の内側に深い落とし穴を掘り、逆茂木を組んで迎え撃つ。そのために、刃こぼれしたクワやスキ、斧を叩き直してほしい」
ボルドは鼻を鳴らし、机の酒瓶を掴んだ。
「叩き直すための地金がねえんだよ。鉄鉱石が入らねえのに、何を叩けってんだ。鉄がなけりゃ名工だってただのジジイだ。冷えた炉の前で祈ったところで、空から鉄が降ってくるわけじゃねえ」
俺は反論せず、静かに息を吸って意識を内なる空間へ沈めた。
まずは手元を意識する。
空間の隙間から、ずしりとした冷たい重みを引きずり出した。
手のひらに現れたのは、刃渡り三十センチの錆びたナタだ。
赤茶けた、無数に刃こぼれした刀身が姿を現す。
ボルドの目が一瞬見開かれた。
「なっ……なんだそのナタは。どこから出しやがった」
「これは俺の手札だ。手放す気はない」
念じてナタを消去する。
驚愕するボルドを前に、俺は意識を木棚の隅へ伸ばした。
狙うのは使い物にならなくなった刃物の残骸だ。
魔力溜まりから数滴の雫が減る感覚とともに、手のひらに冷たい感触が落ちる。
現れたのは、親指ほどの厚みがある砕けた刃の破片だった。
赤黒く煤け、鋭い割れ目を晒している。
カラン、と高い金属音が響いた。
手のひらの破片を、欠けた金床の上へ置く。
続けて意識を集中し、木棚に残る破片を手元に呼び出しては並べていった。
一度に呼び出せるのは数個が限界だ。
ボルドが酒瓶を置き、ふらつく足取りで金床へ歩み寄ってきた。
節くれ立った指で破片を掴み、爪で表面を強く弾く。
キィン、と硬く鋭い金属音が響いた。
「……本物の鉄だ。クズ鉄じゃねえ、しっかり焼きの入った刃物の地金だぞ」
ボルドの顔から酔いが引いていく。
手元の破片と俺の顔を交互に見つめてきた。
「どこで手に入れた。こんな分厚い地金、村のどこにもねえぞ。……本家からくすねてきたのか」
「出所は言えない。だが、村を守るための資材だ。在庫には限りがあるが、ナマクラの道具を直す分なら足りる。これを使って炉に火を入れてくれないか」
ボルドは唇を固く結び、破片を強く握りしめた。
俺の顔を険しく睨みつけたまま、じっと動かない。
だが、その太い指先は冷えた地金を離そうとしなかった。
「……チッ。出元が何だろうと知ったことか。鉄があるなら叩くのが鍛冶屋だ」
ボルドは破片を金床へ戻し、炉の前に立った。
火打ち石で炭粉へ火花を散らす。
小さな火種が生まれた瞬間、ふいごを力強く踏み込んだ。
ボオッ、と低い唸り声を上げて火柱が立った。
白い灰の底から赤い熱風が吹き上がり、鍛冶場が一気に熱を帯びる。
「突っ立ってねえで残りの破片を寄越せ! 炭がもったいねえ!」
ボルドは腕を捲り上げた。
俺は意識の奥から破片を呼び出し、ボルドの火箸へと渡していく。
ボルドは破片を火床深くに突っ込み、熱風を送り込んだ。
赤熱した破片を引き抜くと、欠けたクワの先端にあてがい、巨大な大槌を振り下ろす。
ガアン!
重く鋭い金属音が満ち、火花が激しく散った。
軟化した破片が、刃こぼれしたクワの鋼と一体化していく。
無駄のない正確な打撃が、歪んだ刃先を平らに均し、鋭い刃角を削り出していく。
「次だ! スキと斧も持ってこい!」
怒号に合わせ、俺は土間に転がっていた道具を次々と炉の脇へ運んだ。
新たな破片を熱し、ボルドは大槌を休むことなく振り下ろし続ける。
木棚の破片をすべて使い切る頃には、炉の熱気の中に道具がずらりと並んでいた。
鋭く打ち直されたクワが三本、スキが二本、鋭利な刃を取り戻した斧が二本。
そして、残りの破片を叩き伸ばして作った四本の即席の槍先だ。
余分な地金は一つも残っていない。
「……ふうっ!」
ボルドが大槌を下ろし、荒い息を吐いた。
背を向け、火箸で炉の灰を払う。
労いの言葉はない。太い腕を組み、冷え切っていた炉から立ち上る熱風を黙って見つめている。
「恩に着る、ボルドさん」
俺は道具を麻布で包み、両腕に抱えて鍛冶場を飛び出した。
広場の集会所へ戻ると、室内は依然として怒号が渦巻いていた。
「逃げるべきだ! 化け物に食われてたまるか!」
「山道を歩いて逃げ切れるわけがねえだろうが!」
村人たちが胸倉を掴み合っている。
シェリーが割って入ろうとしていたが、混乱は収まらない。
俺は集会所の木戸を力強く押し開けた。
バタン、と音が響き、全員の視線がこちらへ向く。
抱えていた道具を床板の上へ下ろした。
ジャラン、と重い鉄の音が響く。
「な……んだ、それは」
先ほど怒鳴っていた老農民が目を見張った。
床には、赤錆を落とされ鋭く光るクワやスキ、黒光りする斧が転がっている。
「鍛冶場の炉に火を入れ、ボルドさんに叩き直してもらった。これなら凍土も掘れるし木も伐れる」
集会所が静まり返った。
だが、村人たちの強張った顔から不安が消えたわけではない。
「道具があっても……本当に化け物を倒せるのかよ」
後方の男が震え声で呟く。逃亡論を唱えていた者たちの足は竦んだままだ。
その沈黙を破ったのはダンだった。
「俺はやるぞ!」
ダンが進み出て、鋭いスキと鉄の穂先を掴み取った。
その顔には覚悟が宿っていた。
「逃げたって凍え死ぬか食われるだけだ! 領主代行様は狼三頭を一人で倒してくれた! 道具もある! ここで戦うしかねえんだよ!」
負傷した青年も壁に手をついて立ち上がった。
「俺も手伝う。土を運ぶくらいならできる!」
シェリーがすかさず前に出た。
「みんな、木柵の内側に深い穴を掘るの! 動ける人は道具を持って西の境界へ! 子供や年寄りは土を運ぶムシロを集めて!」
若者たちが斧やクワを手に取り、ダンの後を追って駆け出す。
逃亡を叫んでいた者たちも、猛烈な勢いで動き出した若者の背中を見て重い腰を上げ始めた。
「くそっ……置いていかれてたまるか!」
「土を運ぶムシロなら納屋にある! 持ってくる!」
恐怖が消えたわけではない。
だが、確かな道具と具体的な作業が示されたことで、動揺していた人々は引きずられるように動き出した。
西の境界では、鋭いクワが地面へ突き立てられた。
固い手応えとともに土煙が上がる。石混じりの固い土が次々と掘り返されていく。
林の方角からは、打ち直された斧が木々を伐り倒す規則正しい音が響き始めた。
落とし穴の掘削と、逆茂木の加工が始まった。
「クラウス、すごいよ。本当にみんなが動き出した」
駆け寄ってきたシェリーが言った。手には作業用の縄を抱えている。
「まだ始まったばかりだ。敵が来るまでに間に合わせるぞ」
「うん! 私は土を運んだり丸太を縛ったりする指示を出してくるね!」
シェリーは頷き、作業の輪へ走っていった。
落とし穴の底に立てる杭の先端を、炉の火で焼いて硬化させられないか相談するため、俺は再び鍛冶場へ足を向けた。
鍛冶場の中へ戻ると、炉の火は細められ、静まり返っていた。
金床の脇にボルドが立ったまま動かずにいる。
手にした火箸の先には、道具の刃先を均した際に切り落とされた鉄片が挟まれていた。
ボルドは炉の残光にそれをかざし、息を殺して断面を凝視している。
熱を受けて赤く光る割れ目には、雑じり気がまるでなかった。
不純物が極めて少ないその断面を、ボルドは穴の開くほど見つめている。
足音に気づいたのか、ボルドがゆっくりと顔を上げた。
深く眉をひそめる。
その濁りのない鋭い眼光が、入口に立つ俺の姿を射抜くように捉えた。




