第36話 白煙の轟音と穿たれた巨岩
「おい坊主、撃つ場所があるってんなら、ワシも連れて行け!」
西境界の防壁の足元で、ボルドが身を乗り出してだみ声を張り上げた。
丸太のような太い腕を組み、黒い鉄筒から目を離そうとしない。
周囲では、ダンたち自警団や戻ってきた男たちが防壁の杭打ち作業を続けている。
大槌が木材を叩く乾いた音が、冷たい空気の中に響いていた。
俺は手の中のマスケット銃を軽く撫で、首を横に振った。
「作業中の皆がいるここでは撃たない。人がいなくて、どれほど大きな音が響いても安全な場所で確かめる」
「人がおらんとこじゃと? なら余計にワシが行かねばならん。こんな妙な仕掛け、職人が見逃せるか!」
ボルドの白髭が興奮で震えている。
出所を詮索しない分別はあるが、未知の構造に対する好奇心は抑えきれないらしい。
隣に立つシェリーが、心配そうに俺の顔を見つめた。
冷え込む空気の中、彼女の吐く息は白い。
「クラウス。また一人で無茶をするつもりじゃないでしょ」
以前の武器の試射でも、彼女は常に安全を心配してくれていた。
俺が前線で無茶をしがちなことを、シェリーは見抜いているのだろう。
「無茶はしないさ。どんな音が出るか分からないからこそ、離れた場所へ行くんだ」
俺が応えると、シェリーは眉を寄せ、手元の黒い鉄筒へ視線を落とした。
鼻を突く乾いた異臭と、冷たい鉄の異様な存在感。
彼女は静かに息を吸い、俺に向き直った。
「わかったよ。でも、条件があるの」
「条件?」
「無理な深追いや危険な真似は絶対にしないこと。危ないと判断したら、すぐに試射をやめて戻ってくること。約束して」
真剣なヘーゼル色の瞳が、まっすぐに俺を射抜いていた。
「ああ、約束するよ」
俺が頷くと、シェリーは小さく微笑んで頷き返した。
「西境界の防壁と村の見張りは、私がしっかり引き受けるよ。ダンたちと一緒に警戒しておくから、安心して確認してきてね」
「助かる。留守を頼むよ」
シェリーが後方を引き受けてくれるからこそ、俺は前進できる。
彼女の信頼に背中を押され、俺はボルドを促して歩き出した。
向かったのは、村から北西へ外れた樹海縁の斜面だ。
雪を踏み分けながらしばらく進むと、すり鉢状に窪んだ開けた場所に出る。
周囲を急斜面と針葉樹の林が取り囲んでいる。音や煙を遮る天然の壁になってくれる地形だ。
足元の雪は膝下ほどまで積もっているが、窪地の底は冷たい風が吹きだまりを作っていた。
「よし、ここまで来れば周囲に人影はないな」
雪原と木立を見渡す。周囲に魔獣の足跡や物音はない。
窪地の奥、五十歩ほど離れた斜面には、風雪に耐えてきた人の背丈を超える巨岩が鎮座していた。
標的として不足はない。
「……で、どうやって弾を飛ばすんじゃ」
ボルドが雪を蹴散らしながら駆け寄り、銃口を覗き込むように見つめた。
「魔石の粉でも詰めて爆発させるのか? それとも中に強い風魔法でも封じ込めて空気を押し出す仕掛けか?」
鍛冶職人としての知識を総動員し、懸命に仕組みを推測している。
「古代の遺物魔導の力だ。中に込められた術式が、瞬時に弾を撃ち出す」
俺は手短に答え、それ以上の説明は伏せた。
火薬の技術はこの世界に存在しない。
調合の知識を広めるつもりはないし、武器庫スキルの階層ロックについて語る気もなかった。
あくまで古代の遺物という枠組みで通す。
「古代の魔導か。つくづく得体の知れんものを掘り出してくるわい」
ボルドは唸り声を上げ、しきりに腕を組んだ。
職人の勘で何か異様な原理を感じ取っているようだが、俺がそれ以上語らないことを察して踏みとどまる。
「ボルドさん、俺の十歩後ろへ下がってくれ。両耳をしっかり塞いでいてくれ」
「おいおい、そんなに物騒な音がするのか?」
「俺にも正確な衝撃は分からない。安全のためだ」
俺が真顔で告げると、ボルドは「へいへい」と肩をすくめ、雪を踏んで背後へ下がった。
太い指を両耳にしっかりと突っ込んでいる。
俺は息を深く吸い込み、マスケット銃を両手で構えた。
冷たい鉄の銃身。
右肩に滑らかな木製銃床をしっかりと引き当てる。
左手で銃身の下部を支え、姿勢を安定させた。
銃身の先端にある照準金具の突起と、手元の刻みを一直線に合わせる。
標的は、五十歩先の斜面にある巨岩の中央。
照準を合わせ、前世の記憶にある射撃姿勢を身体がなぞる。
指を添えた引き金を、ゆっくりと絞り込んだ。
カチリ。
撃鉄が勢いよく倒れ込む。
金具に挟まれた火打ち石が火蓋を擦り、火皿へ火花を散らした。
次の瞬間。
ズドオオオン!
大地を底から突き上げるような、凄まじい轟音が鼓膜を叩いた。
視界が一瞬で黄色い閃光に染まる。
銃口から猛烈な火炎と、大量の白煙が爆風とともに噴き出した。
ずしんと重い衝撃が、銃床を通じて右肩へ叩きつけられる。
厚手の外套越しでも骨がきしむほどの強烈な反動。
雪を踏みしめた両足でぐっと踏みとどまり、姿勢を保つ。
放たれた球形の鉛弾が、五十歩先の巨岩へ一直線に着弾した。
ドスゥン!
重く鈍い衝突音が窪地に反響した。
岩肌から砂煙と破片が散る。
鉛の弾丸は硬い岩の真芯へと深々と食い込み、拳大の風穴を穿っていた。
投石器のように巨岩全体を砕いたわけではない。
だが、分厚い岩の表面を貫き、奥深くまで抉り取っている。
矢やボルトとは次元の違う、圧倒的な貫通力だった。
俺は反射的に、続けて二発目を放とうと構え直した。
引き金を再び絞る。
カチ。
撃鉄は動いたが、何も起きない。空振りの硬い感触だけが指先に返ってきた。
頭の奥の武器庫に意識を向けると、体内の魔力がわずかに消費され、銃身の奥へ弾薬が再構築されていく感覚がある。
だが、その補充には数拍の待ち時間を要した。
引けば即座に連射できるクロスボウとは根本的に異なる。
一発撃つごとに、明確な装填の隙が生まれる単発兵器の制約。
頭で理解していた特性を、動作として骨身に刻み込んだ。
「……なるほどな」
俺は銃口を下げ、ゆっくりと息を吐き出した。
白煙が白く立ちこめていた。
鼻を突く硫黄と焦げた木炭の異臭が、冷たい風に乗って漂ってくる。
五十歩先の巨岩を見やる。
風穴の周りには細かなヒビが走り、穿たれた中心部からは薄く粉塵が落ちていた。
威力は申し分ない。矢を弾くような硬質装甲も、この弾丸なら撃ち抜ける。
だが、この装填の隙と轟音の中、単独で撃ち続けるのは無理だ。
「……ひ、ひい……」
背後から、引きつった声が漏れ聞こえた。
振り返ると、ボルドが尻餅をつかんばかりの姿勢で立ち尽くしていた。
両耳を押さえていた太い腕は力なく垂れ下がり、顎が外れそうなほど口を開けている。
白髭の間から白い息が荒く漏れていた。
「お、おい……今の音は……なんじゃ……雷が落ちたのか……?」
「俺が撃った弾丸の音だ。大丈夫か、ボルドさん」
「だ、大丈夫なわけあるか! 腹の底まで揺れたぞ!」
ボルドはよろめきながら雪を踏み、恐る恐る五十歩先の巨岩へ近づいていった。
濛々と漂う白煙を手で払い、穿たれた岩肌に指を触れる。
深々と抉り取られた拳大の風穴。
指先を突っ込み、熱を帯びた岩肌の深さを確かめたボルドの手が、小刻みに震えていた。
「……馬鹿な。鉄の鏃を番えたクロスボウだって、この岩に当てりゃ鏃が潰れて弾かれるだけじゃぞ」
ボルドが振り返り、立ち尽くす俺と、手の中の黒い鉄筒を交互に見つめた。
「矢でも石でもねえ……弦の音も聞こえんかった……火花と煙と雷鳴一つで、巨岩を穿ちよった……」
ボルドは唾を飲み込み、震える息を吐き出した。
「……たまげた業物じゃ」
ボルドはそう呟き、白煙の残る岩肌を見つめていた。
俺は冷え始めた黒い銃身を静かに見下ろした。
これほどの威力を持つ一撃だ。
だが、単発の隙を突かれれば脆い。
この破壊力を活かす道は一つしかない。
前線で俺がマスケット銃の一撃を叩き込み、強固な装甲を撃ち抜いて敵の体勢を崩す。
その装填の隙を、自警団の十挺のレバー式クロスボウによる連射で埋める。連射で足を止めた隙に、次の弾丸を叩き込んでもいい。
未知の火器と、鍛え上げた村の防衛力。
二つをどう噛み合わせて実戦の陣形を組むか。
白煙が薄れゆく雪の窪地で、俺は次なる防衛の絵図を描き始めていた。




