第47話 集会所の選択
南境界の除雪された土手を背に、中央広場へと足早に向かった。
踏み固められた雪が靴底の下で軋む。
広場を通り抜け、奥に立つ集会所の厚い木戸の前に立った。
木板を二度、強く叩く。
内側からカチャリと重いかんぬきが外れる音がした。
木戸が細く開き、隙間から顔を覗かせたのはシェリーだった。
俺の姿を認めるなり、彼女は木戸を大きく開いて駆け寄ってきた。
「クラウス! 一人で南へ出たから心配したよ。怒号がここまで聞こえてきて……怪我はない?」
ヘーゼル色の瞳を揺らしながら、シェリーが俺の腕や外套を確かめるように見回す。
「ああ、怪我はない。斬り合いにはならなかった」
「よかった……本当に無事でよかった」
シェリーは胸に手を当て、深く息を吐き出した。
開かれた木戸の奥へ足を踏み入れる。
土間の中央には、巨大な大槌を肩に担いだボルドが仁王立ちしていた。
その周囲には古参の農民たちや、先頃戻ってきた男女七名が固唾を呑んで控えている。
奥の板敷きには、厚手の毛布にくるまった子供たちや老人たちが静かに身を寄せていた。
木戸を閉め、かんぬきをしっかりと下ろす。
集まった村人たちの視線が一斉に俺へと注がれた。
「領主代行様、本家の連中は何て言ってきたんですか」
口火を切ったのは、大工仕事の経験がある帰村者の若い男だった。
作業着の袖を握りしめ、強張った表情で俺を見つめている。
俺は全員を見回し、事実だけを手短に伝えた。
「相手は本家の徴税騎士ヴァイスだ。私兵二十名と空の大型荷馬車二台を連れて、街道の入口に陣を敷いている。冬期特別治安維持費の名目で、食料全量と金貨三十枚の追加徴発を要求してきた」
集会所の空気が凍りついた。
息を呑む音が重なり、ざわめきが波のように広がる。
「食料全量に、金貨三十枚……!?」
「受領証の存在を口頭で突きつけたが、紙切れ一枚と一蹴された。明日の朝、力づくで接収に来る。逆らう者は一人残らず叩き斬ると言ってきた」
叩き斬るという言葉に、集会所の奥で小さな悲鳴が漏れた。
子供を抱く母親が身を縮め、老人たちが青ざめる。
俺は静かに声を張り、言葉を継いだ。
「食料をすべて渡せば、この寒さの中で全員が餓死する。金貨も村の保管分は十一枚しかない。三十枚など払えるはずがない。差し出したところで、残るのは全員の破滅だけだ」
逃げ道のない現実を告げると、室内に重苦しい沈黙が落ちた。
特に、帰村者の七人が強い動揺を顔に浮かべている。
「逆徒として叩き斬るって……」
「相手は本家の正規の私兵だ。騎士までいる。魔物と戦うのとは訳が違うぞ……」
若い男の一人が指先を震わせ、俯いた。
相手は爪や牙で襲いかかってくる獣ではなく、鎧を着て武器を扱う人間の軍勢だ。
その事実が、彼らの足をすくませていた。
「だがよ、渡したら餓死するしかねえぞ」
古参の農民が、擦り切れた作業着の膝を拳で叩いた。
「この大雪の中で、子供や年寄りを連れてどこへ逃げられるってんだ。山へ入ったって凍え死ぬだけだ」
沈黙が再び落ちる。
その空気を破ったのは、先ほど問いかけてきた帰村者の若い男だった。
屋根の補修で赤く手をかじかませながら、黙々と板を葺いていた青年だ。
男は顔を上げ、ぎゅっと両拳を握りしめた。
「……もう逃げるのは嫌です」
絞り出すような声だった。
男は震える呼気を吐き出し、俺をまっすぐに見据えた。
「俺たちは飢えと魔物に怯えて一度この村を捨てて、峠の向こうで惨めな思いをして、ようやく戻ってきたんです。家を直して、温かい飯を食わせてもらって、居場所を貰った。ここでまた逃げ出したって、雪の中で野垂れ死ぬだけじゃないですか。……領主代行様、俺たちにも戦わせてください! 何でも持ちます!」
青年の言葉に、隣にいた帰村者の仲間たちが顔を上げた。
引き締まった光が瞳に宿っていく。
「そうだ……せっかく戻れた家なんだ!」
「あんな連中に渡してたまるか!」
「領主代行様、俺たちも使ってください!」
古参の農民たちも次々に立ち上がった。
「そうだ、領主代行様が命を張って守ってくれた村だ。本家の好き勝手になんかさせねえぞ!」
ボルドが大槌の柄を石床にドシンと突いた。
低い振動が床を伝う。
「ケッ、よく言ったわい! ワシらの血と汗で蓄えた食料じゃ。腰抜け貴族の懐に収めてたまるかい!」
シェリーが領民たちの前に一歩踏み出した。
澄んだ声が集会所に響き渡る。
「子供たちとお年寄りは、私たちが絶対に守るよ。村長代行として約束する。だから大人はみんなで、この村の命を守ろう!」
男たちが力強く頷き、口々に声を上げた。
理不尽な脅迫に怯えるだけの表情は消えている。
「よく言ってくれた」
俺は全員の顔を見渡し、頷いた。
「迎撃する。だが無謀な突撃はさせない。西の防壁の五名と見張り櫓の二名は、樹海側の警戒を崩さず持ち場を堅持させている。南境界の除雪土手でも、ダンと哨戒の二名が敵の陣を監視し続けている。あいつらの背後を守るのが、俺たちの役目だ」
俺は手短に役割を割り振った。
子供と老人は引き続き集会所の中で保護し、外へは出さない。
シェリーには共同炊事場を使った前線への温かい茶や毛布の補給、矢の予備の点検を一任する。
ボルドと大人の男たちには、南境界の除雪土手をさらに高く盛り固めさせ、街道から村へ続く通路に太い木材を組んで荷馬車の侵入を阻む障害物を築かせる。手にする木槍や、打ち直したクワやスキの刃先も研ぎ直させる。
「敵は明日の朝、油断しきって力づくで押し通ろうとする。一歩もこの村の敷居を踏み越えさせないぞ」
「おおッ!」
力強い応えが集会所に返ってきた。
木戸を開けると、冷たい朝の風が吹き込んできた。
大人の男たちが大槌やスキを手に、外へと繰り出していく。
集落の入口へと太い丸太を運び、障害物を組み上げる作業が始まった。
昼を過ぎても、街道入口の敵陣に動きはなかった。
南境界の除雪土手では、ダンたちが交代しながら敵陣を睨み続けている。
シェリーたちが共同炊事場から湯気の立つ野草茶を運び、冷風に晒される見張りたちに配っていった。
やがて陽が西に傾き、村に静かな夜が訪れた。
広場の中央にはかがり火が焚かれ、赤い炎が雪を照らしている。
作業を終えた男たちが交代で火を囲み、静かに武器の手入れを続けていた。
俺は広場を抜け、奥に立つ丸太小屋へと戻った。
薄暗い執務室に入り、卓上のランプに火を灯す。
机の上には、領都で発行された今年度の正式な納税受領証が置かれている。
正当な義務を果たした証拠だ。
それを力づくで踏みにじり、命を奪おうとする相手に、容赦する必要は微塵もない。
俺は受領証から視線を外し、意識を深層へと潜らせた。
頭の奥に広がる武器庫の空間。
第3階層の突き当たりにそびえる、冷たい鋼鉄の隔壁の前へと意識を向けた。
隔壁の中央に刻まれた新たな鍵穴が、淡く青白い光を灯していた。
光は静かに脈動を続けている。
だが、鋼鉄の隔壁はまだ固く閉ざされたままだ。
重厚な壁は動かず、その向こうにある武具を手元へ引き出すことはできない。
俺はゆっくりと意識を引き戻し、ランプの火を見つめた。
今ある手札と、鍛え上げた村の防備、そして腹を括った領民たちと共に、明日の朝を迎える。
理不尽な強奪者に、この境界線を絶対に越えさせはしない。
静まり返る夜の寒村で、俺は静かに息を整えた。




