第40話 受領証の盾と冬の防備
翌朝、深く降り積もった雪を踏みしめて広場へ向かう。
中央には、前日の取引を終えて出発準備を整えた二頭立ての大型幌荷馬車が止まっていた。
「領主代行様!」
荷台の脇で荷縄を解いていたダンが、白い息を吐きながら声をかけてきた。
厚手の作業着の上に革の胸当てをつけた青年が、荷台の積荷を指差す。
「追加の物資、降ろす準備ができました!」
「ああ、頼む。ダンたちは乾燥穀物の袋を食料庫へ運んでくれ」
「はいっ!」
ダンは威勢よく頷き、集まってきた若者たちと共に大きな麻袋を担ぎ上げた。
買い取った乾燥穀物は三袋。
若者たちは重い袋を抱え、共同食料庫の丸太小屋へ慎重な足取りで運び込んでいった。
「おい、坊主。鉄の地金はどこじゃ」
背後から太いだみ声が響いた。
太い腕に煤けた革エプロンをつけた鍛冶師のボルドが、大きな手を擦り合わせながら歩み寄ってくる。
寒風の中でも禿頭から微かに湯気を立ち上らせていた。
「ボルドさん、荷台の奥だ。手分けして運ぼう」
「おう、待ち兼ねたわい」
俺とボルドは荷台の奥へ手を伸ばし、藁に包まれた長方形の塊を持ち上げた。
領都から運ばれてきた鉄地金が五塊。
持ち上げると、ずっしりとした金属の質量が腕にのしかかる。
武器庫の破片をやりくりしていた頃とは違う、正式に買い付けた地金だ。
二人で抱え、北側斜面の麓にある鍛冶場へと運んだ。
作業場の炉の脇、頑丈な作業台の上に五つの鉄塊を並べる。
ボルドは白い髭を撫で回し、惚れ惚れとした手つきで黒々とした鉄の表面を撫でた。
「これだけありゃ、春までの農具の繕いも、防壁の金具の打ち足しも余裕で足りるわい。ケチケチ叩かんで済むのはありがたいもんじゃ」
「頼りにしている。金具の点検もよろしく頼む」
「任せとけ」
ボルドが太い腕を叩いて笑った。
鍛冶場を出て広場へ戻ると、荷馬車の前でシェリーがロバートを見送るところだった。
シェリーは厚手の外套を着込み、フードの隙間から柔らかな亜麻色の髪を覗かせている。
ヘーゼル色の瞳をまっすぐに向け、丁寧な仕草で頭を下げていた。
「ロバートさん、峠道はお気をつけて」
「ありがとうございます、シェリー様。これだけの寒さです、峠の積雪もさらに深まるでしょう。急いで領都へ戻ることにいたします」
羊毛の厚い外套をまとった商人は、白い息を弾ませて御者台へと上がった。
手綱を握り、俺たちに向かって深く一礼する。
「クラウス様、シェリー様。また春の雪解けの頃、商いを持ってお伺いいたします。どうかご無事で」
「ああ。そちらも道中無事で」
ロバートが手綱を鳴らすと、二頭の馬が鼻息を荒げて歩き出した。
きしむ車輪が深い雪を踏みならし、南の街道へ向かっていく。
荷馬車が見えなくなるのを見届け、俺たちは息を吐いた。
「クラウス、風が冷たくなってきたよ。小屋へ入ろう」
「そうだな」
俺たちは広場奥の丸太小屋へと足を向けた。
後ろからついてきたボルドに声をかけ、木戸を開けて中へ招き入れた。
石造りの竈では赤々とした炎が薪を舐めており、部屋の中を柔らかな熱気で満たしている。
俺とシェリーは厚手の外套の雪を払い、机の周りの椅子へと腰を下ろした。
竈のそばの丸太椅子に腰掛けたボルドが、太い息を吐きながら俺を見る。
「して、坊主。ロバートの旦那を見送った後で、ワシを呼び止めたってことは……物資の受け渡し以外の話があるんじゃろ」
職人らしい鋭い観察眼だった。
俺は頷き、机の上に置かれた羊皮紙の帳簿に視線を落とした。
「ああ。ボルドさんにも共有しておきたい話がある。領都で兄のジュリアンが、コルト村の備蓄や動向を嗅ぎ回っているらしい」
「ジュリアンの若造が……」
ボルドが吐き捨てるように唸った。
「出来損ないだと決めつけて追放した弟が、飢えもせずに生き延びとるのが我慢ならんというわけか。相変わらず度し難い腰抜け貴族じゃわい」
「あの兄上だ。黙って見過ごすはずがない。何らかの難癖をつけてくるはずだ。どう迎え撃つかを決めておきたい」
俺が言うと、隣のシェリーが机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
手元にある、本家の正規の納税受領証だ。
「第一に、私たちにはこの受領証があるよ」
シェリーは受領証を机の上に広げ、ヘーゼル色の瞳を真剣に輝かせた。
「年貢は満額納めてある。正規の受領証がある以上、税が未納だという言いがかりは絶対に通用しないよ」
「ああ。これが俺たちの盾だ」
俺は受領証に視線を落とした。
だが、ボルドが厳しい顔で腕を組んだ。
「理屈はそうじゃがな、坊主。相手はあのジュリアンじゃぞ。道理が通らんからと引き下がるタマか? 受領証など知らんとばかりに、力づくで村の食料や蓄えを奪いに来るかもしれんぞ」
「ああ、その可能性は極めて高い」
俺は冷静に返した。
前世でも、論理や契約が通じない理不尽な相手とは何度も向き合ってきた。
道理を弁えない相手に対して、言葉や書面だけで居場所を守ることはできない。
「向こうが受領証を無視して力づくで奪いに来るなら、差し出す気は毛頭ない。力には力で対抗する」
「ケッ、上等じゃわい!」
ボルドが膝を叩いて太い笑みを浮かべた。
「それでこそワシらの領主殿じゃ! 汗水流して蓄えた村の飯を、あんな腰抜け貴族に一粒たりとも渡してたまるかい」
西の見張り櫓と十挺のクロスボウ、それに北西の窪地で試射したマスケット銃の火力があれば、力づくの奪取に退く理由はない。
だが、警戒すべき方向には重大な変化があった。
「ボルドさん、これまでは西と北の樹海から来る魔獣だけを警戒していればよかった。だが、本家の人間が来るとなれば話は別だ」
「……南の街道じゃな」
ボルドが低く呟いた。
「そうだ。南側には防壁を作っていない」
コルト村の南側は、開拓を進めてきた丘陵の新農地と、領都へと続く街道に向かって広く開かれている。
魔獣の侵入を防ぐために西の境界を固めてきたが、人間が乗り込んでくるなら、間違いなく南の街道を通る。
「南防壁を作る余裕はないし、交易の道を塞ぐわけにもいかない。だからこそ、南の街道を新たな警戒対象に据える必要がある。見張り櫓からの監視範囲を南へ広げ、街道沿いの哨戒を密にする」
「合点がいった。見張り櫓の死角をなくす金具と、南向きの踏み台をすぐにこしらえてやるわい」
ボルドが力強く頷き、立ち上がった。
「そうと決まれば、鍛冶場へ戻って作業の続きじゃ。さっきの地金を使って、矢の穂先も余分に叩いておく」
「助かるよ、ボルドさん」
ボルドは満足そうに頷くと、丸太小屋の木戸を開けて寒風の中へと戻っていった。
小屋の中に静けさが戻る。
竈の薪がパチリと爆ぜ、赤い火の粉が小さく舞った。
机の上には、日々の配給と冬越えの蓄えを記した村の帳簿と、手元に残る納税受領証が並んでいる。
向かいの席で、シェリーがそれらをじっと見つめていた。
荒れ果てていた寒村で泥にまみれ、共に畑を耕し、飢えを乗り越えてきた。
その日々の営みが、今の彼女を支えている。
シェリーは静かに息を吸い、机の上の帳簿を両手でしっかりと閉じた。
パタンと乾いた音が、温かな小屋の中に響く。
そして顔を上げ、ヘーゼル色の瞳で俺の目をまっすぐに見つめた。
「私たちは絶対に間違ってない。村は渡さないよ」
シェリーはそう言って、力強く頷いた。
俺も頷きを返す。
理不尽な横槍から居場所を守るため、やれる備えをすべて進めるだけだ。




