売れ残りの音を聞く少年
「黒パンが半籠。栗豚の端肉が二包み。雲芋が七つ」
少年は厨房へ入るなり、指を三本立てた。
「全部、今日の昼鐘までなら安く買える」
「あなたは誰」
ルチアが帳面を閉じる。
「情報代、銅貨一枚」
「名前を訊いたの」
「名前も一枚」
「帰って」
「ピコです。今のは無料」
少年は十三歳ほど。日に焼けた頬に、黒い髪があちこち跳ねている。大きすぎる茶色の上着を腰紐で縛り、首から木札を六枚下げていた。
市場の店名が書かれた使い走り札らしい。
「ベルンさんから来たの?」
アキラが訊く。
「黒パンは。豚は肉屋のグスタ。雲芋は青靴の三人が薬草院で赤茸を捨てさせられたあと、採り直したやつ」
「あの人たち、本当に採り直したんですね」
「研究員が一個ずつ切って、蒸せば食べられる札をつけた。赤茸の代わりに置いていったけど、誰も買い方を知らない」
ピコは鼻を動かした。
「ここなら買うと思った」
「どうして?」
「昨日、雲芋の皮がごみ箱にあったから」
ルチアの目が細くなる。
「ごみ箱を漁った?」
「見た。漁ってない」
「違いは」
「手を入れてない」
少年は両手を見せた。爪の間まで、意外なほどきれいだった。
「盗みもしてない。店が売れ残り札を出したら走る。欲しい店へ教える。売れたら店から半枚、買った店から半枚」
「銅貨を割るの?」とアキラ。
「五件集めてまとめてもらう」
「面倒な商売ね」とルチア。
「だから誰も真似しない」
ピコは胸を張った。
ルチアは三つの情報を帳面へ書き、銅貨一枚を卓へ置いた。
「雲芋だけ買う。黒パンは契約分が来る。栗豚の端肉は、脂と赤身の割合を見てから」
「雲芋だけなら、情報は三分の一枚」
「全部使えるかは私が判断した。交渉料込みで一枚」
ピコの手が銅貨へ伸び、途中で止まった。
「豚も見に行けば買うかもしれない?」
「割合がよければ」
「取ってくる」
「待って。お金を持っていかないと」
「売り切れる」
ピコは店を飛び出した。
入口の鈴が、三度揺れた。
「市場にも、ニアみたいな人がいるんですね」
「飛べないだけ、あの子の方が危ないかも」
半刻もしないうちに、ピコは雲芋七つと栗豚の端肉を抱えて戻った。
後ろから肉屋のグスタが、代金を取り立てに来ている。
「買うって言った!」
「割合がよければ、と言ったの」
「よかった!」
「お前が決めるな!」
肉屋がピコの頭を軽くはたいた。
包みを開く。
栗豚は、秋になると栗林へ放して育てる、この土地の豚だ。肉の色は普通の豚肉と変わらないが、脂だけが淡い金色をしている。包みを開くと、生肉の匂いに混じって、炒った栗に似た甘い香りがかすかに立った。
入っていたのは肩、腿、脂の端で、大きさも厚さもばらばらだった。形のそろった生姜焼きやカツには使いにくい。それでも赤身には張りがあり、脂もべたついていない。細かく刻んで全体へ散らす料理なら使える。
ルチアが値を決め、グスタへ銅貨を渡す。
「次から、先に包みを見せて」と言うと、ピコはもう調理台の雲芋を見ていた。
「昨日はどうやって売ったの」
「花蜜バターと焦がし豆だれ」
「今日は?」
「同じ物を出す手もあります」
アキラは答えたが、昼の客へ七つ全部を同じ形で売れるかは分からない。
雲芋は、外が栗のようにほろりと崩れ、中心だけ餅のように粘る。量の少ない栗豚を混ぜても、その粘りなら肉と玉葱を抱え込める。売れ残った黒パンからは、揚げ衣にするパン粉も取れた。
「コロッケにします」
「ころ?」とピコ。
「芋へ炒めた肉を混ぜ、衣をつけて油で揚げる料理です」
「売れる音がする?」
「音?」
「肉屋が包みを閉じる音、パン屋が籠を重ねる音、青靴の人が薬草院で怒られる声。聞けば、何が余るか分かる」
「最後だけ音が大きそうね」とルチア。
ピコは竈の脇へしゃがんだ。
「揚げる音なら、もっと分かる」
「油を扱ったことがあるの?」
「市場の豆揚げ屋で、鍋洗いをしてた」
「してた?」
「油を熱くしすぎるなって言ったら、店主より先に言うなって追い出された」
「言い方の問題かもしれない」
雲芋を皮ごと蒸す。薬草院の札どおり、皮の筋が白くなり、中心の黄輪が重なるまで待つ。
その間に栗豚を細かく刻み、蜜玉葱と一緒に炒めた。脂が透明になり、肉の赤みが消えてから豆蜜を少量。水分が残らないところまで鍋を振り、皿へ広げて冷ます。
蒸し上がった雲芋の皮を剥く。
木べらで潰すと、外側は粉のように崩れ、中心は糸を引いた。温かいうちに肉を混ぜる。白い芋の中へ、栗豚の茶色い粒と玉葱が散った。
「丸くする?」
ピコが訊く。
「最初は」
手へ油を薄く塗り、拳半分の丸形へまとめる。
細かな黒パン粉を押しつけ、月卵へくぐらせ、外側には粗く砕いたパン粉。内側の細かな衣が隙間を塞ぎ、外側の粗い衣が歯触りを作る。
鉄鍋の油へ、パン粉を一粒落とした。
底へ沈み、すぐ浮く。
「少し熱い」とピコ。
「最初は表面を固めたい」
試作を一個、静かに入れる。
しゅわ、と細かな泡が丸形を包んだ。黒パン粉が薄い茶色から、濃い狐色へ変わる。
アキラは火を少し弱めた。
次の瞬間、衣の一本に亀裂が走った。
白い雲芋が、細く押し出される。
ぱん、と油が跳ねた。
アキラは鍋から顔を背け、長い網で試作を引き上げた。ルチアが反射的に鉄蓋を持ったが、水桶には手を伸ばさない。
「割れた」
ピコが鍋の音を聞いている。
「中心の粘りが膨らんだ。もっと火を落とします」
薪を一本抜いた。
二個目を入れる。
泡の音が、しゅう、と低くなった。
「違う」とピコ。
「何が」
「静かすぎる」
「割れない方がいいでしょう」
「でも、衣が油を飲んでる」
二個目を上げる。割れてはいない。だが衣の色は鈍く、網の上で油がいつまでも落ちた。
端を切って味見する。
衣が重い。雲芋の甘みより先に油が舌へ残る。
「油を下げるんじゃなくて、中を薄くすれば」
ピコが手で丸を押し潰した。
「小判形か」
「コバン?」
「平たい形です。中心までの距離が短くなる」
「その平たい形。あと、真ん中を少しへこませる。豆揚げも、真ん中だけ火が入るのが遅いから」
アキラは三個目を、薄い楕円へ作り直した。中央を親指で少しくぼませる。衣をつけたあと、表面をしばらく置いて落ち着かせた。
油の火を戻す。
パン粉を落とす。
今度は、細かな泡をまとってすぐ浮いた。
「今」とピコ。
三個目を入れる。
しゃああ、と明るい音が立った。
丸形より泡が均一に出る。縁が先に固まり、中央のへこみまで同じ色へ近づく。返すのは一度だけ。
網へ上げると、油が細く切れた。
少し休ませ、包丁を入れる。
ざくり。
粗い衣が割れ、その下から白い湯気が上がった。雲芋は中心だけ少し伸び、栗豚の脂と豆蜜が筋の間に留まっている。
ピコは切った半分を持ち上げた。
「熱いですよ」
「知ってる」
右、左と持ち替え、息を吹きかける。それでも待ちきれず、端を齧った。
衣を噛む音がした。
次に、粘る雲芋が少し伸びる。栗豚は量が少なくても、噛む場所ごとに脂と肉の香りを出した。
ピコは残り半分を口へ入れた。
「市場で売れる」
「まだ一個しか成功していません」
「だから今から作る」
少年は勝手に手を洗い、雲芋を潰し始めた。
ルチアがその手元を見る。
「手伝い代は」
「売れた分の一割」
「皿洗い半日と、売れ残り情報で一割」
「二割」
「増やさない」
「じゃあ、余った一個」
「売れ残ったらね」
昼鐘までに、小判形のコロッケが二十四個できた。
ピコは木箱へ並べ、市場へ走った。アキラとルチアは店を開けるため残る。
半刻後。
空の木箱を頭へ載せ、ピコが戻ってきた。
「余らなかった」
「残念だったわね」とルチア。
「二十三個は市場で売った。最後の一個は、俺が買った」
ピコは首から下げた自分の小袋を振った。空の音がした。代わりに上着の内側が、一個ぶん丸く膨らんでいる。
「売上袋へ、自分の一枚も入れた?」
「入れた。働いた分をもらう前に」
「明日も、売れ残りを集めれば作れる?」
「同じ物が同じ値段で残るとは限りません」
アキラが言う。
「分かってる。だから聞いてくる」
ルチアは売上を数え、材料費と油代を除き、約束した一割をピコへ渡した。
「明日から半日。皿洗いと市場情報」
「飯は?」
「売れ残らなかった物を一食」
「働いた人が、店の飯を食べるやつ?」
「まかない、と言っていました。前の店では」
「その言葉は無料?」
「言葉だけなら」
ピコは買った一個を大事そうに上着へ入れた。
「熱いから、包んで」とルチア。
「知ってる」
そう言いながら、少年は右、左と持ち替えていた。
翌朝、ピコは市場の音を三つ持って戻った。パン屋の端切れは昼前に売れ、肉屋の脂身は雨なら残る。青果屋の蜜玉葱は、小さい物ほど袋の底へ集まる。
「見たの?」
「聞いた。パンの籠は軽い音になった。肉屋のおばさんは雨雲を見ると、脂を別の皿へ移した。玉葱は転がる音が鈍い」
アキラは半信半疑で市場へ一緒に行った。パン屋の籠は、確かに昨日より空だった。肉屋の脂身は、ピコの言う通り端へ寄せられている。
「盗んで追い回されるより、余る音を聞いて銅貨をもらう方が、腹が減らないだろ」
ピコは急に言った。
「すごいですね」と言いかけて、アキラはやめた。
「明日は、値段も聞いてきてください。安くても、古すぎる物は買いません」
「分かった。料理人は、余り物なら何でも喜ぶと思ってた」
「食べる人がいる物だけ、喜びます」
店へ戻ると、ピコは初めて自分から皿を洗った。水音が軽くなった頃、彼は厨房脇の小さな椅子へ座り、まだ熱の残るコロッケを半分に割った。もう半分は、通りの年下の子へ渡した。
「明日も余るといいな」
「売れ残らない方がいいでしょう」とルチア。
「じゃあ、俺は売り切れる前に食べる」




