第34話 光る鍵穴と轟く歯車
コルト村には深い雪が降り積もっていた。
通りを抜ける風は冷たく、吐く息は白く染まる。
だが雪を踏み分ける足音とともに、村のあちこちから小気味よい木を打つ音が響いていた。
街道から戻ってきた七名の帰村者が加わってから、数日が過ぎていた。
俺とシェリーは、村の中央から少し離れた掘立小屋の補修現場へと足を運んだ。
帰村者たちの手が加わったことで、すでに二軒が風雪を凌げる形を取り戻し始めている。
隙間風を防ぎ、傷んだ部材を直した家屋は、確かな生活の気配を宿しつつあった。
しかし、村に残る傷んだ建物は十数軒に及ぶ。全戸の修繕まではまだ道半ばだった。
現場では、大工の経験がある若い男が、雪を払った屋根の上で金槌を振るっていた。
額には泥がつき、指先は寒さで赤くかじかんでいる。
地上で柱を支える男たちも、交代の時間を過ぎているのに作業の手を止めようとしなかった。
「おい、無理をするな。少し手を休めて暖を取れ」
俺が下から声をかけると、屋根の上の男がぴたりと手を止めた。
慌てて梯子を下りてくると、泥まみれの作業着のまま深く頭を下げる。
「いえ、領主代行様。俺たちのような逃げ出した者を拾っていただいたんです。休んでいる暇なんてありません」
「身体を壊せば、それだけ作業が遅れる。自分の体調を管理するのも仕事の内だ」
「はい。ですが、一日でも早く村の役に立ちたいんです」
男の目には、かつて飢えと魔物に怯えて村を捨てたことへの強い負い目が残っていた。
その負い目があるからこそ、休息も惜しんで必死に手を動かしている。
通りを歩く古参の農民たちが、少し離れた場所からその様子を眺めていた。
初日に広場で漂っていた刺々しい拒絶は引いている。
だが、すぐに親しげな言葉を交わすわけでもない。
それでも、泥まみれになって手を動かし続ける帰村者たちの背中を、無言のまま視線で追っていた。
「みんな、本当に一生懸命だね」
隣でシェリーが静かに呟いた。
「負い目を背負っている分、前のめりになっている。だが、その真面目な働きぶりを村の連中もちゃんと見ているさ」
同じ寒空の下で泥を被り、手を動かすことで、少しずつ積み重なっていくものがあった。
続いて俺たちは、西境界の防壁へと向かった。
雪を踏みしめて土塁の麓へ近づくと、太い丸太を立てる掛け声が響いてくる。
防壁の外縁に丸太を立てて大槌を振り下ろす列の横を、自警団の若者たちがクロスボウを抱えて巡回していた。
「領主代行様!」
見張り櫓の足元から、ダンが駆け寄ってきた。
白い呼気を吐きながらも、その顔つきには以前のような張り詰めた疲労の色がない。
「ダン、警戒と工事の兼ね合いはどうだ」
「順調です、領主代行様! 帰村者の若手が作業に加わってくれたおかげで、見張りの人数を削らずに済みます。交代で巡回を回しながら、杭打ちの手を一切止めずに進められています」
ダンが手応えを込めて報告した。
防壁の延伸はまだ全域の半分にも満たないが、確実に西の守りは厚くなっていた。
「へっ、少しは見られるようになってきたじゃねえか」
太い声とともに、鍛冶場の方角からボルドがやってきた。
煤けた革エプロンを揺らし、丸太のような腕で白い髭を撫で回している。
「ボルドさん、鍛冶場の仕事はいいのか」
「金具の仕込みは一段落したわい。坊主、若造どもの槌の振りが気になって見に来ただけじゃ」
ボルドは杭を打ち込む帰村者の男たちの背中を、鋭い目つきで見定めた。
「逃げ出した腰抜けかと思うたが、筋は悪くねえ。打ち込みの腰が入っとる。これなら次の大吹雪が来る前には、西側の継ぎ足しも一段落つくだろうて」
「ああ。だが無理に完成を急がせるな。着実に隙間を埋めてくれ」
「分かっとるわい。手抜きなんぞさせやせんよ」
ボルドは豪快に笑い、自警団の若者たちへ声をかけながら歩いていった。
夕刻、集会所から作業の終了を知らせる鐘が鳴った。
冷たい西風が強まり、作業を切り上げた人々が中央広場の共同炊事場へと集まってくる。
広場の中央には大きな焚き火が焚かれ、冷え切った空気を赤く照らしていた。
帰村者の七名は、やはり古参の村人たちの輪に混ざるのを躊躇っていた。
広場の端にある丸太の前に集まり、遠慮がちに衣服の雪や泥を叩き落としている。
自分たちが村を見捨てたという過去が、彼らの足をすくませていた。
そこへ、昼間は厳しい顔で作業を見守っていた白髪の老農民が通りかかった。
老農民は足を止め、身を縮める帰村者の若い男をじろりと見下ろす。
帰村者の男は緊張で背筋を固くした。
老農民は何も言わず、焚き火のすぐそばにある丸太の上に積んであった道具袋を無造作に足元へ退けた。
そして、顎をしゃくって丸太の空いた場所を指し示す。
「え?」
若い男が目を丸くした。
「いつまで風下に突っ立っとる気じゃ。腰を冷やしたら、明日の作業で動けんようになるぞ」
老農民は吐き捨てるように言うと、背を向けて焚き火の火に手をかざした。
若い男は息を呑み、深々と頭を下げてから、そっと丸太の端に腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「礼なんぞいらん。明日も同じだけ働け」
それきり、二人の間に言葉はなかった。
広場の隅で、シェリーが静かに微笑んだ。
「少しずつ、縮まってるね」
「ああ」
凍てつく風の中で共に泥にまみれた事実が、人々の間にある壁を少しずつ削っていた。
夕暮れの広場には、この村で共に生き抜くための確かな気配が満ちていた。
夜。広場から人の気配が引き、静まり返った丸太小屋へ戻った。
厚い木戸を閉めると、外の風音が遠のく。
石造りの竈では薪が静かに爆ぜ、赤黒い炭がパチパチと小さな火の粉を散らしていた。
俺は木机の前の椅子に腰を下ろし、作業日誌を広げた。
手入れの行き届いた部屋の隅には、防衛の記録と、これから必要な物資の目録が並んでいる。
魔獣の夜襲を防壁で押し返し、戻ってきた者たちと共に住居を直し、防壁の丸太を打ち込んできた。
寒さに震えていた村で泥にまみれ、積み重ねてきた日々の重みが、確かに実を結びつつある。
胸の奥に、確かな手応えがあった。
その瞬間だった。
頭の奥で、ガキンと硬質な衝撃が走った。
鈴の音ではない。
教会の鐘の音でもない。
硬く冷たい金属同士が噛み合い、地中深くに眠る巨大な機構が目覚めるような重低音だった。
激震が全身の骨を震わせる。
俺は呼吸を整え、瞼を閉じて意識を奥深くへと沈めた。
意識の底に広がる空間。
すでに開け放たれた鋼鉄の扉の先には、連動式クロスボウや鋼鉄の狩猟弓が並ぶ第2階層の武器架がある。
だが、異変はその先で起きていた。
武器架のさらに奥、深い闇に閉ざされた仕切り壁の正面で、無数の鍵穴のうち一つが眩い光を帯びていた。
第3の鍵穴だ。
青白い光が鍵穴の隙間から溢れ出し、周囲の闇を鮮烈に照らし出している。
足元から地鳴りのような重い振動が伝わってきた。
光り輝く第3の鍵穴の奥深くで、巨大な鋼鉄の歯車が軋みながら回転を始めている。
重厚な歯車が噛み合う凄まじい轟音が、意識の空間全体を激しく震わせていた。
第3階層の重い仕切り壁は、まだびくとも動かない。
扉は固く閉ざされ、その向こうにある新たな武器の姿を見ることはできなかった。
だが、鍵穴の眩い光と、奥で唸りを上げる歯車の轟きは止まらない。
新たな力が、目覚めようとしていた。
俺は拳を強く握りしめ、ゆっくりと瞼を開いた。




