雨宿り二十人、鍋は一つ、たれは三つ
雨は、客より先に店へ入ってきた。
横殴りの風が扉を押し開け、冷たい飛沫を客席の半分まで運んだ。
ピコが扉へ飛びつく。
「閉めて!」
「外に人がいる!」
石畳を走ってきた荷運び人が三人。頭へ籠をかぶった親子。外套を抱えた老人。東門からはガランと交代組が四人。
その後ろにも、雨に追われた町人がいた。
「入って!」
ルチアが椅子を下ろす。
十二席はすぐ埋まった。
座れない者は壁際へ。パン屋のベルンとサラが、空の黒パン籠を椅子代わりに並べる。ダグは入口の上へ布を打ちつけ、雨が直接入らないようにした。
ニアは翼を畳み、子ども二人を左右へ入れて雨除けになる。
「二十人」
ルチアが数えた。
「厨房を入れれば二十三」
「私は客?」とピコ。
「働けば店側」
「じゃあ店側」
竈の前へ戻った。
アキラは食材棚を開ける。
琥珀鶏一羽。薬草院の札がついた森茸。雲芋三つ。乾燥豆。蜜玉葱二つ。黒パンは朝の残りが六枚。
森茸は、椎茸に似た茶色い傘を持つ茸だ。ただし傘は手のひらほどあり、裏には薄緑のひだが走っている。生の匂いは湿った落ち葉に近いが、煮ると木の実のような香ばしさが出る。この世界の茸は似た姿でも毒の有無が違うため、薬草院の検査札がある物しか店では使わない。
一人前の料理を二十皿は作れない。
全てを一つにすれば、薄い鍋なら届く。
「温かい物、出せます!」
客席へ声をかけた。
「銅貨一枚。量は小椀。味はお任せになります」
ルチアがすぐ条件を足す。
手が十五本上がった。
子ども二人と老人には、サラが銅貨をまとめて置く。ガランは自分を指さしてから、指を二本立てた。
「大椀はありません」
「小椀二つ」
「一人一つ」
「なぜだ」
「二十人いるから」
ガランは周りを見た。反論せず、一番大きな小椀を探し始めた。
アキラは鶏を捌いた。
骨と首は水から鍋へ。血や汚れを丁寧に除き、弱い火で出汁を取る。肉は小さく切り、皮は細く刻む。
乾燥豆は朝から戻してあったもの。雲芋は皮ごと蒸して安全を確認し、大きな角切りにする。森茸にはメルの札があり、軸まで食べられる。石づきを落として手で裂いた。
「何から入れる?」
ピコが訊く。
「豆。次に鶏。雲芋は崩れないよう後半。茸は香りを残して最後」
「皮は?」
「先に焼く」
大鍋の底で鶏皮を炒める。
縮れた皮から琥珀脂が出て、底へ薄く広がった。蜜玉葱を入れ、縁が透けるまで炒める。そこへ骨出汁と豆を加えた。
湯気が上がる。
濡れた客たちの顔が、少しずつ鍋の方を向いた。
「豆蜜を多めに」とガラン。
「子どもがいるから薄く」とサラ。
「香草を入れて」と、森人の老人。
「辛い物はないのか」と荷運び人。
四方向から注文が飛んだ。
アキラは豆蜜の壺を持った。
一つの鍋だ。全員が温まる味にまとめるなら、少し甘く、少し濃い味がいい。
豆蜜を一匙。
もう一匙入れようとすると、ルチアが壺の口を手で塞いだ。
「その二匙、子どもと森人の椀にも同じだけ入れるの?」
「雨の日は、濃い方が温まります」
「猫舌の子と、森人の老人と、夜番明けの門番が同じ?」
「鍋は一つです」
「鍋は一つ。たれの小皿なら三つ置ける」
前世の店で、大鍋のカレーを作ったことがある。
一番多くの人が好む辛さに決めた。甘口を頼んだ子どもには牛乳を足し、辛口の客には粉を振った。
全員に合わせたつもりだった。
誰にとっても、少し違う味になった。
アキラは豆蜜の壺を置いた。
「出汁は薄くします」
「薄いまま出すの?」とピコ。
「卓上で決めてもらう」
三つの小鍋を火へかけた。
一つ目は豆蜜と樹蜜を少量。鍋の出汁で伸ばし、甘じょっぱくする。
二つ目は青酸果の汁。青酸果は青い皮の小さな柑橘に似ていて、切ると鼻の奥がすっとするほど鋭い香りを出す。名に「酸」とつくとおり、果汁は檸檬より強く酸っぱい。塩と刻み蜜玉葱を合わせ、その角を丸くする。
三つ目は森香草。熱い琥珀脂を注いで香りを出し、少量の塩を混ぜる。
「辛いのは?」と荷運び人。
ザックが雨を避けて軒下から顔を出した。
「火香辛料ならある」
「どうしているんですか」
「《火角亭》も雨漏りした。客を北門の倉庫へ移してきた帰りだ」
小袋を放る。
「香草だれへ少し入れろ。入れすぎると子どもが泣く」
「ザックさんの基準では?」
「俺の基準なら大人も泣く」
火香辛料は、赤唐辛子をさらに小さくしたような深紅の実を、種ごと乾かして挽いた粉だ。舐めれば舌だけでなく喉まで熱くなる。鍋へ混ぜれば辛い物が苦手な客は戻せなくなるので、別の小壺にした。
鍋へ鶏肉、雲芋、最後に茸を入れる。鶏肉の赤い部分が消え、汁が澄み、雲芋の中心まで熱が届くのを確かめた。茸は煮すぎず、香りが立ったところで火を弱める。
二十個の小椀へ、具の数を揃えてよそう。
ピコが豆を数え、ニアが壁際まで運ぶ。翼を広げられない店内では、彼女も普通に二往復した。
「飛んだ方が早い」
「天井を直したばかりよ」とルチア。
「歩く」
三つのたれと火香辛料が、卓と籠の上へ置かれた。
最初は誰も手を伸ばさなかった。
「どれを入れればいい」
ガランが訊く。
「匂いを嗅いで、最初に腹が向いたものを」
「料理人が決めろ」
「今日は決めません」
アキラが答えると、ガランは不満そうに甘い豆蜜だれを取った。
隣のミミナが青酸果だれを入れる。
「その青酸果だれ、うまいのか」
「隊長のよりは」
互いの椀を一口ずつ交換した。
子どもは甘い豆蜜。母親は青酸果。森人の老人は香草脂を雲芋へ載せた。荷運び人は火香辛料を振りすぎ、咳き込んで黒パンを求める。
ザックが自分で青酸果を足した。
「辛さを消すなら水より酸だ」
「最初から教えてください!」
「一度泣いた方が量を覚える」
鍋は同じなのに、客席から上がる匂いが少しずつ違う。
豆蜜を入れた椀では鶏脂の甘みが強くなる。青酸果は豆と雲芋を軽くする。香草脂は、噛んだ茸のあとに森の匂いを残した。
最初の鍋が空になった。
「おかわり」
声が三つ、同時に上がる。
「甘い方」
「酸っぱい方」
「今度は香草」
違う注文だった。
「一人一椀です」とルチア。
客席から落胆の声が出る。
アキラは鍋底を見た。具はない。骨出汁と、崩れた豆が少し残っている。
黒パンを三枚、賽の目に切る。鍋底の汁を吸わせ、三つの小椀へ分けた。
「味比べ用。三人で交換してください」
三椀は卓の中央へ置かれた。
誰のものでもないから、全員が一匙ずつ味見した。甘い鍋底、酸っぱい鍋底、香草の鍋底。最後は火香辛料を入れすぎた荷運び人が、甘い一匙を奪っていった。
雨が弱くなる頃、二十の椀は空になった。
客たちは、借りた籠をパン屋へ返し、濡れた外套を肩へ掛けた。入口の小札には、自分が選んだたれの形を残していく。豆、果実、葉。荷運び人だけは、赤い舌を出した炎を描いた。
豆が八、果実が七、葉が五。炎が一。
「二十一あります」とピコ。
「一人で二つ描いた人がいるわね」
ルチアが、炎の横へ寄り添った小さな豆を指した。火香辛料で咳き込んだあと、甘い鍋底を奪っていった荷運び人だ。
「明日は、豆蜜を多めに仕込みますか」
アキラが訊くと、ルチアは三枚のたれ皿を順に持ち上げた。豆蜜は底へ薄く残り、青酸果は半分、香草脂はほとんど空。
「豆蜜は八人でも一匙ずつ。香草は五人で、皿を空にした」
「では三つとも。減らすのは青酸果だけにします」
「炎は?」とザック。
「あなたが袋を持ってきた日だけです」
「高くつくぞ」
「泣いた人が払います」とルチア。
当の荷運び人は、雨上がりの扉からもう一度顔を出した。
「明日も辛いの、あるか」
「小さじ一杯ではなく、匙の先からにしてください」とアキラ。
「俺の口だ。俺が決める」
「では、黒パン代も持ってきて」
ルチアに言われ、男は赤い舌をしまった。返事はせず、濡れた石畳を西門の方へ走っていく。
扉を閉めると、店には水たまりと、泥の足跡と、二十人分の空椀が残った。
ニアが畳んでいた翼を広げかける。
「外でやって」とルチア。
「もう雨だよ」
「中で振ったら、もう一度二十人分濡れる」
ニアは翼を半分だけ開き、青い羽根を一枚ずつ布で挟んだ。子ども二人を左右へ入れていた場所だけ、羽毛が逆立っている。アキラも反対の翼を拭こうとしたが、どこまで触れてよいか分からず手を止めた。
「そこ、くすぐったい」
「では自分で」
「料理人、諦めるの早い」
結局、ニアが羽根を持ち上げ、アキラが先だけを拭いた。絞った布から雨水が細く落ちる。昨日直した天窓は一滴も漏れていないのに、厨房の床は翼一人ぶん、また濡れた。
「修理代へ床拭きも足す?」とピコ。
「増やさないで!」
ニアは自分の水たまりだけ、足で布を滑らせて拭いた。
「働けば店側って、言わなければよかった」
ピコは桶へ両手を入れた。湯を吸った指先が、すぐ皺になる。
「客側なら、椀を洗わず帰れましたね」とアキラ。
「鍋底も食べられた」
「そちらが本音でしょう」
鍋底には、崩れた豆と黒パンの角が三匙ぶんだけ残っていた。アキラは湯を少し足し、木べらで焦げをこそげる。鶏脂の甘い膜がほどけ、冷えかけた店へ、もう一度だけ湯気が上がった。
三つの小椀へ同じ量を分ける。
ルチアは青酸果。ピコは炎へ手を伸ばし、ザックに袋ごと取り上げられた。
「子どもは甘い方だ」
「さっき、大人も泣くって言った」
「泣く量を入れたがる子どもには渡さん」
ピコは渋々、豆蜜を一滴落とした。アキラは何も入れず、まず薄い出汁を飲む。二口目へ香草脂。三口目は、ルチアの青酸果を一滴だけもらった。
「料理人が一つに決めてない」とピコ。
「三匙ありますから」
椀を洗い終えるころ、外でまた雨粒が鳴り始めた。今度は扉を開ける人はいない。
十二脚の椅子を拭き、卓の上へ逆さに戻す。黒パン籠の跡がついた二か所だけ、床の色が四角く乾いていた。
最後に三枚のたれ皿を洗う。甘い匂い、酸っぱい匂い、森の匂いが水の上で一度混じり、流しの穴へ別々に消えた。




