第48話 鋼鉄の隔壁と黒光りする小銃
丸太小屋の卓上ランプが、静かに机の上を照らしていた。
俺は椅子に深く腰掛け、意識の奥へ感覚を潜らせた。
第3階層の奥。
冷たいマスケット銃の棚の突き当たりに、頑丈な鋼鉄の隔壁がそびえている。
中央に刻まれた鍵穴は、青白い光を帯びて静かに脈動していた。
領民たちが下した選択の重みが、胸の底に残っている。
逃げ場のない冬の寒村で、大人たちは自ら武器を取って戦う覚悟を決めた。
居場所を守るという誓いは、もはや俺一人のものではない。
頭の奥で、キチリと硬質な音が走った。
鈴の音でも、大聖堂の鐘でも、巨大な歯車の轟きでもない。
研ぎ澄まされた鉄のシリンダーが滑り込み、精密な機構が噛み合う澄んだ音だった。
青白い光が鍵穴からあふれ出す。
ゴコン、と低く重い地鳴りが意識の空間を震わせた。
固く閉ざされていた鋼鉄の隔壁が、中央から左右へと滑らかにスライドしていく。
開かれた空間の棚に、一本の武具が置かれていた。
俺は息を呑み、その姿を見据える。
黒光りする細く長い銃身。
木目が締まった滑らかな銃床。
機関部には、小さな球形の握りを備えた金属のボルトハンドルが突き出していた。
ボルトアクションライフル。
その名と構造が、手応えとなって意識に流れ込んでくる。
マスケット銃のような火打ち石も、火花を散らす火皿もない。
真鍮の筒に火薬と弾丸を一体化させた金属薬莢。
銃身の内側には、螺旋状の溝であるライフリングが刻まれている。
弾丸に高速の回転を与え、風に流されず直進させるための機構だ。
そして何より、手動のボルト操作で弾倉から次弾を連続して送り込める。
魔力が薬室を再構築するまでの数拍を、棒立ちで待つ必要はない。
「……これなら、いける」
俺は目を開けた。
机の上のランプを吹き消し、厚手の外套を羽織る。
明朝の強行突入を前に、この銃の射程と手応えを確かめておく必要があった。
音を立てずに丸太小屋の扉を開け、外へ出る。
凍てつく夜気が頬を刺した。
広場のかがり火は小さく落とされ、静まり返っている。
集会所の前を通ると、軒下から人影が歩み出てきた。
厚手の外套をまとい、毛布を抱えたシェリーだった。
温かい茶を詰めた水筒の点検を終えたところらしい。
「クラウス?」
シェリーが眉を寄せ、小声で呼びかけてくる。
ヘーゼル色の瞳が、夜の闇の中で微かに揺れていた。
「こんな時間に、どうしたの。……朝も一人で前に出たばかりなのに、また外へ出る気? 少しは体を休めないと、明日の朝に響くよ」
「少し確かめたい手札ができた。北西の窪地へ行って、すぐに戻る」
俺が短く答えると、シェリーは胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。
彼女はまっすぐに俺を見つめてくる。
「無理な深追いや危険な真似はしない。そう約束してくれる?」
「ああ、約束する。試射を数発確かめるだけだ」
「わかった。待ってるから、必ず無事で戻ってきてね」
シェリーは小さく頷き、後方の見張りを引き受けるように集会所側へ下がった。
鍛冶屋の小屋は真っ暗だ。
ボルドを起こす必要はない。
夜間に連れ立って動けば余計な物音を立てるし、明朝の武器手入れもある。
頑固な老職人には、明日の本番まで体力を温存させておくべきだった。
俺は雪を踏みしめ、西の防壁へ足を向けた。
土塁の陰に、クロスボウを抱えた自警団の見張り番が立っている。
近づく俺の足音に気づき、青年が小さく息を呑んで振り向いた。
「領主代行様。見回りですか」
「いや。これから北西の窪地へ向かう」
俺は防壁の上の見張り櫓にも視線を送り、低く通る声で告げた。
「向こうで古代の遺物魔導の試射を数発行う。山向こうから乾いた音が響くかもしれないが、敵襲ではない。警報の鐘を鳴らさず、そのまま樹海の警戒を続けてくれ」
「了解です! 背後は任せてください」
見張りの青年は胸を張り、力強く頷いた。
事前の了解を取り終えた俺は、西防壁の外縁を抜け、北西の森沿いへと歩を進めた。
膝上まで積もった雪を踏み抜きながら進む。
やがて、すり鉢状の窪地へたどり着いた。
急斜面と針葉樹に囲まれ、南街道の敵陣からは完全に死角となる場所だ。
俺は息を整え、意識を集中させた。
右手の空間が微かに歪む。
重厚な冷気とともに、黒光りする小銃が手のひらへ現れた。
金属と機械油の匂いが鼻腔をかすめる。
マスケット銃のような火薬の刺激臭はない。
銃身の冷たさが革手袋越しに伝わってくる。
ボルトハンドルの丸い握りに指をかけ、上へと跳ね上げた。
カチリと硬い金属音が鳴る。
そのまま手元へ力強く引き戻す。
カシャリと心地よい音が響き、薬室が開口した。
体内の魔力がわずかに引き出される。
機関部の内蔵弾倉に、金色の真鍮薬莢が瞬時に満たされた。
ハンドルを前方へ押し込む。
最上段の薬莢が押し出され、滑らかに銃身の薬室へと滑り込んだ。
最後にハンドルを下へ倒して閉鎖する。
ガチリと強固に薬室が密閉された。
すべてが機械的な精度で噛み合っている。
俺は銃床を右肩へ当て、窪地の底を見据えた。
五十歩先。
雪の中に佇む巨岩がある。
以前、マスケット銃で拳大の風穴を穿った標的だ。
銃身前方の照準金具と手元の刻みを合わせる。
岩肌の窪みへ狙いを定めた。
息を吐き、引き金をゆっくりと絞り込む。
パァンッ!
鋭利な破裂音が窪地に反響した。
マスケット銃のような大地を揺るがす地鳴りではない。
空気を切り裂く高音の炸裂音。
白煙が視界を遮ることもなく、銃口から細い硝煙が一筋立ち上っただけだった。
衝撃は鋭く肩を叩いたが、姿勢を崩すほどではない。
即座に五十歩先の巨岩を見据える。
バチィンと甲高い破砕音が遅れて響いた。
放たれた弾丸は、かつてマスケット弾が穿った風穴の真横へ吸い込まれていた。
岩の表面を弾くのではない。
分厚く硬い岩肌を針のように貫通し、深々と芯まで突き刺さっている。
丸い鉛玉を遥かに凌ぐ貫通力だった。
「……次は射程だ」
俺は銃口を巡らせた。
南の街道とは真逆、北西の樹海へ視線を向ける。
窪地の縁を越えた闇の中、針葉樹の大木が一本、巨塔のようにそびえ立っていた。
距離はおよそ百歩。
マスケット銃の有効射程である七十歩を大きく越えている。
クロスボウでは矢が届きすらせず、雪原に落ちる距離だ。
俺は右手を動かした。
ボルトハンドルを跳ね上げ、手前へ素早く引き戻す。
カシャアン!
乾いた金属音が響いた。
撃ち終えた真鍮の薬莢が右上方へと勢いよく弾け飛ぶ。
雪の上に落ちた薬莢が、ジュッと小さな熱の音を立てて冷えていった。
引き戻されたボルトの前面へ、弾倉から次弾がカチリと押し上げられる。
ハンドルを押し込み、下へ倒す。
装填は一瞬だった。
手動操作だけで、即座に次の射撃態勢が整う。
百歩彼方の大木の幹。
夜の闇に沈む黒い樹皮へ、照準金具を合わせた。
迷わず引き金を引く。
パァンッ!
甲高い発射音が夜気を切り裂いた。
弾丸は超音速で闇を翔け抜ける。
息を呑む間もなく、百歩先の大木からパキィンと硬質な着弾音が鋭く返ってきた。
吸い込まれるように幹を穿った確かな手応え。
ブレはない。
百歩を超えてもなお、狙い通りの位置を正確に捉えていた。
これなら、南境界の丘陵から街道を見下ろせば、敵の槍の射程外から一方的に狙撃できる。
相手に間合いを詰めさせる必要すらない。
冷たい風が吹き抜け、銃口の微かな煙を散らした。
俺は息を吸い込み、右手をボルトハンドルへ添える。
カチリとハンドルを起こし、手前へ引き戻した。
鈍い金属音とともに、空薬莢が静かに雪の上へ排莢される。
弾倉から押し上がった次弾を薬室へ送り込み、ハンドルを倒した。
確かな手応えが、掌の奥に残っていた。
村は一歩も渡さない。
明朝の強行突入へ向け、俺は暗い樹海の奥を鋭く見据えた。




