第23話 大型投石器と羊皮紙の図面
西境界の見張り櫓の上に、冷たい風が吹き抜けていた。
手すりや床板には、数日前に降った初雪が薄く氷となって張り付いている。
俺は襟元を合わせ、隣に立つ自警団のダンとともに樹海の境界を見据えていた。
ダンは肩に試作クロスボウを担ぎ、腰の矢筒に手を添えている。
その視線の先、五十歩ほど離れた木立の奥で、雪を被った枝が不自然に揺れていた。
灰褐色の獣毛や、緑褐色の皮膚が、木々の隙間に見え隠れしている。
双頭狼とオークの群れだ。
敵は境界沿いに散開したまま、森の奥に身を潜めている。
人の背丈ほどの土塁石垣の防壁と見張り櫓を警戒し、容易には突撃してこない。
薄暗い木立の闇から、飢えた赤い瞳が村をじっと窺っていた。
「……領主代行様。奴ら、動きませんね」
ダンが息を白く吐き出し、押し殺した声で言った。
「焦って飛び出してこない分、厄介だな」
自警団に配備した十挺のクロスボウは頼もしいが、狙った敵を射抜く単射の武器だ。
木立に身を隠す相手には矢を浪費するだけで、雪原を群れで一斉に突撃された場合、十本の矢だけでは突進を止めきれない。
防壁に取り付かれる前に、密集した敵の群れを遠距離からまとめて薙ぎ払う、重量級の打撃手段が必要だった。
「ダン、見張りを頼む。少しでも敵の動きが変わったらすぐに知らせろ」
「はいっ!」
俺はダンに後を任せ、梯子を下りて広場奥の丸太小屋へ向かった。
丸太小屋の扉を開けると、竈の薪がパチパチと爆ぜる音が迎えてくれた。
部屋の中央にある木机の前で、シェリーが羊皮紙の帳簿に炭の筆を走らせている。
サイドテールにまとめた柔らかな亜麻色の髪が、手元の蝋燭の光に照らされていた。
「お帰り、クラウス。見張り櫓の様子はどう?」
シェリーが顔を上げ、ヘーゼル色の瞳を向けた。
「敵は木立の奥に潜んだままだ。本格的な包囲の形を崩していない」
俺は椅子を引き、机の前に腰を下ろした。
机の上には、村の冬支度を記した帳簿が広げられている。
シェリーが的確に差配してくれたおかげで、村の中の備えは着実に形になっていた。
「シェリー、鍛冶場からボルドさんを呼んでくれないか。防衛のことで相談がある」
「分かった。すぐ呼んでくるね」
シェリーは頷いて立ち上がり、小走りで小屋を出ていった。
しばらくすると、重い足音とともに扉が開いた。
煤けた革エプロンをつけたボルドが、太い白髭を揺らしながら入ってくる。
その後ろからシェリーも戻り、木戸を閉めた。
「呼んだか、坊主。魔物どもが動き出したか」
ボルドが太い腕を組み、だみ声を響かせた。
「いや、まだ木立の奥に留まっている。だが、敵が包囲を狭めてきている以上、雪が本格化する前に防衛の段取りを固めておきたい」
俺は机の端に置かれた納税代行の契約証書に視線を落とした。
「秋の終わりの納期まで、外からの助けはない。ロバートさんが戻ってくるまで、自分たちの力だけで魔獣を退け、村を維持し続ける必要がある」
シェリーが真剣な面持ちで頷いた。
「いつ敵が雪原を蹴って仕掛けてくるか分からないものね。防備をもう一段階引き上げないと」
「そこで、西境界の防壁に新しい兵器を据えたい。大掛かりな投石器だ」
ボルドが髭を撫でながら首を傾げた。
「投石機なら王都の工房でも見たことがあるぞ。だが、十数人の男が縄を一斉に引き絞って石を放る代物じゃ。今の村にそんな人手はねえし、人間が引っ張る程度じゃ、オークの突進を砕くような巨石は飛ばせんわい」
「縄を引く投石機じゃない。人手を使わずに巨石を撃ち出す大型投石器を造る」
「人を大勢使わずに、巨石を飛ばすじゃと?」
ボルドが目を丸くした。
「テコの長短比と、釣合錘を利用するんだ」
俺は引き出しから新しい羊皮紙を取り出し、机の中央に広げた。
炭の筆を手に取り、素早く骨組みを描き始める。
「投射腕の中心に頑丈な回転軸を通す。支点から短い側には、石を詰め込んだ巨大な錘箱を吊り下げる。長い側の先端には、弾となる石材を収める革の吊り袋を取り付けるんだ」
「……重りの落ちる力で、反対側の石を放り投げるのか」
「そうだ。持ち上げておいた錘箱を一気に落とす。箱の自重で短い腕が真下へ落ちる瞬間、反対側の長い腕がテコの原理で勢いよく跳ね上がる。先端の吊り袋が遠心力で開き、大人の胴回りほどもある巨石が高い放物線を描いて、百歩先へ叩き込まれるんだ」
ボルドが身を乗り出し、食い入るように図面を見つめた。
「資材はどうするの、クラウス? 村の木材置き場にあるのはトネリコや樫の薄板ばかりだよ。見張り櫓の丸太は全部使い切っちゃったし……」
シェリーが心配そうに問いかけてきた。
「薄板では投石器の巨大な荷重を支えきれない。だから、南の山から頑丈で太い大木を新しく伐り出す。支持架の親柱と、強い衝撃に耐える投射腕の芯にするんだ。弾にする石材も、石垣の石を切り出した南の山から運ぶ。防壁を作ったときの余り石も、まずは試射用に集めておく」
シェリーは少し眉を寄せ、思案するように指先を顎に当てた。
「南の山は大回りすれば樹海とは反対側だけど、敵が包囲を広げている今、大勢を外へ出すのは危ないよ。見張りを立てて、少人数で手早く運ばせよう。人員は私が選ぶね」
「助かる、シェリー。頼むよ。そしてボルドさん」
「おう、ワシの出番じゃな」
「投射腕を支える回転軸には凄まじい衝撃がかかる。木組みの継ぎ手を固定する帯金や、回転軸を通す太い鉄の軸受け金具を、鍛冶場で叩き出してほしい」
「任せとけ! ロバートから仕入れた地金の残りがまだ鍛冶場にある。頑丈な金具ならいくらでも鍛えてやるわい!」
ボルドが太い腕を捲り上げた。
俺は羊皮紙の上で炭の筆を滑らせ、全体の構造図を仕上げていった。
三角形を二つ組み合わせて堅固な支持架を立てる。
控え木と土台を配し、投擲の強烈な反動を四方へ逃がす。
支点を挟んだ腕の長短比率を割り出し、重石の自重を一気に長い腕の振りの速さへと変える寸法を、羊皮紙の上に描き出していった。
「……おい、坊主」
ボルドが羊皮紙の縁に太い両手を置いた。
節くれた指先が、描かれた支持架の斜材と、計算された腕の比率を丁寧になぞっていく。
「なるほどな……。三角形で組んだ土台なら、重りが落ちた時の揺れを綺麗に地面へ逃がせる。軸受けに太い鉄芯を通し、親柱の継ぎ手を帯金で締め上げりゃ、ワシらの手でも間違いなく組み上げられるぞ」
ボルドは髭をぐっと引き、確信を込めて頷いた。
だが、その視線が投射腕の長大さと、投擲予定の石材の重さに及んだ瞬間、太い指先がぴたりと止まった。
人の背丈を遥かに超える巨大な木組み。
そこに男十人がかりで運ぶような大石を詰めた錘箱を吊るし、大人の胴回りほどもある巨岩を百歩先まで放り投げる。
村の木と石と鉄だけで、城壁を砕くような一撃を生み出す計算だった。
「……よし、燃えてきたわい! すぐに鍛冶場の炉に火を入れて、軸受けの寸法を合わせるぞ!」
ボルドは太い腕を振り、立ち上がりかけた。
だが、机の上の羊皮紙に目を戻すと、描かれた寸法に息を呑み、再び図面を穴の開くほど凝視した。
俺は冷えた夜気の中で、静かに筆を置いた。




