第39話 雪の峠と金貨十二枚
一面の雪に覆われた西境界の防壁には、夜の間に吹き寄せられた粉雪が白く張りついていた。
交代の青年たちと見張りに立つダンが、南の街道へ目を凝らしている。
俺は羊毛の厚い外套の襟を合わせ、防壁の上から息を吐いた。
白い呼気が冷たい風に流れていく。
「領主代行様!」
櫓の上のダンが、身を乗り出して声を張り上げた。
「南の街道から、荷馬車の鈴の音が聞こえます!」
「来たか」
俺は防壁の梯子を下りた。
南の開けた街道から、荷馬車が雪を踏みしめて入ってくる。
雪を払って広場へ向かうと、丸太小屋からシェリーが出てきた。
羊毛の厚い外套を着込み、亜麻色の髪を風に揺らしている。
ヘーゼル色の瞳が、街道の入り口をじっと見つめていた。
「クラウス、ロバートさんだよね。無事に戻ってきてくれたんだ」
「ああ。約束通り来てくれたな」
深い雪を掻き分けるようにして、二頭立ての大型幌荷馬車が広場へ姿を現した。
車輪がきしむ音を立て、踏み固められた雪の上に深い轍を刻んでいく。
馬車が中央で止まると、御者台から恰幅のいい男が飛び降りた。
羊毛の厚い外套を雪まみれにした行商人ロバートだ。
「クラウス様、シェリー様! ご無事で何よりです!」
ロバートは息を弾ませながら、深く頭を下げた。
「峠の積雪が思いのほか深く、一時はどうなることかと思いましたよ」
「遠路ご苦労だったな。外は寒い、小屋へ入ってくれ」
俺たちはロバートを促し、広場奥の丸太小屋へ入った。
石造りの竈では薪が赤々と爆ぜており、冷え切った部屋を穏やかに暖めている。
椅子を勧めると、ロバートは外套の雪を払いながら腰を下ろした。
「さて、本題に入りましょう。契約の通り、残債の清算です」
「待ってくれ。現物を持ってくる」
俺は部屋の隅の棚へ向かった。
厳重に布で包まれた頑丈な木箱を持ち上げ、机の上に置く。
蓋を開けると、中から大人の頭ほどもある青白い結晶が姿を現した。
村を包囲した魔獣混成軍を率いていた装甲魔獣の核。
中心には俺が連動式クロスボウで撃ち込んだ四本の鋼鉄ボルトの貫通痕と、白濁した亀裂が刻まれている。
だが、その内側では青白い光が力強く脈打っていた。
「……おお、やはり見事な石だ」
ロバートが身を乗り出し、食い入るように魔石を見つめた。
「先にお見せいただいた時も驚きましたが、こうして改めて見ても息を呑みますな。領都の商会市場でも、これほど巨大な上位魔獣の核は滅多に出回りません」
「領都で買い手は見つかったのか」
「ええ、抜かりはありません」
ロバートは胸を張り、上着の内ポケットから羊皮紙の目録を取り出した。
「大手の魔導工房と豪商へ話を通し、買い付けの確約を取り付けてまいりました。傷や欠けの分を厳正に査定した上で、前払いの買付資金を金貨で預かってきております。この青き魔石、商会の公正な市場価格として金貨六十二枚と銀貨四十枚で引き取らせていただきます」
「金貨六十二枚と、銀貨四十枚……」
隣で目録を覗き込んだシェリーが、驚きに息を呑んだ。
大鬼の赤き魔石が金貨四枚だったことを思えば、破格の額だ。
ボルトによる損傷があっても、上位魔獣の核という希少性は揺るがない。
「異存はない。その額で石を引き渡そう」
「ありがとうございます。では、こちらが残債の清算書になります」
ロバートは机の上に木製の算盤を置き、手際よく弾いた。
「契約に基づき、立て替えた残債元金は金貨四十八枚。年利二割の三ヶ月分で、利息は金貨二枚と銀貨四十枚になります」
帳簿をこちらへ向け、指先で数字を示す。
「返済額は合わせて金貨五十枚と銀貨四十枚。魔石の買い取り額から相殺し、差し引き、村のお手元に残るのは金貨十二枚です」
ロバートは足元から重々しい革袋を持ち上げ、机の上に置いた。
ずっしりとした金属音が木机を揺らす。
紐を解くと、中から眩い黄金色の輝きがあふれ出た。
「本家への年貢五十枚を満額納めた上に、借りを全部返して、金貨が十二枚も残るなんて……」
シェリーが革袋を見つめ、安堵の吐息を漏らした。
だが、すぐに手元の帳簿を開き、真剣な眼差しで顔を上げた。
「ロバートさん。この余剰金の一部を使って、今積んできている荷物から物資を買い取らせてほしいんです」
ロバートがわずかに目を見張る。
「物資の追加、ですか。ですがシェリー様、村の食料はまだ足りているとお見受けしましたが」
「はい。先に降ろしてもらった塩や穀物もありますし、新農地で採れた根菜もあるので、春までの村の食べ物はちゃんと足りています」
シェリーは帳簿の数字を指でなぞりながら、はっきりとした声で続けた。
「でも、金貨をそのまま眠らせておくより、今すぐ役立つ実物に変えておきたいんです。鍛冶場のボルドさんが道具を直したり防壁を補強したりするための鉄地金と、蓄えをさらに万全にするための予備の穀物を買いたいんです。ロバートさんの荷馬車に、まだ積んでありますよね?」
「シェリーの言う通りだ。鍛冶場の地金と、予備の穀物を譲ってほしい」
俺が言葉を重ねると、ロバートは感嘆の笑みを漏らした。
「恐れ入りました。金貨を手にして浮かれるどころか、直ちに村の足元を固めにかかるとは。わかりました。荷台には領都から運んできた鉄地金が五塊と、乾燥穀物が三袋ございます。地金が銀貨六十枚、穀物が三十枚、そこに冬の峠越えの運賃を銀貨十枚いただきまして、銀貨百枚――金貨一枚でお譲りいたしましょう」
「商談成立だ。残りの金貨十一枚は、春の開拓資金として村で保管する」
「まいどありがとうございます。荷降ろしは後ほど行いましょう」
ロバートは満足そうに頷き、証書を丁寧に片付けた。
青き魔石を頑丈な布で包み直し、自らの手提げ鞄へと慎重に収める。
これで立て替え契約は、滞りなく清算された。
誰にも借金を背負うことなく、村の蓄えが手元に残った。
だが、作業を終えたロバートの表情が、ふと陰りを帯びた。
席を立ちかけた足を止め、机に両手を置く。
周囲の気配を窺うように、声を潜めた。
「……クラウス様、シェリー様。商売の話はこれで終わりですが、一つ、領都の商人仲間から耳に入った不穏な話をお伝えしておかねばなりません」
「不穏な話?」
俺が問い返すと、ロバートは険しい顔で小さく頷いた。
「領都を発つ直前のことです。商人たちの間で、コルト村が魔獣を退けて物資を蓄え、冬を越しているという噂が広まりましてね。それを耳にした長男のジュリアン様が激怒し、村の動向や備蓄の出所を執拗に嗅ぎ回っているのです」
「あんな出来損ないが富を蓄えているはずがないと、手下に探らせているとか。あのジュリアン様がこのまま引き下がるとは思えません。商人の間でも、本家が何か仕掛けてくるのではないかと囁かれております」
「兄上が……」
俺が呟くと、隣のシェリーがヘーゼル色の瞳を険しくし、外套の袖をぎゅっと握りしめた。
「本家はまだ、私たちから奪うつもりなんですか……」
その問いに、ロバートは真剣な眼差しで、俺たちの目をまっすぐに見据えた。
「ジュリアン様がコルト村の噂を嗅ぎ回っています。お気をつけを」




