第27話 夜襲の奔流と燃える巨岩
夜の闇を揺るがした一斉咆哮が収まるとすぐ、地鳴りのような足音が雪原の底から響き始めた。
猛吹雪が吹き荒れる中、西境界の木立の奥から、無数の黒い影が雪崩を打って押し寄せてくる。
南と東の見張りからの報告にあった通り、あちらの群れは退路を塞ぐように外縁に留まっている。
集落を正面から踏みつぶしに来たのは、西境界の樹海から雪原へ躍り出た本隊の前衛だった。
西正面の先頭を駆けてくるのは、数十頭の双頭狼だ。
四肢で泥雪を激しく跳ね上げ、雪煙を巻き散らしながら猛烈な速度で疾走してくる。
そのすぐ背後には、オークの密集集団が雪崩を打って続いていた。
大鬼をも凌ぐような巨大魔獣の影は、まだ後方の暗い木立の奥に控えている。
まずは前衛の物量で防壁を押し流す腹積もりだ。
防壁の上に並ぶダンたち自警団が、息を呑んで身を伏せた。
防壁の狭間から吹き付ける猛吹雪が、青年たちの頬を白く凍てつかせていく。
雪原を埋め尽くすような魔獣の密集前進を前に、青年たちの指先が強張っていた。
配備された十挺のクロスボウは頼もしい。
だが、この雪崩のような大軍を相手に単発の矢だけで立ち向かえば、矢を撃ち尽くしたところで壁際へ取り付かれる。
俺は防壁の石垣に手を添え、迫り来る敵の前進速度と雪原の起伏を冷静に見据えた。
凍てつく石垣を通じて、無数の足音がもたらす細かな振動が掌に伝わってくる。
「クラウス!」
防壁の梯子の下から、澄んだ声が届いた。
見下ろすと、シェリーが若者たちと集会所倉庫から木箱を運んできたところだった。
避難は完了し、集会所の板戸の内側には人がいる。今この防壁で要るのは矢だ。
木箱の中には、鋭く尖った鏃を取り付けた予備の実体ボルトがぎっしりと収められていた。
「矢の予備を持ってきた! 受け取って!」
防壁の上の青年たちが身を乗り出し、梯子の下から差し出された木箱を素早く引き上げた。
木箱が石垣の足場に置かれ、ずっしりとした重い音が響く。
「助かる、シェリー! 下を頼む!」
「うん!」
シェリーは力強く頷き、後方の集会所側へと駆け戻っていった。
前線と後方、それぞれの持ち場を守る。
背後の守りを信じ、俺は防壁の上に立ち直して前方の雪原を鋭く見据えた。
「ダン、引き金を焦るな! まだ撃つなよ!」
「は、はいっ!」
ダンが銃床を肩に当て、低く叫び返す。
青年たちも標的を見据えたまま、引き金にかける指をじっと固めていた。
吐き出す息が白く乱れながらも、狙いを定めた銃口は微動だにしていない。
木立の縁から防壁までは五十歩。
雪原へ躍り出た敵の前衛集団が、泥雪を跳ね上げながら猛烈な初速で間合いを詰めてくる。
先頭の狼たちが雪原のくぼみを飛び越え、五十歩の境界を抜けて四十歩へと迫る。
地鳴りのような足音が、吹き荒れる吹雪の風音を塗りつぶしていく。
単発のクロスボウで足を止められる距離ではない。
俺は防壁の内側、土塁の足元へ向けて右手を大きく振り下ろした。
「ボルドさん、やれ!」
「応ッ、やってやるわい!」
防壁の根元に据えられた大型投石器の前で、ボルドが太い声を張り上げた。
投石器はすでに巻き上げられ、鉄の留め具ピンで固定されている。
革の吊り袋に鎮座しているのは、大人の胴回りほどもある巨岩だ。
敵の包囲を待つ間に準備しておいた。
村の調理や灯しに使う油を、岩の表面へ念入りに塗ってある。
火を着けやすくするための工夫だった。
ボルドが燃え盛る松明を岩の表面へ押し当てる。
ジュウッと油の焼ける音が響き、塗り込まれた油が勢いよく火を吹いた。
巨岩全体が赤黒い炎に包まれ、暗闇の防壁の内側に眩い火の光が揺らめく。
「放てえッ!」
ボルドの合図とともに、投石器の男が足を踏ん張り、引き綱を力任せに引く。
ガコン!
鈍い衝撃音とともに鉄の留め具ピンが引き抜かれた。
大石を満載した木製錘箱が、強烈な自重で真下へと急降下する。
ビュオンッ!
空気を切り裂く轟音が夜空に響き渡った。
長大な投射腕が一瞬にして天空へと跳ね上がる。
革の吊り袋から解き放たれ、油を塗った炎の巨岩が雪原へ向けて撃ち出された。
燃え盛る岩が高い放物線を描く。
猛吹雪の夜闇を赤く照らし出しながら、四十歩先の雪原へ向けて急降下していった。
直進してくる先頭集団の中央へ、狙い過たず真っ直ぐ叩きつけられる。
ドガアアアン!
大地を揺るがす凄まじい破砕音が夜の雪原に炸裂した。
衝突の瞬間、巨岩が粉々に砕け散る。
大石の破砕片が四方へ弾け飛び、直撃を受けた双頭狼とオークを容赦なく叩き潰した。
骨を砕く鈍い音が重なり、肉塊と泥雪が天高く吹き上がる。
さらに、岩の表面に塗られていた油が周囲へ飛び散った。
燃え盛る油が泥雪や魔獣たちにへばりつき、着弾点を中心に炎が激しく燃え広がる。
ギャウウウッ!
グオオッ!
予期せぬ炎と衝撃に、魔獣たちの悲鳴と絶叫が夜の雪原に響き渡った。
雪原を一直線に突進していた前衛の密集陣が、中央から真っ二つに叩き割られる。
煙と火の粉が舞い上がる中、先頭の突撃列は完全に瓦解していた。




