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黄身がほどける茶碗蒸しと、研究員の二杯目

 研究員は、昨日の雲芋の皮を数えた。


「三個ですね」


「見れば分かるでしょう」


 ルチアが答える。


「可食部の総量を推定しています。皮の厚さから、成熟度は中。青い土は翠冠森の外縁。採取後、一日以内」


 女は卓に並べた皮を細い棒で裏返した。


 長い髪は、乾いた草のような薄緑色。耳の先が少し尖っている。白い外套の胸元には、薬草院の銀印が縫いつけられていた。


 朝一番に来店し、挨拶より先に「雲芋を食べさせた料理人はどこです」と訊いた人である。


 アキラは調理台の前で、素直に手を上げた。


「私です」


「雲芋の毒性は、どう確認しましたか」


「僕の能力ではできません」


 メルの細い棒が、雲芋の皮の上で止まった。


「森番の手順を知るシアさんに聞きました。生では痺れるから、先に切らず、皮ごと蒸す。皮の筋が白くなったあとも待って、中心まで火を通しました」


「あなた自身は雲芋を知っていましたか」


「いいえ」


「では、次から私を呼んでください」


「怒らないんですか」


「森番から下処理を教わった人が、その場にいたのでしょう。生では食べず、最初の一個を蒸して確かめた。食べた人にも異常は出ていない。なら、怒るところはありません」


 女は皮を一枚、鼻先へ近づけた。


「ただし青靴隊は、食べられる物と食べてみたい物の区別が曖昧です」


「そこは同意するわ」


 ルチアが頷いた。


「特にボルクさんは、一度生で齧っています」


「あの人は毒見に数えません。毒があっても食べますから」


 研究員は断言した。


「メル・ソーニャ。翠冠森薬草院の食用植物研究員です。町では月卵と森茸の保存変化を調べています」


「神谷アキラです」


「知っています。不審者の料理人」


「そこまで広がっているんですか」


「門番詰所の記録にあります」


 役所へ連れていかれなくても、記録には残っていた。


 メルは小さな木箱を卓へ置いた。


 中には月卵が六つ。こちらの世界で鶏卵の代わりに使われる卵で、大きさも鶏卵とほぼ同じだ。ただし殻は乳白色で、片側に三日月形の青い模様がある。名の由来は、その模様らしい。


 一個を持ち上げると、殻越しに中身が重く揺れた。白身は水のように動くのに、黄身だけは丸いまま、遅れてついてくる感触が指へ伝わる。


「検査の謝礼です。昨日採れた物です。月卵はもともと鶏卵より黄身が固まりにくいのですが、その中でも差が大きい物を選びました」


 アキラの視界に輪が浮かぶ。


 白身の周りには細い黄。黄身の周りには、もっと厚い輪。白身が固まる温度でも、中心は流れたまま残る。


「料理できますか」


「試してみたいです」


「食べたい、ではなく?」


「両方です」


 メルは帳面を開いた。


「信用できます」


「今ので?」


「自分でも食べるなら、失敗を『客の好み』だけで片づけにくいでしょう」


 ルチアが卵箱を覗いた。


「六つ全部は使わないで。残りは朝の卵巻きにする」


「三つ借ります」


「二つ」


「試作を含めて三つ」


「失敗する前提で高い卵を数えないで」


「成功する前提なら二杯しか作れません」


「一杯を半分ずつ食べればいい」


 メルが二人の間へ卵を三つ並べた。


「三つ使ってください。料理結果も研究資料です」


 ルチアは卵を見て、それからメルの帳面を見た。


「完成品を一杯、研究料として買って」


「妥当です」


 話が決まった。


 アキラは琥珀鶏の骨から取った澄まし出汁を温めた。沸かさない。表面に浮いた脂を布で取り、匙で塩を一つまみ。


 月卵を割り、白身と黄身を分ける。


 橙色の黄身は丸く盛り上がり、器を傾けてもすぐには崩れなかった。白身は普通の卵よりさらりとしている。


「黄身を最初から混ぜないのですか」とメル。


「固まる時間が違うなら、別々にした方が面白い」


 白身を泡立てないよう箸で切り、ぬるい鶏出汁を少しずつ混ぜる。細かな泡を匙で取り、布で一度こした。


 器の底には、火を通した琥珀鶏の腿肉と薄切りの蜜玉葱。白身の出汁を注ぐ。


 蒸し鍋の湯が沸いたところで火を弱めた。


 器を三つ並べ、蓋との間へ布を挟む。落ちる水滴で表面を荒らさないためだ。


「強い蒸気では駄目なの?」


 ルチアが訊く。


「急に固めると、出汁が外へ出ます」


「急いでいる客には」


「別の料理を出します」


「では、昼鐘前の持帰り札には載せない」


「朝と、席へ座れる人向けですね」


 ルチアは持帰り札の裏へ《蒸し物なし》と書いた。


 蒸し鍋の中を確かめる。器を傾けると、表面がひとかたまりでゆっくり揺れた。まだ中心は柔らかい。


 それぞれへ黄身を一つずつ落とす。


 橙色の球が、白い表面を少しくぼませて座った。


 もう一度蓋をする。


 黄身の周りの輪は厚いまま。白身側の輪だけが細くなっていく。



「《旬眼》で何が見えて、何が見えないのかを記録します」


 メルが帳面へ《塩》と書き、筆先を止めた。


「見えません。味見します」


 《好み》。そこにも横線。


「本人に訊きます」


 最後に《毒》と書かれる前に、アキラは首を振った。


「それも見えません。あなたを呼びます」


「では、見えるのは?」


「水分と香りが逃げ始める時です。今は白身の方が先に細くなっています」


 メルは初めて、少しだけ口元を緩めた。


 白身の輪が重なる直前で火を止めた。蒸し鍋の余熱へ短く置き、器を出す。


 表面は白く、中央に月のような黄身がある。


 味が淡いかもしれない。


 アキラが香草塩へ手を伸ばす。


「待って」


 ルチアが手首を押さえた。


「まだ食べてないのに」


「黄身の匂いが濃い。香草を載せたら、鶏の出汁が消える」


「塩だけなら」


「中に入れたでしょう」


 アキラは香草塩から手を離した。


 三つの器を客席へ出す。


 最初の一杯はメル。二杯目はルチア。三杯目はアキラが味見用に置いた。


 メルは表面へ匙を入れた。


 白い蒸し卵は刃の跡を保ち、すぐに澄んだ出汁をにじませる。その下から鶏肉と蜜玉葱が現れた。


 次に、黄身へ匙の先を当てる。


 薄い膜が切れた。


 橙色の黄身がゆっくり流れ、白い蒸し卵の割れ目へ入っていく。


 メルは黄身、白身、鶏肉を一匙へ載せ、口へ運んだ。


 帳面を開く。


「白身部は澄まし出汁の塩味を保持。黄身部は脂肪感が強く、琥珀鶏の胡桃香と――」


 二口目を食べる。


「蜜玉葱の糖分が、後から」


 三口目。


 筆が止まった。


 黄身を多くすくい、鶏肉へ絡める。今度は記録せず食べた。


 ルチアも一匙口へ入れた。何も言わず、香草塩を棚の奥へ戻す。


 アキラは自分の器を半分食べた。


 最初は澄んだ鶏出汁。白身を噛むというより、匙で崩すたび汁が戻る。黄身は熱いのに固まらず、舌の上で濃いソースになった。蜜玉葱の甘みは、飲み込んだあとに残る。


 香草を足さなくてよかった。


「残り、食べますか」


 アキラがルチアへ訊く。


「料理人が一杯食べて」


「研究用に味の変化を確認します」


「そういう顔じゃない」


 笑われた。


 メルの器は、もう空だった。


 彼女は帳面を閉じる。


「研究結果として、追加を希望します」


「月卵は残り三つ」とルチア。


「一つは私が持参した分です」


「完成品は別料金」


「払います」


 メルは銅貨を卓へ置き、空の器をアキラの前へ出した。


「普通に、もう一杯ください」


 今度は帳面を開かなかった。


 ルチアが銅貨を数える横で、アキラは二杯目の蒸し鍋へ水を足した。


「次に青靴隊が何か持ってきたら、先に薬草院へ知らせます」


「お願いします」


「特に茸。ボルクが色で選ぶと、だいたい危険です」


 その日の夕方、店の戸口に青い長靴が三足並んだ。


 ボルクが籠いっぱいの赤い茸を掲げる。


「料理人! 腹にたまりそうなのを採ってきたぞ!」


 メルは二杯目の匙を置いた。


「捨ててください」


「まだ何もしてないぞ」


「だから間に合いました」


 メルは椀を持ったまま立ち、籠の前で赤い茸を一つだけ裏返した。ひだの根元に白い粉があり、傷をつけた柄から乳色の汁がにじんでいる。


「これは煮ても駄目です。胞子を吸うだけでも喉を傷めます。外へ置いて、手を洗ってください」


「腹にたまりそうな色だったのに」とボルク。


「赤い鎧も、腹にたまりそうに見えるでしょう」


「食えないぞ」


「それと同じです」


 言い返せずにいる青靴隊へ、アキラは残っていた月卵を一つ見せた。


「僕に見えるのは、食べ頃だけです。毒かどうかは見えません」


「不便な力だな」とボルクはまた言った。


「料理には使えます。命の判断までは任せません」


 メルが小さく笑った。


「研究員として、二杯目の感想です。黄身はもう一杯ほしい。赤い茸は、一個もいらない」


 その言葉を、ルチアは帳面の余白へ書いた。メルは赤い茸の籠を退け、地図に丸を一つ描く。薬草院が食用を確認している森茸の採取場所だった。丸の横には、採れる日と、籠一つぶんの値段も書き添えた。


 青靴隊が茸籠を外へ運ぶ間、蒸し鍋の湯は静かに揺れていた。メルは空になった二杯目の椀を見つめる。


「最初の一杯は、月卵の構造を確かめるために食べました」


「二杯目は?」とアキラ。


「黄身がほどける前に、匙を入れたかったからです」


「次は森茸を。安全な物だけで、香りを邪魔しない蒸し物にしましょう」


 メルは地図をたたみ、銅貨を一枚追加した。


「予約として払います。研究ではなく、客として」


 ルチアは銅貨を帳面へ入れた。


「では次回は、入口から。茸は籠の底を見せてから」


「私まで怒られていませんか」


「研究員の籠も、底を見せてから」


 メルは少し考え、それから小さく頷いた。


 外へ出た青靴隊が、すぐに扉を開けた。


「この赤い茸、外で燃やせばいいか?」


「燃やさない!」


 メルは椅子を蹴って走り出した。二杯目の空椀を持ったままだ。


「その椀、店のです!」とルチア。


「戻って洗います!」


 赤い茸より先に、研究員と店の椀が通りの角を曲がった。

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