第35話 黒き鉄筒と開く扉
翌朝、俺は厚手の外套を羽織り、シェリーと共に西境界の防壁へ向かった。
一面に雪が残る道を歩くと、革靴の下でギュッと鈍い音が鳴る。
北西の樹海から吹き抜ける風は冷たく、吐き出す息は白い。
昨夜、丸太小屋の竈の前で日誌を広げ、手応えを確かめていたときに走った衝撃。
あのガキンという重低音と、第3の鍵穴の青白い光、そして唸りを上げていた歯車の轟きが、まだ胸の奥に残っていた。
前方の雪原沿いから、木材を叩く大槌の音が響いてくる。
西の防壁では、ダンたち自警団の若者たちと、戻ってきた男たちが作業を進めていた。
雪を払いながら、土塁の外縁に新しい丸太を立て、一本ずつ杭を打ち込んでいく。
革の胸当てをつけ、背中にクロスボウ、腰に矢筒を下げたダンが、息を弾ませながら駆け寄ってきた。
「領主代行様、おはようございます。見回りも杭打ちも順調です!」
「ご苦労様、ダン。足元に気をつけて進めてくれ」
「はい!」
ダンは白い歯を見せて頷き、すぐに持ち場へ戻っていった。
男たちが掛け声を合わせ、大槌を力強く振り下ろす。
寒さの中でも手を止めず、防壁の守りを厚くしていく背中があった。
隣を歩くシェリーが、静かに息を吐いた。
「みんな、頼もしいね」
「ああ」
その時だった。
昨夜から唸りを上げていた奥底の歯車の轟きが、不意に跳ね上がった。
頭の奥で、ガコンと地底の太い閂が外れ落ちるような重低音が響く。
以前に鋼鉄の扉の前で鳴ったチリンという鈴の音でも、第2階層が開いた時の鐘の音でもない。
全身の骨を直接揺さぶるような激震だった。
俺は足を止め、瞼を閉じて意識を潜らせた。
すでに開け放たれた鋼鉄の扉の奥、狩猟弓やクロスボウが並ぶ武器架のさらに奥だ。
昨夜から回転を続けていた巨大な歯車が噛み合い、青白い光を帯びていた第3の鍵穴がカチリと沈み込んだ。
厚い鉄の仕切り扉が、地鳴りのような重い軋みを上げて左右へスライドしていく。
開かれたのは、冷たい鋼の棚が立ち並ぶ格納庫だった。
その空間から、ツンと鼻を突く異臭が漂ってくる。
硫黄と木炭が焦げ付いたような乾いた刺激臭。前世の知識が、それを黒色火薬の匂いだと告げていた。
棚の中央に置かれていたのは、一本の黒い筒状の武具だった。
フリントロック式マスケット銃。
弓やクロスボウの弦ではなく、火薬の推進力で鉛の弾丸を撃ち出す兵器の名と仕組みが、頭の中へ直接流れ込んできた。
瞼を開くと、シェリーが周囲をさりげなく窺い、立ち位置をずらして俺の体を隠してくれていた。
自警団や男たちは杭打ちに背を向けている。
俺は息を整え、手元へ意識を集中させた。
指先にわずかな魔力を通すと、掌にずしりと重い手応えが落ちてくる。
黒く焼き入れられた冷たい鉄の長銃身と、滑らかな木製銃床。
撃鉄の金具には、角の立った小さな火打ち石が挟み込まれている。
引き金を引けば火打ち石が火花を散らし、内部の火薬を炸裂させて鉛の弾を放つ構造だ。
体内の魔力を微小に消費することで、弾薬は自動で保たれている。
だが、ここで引き金を引くつもりはない。
どんな爆音と煙が出るか分からない以上、実弾の威力検証は安全な場所で慎重に行うべきだ。
この世界に火薬の技術はない。材料を調合して現地で作る気もなく、スキルの補給だけで扱うつもりだった。
「……クラウス」
隣のシェリーが、声をひそめて俺の手元を見つめていた。
「それ……すごく、冷たそう。妙な臭いもするし……無茶な使い方はしないでね」
「ああ、わかっている。試射はしないよ。古代の遺物魔導から引き出したものだ」
俺が短く告げると、シェリーは心配そうに眉を寄せながらも、小さく頷いた。
「おい、坊主!」
雪を踏む足音とともに、太いだみ声が響いた。
防壁の丸太を繋ぐ接合金具の噛み合わせを見に来たボルドだった。
手にした金槌を止め、白髭の口をぽかんと開けて俺の手元を凝視している。
「……な、なんじゃそりゃあ」
ボルドが息を呑み、丸太のような腕を固まらせた。
「弦も滑車もねえじゃねえか。村人用のクロスボウみたいなレバーも見当たらん。ただの鉄の筒と木と金具……それに、鼻が曲がりそうなこの臭いは何じゃ」
ボルドが一歩詰め寄り、食い入るように銃身へ顔を近づけた。
「どうやって獲物を仕留めるんじゃ。その鉱石を挟んだ金具は何のためにある。おい坊主、一発引かせてみろ。どう動くのか見せてみろ!」
職人としての激しい好奇心が、そのだみ声から溢れ出していた。
「これも古代の遺物魔導の一つだ。だが、今は試射しない」
「なっ……なんでじゃ! こんな妙なもん見せられて、引き金を引かん職人がどこにおる!」
「周囲に人がいる。どんな音が鳴るかも分からないものを、ここで動かすわけにはいかない」
「ぐ……」
ボルドは唸り声を上げ、悔しそうに髭を引っ張った。
俺が呼び出す武具の出所そのものは詮索せず胸に収めているのだろうが、未知の仕組みに対する好奇心は到底収まらないようだった。
「……ちっ、焦らしおって。だが、とんでもねえ業物だってことだけは、見りゃわかるわい」
金槌を握り直しながらも、ボルドの目はなおも黒い鉄筒に吸い寄せられていた。
手のひらに残る、マスケット銃のずしりとした冷たい重み。
この新たな力をどう活かし、どう村を守るか。
未知の武具を握りしめ、俺は白く煙る雪の防壁を見据えた。




