第44話 南の街道の急報
広場から通路へと積もった雪を踏みしめながら、俺は村の巡回を続けていた。
降り積もる雪はすでに膝上まで深くなり、北西の樹海から吹き下ろす風が肌を鋭く刺す。
屋根に積もった重い雪を払い落とす鈍い音や、木板で雪を掻く乾いた音が、凍てつく村のあちこちから響いていた。
息を吐くと、白い塊となって冷気の中に溶けていく。
意識を集中すれば、武器庫の奥で静かに灯る青白い光を感じ取ることができた。だが、固く閉ざされた鋼鉄の隔壁をいま焦ってこじ開ける術はない。
手元にある武器と、これまで築き上げてきた防備を研ぎ澄ますことこそが先決だった。
西の防壁には自警団が詰めて樹海の縁を監視し、見張り櫓と南の新農地外縁にも哨戒を配置している。自警団の十名は持ち場を守り、交代で巡回を回していた。
北の鍛冶場からはボルドの打つ力強い槌音が響き、矢筒を満たす鉄穂先ボルトの備蓄も申し分ない。
「クラウス、お疲れさま」
広場を横切ろうとした時、厚手の外套を着込んだシェリーが歩み寄ってきた。
冷たい風に吹かれながらも、ヘーゼル色の瞳は落ち着いている。
「南の見回りにも、温かい野草茶を届けてきたところだよ。二人ともしっかり周囲に目を配ってくれていたよ」
「助かる。この冷え込みだ。交代を急がせて、体を冷やさないように言ってやってくれ」
シェリーは手にした木盆を抱え直しながら、安心させるように微笑んだ。
その時だった。
カン、カン!
澄み渡る冷気を切り裂き、硬質な金属音が響き渡った。
西境界の見張り櫓から放たれた鐘の音。
連続して叩き鳴らされる乱打ではない。明確な間隔を置いた、二連打の警鐘だった。
雪かきの木板を動かす手がぴたりと止まり、広場を駆けていた子供たちの声が途切れる。
村人たちが一斉に顔を上げ、張り詰めた空気が漂った。
南の街道から何者かが接近したことを示す合図だった。
見張り櫓の南向き踏み台の上で、見張り番が身を乗り出して南の空を指さしている。
山裾を回り込む遠い街道の屈曲部は、岩肌に遮られて高台の櫓からでも死角になる。新農地外縁に詰めていた地上哨戒が先に異変を捉え、櫓へ知らせて鐘を鳴らさせたのだ。
新農地の白い雪原を蹴立てて、哨戒に出ていた団員の一人が広場へ向けて全力で疾走してくる。
もう一人の団員は街道入り口付近の物陰に身を潜め、監視を続けているはずだった。
「はっ……はっ……領主代行様!」
雪煙を巻き上げて駆け込んできた団員は、膝に手を突き、肩を激しく上下させて荒い息を吐いた。
「南の街道の先……山道を抜けて、武装した集団が向かってきます!」
「落ち着いて報告しろ。規模はどのくらいだ」
俺が低く落ち着いた声で促すと、団員は息を整え、声を絞り出した。
「先頭に軍馬が一頭……鉄の甲冑を着た男です! その後ろに、槍を持った兵が二十人ほど……さらに後ろから、荷馬車が二台続いています!」
行商人ロバートの警告通り、長男ジュリアンが差し向けた本家の軍勢がついに姿を現したのだ。荷馬車まで引き連れて。
「本当に……来たんだね」
シェリーの唇から、張り詰めた声が漏れた。
だが、その表情に怯えはない。瞳の奥に、居場所を守り抜く強い意志が宿っていた。
子供たちの引きつった声が上がり、年寄りたちの間に動揺が走りかける。
だが、混乱は起きなかった。
鐘の二連打を聞いた瞬間、人々は自らが動くべき手順を思い起こしていた。
「みんな、取り決めた通りだよ!」
シェリーが即座に前へ進み出て、凛とした通る声を張り上げた。
「作業をやめて、子供たちとお年寄りは集会所へ! 慌てないで、若い人たちについて行って!」
その声に応じ、帰村した若い男や女たちが素早く駆け出した。
除雪の道具を置き、子供たちの手を引き、老人の背を支えながら、広場奥の集会所へと誘導していく。
誰一人として取り乱して右往左往する者はいなかった。
「領主代行様!」
西の防壁の方向から、ダンが駆け寄ってきた。
背中にはクロスボウを背負い、腰の矢筒をしっかりと押さえている。
「南から敵ですね! 自警団、いつでも動けます!」
「ダン、西の防壁はそのまま維持させろ。樹海の魔獣が騒ぎに乗じて動かないとも限らん。残る五名と櫓の二名に持ち場を固めさせ、お前は南の哨戒と合流して新農地の境界で迎撃の構えを取れ」
「はいっ!」
ダンが力強く頷き、雪を踏みしめて南の境界へと駆け出していった。
入れ替わるように、北の鍛冶場から重い足音が響いてきた。
煤けた革エプロンを締め、巨大な大槌を肩に担いだボルドだった。
「おい坊主、本家の腰抜けどもが嗅ぎつけてきおったか!」
「ああ。馬が一頭に、槍を持った兵が二十人ほどだ。荷馬車も二台連れている」
「ケッ、荷馬車まで引き連れてきおったか。ワシらの蓄えをくれてやる道理なんぞ欠片もねえわい!」
ボルドが太い腕を鳴らし、獰猛な笑みを浮かべた。
集会所の厚い木戸が閉じられ、内側からかんぬきの落ちる重い音が響いた。
広場に残ったのは、武器を手に戦う意志を持つ者たちだけだった。
丸太柵の隙間から魔物に怯え、逃げ惑っていた頃のコルト村ではない。
土塁を盛り、石垣を積み、水路を掘り、己の手で守り抜いてきた誇りがある。
誰にも奪わせない居場所が、ここにある。
俺は厚手の外套の襟を正し、広場に立つ者たちを見据えた。
全員の目に、退かぬ光が宿っている。
「全員、持ち場へつけ。敵は魔物じゃない、本家だ」
短く号令を下し、俺は南の境界へ向けて歩み出した。




