第43話 精緻な共鳴と青白き光
西防壁の土手のすぐ下、わずか十数歩の距離に、仕留めた二頭の双頭狼が横たわっていた。
七十歩先と中間にも一頭ずつ転がっているが、この最後の二頭は、丸太の胸壁へ飛びかからんばかりの勢いだった。
「はあ、はあ……」
ダンをはじめ、胸壁に立つ六名の団員たちが肩で息をしていた。
怪我人はいない。
だが、雪煙を切り裂いて十数歩まで肉薄してきた巨躯を前に、団員たちの顔には生々しい緊張の青白さが残っていた。
俺は熱の残るマスケット銃を手元から消去し、革手袋で手のひらの冷たい汗をぬぐった。
冷たい風が頬を打つ。
「全員、よく踏みとどまったな。怪我人が出なかったのは、ダンの号令と全員の斉射のおかげだ」
俺が声をかけると、ダンがはっと顔を上げた。
「い、いえ! 領主代行様の二発目がなければ、間違いなく飛び込まれていました」
「結果として全員が無傷だ。動揺するな。相手の突進に飲まれず、手元の引き金を引けたことを誇っていい」
俺は団員たちの肩を軽く叩き、呼吸を整えさせた。
西の防壁を守る六名。
見張り櫓の上で周囲を監視する交代の二名。
そして南側の街道沿いを哨戒している二人。
「持ち場を崩すな。見張りと哨戒の交代は予定通り回す。死骸の回収を手配したら、気を引き締め直して配置へ戻れ」
「はいっ!」
ダンが力強く頷き、団員たちへ指示を飛ばし始めた。
互いの背中を預け合ってきた積み重ねがある。
一度呼吸が戻れば、浮き足立つ者はいなかった。
そこへ、防壁下の坂道を小走りに登ってくる足音が聞こえた。
「クラウス! ダン!」
呼びかけながら現れたのはシェリーだった。
厚手の外套の裾を揺らし、木盆に湯気の立つ野草茶の木椀を載せている。
「無事だったんだね! 西ですごい爆音が響いたから、急いでお茶を持ってきたの」
シェリーは息を切らしながら、冷風に晒されていた団員たちへ温かい木椀を手渡していった。
団員たちが頭を下げ、湯気を吸い込んで強張った表情を緩める。
だが、すべての茶を配り終えたシェリーが防壁の胸壁から下を見下ろした瞬間、そのヘーゼル色の瞳が大きく見開かれた。
「……っ、こんな近くまで」
雪原の赤黒い染みと、防壁のすぐ足元に転がる巨躯。
シェリーは木盆を抱え直すと、俺の前へ歩み寄り、衣服や手元を慌ただしく改めた。
「怪我はない? どこか痛むところは?」
「ああ、掠り傷一つない。全員無傷だ」
俺が両手を広げて見せると、シェリーは胸に手を当てて長い息を吐き出した。
「みんな無事でよかった……でも、本当に紙一重だったね」
その声には、間一髪で食い止めた危うさへの冷や汗が滲んでいた。
「ああ。遠くから一発撃てても、数で突っ込まれると隙ができる。次に備えて、手札を点検しておく必要があるな」
「うん、気をつけてね」
シェリーは真剣な面持ちで頷いた。
双頭狼の死骸は、集まってきた農民や帰村者たちの手で手早く広場の燻製小屋へ運ばれていった。
俺は西防壁の警戒をダンに任せ、北側斜面の麓にある鍛冶場へ向かった。
鍛冶場の中は、赤々と燃える炉の熱気で満ちていた。
ふいごを踏む音がリズミカルに響き、金床の上で火花が散っている。
「おう、坊主。西のほうで派手な雷みたいな音がしとったが、どうじゃった」
煤けた革エプロンをつけたボルドが、太い腕を止めて大槌を金床の脇に置いた。
俺は実戦の結果を簡潔に伝えた。
遠くからの一撃で先頭を仕留めたものの、次弾までの隙に壁際まで詰め寄られたこと。
ボルドは髭面を歪め、腕を組んで唸った。
「いくら凄まじい威力でも、数で押し込まれりゃ最後は手元の武器と頭数頼みってわけじゃな」
「ああ。ダンのクロスボウがなければ危なかった」
ボルドは火箸を手に取り、炉から赤熱した鉄棒を引き出した。
「なら、ワシらのやることは変わらん。あの鉄筒の仕組みはワシには分からんが、矢と金具ならいくらでも叩ける」
カン、カンと心地よい槌音が響き始める。
仕入れた鉄地金が、鋭いボルトの鉄穂先へと姿を変えていく。
「坊主、お前さんは防壁の杭を改めといで。ガタついてる丸太がありゃ、すぐに楔を打ち直してやるわい」
「助かる、ボルドさん。頼んだよ」
今ある資材と手札を最大限に研ぎ澄ます。
その合理的で堅実な職人の判断が頼もしかった。
鍛冶場を出た俺は、西防壁の外縁に並ぶ丸太杭の緩みを点検して回った。
凍てついた土に打ち込まれた杭はしっかりと噛み合っており、補強金具の軋みもない。
作業を終える頃には、空が茜色から深い藍色へと移り変わっていた。
中央広場へ戻ると、冷え込みが一層厳しさを増していた。
南の街道からは本家の影がちらつき、西の樹海には魔獣が潜む。
だが、広場を行き交う人々の顔に、以前のような怯えはなかった。
奪われない居場所を自ら守る空気が、村に根づいている。
広場の端で見張りの交代を終えたシェリーが、白い息を吐きながら歩み寄ってきた。
「みんな、頼もしくなったね」
「ああ。全員が自分の持ち場を守っている」
「うん。本家が何を仕掛けてきても、ここは渡さないよ」
ヘーゼル色の瞳をまっすぐに向け、シェリーは力強く頷いた。
俺も短く頷きを返す。
夜、広場奥の丸太小屋へ戻った。
竈の薪が爆ぜる音を聞きながら、机の上の防衛の記録に目を落とす。
幾度もの防衛戦を越え、村人たちと築いてきた信頼の重み。
手に入れた居場所の手応えが、静かに胸を満たしていた。
その時だった。
頭の奥深くに、硬質で澄んだ響きが走った。
鈴の音でも、鐘の音でも、歯車の轟きでもない。
キチリ。
研磨された鉄のシリンダーが滑り込み、精密な機構が噛み合う金属音だった。
俺は意識を内なる武器庫へと沈めた。
開かれた第3階層の格納庫。その突き当たりにそびえる鋼鉄の隔壁だ。
中央に刻まれた新たな鍵穴の奥から、淡く澄んだ青白い光が漏れ出していた。
光は静かに脈動し、冷気を放ちそうなほどの鋭い輝きを帯びている。
扉そのものはまだ固く閉ざされている。
だが、先ほど噛み合った精緻な機械音の余韻が、確かに響いていた。
連射と、圧倒的な射程。
求めた答えが、武器庫の奥で静かに目を覚まそうとしていた。




