第3話 幼馴染と金貨五十枚
荷馬車が傾いた木柵をくぐり、コルト村の広場へ入った。
踏み固められた土の空き地には、乾いた小石が転がっているばかりだ。
「着いたぜ、坊ちゃん」
老御者が手綱を引き、二頭の馬を止めた。
俺は荷台から飛び降りる。足裏から伝わる土は固く、凍えるように冷たかった。
ふと視線を感じて顔を上げた。
広場を取り囲む掘立小屋の物陰から、無数の目がこちらを見つめていた。
頬の痩せた老人や、泥にまみれた麻布をまとった農民たち。母親の腰の後ろから怯えた目で覗き込む子供の姿もある。どの視線も冷え切っていた。
「……また領都から役人が来たのか」
「あんな上等な服を着て……何を奪っていく気だ」
風に乗って、枯れた囁きが届いた。
領都の式典服を着た俺の姿は、この寒村では厄介ごとの使者にしか見えないのだろう。
俺が言葉を探すより早く、広場の奥にある小屋の板戸が開いた。
「ハンスさん! 定期便の荷降ろし、手伝います!」
澄んだ声とともに、一人の少女が駆け出してきた。
亜麻色の柔らかな髪をサイドテールにまとめている。
継ぎ接ぎのエプロンドレスに、傷だらけの作業用ブーツ。
「あれ、使者の方ですか? 伯爵家からの通達なら、村長代行の私が――」
少女が足を止め、俺の顔を正面から見据えた。
ヘーゼル色の大きな瞳を丸くして、息を呑んだ。
「……え? …………クラウス?」
「久しぶりだな、シェリー」
シェリーは目を丸くし、それからぱっと顔をほころばせた。
彼女は胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、駆け寄ってくる。
「クラウス! どうしてここにいるの? 領都にいるはずじゃ……」
「事情があってな。今日からこの村の領主代行を務めることになった」
「領主代行……クラウスが?」
シェリーは目を丸くし、それから広場の村人たちを見回した。
遠巻きに見つめる村人たちに目をやり、彼女は俺の腕を引いた。
「立ち話もなんだよね。私の小屋へ来て。詳しい話は中で聞かせて」
案内されたのは、広場の奥にある丸太小屋だった。
板壁には隙間があり、生活感の乏しい空間だ。
部屋の中央には傷だらけの木机と椅子が二脚。棚には羊皮紙の帳簿が積まれている。
「座ってて。すぐ温かいものを淹れるから」
シェリーは竈の小鍋から、乾いた草の香りがする茶を木椀に注いで持ってきた。
裏山の野草を干したものらしい。
口に含むと素朴な苦味と温もりが染み渡った。
向かいに座ったシェリーが、真剣な瞳で問いかけてくる。
「それで……どうしてクラウスがここへ? 成人の儀はどうだったの?」
「先日受けた。授かったのは武器庫というスキルだ」
俺は右手に意識を集中させた。
わずかな魔力を消費し、空間の隙間から目的のものを引き出す。
手のひらに、刃こぼれした赤茶色の錆びたナイフが現れた。
「これしか出せなかった。ジュリアン兄上にゴミスキルだと笑われた」
「そんな……。それで、本家を追い出されたの?」
「ああ。側室腹の三男で、ゴミスキル持ちの穀潰しだ。厄介払いとしてコルト村へ送られた。身一つでな」
シェリーは痛ましそうに唇を噛み締めた。
だが、すぐにその表情に影が差す。
彼女は机の上に置かれた自分の手を見つめた。開拓と農作業で荒れ、タコのできた小さな手だ。
「……私のせいかもしれない」
「シェリー?」
「私、三年前に魔力ゼロだって分かって追放されたでしょ。魔力のない私には、作物を育てることも魔物を払うこともできない。せっかくクラウスが来てくれたのに、私、またあなたの足を引っ張っちゃうんじゃないかな……」
名門貴族の家で浴びせられた言葉が、今も棘として残っているのだろう。
俺は錆びたナイフを消し、静かに首を横に振った。
「そんなことはない。俺はお前がこの村にいてくれて、心からよかったと思っている」
「え……」
「本家に未練なんて最初からなかった。他人の物差しで使い潰されるだけの場所に居続ける気はない。俺は誰にも奪われない居場所を作るためにここへ来たんだ」
まっすぐ見つめると、シェリーの瞳から迷いが消えていった。
彼女は小さく息を吸い、背筋を伸ばす。
「……うん。クラウスは昔からそうだったね」
微笑んだシェリーの顔は、凛とした村長代行のものに戻っていた。
「弱音を吐いてごめんなさい。村長代行として、きちんと報告しなきゃいけないことがあるの」
シェリーは机の引き出しから、古びた納税記録の帳簿を取り出した。
開いたページの一行を指差す。そこには無慈悲な数字が記されていた。
「ベルンシュタイン本家から年間の納税通告が届いているの。要求額は……金貨五十枚」
「……金貨五十枚だと?」
俺は眉をひそめた。
金貨一枚で銀貨百枚、銅貨一万枚。
金貨五十枚は、この過酷な寒村の百数十人で払える額ではない。
「法外だな。以前からそんな額だったのか?」
「ううん。三年前までは年間で銀貨三十枚程度だったの。でも去年から跳ね上がって、今年は金貨五十枚。村の備蓄食料を全部売っても、金貨二枚にすら届かないよ」
「納期はいつだ」
「秋の終わりだよ」
「もし期日までに納められなかったら、どうなる」
「……村の取り潰しだよ」
シェリーは悔しそうに瞳を潤ませ、唇を噛んだ。
「村を取り潰されて、残ったみんなは鉱山や開拓地へ奴隷として売られるんだよ。本家は最初から、私たちを追い詰めて使い潰すつもりなんだよ」
机の上の拳が、白くなるほど強く握りしめられている。
俺は椅子から立ち上がり、シェリーの隣へと歩み寄った。
「クラウス……?」
見上げるシェリーの震える手に、右手を重ねる。
荒れた指先を包み込むように力を込めた。
肌越しに互いの体温が伝わる。
「大丈夫だ、シェリー」
俺は低く、確かな声で告げた。
「奴らの思い通りにはさせない」
「でも、金貨五十枚なんて……秋が終わるまでにどうやって……」
「手はある。鉄がないなら調達すればいいし、魔物が出るなら叩き潰して資源に変えればいい。この村の人間も、お前も、誰一人として本家に奪わせはしない」
潤んだ瞳で見つめるシェリーの手に、静かに力を込めた。




