第18話 見張り櫓と調達の目録
北西の樹海から吹き下りてくる風は、日を追うごとに冷たさを増していた。
コルト村の西境界では、土塁と石垣の内側に新しい見張り櫓の骨組みが立ち上がっていた。
太い丸太を組み、斜めの筋交いを交差させた構造だ。
まだ床板と手すりを渡しただけだが、境界の防衛線を高く見下ろす威容を誇っている。
土手脇の作業台には、麻布を被せられた試作クロスボウが置かれている。
大鬼の肋骨を渡した骨組みで、仕上げ調整を残した未射撃のままだ。
金具を打つための地金がまだ足りていなかった。
櫓の根元で丸太の継ぎ目を点検していたボルドが、太い腕を組んで見上げてきた。
「どうじゃ、坊主。骨の楔も皮の結束革も、びくともしとらんぞ」
「ああ、しっかり固定されている。丸太同士が完全に噛み合っているな」
俺は梯子を登り切り、櫓の床板へと足を乗せた。
軽く足踏みをして荷重の分散を確かめる。
四本の親柱と交差させた筋交いが、横からの揺れを綺麗に逃がしていた。
木組み特有のきしみはあるが、歪みやぐらつきはない。
釘を使わず、木材の刻みと大鬼の素材だけでこれだけの剛性を出せるのは、ボルドの腕前のおかげだった。
手すりに手を添え、前方の視界を見渡す。
西境界の防壁越しに、北と西を囲むガルム樹海が一望できた。
丸太柵の隙間や土塁の上からは見えなかった木立の窪みや起伏の影が、手にとるように見通せる。
樹海の縁から防壁に至る死角は、大幅に解消されていた。
「これなら、木立の陰に潜む魔物も事前に見つけられますね」
横で声をかけてきたのは、自警団のダンだった。
革の胸当てを身につけ、手には木槍を握っている。
「ああ。高い位置から周囲を見下ろせれば、敵の侵入路を早い段階で特定できる。不意を突かれる心配はずっと減るはずだ」
吹き抜ける北風が衣服を激しく揺らす。
秋の冷気を含んだ風が、木々の葉を乾いた音で鳴らしていた。
その時、ダンが視線を樹海の一点へと固定した。
身を乗り出すようにして目を凝らす。
「……領主代行様、あそこを見てください」
ダンが指差したのは、西境界から北西へ数百歩ほど入った樹海の深部だった。
黒々とした原生林の一角で、何本もの巨木の梢が不自然に激しく揺れている。
直後、木立の隙間から黒い鳥の群れが一斉に飛び立ち、南の空へと逃げ去っていった。
風に乗って、湿った土を蹴る獣たちの重い足音と、低い唸り声が届く。
「樹海狼か……? いや、それだけじゃねえ。もっと足音の重い奴らも混ざってるぞ」
ダンの声が強張った。
「秋が深まってきて、森の奥の魔物どもが落ち着きをなくしてるんでさあ。毎年この時期になると、樹海の深いところにいる奴らが活発に動き回るんだ」
「冬を控えているからだな」
俺は手すりを握り直した。
樹海が冬の極寒に閉ざされる前に、魔物たちも獲物を求めて活動領域を広げる。
大鬼が村のすぐ外まで現れたのも、森の奥での縄張り争いや獲物の奪い合いが引き金だった。
このまま秋が進めば、飢えた魔獣の群れが境を越えて押し寄せてくる可能性は極めて高い。
「防壁の完成を急ぐ必要があるな。それと、村人たちが扱える遠距離の武器もだ」
作業台に置かれた試作クロスボウを見下ろす。
俺の連動式クロスボウは、俺の魔力と意識が繋がっている間しか働かない。
複数の境界から魔獣が同時に押し寄せてきた場合、俺一人で防壁全体の火力を支え切ることは不可能だ。
自警団や村人たちが遠くから安全に射撃できるクロスボウ部隊の結成は、冬越えに向けた生命線だった。
だが、その量産と仕上げに必要な地金はまだない。
防壁を補強する金具も、すべて鉄を待っている状態だった。
「降りるぞ、ダン。小屋へ戻って物資の準備を進める」
「はいっ!」
俺たちは梯子を下りた。
待っていたボルドに樹海の様子を手短に伝え、三人で広場奥の丸太小屋へと向かった。
丸太小屋の扉を開けると、シェリーが木机で羊皮紙の帳簿を広げて待っていた。
亜麻色の髪をサイドテールに結び、手には炭の筆を握っている。
「お帰りなさい、クラウス、ボルドさん。櫓の様子はどうだった?」
「骨組みの強度は十分だ。死角も大きく減った」
俺は椅子を引き、机の前に腰を下ろした。
「だが、樹海の奥で魔獣の蠢きが活発化している。梢が激しく揺れ、鳥の群れが逃げ出していた。足音から見て、群れの規模も小さくない」
シェリーは表情を引き締めた。
「やっぱり、森の奥が騒がしくなっているんだね。もうすぐ雪が降り始めるし、寒くなれば村は孤立しちゃう。今のうちに、冬に向けた備えを一気に固めないと間に合わないよ」
「ああ。行商人ロバートとの次の取引が、村の命運を分ける」
シェリーは帳簿の隣から一枚の羊皮紙を引き寄せた。
各作業班の希望と最低限の備蓄量が書き留められている。
「ロバートさんに渡す調達目録の草案だよ。本家への納税準備を崩さない範囲で、食料庫の塩と穀物、新農地に蒔く冬野菜の種苗を仕入れたいよ」
「水路が通った今なら、種さえあればすぐに植え付けができるな」
「それと、ワシの頼みじゃ」
ボルドが太い身を乗り出した。
「鉄の地金じゃ。土塁石垣の要所を固定する金具がどうしても要る。それに何より試作クロスボウじゃ。回転爪の軸受けや引き金の噛み合わせ、レバーの接合部には、叩き締めた鉄の金具が要る。自警団に配る分も含めて、インゴットで数塊は仕入れてもらわにゃ困るわい」
樹海奥の魔獣の蠢きを目にした今、防壁金具とクロスボウ量産のための地金は急務だった。
「分かっているよ、ボルドさん。地金は防衛の要だもの。削るわけにはいかないよ」
シェリーが頷き、炭の筆で羊皮紙の項目に数字を書き加えていく。
「納税への充当を最優先にして、換金できた分の枠から冬越え用の岩塩二樽、保存用穀物五袋。新農地用の冬根菜の種袋を三つ。そしてボルドさんの鍛冶場へ回す鉄の地金を五塊。これで目録の枠を締めるね」
書き終えたシェリーが羊皮紙を差し出した。
項目の並びと数量を目で追う。
現場の不足を埋めるための実用的な品目が並んでいた。
「過不足はないな。ロバートが来たら、このリストで交渉に入ろう」
「よし、決まりじゃな。ワシは鍛冶場へ戻って、地金を受け取ったらすぐに火を入れられるよう炭を砕いておくわい」
ボルドは椅子から立ち上がり、力強い足音を立てて小屋を出ていった。
夜になり、板壁の隙間から冷たい風が細く吹き抜けていた。
机の上の一本の蝋燭が、手元を小さく照らしている。
シェリーが棚の木箱から、清潔な布に包まれた塊を取り出して戻ってきた。
机の中央に置かれ、布が静かに開かれる。
大人の男の拳ほどもある、大鬼の赤き魔石が現れた。
内部の微細な光の粒子が、蝋燭の炎を浴びて鈍く照り返している。
討伐から二十日近くが過ぎていたが、結晶の輪郭には欠けも曇りもなく、深みのある赤色を保っていた。
シェリーは布を持ち上げ、魔石を丁寧に包み直した。
机の端に置かれた調達目録の羊皮紙と、包み直された赤き魔石。
包みを木箱へ戻し、蓋を閉めたシェリーが息を吐いた。
「これで、必要なものはすべて書き出せたね」
「ああ。あとはロバートとの交渉次第だ」
机の調達リストを丸め、革紐で縛った。
外の木立が風に揺れ、乾いた擦れる音が低く窓を打っていた。




