表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/29

野菜を隠してと言われた。隠す?

「野菜だと分からないようにしてください」


 帽子を深くかぶった少女は言った。


 護衛が二人。乳母が一人。普通の市場客にしては、扉、窓、厨房口を見る順番が決まりすぎている。


 少女は十一歳ほど。上等な手袋を外さず、卓の野菜籠から目をそらしていた。


「嫌いな野菜は?」


 アキラが訊く。


「全部」


「味、匂い、食感のどれが嫌ですか」


「見えること」


 それなら細かく刻み、生地や肉だねへ混ぜれば食べられるかもしれない。


 アキラは赤い夏実、薄緑瓜、黄玉葱、森青菜をまな板へ集めた。


 赤い夏実は、小ぶりなトマトに似た酸味の強い実。薄緑瓜は胡瓜より太く、水分が多い。黄玉葱は蜜玉葱ほど甘くない普通の玉葱で、森青菜はほうれん草に似ているが、葉の裏に松葉のような香りを持つ。色も匂いも歯触りも違う四種類を、ただ細かく刻んで同じ味にするだけでよいのか。


 包丁を握ったところで、ルチアが刃の前へ指を二本置いた。


「食べ終わったあと、野菜を隠したと教えるの?」


「食べられたと分かれば、次からは――」


「本人が隠してと言ったのでしょう」


 少女が割って入った。命令口調なのに、野菜籠は見ない。


 ルチアは包丁でなく、少女の方を向いた。


「姿だけ見えなくしてほしい? それとも、中身も知らせてほしくない?」


「同じことではないの?」


「知らずに全部食べたいのか、入っていると知った上で、見えない形を選びたいのか。注文が変わります」


 護衛の一人が答えた。


「栄養のため、できる限り多く混ぜていただきたい」


「あなたの注文ではありません」


 ルチアの声は低くも強くもない。ただ、会計を頼んでいない人へ金額を答えない時と同じだった。


 少女は手袋の指を一本ずつ握った。


「入っている物は知りたい。でも、皿いっぱいに置かないで。食べるまで見張らないで」


「何を入れないかも、自分で決めますか」


「決める」


 乳母が膝の上で両手を組み直した。


「以前は、細かくした青菜を肉団子へ混ぜました。お召し上がりになった後で、料理長がよくできましたと……」


「私が食べたんじゃない。知らないで飲み込んだの」


 アリシアは乳母を見ずに言った。


 次は白い根菜を花乳の汁へ。さらに次は赤い夏実を肉だれへ。食べるたびに大人が正体を明かし、食べられたのだから嫌いではないと言った。アリシアはとうとう、色のついた汁も、切り口の見えない肉団子も口へ入れなくなった。


「では、なぜ今日も隠してと?」とアキラ。


「見えたら、食べる前から嫌になる。見えなくても、後から笑われるのはもっと嫌」


「難しい注文ですね」とピコ。


「だから料理人へ来たのよ」


 ピコは胸を張りかけ、自分が料理人ではなく見習いだったと思い出して、半分だけ張った。


 アキラは、細かく刻めば解決するという最初の考えを捨てた。姿を消す技術だけなら簡単だ。消した物を誰が知り、いつ食べると決めるかの方が、火加減より難しい。


 アキラは包丁を置いた。


「では、隠す前に一度だけ見せます」


「一度だけよ」


 少女はようやく籠を見た。


 赤い夏実は、口の中へ水が広がるのが嫌い。薄緑瓜は、生の青い匂いが嫌い。森青菜は、茎の筋が歯へ残るのが嫌い。黄玉葱は甘く煮ると、野菜ではないふりをしているようで腹が立つ。


「野菜に腹を立てるんですか」とピコ。


「腹を立てているのは、甘くした人にです」


「野菜には?」


「まだ決めてない」


 ピコは口を閉じた。嫌いな理由を一言でまとめようとすると、この客にはすぐ訂正される。


 まず、赤い夏実を横半分に切る。種と水の多い中心を匙で外し、塩をほんの少し振った。網へ伏せて置き、水気が落ちたら厚い鉄板へ。切り口を下にして焼き、表面が乾いたところで蜜玉葱を爪先ほど混ぜる。


 赤い色は消えない。水っぽさだけを減らす。


 薄緑瓜は皮を縞に残し、指二本ほどの厚さへ切る。塩を振る前に焼く。熱い鉄板へ置くと、触れた面が薄く色づき、中心の水分は残った。返してから塩を一粒。生の青い匂いが、焼いた種に似た香りへ変わる。


 森青菜は葉と茎を分けた。茎の外側へ浅く刃を入れ、硬い筋だけを引く。細く刻んで隠すのではなく、指の長さに揃える。湯へ落として一息、冷たい水へ移し、水分を布で押さえた。


「黄色は?」


 少女が黄玉葱を指した。


「今日は使いません」


「なぜ」


「甘くすると腹が立つ。生だと辛い。あなたが嫌だと言った二つの間を、まだ思いついていません」


 料理人なら、何でも一皿へ入れると思っていたらしい。少女は黄玉葱をもう一度見てから、籠を遠ざけなかった。


 光麦粉へ花乳、水、月卵、塩を合わせる。混ぜすぎず、粉の小さな粒が消えたところで休ませた。平鍋へ油を布で薄く引き、生地を流す。鍋を傾けると、白い円が縁まで広がった。


 表面の濡れた光が消えたら返す。裏は短く。焼きすぎると、折った時に割れる。


 生地を三つの小さな四角へ切った。


 一つ目には焼いた赤い夏実。二つ目には薄緑瓜。三つ目には森青菜の茎を二本。その上へ、それぞれ栗豚の薄切りを一枚ずつ載せる。肉で野菜を覆い隠さず、端が見えるよう半分だけ重ねた。


「隠れていないわ」


「どれを食べないか、今なら決められます」


 少女は青菜の四角を、皿のいちばん遠くへ押した。


「緑は食べない。赤は半分。瓜は一つ」


「承知しました」


 護衛が毒見のため、三つから一口分ずつを別の小皿へ取った。赤、瓜、青菜。生地、肉、乳酪。確認するたび、アリシアの皿から湯気が減っていく。


 少女の前へ戻った時には、乳酪の泡は消え、生地の縁もしんなりしていた。


 瓜の一口を噛む。


「冷たい」


 護衛が頭を下げた。


「お役目ですので」


「毒見をやめろとは言ってない」


 少女は冷めた瓜を皿へ戻した。


「これは下げるの?」


「同じ具で、温かい物を作り直します」


「捨てるなら、それを食べる」


「冷たいと言ったでしょう」


「冷たいのと、捨てたいのは別」


 アキラは皿を捨て桶へ向けていた手を止めた。安全に問題はない。ただ、狙った温度を失っただけだ。売り物として押しつけず、毒見に使った残りと一緒に作り手のまかない皿へ移す。


「代金は取りません。これは僕たちが食べます」


「私が注文したのに?」


「温かい一皿を出す代金です。冷ましたのは店と護衛の手順です」


 護衛が口を開く。


「冷めた責任は我々に」


「必要な毒見をした責任まで売りません」とルチア。「次から冷まさない手順を店が作ります」


 誰か一人の失敗にすれば、次は護衛が急いで毒見をする。少女が温かい物を食べるために、護衛の仕事を雑にはできない。


 アリシアは冷めた皿をもう一度見た。


「赤いのを半分だけ、残して」


 アキラはまかない皿へ移す前に、赤い夏実の区画を半分に切った。アリシアは今度は口へ入れず、温かい二枚目と比べるため、皿の端へ置いた。


 同じ物をもう一枚焼いても、同じ順番で調べればまた冷める。毒見を急がせれば、護衛は仕事を果たせない。


 ルチアが倉から、隊商用の小さな炭窯を持ってきた。一人分の黒パンを温め直すための卓上窯だ。炭受けは二重で、卓へ熱が直接伝わらない。蓋の取っ手には布が巻いてある。


「下焼きと具の加熱は厨房。毒見が終わってから、本人の分だけ卓で仕上げる」


「同じ物でなければ毒見になりません」と護衛。


「同じ鍋から分けます。毒見分を先に取り、残りを蓋つき皿で待たせる。確認後、少女の皿だけ窯へ戻す。追加する物はありません」


 ルチアは工程を指で数えた。護衛も一つずつ復唱する。


 二枚目の薄焼きは、具を載せる前まで厨房で火を通した。赤い夏実、瓜、青菜、栗豚は同じ鍋から毒見皿と本人皿へ分ける。護衛が先に確認し、空の鍋と残りの具まで見る。


 その後で、少女の皿を卓上窯へ入れた。


「自分で開ける?」とルチア。


「熱いのでしょう」


「熱いです。布を持ち、顔を近づけない」


 少女は手袋を外した。布で取っ手をつかみ、蓋を少しずつ持ち上げる。


 白い湯気が上へ逃げた。


 赤い夏実の縁では乳酪が小さく泡を出している。瓜の焼き目は濃くなり、青菜の茎は端だけが乾いた。どの野菜も見えていた。


 少女は青菜を遠ざけたまま、瓜の一口を取った。


 表面には薄い焼き目。歯を入れると、内側から熱い水分が出る。生の青臭さはなく、塩のあとに瓜そのものの甘さが来た。


「これは野菜?」


「薄緑瓜です」


「野菜って言わないの?」


「名前を知りたいと言ったので」


 少女は二口目も瓜にした。


 次に赤い夏実を半分だけ折る。焼いて水分を落とした果肉は、黒パンのソースほど濃く、酸味が先に来た。栗豚の脂が後から重なる。


「赤いけど、口の中が水にならない」


「残り半分は?」と乳母。


 少女の手が止まる。


 乳母はすぐ、口を閉じた。


「今日は半分と決めた」


 少女は残りを皿へ置いた。


 さきほど取っておいた冷めた赤い夏実を、指先で少しだけ味見する。酸味は同じでも、乳酪の脂が固まり、皮の歯触りが強い。温かい方と冷たい方を交互に見て、冷たい方はまかない皿へ戻した。


「温かい方なら半分。冷たい方はいらない」


「同じ野菜でも?」とピコ。


「同じ野菜だから、違いが分かったの」


 ピコはその言葉を真似して復唱しかけ、アリシアに見られてやめた。


 青菜には手をつけない。護衛がその皿を見たが、勧めなかった。


「次は、瓜を二つ。赤は半分。緑はなし」


 ルチアが注文紙へそのまま書く。


「全部食べたとは書かないの?」とアキラ。


「食べていませんから」


 少女は当たり前のように言った。


 青菜の茎は一口も減っていない。アリシアはその皿を遠くへ置いたまま、ルチアの注文紙を自分の前へ引いた。


 会計の時、ルチアが訊く。


「注文札に、何と書きますか。帽子の少女では、次に呼べません」


 護衛がわずかに動いた。


 少女は帽子を取り、銅色の髪を出した。


「アリシア」


「呼んでよい名前ですか」


「私が書く」


 細い筆を持ち、注文の一番上へ自分で記した。


 ――アリシア。薄緑瓜二つ。赤い夏実半分。森青菜なし。黄玉葱は料理人が考え中。


「最後の一行は必要ですか」とアキラ。


「逃げないように必要」


「僕が?」


「玉葱が」


 ピコが笑う。アキラも笑いかけ、黄玉葱の籠を見た。甘くせず、生の辛さも残さない火入れは、まだ決まっていない。


 帰る前、護衛が残った青菜の薄焼きへ手を伸ばした。


「捨てるなら、私が」


「毒見で食べたでしょう」とアリシア。


「これは食事として」


「感想は要らない」


 護衛は青菜を一口で食べ、無言で二度頷いた。


「頷くのも感想よ」


 叱られた護衛は、三口目だけは顔を動かさなかった。


 卓上窯の中では炭が赤く残り、空になった瓜の区画だけが、まだ薄く湯気を上げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ