不揃いな水餃子は、直さない
「厨房を、半分貸しておくれ」
杖をついた老女が、琥珀鶏と茸の籠を持ってきた。
隣には、十歳の孫がいる。少女は籠より、店の奥で湯気を上げる大鍋を見ていた。
「食べに来たんじゃないの?」とピコ。
「食べさせに来たのさ。この子が、自分で作ったものをね」
老女の名はトーラ。息子夫婦が来月、南の町へ移る。その前に、孫のユノへ水餃子の包み方を教えたいという。
「ばあちゃんは南へ行かない」とユノが言った。
「あたしの家も畑も、じいさんの墓もここだよ」
「じゃあ私が残る」
トーラの杖が床で止まった。
「それは――父さんと話してからだ」
「話したの?」
返事がなかった。
籠の蓋から、南の町の住民札が半分のぞいていた。父、母、ユノ。三人分の名が、もう役所の字で並んでいる。
「私も行くって、決まってるじゃないか」
「父さんは家族を離したくない。南の学校は冬も開く。あんたのためだよ」
「ばあちゃんは家族じゃないの」
トーラは住民札を籠へ押し戻した。
「だから、せめて包み方を――」
「さよならの作り方なら、先にそう言って」
ユノは大鍋の湯気を見た。さっきまで楽しそうだった顔が、最後に知らされた家族の顔になっている。
アキラには、南の学校も祖母の畑も選べない。
「今日は作りますか」
ユノはしばらく黙り、籠を自分の側へ引いた。
「作る。住む場所を決めるのとは別だから」
「うちの台所は狭くて、鍋も小さい。場所代は払うよ」
ルチアは昼休みの半刻を貸した。材料には検査印と安全札。火と刃物は店側が見る。生肉を扱った台は、皮を伸ばす前に洗い直す。条件を一つずつ読み、トーラが銅貨を置いた。
「思い出だから無料、にはしないのかい」
「思い出も薪を燃やします」
「気に入った」
アキラは生の琥珀鶏を細かく叩いた。焼いて水分を飛ばした森茸、刻み葱、豆蜜、生姜根。塩を入れ、同じ向きへ練る。肉が指へ吸いつき始めてから、冷ました鶏出汁を少しずつ加えた。
「一度に入れないの?」とユノ。
「皮を閉じる前に流れます」
「少ないと?」
「茹でた時、中に汁が生まれません」
ユノが混ぜる。最初は匙が肉の上を滑るだけだった。やがて餡が一つにまとまり、匙を持ち上げると重い山がついてきた。
生肉のまな板と包丁を下げ、台を熱い湯で洗う。手も爪の間まで洗ってから、光麦粉の皮を伸ばした。
「餡は一個につき、この匙すり切りで――」
「揃えなくていい」
トーラが言った。
「でも、多いと破れます」
「破れたら次を減らす。それも覚えるうちだよ」
ユノの一個目は、腹ばかり太くなった。閉じようとすると、鶏餡が縁へ顔を出す。
「食べるところが多い方がいい」
「鍋の湯に食べさせる気かい」
トーラの小言は、喧嘩をしていても普段どおりだった。
餡を匙半分戻す。二個目は戻しすぎて、薄い財布のようになる。三個目は空気を抱き、片側だけふくらんだ。
アキラの指が動きかける。
「直すなって」
ピコにも止められた。
「破れる場所だけ教えます」
アキラは三個目の端を指した。乾いた粉が残り、皮同士がついていない。ユノは水をつけ、自分で押さえる。腹の形は直さなかった。
トーラは皮の縁を三度つまんだ。指の跡が残るほど厚い。
「うちはこれで閉じる。一つ目は父さん。二つ目は母さん。三つ目で子どもが手伝う」
「三つとも同じじゃないの?」
「同じだと思ってたのかい。父さんのつまみだけ、いつも横を向いてたよ」
老女は笑った。笑ったあと、少しだけ黙った。
ユノは横顔を見ず、四個目の縁を三度つまんだ。一つ目より細く、二つ目よりは閉じている。
「三つにしたら、ばあちゃんの形?」
「あたしの指ならね」
「じゃあ、これは私の三つ」
もう一個は四度つまんだ。理由を訊くと、ユノは「こっちの方が閉じたから」とだけ答えた。
店の鈴が鳴った。
入ってきた男は、ユノと同じ形の眉をしていた。仕事着の袖へ、南町行きの馬車時刻が炭筆で書かれている。
「父さん」
「家にいないから探した」
「住民札は持ってきた」
トーラの籠を示すと、父は目を閉じた。
「それは申込みの下書きだ。役所へは出していない」
「名前は書いた」
「学校の空きがなくなる前に、必要な物を聞いただけだ」
「私に聞く前に?」
「聞けば、ばあちゃんを置いていけないと言うと思った」
「言うよ」
「だから困ってる」
「困るのは、私の返事でしょう」
父の口が止まった。
正しい理由はあった。南町の学校は冬も授業があり、母の新しい仕事は始まる日が決まっている。だが、日付が迫っていることと、ユノの返事を先に書いてよいことは同じではない。
鍋の湯が、ぐらぐらと蓋を鳴らした。
「話すなら火を止めます」とアキラ。
「止めない」とユノ。「父さんも包んで」
「今?」
「南へ行く返事とは別」
自分が言った言葉を、今度は父へ渡した。
父は手を洗い、皮を一枚持った。匙すり切りの餡を置く。縁を合わせ、一度、二度、三度。そこで止まらず、四度、五度つまんだ。
「多い」とユノ。
「開くのが怖い」
「父さんは昔から五つだ」とトーラ。
「三つじゃなかったの?」
「あんたが家を出てから、開かないよう二つ増えた」
父は知らなかった顔をした。自分がいない食卓で、母の手順まで変わっていた。
「直す?」とユノ。
「このまま茹でてくれ」
ユノの財布形、太った腹、三つまみ、四つまみ。トーラの太い三つ。父の五つ。
鍋の湯をしっかり沸かし、一個ずつ滑らせる。沈んだ白い皮が底を離れ、ふくらみながら浮いた。冷たい餃子で弱まった沸きが戻るまで待ち、表面だけ暴れないよう水を少し差す。
もう一度沸いたあと、最も縁の厚い父の一個を先に割った。鶏の中心まで色が変わり、透明な汁が匙へ落ちる。厚い部分に粉っぽさが残らないことを確かめ、残りを深皿へ上げた。
ユノは最初に、餡の少ない財布形を食べた。
「皮がもちもちしてる」
二つ目は腹の太い一個。噛んだ途端、茸と鶏の汁が匙へこぼれた。
「こっちは、肉が多い」
「当たり前だ」と父。
「父さんのは?」
五つまみを半分に割る。縁は厚く、何度も噛まなければならない。中心の皮は柔らかく、熱い餡から生姜根の匂いが上がった。
「閉じすぎ」とユノ。
「開かなかった」
「三つでも開かない」
「南まで持っていくなら五つだ」
「今は店で食べてる」
父は五つまみの一つを、歯で長く噛んだ。
トーラの三つまみは、最後まで厚い縁が残った。ユノはそこを噛みながら言う。
「ばあちゃんのは、最後まで餃子だ」
「変な褒め方だね」
「褒めてる」
ユノは自分の四つまみも食べた。上手に丸くできたものだけを選ばず、作った順に皿を空ける。
父は住民札を籠から出した。三人の名はある。だが、下にある本人印の欄はまだ白い。
「次の休みに、南を見に来ないか。学校と家と、母さんの働く場所。見てから話す」
「見に行ったら、住むってこと?」
「見に行くだけだ」
「ばあちゃんも?」
トーラは首を横に振った。
「あたしは畑を見る。あんたは町を見ておいで」
「帰ってきてもいい?」
「往復の馬車札を買う」と父。
ユノはすぐに頷かなかった。自分の四つまみの残り半分を食べ、青酸果酢を一滴だけつける。
「見には行く。住民札は持っていかない」
「学校は、冬も毎日開くの?」
父は急な質問に一度まばたきをした。
「雪の日は午前だけだ。文字と算術、それから南の畑で育つ豆を習う」
「台所は?」
「学校に?」
「昼までなら、お腹が減るでしょう」
「共同の竈がある。順番で汁を作るらしい」
「水餃子も?」
「南は焼き豆包みが多いと聞いた」
ユノはトーラを見た。
「三つまみを教えてもいい?」
「教えるかどうかも、見てから決めな」
「手紙は習える?」
「ああ」と父。「自分で書けるようになる」
「ばあちゃんへ、畑のことを訊けるくらい?」
「毎日書けば、ばあちゃんが先に返事へ困る」
「毎日は畑を見れば、書くことくらいあるよ」とトーラ。
南へ行く理由が、父と母についていくこと以外にも三つできた。冬の教室。共同の竈。祖母へ出す、自分の字の手紙。それでもユノは、住むとは言わなかった。
「役所へ見せる必要がある」
「じゃあ、ばあちゃんが持つ」
父は反論しかけ、トーラを見た。老女が籠を自分の足元へ引く。
「下書きなら、ここで待てるね」
「なくすなよ」
「あんたの五つまみよりは、開かないよ」
皿に一個だけ残った餃子を、トーラは包まなかった。半分に割り、ユノと父へ渡す。形はユノの三つまみ。父は自分の五つより短い縁を、何も言わずに噛んだ。
食後、ユノは粉のついた台を拭いた。父が鍋を運ぼうとすると、ルチアが止める。
「厨房代には洗い物も入っています。ただし、自分の皿は客席へ戻してください」
「どこまでが貸し厨房なんだ」
「今日決めたところです」
トーラが笑った。
店を出る時、父は南町の時刻を袖から消さなかった。ユノも住民札の名を消さなかった。
決まったのは、次の休みに往復することだけだ。
作業台には、三つ、四つ、五つの指跡が残っている。アキラは丸い抜き型を棚から出さなかった。
ピコが父の五つまみを真似し、空の皮を閉じる。
「六つなら、もっと安全?」
「中身が入らなくなるよ」とユノ。
住む町をまだ決めていない声で、よく笑った。




