第31話 正式な受領証と領都の驚愕
西境界の防壁には、凍てつく冷気が張り付いていた。
先日の激戦と猛吹雪で積もった雪は、村人たちの足で踏み固められ、土塁の影に白い塊となって残っている。
防壁の足元では、ボルドたち鍛冶職人と男たちが作業を進めていた。
雪原から回収した装甲魔獣の岩石甲殻を、土塁外面の木枠や石垣の隙間に打ち込んでいる。
槌を振るう澄んだ音が、白く霞む空気の中に響いていた。
「クラウス、今日が約束の期日だよ」
木製階段を駆け上がってきたシェリーが、帳簿を胸に抱えて俺の隣に並んだ。
整った眉を寄せ、南へ続く街道を見つめている。
「南の見張りからはまだ連絡がない。ロバートさんの荷馬車、無事に来てくれるかな」
「大丈夫だ。あいつは商会の看板を背負っている。期日を違える男じゃない」
「うん。信じてる」
シェリーが小さく息を吐き、冷たい風が二人の外套を揺らした。
静まり返った山道に、かすかな音が届いた。
チリン、と澄んだ鈴の音が風に乗って響く。
「……え?」
シェリーが息を呑んで身を乗り出した。
一度ではない。チリン、チリンと、規則正しい荷馬車の鈴音が、雪深い木立の向こうから確かに近づいてくる。
「来たぞ」
俺は胸壁を軽く叩いた。
木立の切れ目から、見覚えのある幌を被せた大型荷馬車が姿を現した。
踏み固められた雪が残る広場へ、二頭立ての大型幌荷馬車が深い轍を残して止まった。
御者台の上で手綱を引いていたのは、厚手の毛皮帽を被ったロバートだった。
馬車が止まるなり、ロバートは雪の上へ飛び降りてきた。
白い呼気を吐き出しながら、西境界にそびえる防壁と、そこに立ち並ぶ村人たちを見上げて目を丸くする。
「おお……ご無事でしたか、クラウス様! 途中の山道で魔獣が群れを成して北へ向かった痕跡を見て肝を冷やしましたよ。あの大群を本当に押し返されたのですか!?」
「ああ、誰一人欠けずに守り抜いた。それよりロバート、約束のものはどうなった」
俺の問いに、ロバートは相好を崩した。
「立ち話もなんです。小屋へ入りましょう。最高の報せを持ってまいりました!」
広場奥の丸太小屋へ移動し、暖炉に火を入れる。
机を囲んで座ると、ロバートは懐から丁寧に油紙で包まれた平たい革袋を取り出した。
紐を解き、中から引き出されたのは、上等な羊皮紙の書状だった。
紙の端には、ベルンシュタイン伯爵家の正統な家印が、鮮やかな赤の封蝋で押されている。
「これをご覧ください。期日の十日前、領都アイゼンベルクの本家会計窓口へ金貨五十枚を満額納入してまいりました。これがコルト村の、今年度の正式な納税受領証です」
羊皮紙には、コルト村が年間税として金貨五十枚を過不足なく納めた旨と、本家会計官の受領割印が記されていた。
机の上に置かれたその書状を、シェリーが震える両手で恐る恐る持ち上げた。
文字を何度も目で追い、封蝋の印章を指先でなぞる。
「本当に……本当に、完納されてる……」
シェリーのヘーゼル色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
両手で受領証を胸に抱きしめ、それから勢いよく俺の手を取った。
冷え切った彼女の手のひらから、強い熱が伝わってくる。
「クラウス、やったよ! 村は取られない! 私たち、村を守り切ったんだよ……!」
「ああ。これで本家が差し押さえの使者を送ってくる口実はなくなった」
握りしめられたシェリーの手を、俺もしっかりと握り返した。
追放されたあの日からずっと怯えさせられてきた取り潰しの危機を、完全に乗り越えた瞬間だった。
シェリーが涙を拭い、息を整えるのを待って、俺は本題へ移った。
「ロバート、納期に間に合わせてくれたこと、心から感謝する。その上で、次の話だ」
俺は足元に置いてあった麻布を解き、机の中央へ持ち上げた。
現れた結晶を目にした瞬間、ロバートが椅子から転げ落ちそうになりながら腰を浮かせた。
「な、なんだこれは……!?」
机の上に置かれたのは、大人の頭ほどもある青白い結晶だった。
表面に亀裂や傷は残るものの、内奥の濃密な魔力が薄暗い室内を青く照らし出す。
「先日の防衛戦で討ち取った装甲魔獣の青き魔石だ。立て替えてもらった残債の清算原資として、手元に確保してある」
「大人の頭ほどの青き魔石……!? 傷があるとはいえ上位魔獣の核ですよ! これほどの代物は、私の手持ちの現金じゃとてもその場では買い取れません。一度領都の商会市場へ持ち込んで適正に換金し、約束の期日に残債と清算しましょう。お釣りもきっちりお渡しします!」
「ああ、頼む。それまでこの魔石はうちで保管しておく」
手筈が整ったところで、同席していたシェリーが机に身を乗り出した。
広げた村の帳簿に指を添え、引き締まった表情で口を開く。
「ロバートさん、それとは別に、今すぐ買い取りたいものがあるんです」
「おや? 村長代行、何でしょうか?」
「その荷馬車に積んできた荷の中から、保存食用の塩、乾燥穀物、それに春蒔きの種袋を譲ってほしいんです。新農地の冬根菜だけでは冬を越せません。雪で峠が完全に閉ざされる前に、村の倉庫を満たしておきたいんです」
ロバートは感心したように顎を撫でた。
「なるほど、厳冬の備えですね。山を登る前に、コルト村なら要るだろうと思って塩樽と穀物袋は荷台へ多めに積んできました。ですが代金はどうなさいますか? 青き魔石を今ここで割るわけにもいきませんよ」
「契約通り、支払いは魔石や特産品を優先する」
俺は腰の革袋から、雪原で回収したオークの小型魔石数個と、干し肉や獣の牙を取り出して並べた。
ロバートはそれらを素早く指先で検分し、口角を吊り上げた。
「これなら十分です! 商談成立ですね。すぐに荷降ろしに取りかかりましょう!」
小屋を出て声をかけると、ボルドや自警団の青年たちが歓声を上げて集まってきた。
馬車の荷台から、頑丈な塩樽や穀物の麻袋、種袋が次々と降ろされていく。
雪を踏み固めた広場を、生き生きとした男たちの足音が駆け抜けていった。
◇
領都アイゼンベルク、ベルンシュタイン伯爵本邸の執務室。
長男のジュリアンは肘掛け椅子に深く身を沈め、細工の施された銀杯を傾けていた。
執務机の前に立つ会計官が、羊皮紙の受領台帳を恐る恐る差し出す。
「ジュリアン様、秋の納税報告でございます」
「ふん。北西の寒村コルト村はどうなった。武器も持たずに放り出された三男など、とっくに魔物の餌になって野垂れ死んだ頃合いだろう」
ジュリアンは冷笑を浮かべた。
だが、会計官から返ってきたのは予想外の言葉だった。
「それが……期日内に、金貨五十枚が満額納入されました」
「……なに?」
ジュリアンは動きを止め、取り落としかけた銀杯を慌てて握り直した。
赤い酒が縁から跳ね、絨毯を汚す。
「あり得ん……! あんな寒村が金貨五十枚だと!?」
奪い取った台帳には、確かにコルト村の満額受領印が記されていた。
ジュリアンは屈辱に顔を歪め、鋭い舌打ちを鳴らした。
「死んではいなかったか……運のいいゴミめ」




