第38話 煙突の煙と領都の企み
剛毛猪を仕留めてから数日が過ぎた。
防壁の外から吹きつける冷たい風は収まる気配がなく、木枯らしが白くかすむ雪原を吹き抜けていく。
俺は厚手の外套の襟を合わせ、雪を踏みしめながら西境界の防壁へと向かった。
あの剛毛猪の巨躯は手際よく解体され、肉や皮、剛毛の回収を終えた。安全を確認した上で再開された杭打ちも、ボルドの見立て通り、次の大吹雪が迫る前に予定していた延伸を一段落させていた。
土塁の外縁に打ち込まれた太い丸太の列が、雪原を背にして西の境界を区切っている。
見張り櫓の足元から、革の胸当てをつけたダンが駆け寄ってきた。
「領主代行様!」
「ダン、警戒はどうだ」
「はいっ! 見張り櫓と防壁の巡回を交代で回しています。樹海の奥も今は静かです。あの猪の解体も終わり、西の杭打ちもこれで一旦締まりました!」
ダンが白い呼気を弾ませて答えた。
剛毛猪を撃退した経験が、自警団の背筋を確実に伸ばしている。
「ご苦労だった。だが油断はするなよ」
「はいっ!」
ダンが力強く頷く。
西境界の守りが一段と強固になったことを確かめ、俺は踵を返して居住区へと向かった。
通りを抜けて居住区へ入ると、あちこちから槌を振るう小気味よい音が響いていた。
村に残る十数軒の荒れ家の修繕には、まだ長い時間と資材が必要だ。
だが、先頃戻ってきた男女七名へ割り振った住居は、今日で三棟すべての補修が完了していた。
帰村者たちが、割り当てられた家へ荷物を運び込んでいる。
その時、葺き直された屋根の煙突から、ふわりと白い煙が立ち上った。
竈に火が入ったのだ。
パチパチと薪が爆ぜるかすかな音とともに、家の中から温かな生活の気配が漂ってくる。
表で荷物を運び終えた青年が俺の姿に気づき、泥と木屑のついた作業着のまま、深々と頭を下げた。
「領主代行様! 本当にありがとうございます! 俺たちのような逃げ出した者に、こんな立派な家を用意してくださって……」
「礼を言うのは俺の方だ。お前たちが必死に手を動かしてくれたからこそ、冬の寒風を凌ぐ家ができた。今日からは、ここがお前たちの家だ」
俺が言葉をかけると、青年は目元を赤くしながら何度も頷いた。
厳しい冬を凍えず飢えずに越せる確信が、彼らの表情に宿っている。
これで帰村者七名の生活拠点が整い、村への定着が完了した。
「クラウス!」
弾んだ声とともに、厚手の外套を纏ったシェリーが小走りに駆け寄ってきた。
亜麻色の髪を揺らし、ヘーゼル色の瞳を輝かせている。
「みんなすごく喜んでいたよ。これで七人とも、暖かい屋根の下で腰を落ち着けられるね」
「ああ。生活の足場は整ったな」
シェリーが心からの笑顔を浮かべた。
俺たちは並んで歩き、村の外縁へと視線を向けた。
西の防壁が守りを固めたのに対し、南側に目を向ければ、なだらかな丘陵と新農地、そして領都へ続く南の街道へ向けて、大きく視界が開けていた。
南側には防壁を作っていない。街道を行き交う行商人の荷馬車を通し、春に向けて農地をさらに広げるための余地として開けてある。
「南の街道は雪が積もって静かだね」
隣でシェリーが白い息を吐いた。
「南は領都へ続く生命線だからな。防壁で塞ぐわけにはいかない」
丸太小屋の棚にある木箱には、撃退した装甲魔獣の青き魔石が保管してある。
行商人ロバートが戻れば、それを元手に残債を清算できる算段だ。
西を固め、南の街道を開け、必要な蓄えを揃える。
冬を越せる手応えを、俺は静かに噛み締めた。
◇
領都アイゼンベルク、ベルンシュタイン伯爵本邸の豪奢な執務室。
長男のジュリアンは、暖炉の前で細工の施された銀杯のワインを苦々しく煽っていた。
思い出すのは、あの報告だ。
本来の年貢である金貨五十枚は、期日前に本家会計窓口へ満額納入されていた。
その押印された受領台帳を突きつけられた時の屈辱が、未だに胃の腑を焼いている。
「ジュリアン様、商人たちの間で流れている噂がございまして」
重い扉が開き、入ってきた家臣が恐る恐る告げた。
「北西のコルト村が魔獣の大群を退け、新農地の根菜や食料を大量に蓄えて、誰一人飢えることなく冬を越しているとのことです」
「なんだと? あのゴミが、魔物の餌になるどころか蓄えを溜め込んでいるだと!?」
ジュリアンは激昂し、マントの裾を乱暴に払った。
信じられるはずがない。あの出来損ないの三男が、死に損ないの寒村で豊かな冬を迎えているなど。
家臣がおずおずと口を挟む。
「ですが、今年度の年貢はすでに本家会計窓口で完納扱いとなっております。正規の徴税名目では、これ以上の差し押さえは通りませんが……」
「知ったことか!」
ジュリアンは冷酷に嘲笑った。
「正規の年貢が駄目なら、別の名目を作ればいいだけの話だ。北辺の防備を我が伯爵家が担ってやっているのだからな」
尊大な笑みを浮かべ、思いついた口実を吐き捨てた。
「冬期特別治安維持費だ。あの寒村の安全を守るための費用として、食料と蓄えを根こそぎ徴発してやればいい。徴税騎士ヴァイスを呼べ! 私兵を率いてあの寒村へ向かわせろ」
ジュリアンは執務室の窓の外、吹き付ける雪を睨み据えてマントを払った。
「あいつの蓄えをすべて吐き出させろ。逆らうなら力づくで構わん」




