第29話 砕ける装甲と鋼鉄の連射
五十歩の木立縁から、装甲魔獣が一歩ずつ防壁へ向けて歩みを進めていた。
大鬼の倍近くある巨体が雪原を踏みしめるたび、足元の土塁石垣に重い地鳴りが伝わってくる。
「領主代行様、奴の装甲を試させてください!」
ダンがクロスボウの銃床を肩に当て、低く声をかけてきた。
「一射だけだ。胸を狙え」
「はいっ!」
ダンが引き金を絞った。
バシュッと鋭い発射音が響き、鉄の鏃をつけた実体ボルトが真っ直ぐ放たれる。
矢は吸い込まれるように巨獣の胸元へと命中した。
カキン!
甲高い硬質な金属音が雪原に響き渡った。
放たれたボルトは分厚い岩石甲殻の表面に弾かれ、火花を散らして雪の上へと転がり落ちる。
傷一つつけられない。
巨獣は矢が当たったことすら意に介さず、赤い瞳で防壁を見据えながら一歩前へと進んできた。
「撃つな! 矢を温存しろ!」
俺は防壁の上に立ち、鋭い声を張り上げた。
ダンがハッと息を呑み、引き金にかけた指を止める。
「ですが、領主代行様! あいつが壁にぶつかったら!」
「正面から矢を撃っても甲殻に弾かれるだけだ。無駄矢を撃って矢筒を空にするな」
以前からそう戒めてきたように、焦って撃てば貴重な矢を浪費するだけだ。
巨獣の注意を引く必要はない。
あいつの狙いは最初から、目の前に立つこの防壁そのものだ。
俺は手元の連動式クロスボウを握り直したまま、防壁から飛び出すことなく石垣の狭間に留まり、敵の前進を見据えた。
巨獣の足取りは鈍重だった。
一歩ごとに雪原を深く抉り、四十歩の地点に広がる燃え盛る油と死骸の山を踏み越えてくる。
炎の熱も、くすぶる煙も、その分厚い岩石甲殻を揺るがすことはできない。
だが、その遅さこそがこちらの勝機だった。
「ボルドさん、巻き上げは間に合うか!」
俺は防壁の内側、土塁の足元へ向けて声を飛ばした。
「おうよ! もう一息じゃ! 男ども、腕が千切れてもレバーを回せえッ!」
投石器の根元で、ボルドの怒号が響いていた。
前衛を打ち破った一射のあと、男たちが丸太レバーに取り付き、必死の形相で押し回している。
ギチギチと軋む音を立てて麻縄が巻き取られ、大石を満載した巨大な木製錘箱が再び持ち上がっていく。
一歩ずつ近づく巨獣の地鳴りが背中に届く中、誰一人として足を止めない。
ガコン!
鈍い金属音が響き、最上段に達した錘箱が鉄の留め具ピンでがっちりと固定された。
下ろされた長大な投射腕の先端、革の吊り袋の中へ、男二人がかりで南の山の巨石が押し込まれる。
大人の胴回りほどもある重厚な岩塊だ。
滑走台の溝へ吊り袋が収まり、戦闘中の再装填が完了した。
「坊主、装填完了じゃ! いつでもいけるぞ!」
ボルドが煤けた顔を上げ、太い腕を突き上げた。
敵はすでに四十歩の炎上地点を抜け、三十歩の手前まで迫っていた。
設計上の最大射程である百歩に比べれば、極めて近い距離だ。
だが、先日の試射で黒い大石を一撃で粉砕したのも、この三十歩の着地点だった。
この距離なら、高い放物線を描いて落ちる巨岩で確実に粉砕できる。
巨獣が大きく顎を開き、防壁へ突進せんと前傾姿勢をとった。
その瞬間を見逃さず、俺は右手を勢いよく振り下ろした。
「ボルドさん、放てえッ!」
「応ッ! 喰らいやがれえッ!」
ボルドの合図を受け、男が引き綱を力任せに引く。
ガコン!
鉄の留め具ピンが引き抜かれ、大石を積んだ錘箱が凄まじい自重で真下へ急降下した。
ビュオンッ!
大気を引き裂く重低音が夜空を震わせた。
長大な投射腕が天空へと跳ね上がる。
革の吊り袋から解き放たれた巨石が、猛吹雪の暗がりへと勢いよく撃ち出された。
巨石は高い放物線を描いて舞い上がった。
吹き荒れる風雪を突き破り、夜空の頂点に達した瞬間、三十歩先の雪原へと急降下を始める。
突進しようと頭部を下げた巨獣の頭上へ、巨大な影が吸い込まれていった。
ドガアアアン!
大地を揺るがす凄まじい衝撃音が炸裂した。
頭上から直撃した巨岩が粉々に砕け散ると同時に、巨獣の頭部から胸部にかけての岩石甲殻が激しく弾け飛ぶ。
「伏せろ!」
俺はダンたちの背を押し、胸壁の内側へ身を低く沈めた。
無数の砕石が小石の雨となって防壁を叩き、激しい風圧が土塁を揺さぶる。
丸太枠と鉄金具がきしみながらも、衝撃を受け止めて逃がしていった。
風圧が抜けた直後、俺は即座に身を起こした。
グオオオオオオッ!
雪原で、巨獣が苦悶の絶叫を上げていた。
砕け散った灰褐色の甲殻が泥雪の上に散乱している。
頭部を強打された巨獣は平衡を失い、太い前脚を折って雪原に片膝をついていた。
砕かれた装甲の奥から、赤黒い肉と、青白く脈動する核が露出している。
魔石だ。
岩石の鎧に守られていた唯一の急所が、夜闇の中へ無防備に晒されていた。
俺は手元の連動式クロスボウを構え、銃床を肩に引きつけた。
カシャリと微かな金属音が響き、体内の魔力によって黒塗りの鋼鉄ボルトが瞬時に装填される。
照準器の金具を覗き込み、狙いを魔石の中心へと定めた。
三十歩の距離。
風速と空気抵抗を計算し、照準を固定する。
俺は迷わず引き金を絞った。
バシュッ!
鋭い撃発音とともに、黒塗りの鋼鉄ボルトが一直線に放たれる。
矢は吸い込まれるように、露出した筋肉組織へと突き刺さった。
肉を裂く鈍い音が響き、巨獣の体がビクリと跳ねる。
だが、一撃では終わらせない。
俺は引き金を連続して引き絞った。
バシュッ! バシュッ! バシュッ!
意識下で魔力を供給し続ける限り、連動式のボルトは間断なく装填される。
黒塗りの鋼鉄矢が、夜闇を切り裂いて次々と撃ち出された。
二本、三本、四本。
放たれた全ての矢が狂いなく、剥き出しになった魔石の中心へと吸い込まれていく。
深く、深く、鋼鉄の矢が弱点の核を穿ち抜いた。
ギィイイイイイイイッ!
巨獣が天を仰ぎ、耳を劈くような断末魔の叫びを轟かせた。
胸元の核から青白い光の粒子が激しく噴き出す。
やがてその絶叫が途切れ、太い四肢から完全に力が抜けた。
ズズウウン!
全高数メートルを超える巨躯が、雪原へと前のめりに崩れ落ちた。
吹き上がった雪煙が風に流され、倒れた巨獣は二度と動かなかった。
防壁の上で、ダンが呆然と呟いた。
「た、倒した……」
クロスボウを握った青年たちも、雪原に横たわる死骸を見つめたまま息を呑んでいる。
防壁を揺るがした脅威は、完全に息絶えていた。
その直後、遠く樹海の境から慌ただしい雪煙が上がった。
南や東の外縁を塞いでいた魔獣たちが一斉に背を向け、雪原を蹴って散開していく。
木立の隙間に揺らめいていた赤い瞳が次々と闇の奥へ消え、脱兎の勢いで樹海の深部へと逃げ去っていった。
完全な撃退だった。
ガタッと背後の中央広場から、乾いた板戸の開く音が響いた。
振り返ると、集会所の板戸が開き、シェリーが広場へ駆け出してきていた。
防壁の上の俺たちを見上げ、胸の前で両手をぎゅっと握りしめると、澄んだ声を張り上げる。
「みんな……! 勝ったよ! 防壁を守り抜いてくれた!」
開かれた板戸の奥から、集会所に避難していた村人たちの歓声と安堵の声が、風に乗って微かに届いた。
俺は連動式クロスボウを手元から消去し、凍える夜気を深く吸い込んだ。
冷たい空気が胸を満たし、張り詰めていた緊張が静かに解けていく。
いつの間にか、吹き荒れていた猛吹雪が止んでいた。
分厚い雲が風に流され、東の空の端が白く染まり始めている。
夜明けだった。
朝日の淡い光が、白く雪を被った土塁石垣の防壁を照らし出す。
倒れた巨獣の胸元で青白い魔石がかすかに光を放ち、散乱する魔獣の死骸の向こうに、静寂が広がっていた。




