第42話 西防壁の銃声と単発の限界
西防壁の上に立ち、凍てつく朝の風を受ける。
丸太と杭を固めた胸壁の外には、白く凍りついた雪原と、その先に黒々としたガルム樹海の輪郭が広がっていた。
見張り櫓に南向きの踏み台を取り付け、避難手順も整えた。
今は西境界の守備訓練を固める番だ。
防壁の上には、ダンをはじめとする自警団員六名が揃っていた。
見張り櫓に立つ二名と、南側哨戒を回る二人一組を除いた番手だ。
全員が厚手の外套を着込み、手には使い慣れたレバー式クロスボウを携えている。
吐き出す息はどれも真っ白だった。
俺は意識を頭の奥へ向け、武器庫から一本の黒い鉄筒を呼び出した。
フリントロック式マスケット銃。
ずしりとした冷たい鉄の重みが、手袋越しに両手のひらへ伝わってくる。
ダンたちが息を呑んで鉄筒を見つめた。
「領主代行様、それが以前の魔導の筒ですか」
「そうだ。古代の遺物魔導による武具だ。仕組みは複製できないが、運用の間合いを共有しておきたい」
俺は樹海へ向けて鉄筒の先端を示した。
「クロスボウの有効射程は五十歩だ。だが、この筒なら五十歩を超え、七十歩先の敵を撃ち抜ける」
七十歩という言葉に、団員たちの間から驚きのざわめきが漏れた。
五十歩先でも狙いを定めるのが難しいクロスボウに対し、さらに二十歩も遠い外側で敵を叩ける。
防衛線の間合いを大きく広げられる利点は、彼らにも一目で理解できたはずだ。
「ただし、この筒は一発撃つごとに魔力で内部を再構築する。レバー操作で次弾を込められるお前たちのクロスボウと違い、数拍の待ち時間が生じる。初弾の直後は、お前たちの射撃で敵を押し留める連携が必要だ」
「はいっ」
ダンが真剣な顔で頷く。
その時、頭上の見張り櫓から甲高い警鐘が鳴り響いた。
カン、カン、カン、と冷たい冬の空気を切り裂く連打。
「樹海から魔獣! 四頭、こちらへ向かってきます!」
櫓の見張り番が声を張り上げた。
俺は防壁の縁へ歩み寄り、樹海の輪郭を鋭く見据えた。
雪煙を蹴立てて現れたのは、灰褐色の毛並みを持つ巨獣の群れだった。
体長は優に二メートルを超える。
左右に並ぶ二つの頭部が、それぞれ獰猛な牙を剥き出しにして唸り声を上げていた。
双頭狼。
ガルム樹海の奥深くに潜む獰猛な魔獣だ。
足並みを揃え、低い姿勢で雪原を滑るように疾走してくる。
四肢の強靭なバネを利かせた突進速度は、通常の狼の比ではない。
雪煙を巻き上げながら、四頭の双頭狼は防壁へ向けて一直線に間合いを詰めてくる。
「ダン、自警団を下がらせろ! 十歩離れて耳を塞げ!」
「全員、領主代行様の斜め後ろ十歩へ下がれ! 耳を塞ぐ備えをしろ!」
ダンの鋭い号令とともに、六名の団員たちが防壁の上を手早く後退した。
足音が遠ざかり、俺の周囲に十分な間隔ができる。
俺は防壁の木柵に体を預け、右肩に木製銃床を強く引き当てた。
冷え切った銃身先端にある照準金具の突起と、手元の刻みを合わせる。
先頭を駆ける双頭狼の頭部へ、照準をぴたりと重ねた。
距離はおよそ七十歩。
クロスボウの矢では失速して雪に落ちる間合いだ。
だが、この鉄筒なら届く。
双頭狼の前足が凍てついた雪原を力強く蹴り上げた。
吐き出される荒い息が白い尾を引く。
俺は息を止め、引き金をゆっくりと絞り込んだ。
カチリと撃鉄が倒れる。
火打ち石が火蓋を擦り、火皿へ火花が散った。
ズドオオオン!
大地を底から突き上げるような轟音が炸裂した。
閃光とともに銃口から猛烈な白煙が噴き出し、強烈な反動が右肩を激しく叩く。
放たれた球形鉛弾は、雪原を一直線に切り裂いた。
七十歩先を駆ける先頭の双頭狼。
その左頭部へ鉛弾が深々と食い込んだ。
ドスゥン!
硬い頭蓋骨を一瞬で貫通し、拳大の風穴を穿つ。
短い悲鳴を上げる間もなく、巨躯が前のめりに雪原へ激突した。
勢い余った体が二度、三度と雪を巻き上げて転がり、動かなくなる。
七十歩の距離を一撃で仕留めた。
背後で耳を押さえていた団員たちから、息を呑む気配が伝わってくる。
だが、戦闘は終わらない。
先頭が討ち取られた瞬間、後続の三頭は減速するどころか、仲間の死骸を飛び越えて突進速度を上げた。
二対ずつの赤い瞳が怒りに燃え、四肢が激しく雪を跳ね上げる。
「放て!」
俺は白煙を払いながら、背後へ叫んだ。
初弾を撃ち終えた直後、体内の魔力がわずかに引き出され、銃身の奥で薬室と弾丸が再構築を始める。
だが、それには数拍の時間を要する。
指を添えた引き金には、まだ手応えが戻らない。
「構えろ! 引き金を引け!」
ダンの号令とともに、六挺のレバー式クロスボウが一斉に弦を弾いた。
バシュッ、と鋭い風切り音が重なり、六本の鉄穂先ボルトが雪原へ降り注ぐ。
突進していた二頭目の胸元と前足にボルトが深々と突き刺さった。
悲鳴を上げて前足をつんのめらせ、雪煙の中へ崩れ落ちる。
しかし、残る二頭の勢いは止まらない。
七十歩の距離は、全速力で駆ける魔獣にとって瞬きの間だ。
わずか数拍。
魔力が薬室を満たすまでの短い隙に、二頭は防壁の直前、十数歩の距離まで肉薄していた。
二つの頭部が牙を剥き、防壁へ飛びかからんばかりの勢いで迫る。
団員たちが木製レバーを倒して弦を引き絞るが、装填が間に合うかどうかの瀬戸際だ。
距離が近すぎる。
その瞬間、手元の銃身の奥でカチリと小さな手応えが戻った。
再構築が完了した。
数拍の待ち時間が明けた。
俺は即座に銃床を肩へ当て直し、最も近くまで迫った三頭目の喉元へ銃口を向ける。
迷わず引き金を絞る。
ズドオオオン!
二度目の爆音とともに白煙が爆発した。
至近距離から放たれた鉛弾が、跳躍しようとした双頭狼の胸郭を粉砕する。
ドォンと重い質量が雪原へ叩きつけられた。
ほぼ同時に、次弾の装填を終えたダンのクロスボウから放たれたボルトが、最後の一頭の額を貫いた。
ドサリと雪を散らして最後の巨体が倒れ伏し、荒い息の音だけが雪原に消えていく。
冷たい風が吹き抜け、防壁の周囲に漂う白い硝煙を吹き散らしていった。
「全員、怪我はないか」
俺が振り返って声をかけると、ダンが肩で息をしながら頭を下げた。
「は、はいっ! 怪我人はいません! ですが、壁のすぐそこまで詰め寄られました」
団員たちも青ざめた顔で頷いている。
怪我人が出なかったのは幸いだ。
だが、俺の手元には冷たい汗が滲んでいた。
マスケット銃の銃身はほんのりと熱を帯び、黒色火薬の焦げた匂いが鼻を突いている。
魔力による弾薬の再構築に要する数拍。
そのわずかな隙に、魔獣は七十歩の距離を一気に詰め、防壁の足元まで迫ってきた。
南の街道を思う。
見晴らしのいい開けた地形では、五十歩のクロスボウでは射程が足りない。
この鉄筒でも、一発撃ったあとに数拍の隙を晒せば、馬を駆る相手や散開した敵を抑えきれない。
七十歩を超えるさらなる射程。
そして、数拍の隙を作らず次々と撃ち込める連射機構。
いまの村を守り抜くには、もう一段上の武具が必要だ。
武器庫の奥にある、まだ開いていない無数の扉を思い描く。
俺は硝煙の漂う銃身をそっと撫で、吐き出す息を白く染めながら呟いた。
「連射と、もっと長い射程……もう一段の力が要るな」




