表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/29

空から落ちた配達娘に、五分で朝飯を

 翼のある娘が、天窓を破って降ってきた。


 朝の仕込みを始めたばかりだった。


 アキラが蜜玉葱へ包丁を入れ、ルチアが前日の銅貨を数えていた。その二人のあいだへ、天窓ごと落ちてきた。


 ばきり、と頭上で木が折れる。


「下!」


 ルチアに引かれ、アキラは調理台へ腹をぶつけた。


 青い羽根。革の鞄。長い脚。


 それらが天窓から差す朝日の中を落ち、吊り下げてあった乾燥葱を巻き込み、粉袋の上へ突っ込んだ。


 ぼふん、と白い粉が舞う。


 娘は粉袋へ腰から刺さり、広げた翼だけを外へ出していた。


「……着いた?」


「厨房には」とアキラ。


「予定と違う」


「屋根から入る予定だったなら合っています」


 ルチアは顔についた粉を払った。


 娘は両手をつき、粉袋から自分を引き抜いた。


 ルチアは床へ落ちた羽根を一枚拾い、娘の目の前へ突きつける。


「これはいくらになると思う?」


「あたしの羽根? 売っても大した値には」


「天窓」


「そっちかあ」


 十代の終わりほどに見える。空色の髪を首の後ろで結び、背中には同じ色の翼がある。左の翼だけ、先端が少し煤けていた。


 革の鞄には銀の留め具が三つ。ひとつも外れていない。落ちても荷物だけは守ったらしい。


「ニア。北便の配達係。弁償はする。たぶん。分割で」


「たぶんを取り消して」


「弁償する。分割で」


「そこは確定なのね」


 ルチアが帳面を開く。


 ニアはその帳面へ一瞬だけ目を落とし、窓の外、壁の時計と順に見た。時計の針を確かめた瞬間、顔色が変わった。


「いま何鐘?」


「七つ鐘の四半刻前」


「終わった!」


 翼が一度に広がった。風で乾燥葱が揺れ、また粉が舞う。


「広げない!」


 ルチアが片翼をつかんだ。


「北門まで荷物を届けて、七つ鐘には中央塔。その前に朝飯を買う予定だったの」


 ニアは煤けた左翼の先をつまんだ。


「新街道は建物の間で風がぶつかって、翼が押し戻される。旧東門の上なら風が抜けると思ったら、煙突を避けた先に、その、屋根が近くて」


「屋根は動かないわ」


「あたしは動いてた」


「知ってる。上から来たもの」


 ニアの腹が鳴った。


 昨日のガランほどではない。だが本人は、翼で腹を隠そうとした。右を隠すと左が出て、左を隠すと右が出る。


「五分で食べられる物、ある?」


 アキラは調理台を見た。


 炊いて蒸らしたばかりの光麦。東門へ届けるつくね用に刻んだ琥珀鶏。蜜玉葱。月卵。豆蜜。


 時間さえあれば、丼にできる。


 五分で作り、飛びながら食べるなら、器は使えない。


「飛びながら、両手は使えますか」


「右手だけ。左は鞄を押さえる」


「匙は」


「落とす」


「皿は」


「もっと落とす」


「着地して食べるのは」


「着地が一番危ない」


 厨房の床に散った粉を見る。


「納得しました」


「しないで。今のは屋根のせいもある」


「屋根は動かないわ」とルチア。


 ニアは言い返す代わりに、鞄の銀具を三つとも指で確かめた。落ちた本人は粉まみれなのに、革の表には擦り傷一つない。


「大事な荷物なんですね」


「北の村から預かった薬と手紙。どっちも、今日届かなきゃ意味がない」


「それで朝飯を抜いたの?」


 ルチアの声から、からかう調子が少し消えた。


「抜いたんじゃない。後へ回しただけ」


「中央塔の次は?」


「西の集荷場。その次が昼便」


「後がないじゃない」


「夜はある」


 胸を張った拍子に、また腹が鳴った。今度は翼でも隠しきれなかった。


 アキラは月卵へ伸ばした手を一度止めた。何層も焼く時間はない。だが、中身を包むための薄い一枚なら間に合う。大きな肉片は、一つ噛むたび片手の包みを傾けることになる。


 ニアの左手は、いまも鞄の銀具を押さえていた。


 残り五分。


 アキラは浅い鉄鍋を強火へかけた。


 琥珀鶏を細かく刻む。練り物のように滑らかにはしないが、昨日つくねにした時より細かくする。飛びながら噛んでも、大きな肉片がこぼれないように。


 肉を鍋へ落とす。


 じゅっ、と脂が鳴った。刻んだ蜜玉葱を加え、透き通るまで待たずに塩を振る。玉葱から水が出る前に、肉の縁へ焼き色をつけた。


「もう一つ鍋を」とアキラ。


「洗うのはあなたよ」


 言いながら、ルチアは小さな鉄鍋を火へ置いた。


 月卵を二個割る。


 黄身は橙色が濃く、白身の中で沈まずに浮いた。塩をひとつまみ。水をほんの少し。箸で白身を切るように混ぜる。


 肉の鍋へ豆蜜を落とすと、甘い焦げの匂いが上がった。そこへ光麦を入れる。木匙で押しつけ、麦の一粒一粒に肉汁とたれを吸わせた。


 細かな肉を木匙で割り、中心まで白く変わっていることを確かめる。鍋底にも赤い汁は残っていなかった。


「あと三分!」


 ニアが時計を読み上げる。


「急かすなら、包む葉を取って」とルチア。


「どれ」


「右の棚、緑の束」


「これ?」


「それは布巾」


「緑だよ」


「食べられる方の緑!」


 ニアは棚を開け、保存用の香葉を引き抜いた。勢い余って三枚落とす。拾おうとして頭を棚へぶつける。


 着地が危ないのではなく、地上全般が危ないらしい。


 小鍋へ月卵を薄く流す。縁が乾き、中央だけがまだ揺れているうちに火から外した。


 肉味噌焼き飯を両手で丸く握り、薄焼き卵の中央へ置く。


「熱くない?」


「熱いです」


「料理人って、手の皮どうなってるの」


「普通なので、かなり熱いです」


 アキラは指先を水へつけた。


 卵で飯を包み、香葉を下半分へ巻く。見た目は黄色い丸だった。


「二分!」


 ニアが受け取り、厨房脇の裏口を開けた。


「待って。ここで一口、試してください」


「飛べるか試す方が早い」


 止める前に、石畳を蹴った。


 翼が二度、強く風を打つ。


 青い体が屋根の高さまで上がった。


 右手の黄色い丸へかぶりつく。


 次の瞬間、噛んだところから光麦がほどけた。


「あ」


 ニアの口から、焼き飯がこぼれる。


 風に乗り、きらきらと朝日を反した。


 その真下で、ルチアが帳面を開いていた。


 ぱらぱらぱら、と肉味噌焼き飯が紙面へ降った。


 ニアは空中で止まった。


 ルチアも動かなかった。


「……屋根の修理代に、帳面代を足して」とニア。


「服の洗濯代も」


「それは自分で払って」


「あなたの朝飯よ」


「一粒なら誤差」


「数える?」


「ごめんなさい!」


 残り一分半。


 アキラは丸形を捨てたくなかった。味は悪くない。肉の脂を麦が吸い、薄焼き卵が肉味噌の汁を包んでいる。


 問題は形だった。丸い包みは一口かじっただけで、噛み口が左右へ広がる。残った飯を支える卵の縁がなくなり、次の一口で横から押し出される。


「長くします」


「何を」と、空中のニア。


「朝飯を」


 残りの焼き飯を、細長く押し固めた。円柱ではなく、指で挟みやすい平たい棒にする。表面を鉄鍋へ戻し、四面を短く焼いた。


 豆蜜の糖が薄く焦げ、外側の麦同士をつなぐ。


 新しい薄焼き卵へ斜めに置き、転がしながら巻く。片端だけ閉じ、反対側は食べ進める口として残した。香葉で下半分を包み、細い紐を一周。


「残り半分!」


「半分って何」


「一分の半分!」


「三十秒と言って!」


 ルチアが二本目を空へ投げた。


 ニアは右手で受け取る。今度は飛び去らず、その場で先端を噛んだ。


 薄い卵が歯に触れ、その下で焼けた麦が軽くほどける。中の肉味噌は細かく、玉葱の甘みと豆蜜の塩気が、横へこぼれず噛み口から広がった。


 横からは、一粒も落ちなかった。


 ニアがもう一口食べる。


 急いでいた翼の動きが、一拍だけゆっくりになった。


「それで飛べますか」


「飛べる」


「食べながらでも」


「これなら」


「味は」


「質問が多い!」


 ニアは叫び、北の空へ体を向けた。


 三度目の一口を頬へ入れる。


「明日、二本! 七つ鐘の半刻前! 修理屋も連れてくる!」


「前払い!」とルチア。


「屋根代から引いて!」


「借金から朝飯代は引けない!」


「じゃあ修理屋に払わせる!」


 青い翼が風をつかんだ。


 ニアは城壁より高く昇り、北門の方角へ小さくなった。片手には鞄。もう片方には、半分になった朝飯がある。


 地上に残ったのは、割れた天窓、粉まみれの床、肉味噌飯の載った帳面。


 ルチアは帳面から一粒つまみ、口へ入れた。


「冷め始めても悪くない」


「検品ですか」


「損害の確認」


「味見に見えました」


「目が悪いんじゃない?」


 アキラは天窓を見上げた。


 割れた木枠の向こうに、青い空が四角く見える。昨日まで雨だった空だ。


「修理代、高いですか」


「琥珀鶏なら十羽」


「ニアさん、また来ますかね」


「来なかったら、配達組合へ請求書を飛ばす」


 ルチアは汚れた帳面の端へ、新しい注文を書いた。


 細長い朝飯、二本。


 七つ鐘の半刻前。


 その下に、少し大きな字で付け足す。


 ――入口から入ること。


 書き終えたところで、天窓から木屑が一つ落ちた。


 ルチアは無言で帳面を閉じる。今度は紙面へ落ちなかった。


「掃除からですね」


「屋根から」


「粉袋も破れています」


「破れた粉袋はあなたが見て。床へ出た粉は料理に戻さないで」


 ルチアは梯子を運び、アキラは口の裂けた粉袋を別の桶へ移す。床へ散った分は箒で集め、捨てる袋へ入れた。青い羽根が一枚混じっていた。先端だけ煤けている。


 調理台には、鍋肌に残った焼き飯が木匙一杯ぶんあった。床へ落ちていない分だ。


 アキラは冷めかけた焼き飯を食べた。


 肉味噌の味は悪くない。けれど冷めるにつれ、肉味噌の汁が麦の下へにじみ、表面が少し湿っていた。形を細長くしただけで、明日の二本が完成したわけではない。


 注文帳の余白へ、短く書く。


 ――明日は細長く。肉味噌の汁を、もう少し飛ばす。


「屋根」と、梯子の上からルチアが呼んだ。


「今行きます」


 アキラは残りを一口で食べ、帳面を粉の届かない棚へ置いた。


 空いた天窓から、北へ飛ぶ青い影はもう見えない。代わりに遠くで七つ鐘が鳴った。間に合ったかどうかは分からない。


 粉の届かない棚では、注文帳の《二本》という墨がまだ乾いていなかった。


 アキラは梯子の脚を押さえた。頭上でルチアが板を当てると、四角かった青空が半分だけ細くなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ