野菜を隠してと言われた。隠す?
「野菜だと分からないようにしてください」
帽子を深くかぶった少女は言った。
護衛が二人。乳母が一人。普通の市場客にしては、扉、窓、厨房口を見る順番が決まりすぎている。
少女は十一歳ほど。上等な手袋を外さず、卓の野菜籠から目をそらしていた。
「嫌いな野菜は?」
アキラが訊く。
「全部」
「味、匂い、食感のどれが嫌ですか」
「見えること」
それなら細かく刻み、生地や肉だねへ混ぜれば食べられるかもしれない。
アキラは赤い夏実、薄緑瓜、黄玉葱、森青菜をまな板へ集めた。
赤い夏実は、小ぶりなトマトに似た酸味の強い実。薄緑瓜は胡瓜より太く、水分が多い。黄玉葱は蜜玉葱ほど甘くない普通の玉葱で、森青菜はほうれん草に似ているが、葉の裏に松葉のような香りを持つ。色も匂いも歯触りも違う四種類を、ただ細かく刻んで同じ味にするだけでよいのか。
包丁を握ったところで、ルチアが刃の前へ指を二本置いた。
「食べ終わったあと、野菜を隠したと教えるの?」
「食べられたと分かれば、次からは――」
「本人が隠してと言ったのでしょう」
少女が割って入った。命令口調なのに、野菜籠は見ない。
ルチアは包丁でなく、少女の方を向いた。
「姿だけ見えなくしてほしい? それとも、中身も知らせてほしくない?」
「同じことではないの?」
「知らずに全部食べたいのか、入っていると知った上で、見えない形を選びたいのか。注文が変わります」
護衛の一人が答えた。
「栄養のため、できる限り多く混ぜていただきたい」
「あなたの注文ではありません」
ルチアの声は低くも強くもない。ただ、会計を頼んでいない人へ金額を答えない時と同じだった。
少女は手袋の指を一本ずつ握った。
「入っている物は知りたい。でも、皿いっぱいに置かないで。食べるまで見張らないで」
「何を入れないかも、自分で決めますか」
「決める」
乳母が膝の上で両手を組み直した。
「以前は、細かくした青菜を肉団子へ混ぜました。お召し上がりになった後で、料理長がよくできましたと……」
「私が食べたんじゃない。知らないで飲み込んだの」
アリシアは乳母を見ずに言った。
次は白い根菜を花乳の汁へ。さらに次は赤い夏実を肉だれへ。食べるたびに大人が正体を明かし、食べられたのだから嫌いではないと言った。アリシアはとうとう、色のついた汁も、切り口の見えない肉団子も口へ入れなくなった。
「では、なぜ今日も隠してと?」とアキラ。
「見えたら、食べる前から嫌になる。見えなくても、後から笑われるのはもっと嫌」
「難しい注文ですね」とピコ。
「だから料理人へ来たのよ」
ピコは胸を張りかけ、自分が料理人ではなく見習いだったと思い出して、半分だけ張った。
アキラは、細かく刻めば解決するという最初の考えを捨てた。姿を消す技術だけなら簡単だ。消した物を誰が知り、いつ食べると決めるかの方が、火加減より難しい。
アキラは包丁を置いた。
「では、隠す前に一度だけ見せます」
「一度だけよ」
少女はようやく籠を見た。
赤い夏実は、口の中へ水が広がるのが嫌い。薄緑瓜は、生の青い匂いが嫌い。森青菜は、茎の筋が歯へ残るのが嫌い。黄玉葱は甘く煮ると、野菜ではないふりをしているようで腹が立つ。
「野菜に腹を立てるんですか」とピコ。
「腹を立てているのは、甘くした人にです」
「野菜には?」
「まだ決めてない」
ピコは口を閉じた。嫌いな理由を一言でまとめようとすると、この客にはすぐ訂正される。
まず、赤い夏実を横半分に切る。種と水の多い中心を匙で外し、塩をほんの少し振った。網へ伏せて置き、水気が落ちたら厚い鉄板へ。切り口を下にして焼き、表面が乾いたところで蜜玉葱を爪先ほど混ぜる。
赤い色は消えない。水っぽさだけを減らす。
薄緑瓜は皮を縞に残し、指二本ほどの厚さへ切る。塩を振る前に焼く。熱い鉄板へ置くと、触れた面が薄く色づき、中心の水分は残った。返してから塩を一粒。生の青い匂いが、焼いた種に似た香りへ変わる。
森青菜は葉と茎を分けた。茎の外側へ浅く刃を入れ、硬い筋だけを引く。細く刻んで隠すのではなく、指の長さに揃える。湯へ落として一息、冷たい水へ移し、水分を布で押さえた。
「黄色は?」
少女が黄玉葱を指した。
「今日は使いません」
「なぜ」
「甘くすると腹が立つ。生だと辛い。あなたが嫌だと言った二つの間を、まだ思いついていません」
料理人なら、何でも一皿へ入れると思っていたらしい。少女は黄玉葱をもう一度見てから、籠を遠ざけなかった。
光麦粉へ花乳、水、月卵、塩を合わせる。混ぜすぎず、粉の小さな粒が消えたところで休ませた。平鍋へ油を布で薄く引き、生地を流す。鍋を傾けると、白い円が縁まで広がった。
表面の濡れた光が消えたら返す。裏は短く。焼きすぎると、折った時に割れる。
生地を三つの小さな四角へ切った。
一つ目には焼いた赤い夏実。二つ目には薄緑瓜。三つ目には森青菜の茎を二本。その上へ、それぞれ栗豚の薄切りを一枚ずつ載せる。肉で野菜を覆い隠さず、端が見えるよう半分だけ重ねた。
「隠れていないわ」
「どれを食べないか、今なら決められます」
少女は青菜の四角を、皿のいちばん遠くへ押した。
「緑は食べない。赤は半分。瓜は一つ」
「承知しました」
護衛が毒見のため、三つから一口分ずつを別の小皿へ取った。赤、瓜、青菜。生地、肉、乳酪。確認するたび、アリシアの皿から湯気が減っていく。
少女の前へ戻った時には、乳酪の泡は消え、生地の縁もしんなりしていた。
瓜の一口を噛む。
「冷たい」
護衛が頭を下げた。
「お役目ですので」
「毒見をやめろとは言ってない」
少女は冷めた瓜を皿へ戻した。
「これは下げるの?」
「同じ具で、温かい物を作り直します」
「捨てるなら、それを食べる」
「冷たいと言ったでしょう」
「冷たいのと、捨てたいのは別」
アキラは皿を捨て桶へ向けていた手を止めた。安全に問題はない。ただ、狙った温度を失っただけだ。売り物として押しつけず、毒見に使った残りと一緒に作り手のまかない皿へ移す。
「代金は取りません。これは僕たちが食べます」
「私が注文したのに?」
「温かい一皿を出す代金です。冷ましたのは店と護衛の手順です」
護衛が口を開く。
「冷めた責任は我々に」
「必要な毒見をした責任まで売りません」とルチア。「次から冷まさない手順を店が作ります」
誰か一人の失敗にすれば、次は護衛が急いで毒見をする。少女が温かい物を食べるために、護衛の仕事を雑にはできない。
アリシアは冷めた皿をもう一度見た。
「赤いのを半分だけ、残して」
アキラはまかない皿へ移す前に、赤い夏実の区画を半分に切った。アリシアは今度は口へ入れず、温かい二枚目と比べるため、皿の端へ置いた。
同じ物をもう一枚焼いても、同じ順番で調べればまた冷める。毒見を急がせれば、護衛は仕事を果たせない。
ルチアが倉から、隊商用の小さな炭窯を持ってきた。一人分の黒パンを温め直すための卓上窯だ。炭受けは二重で、卓へ熱が直接伝わらない。蓋の取っ手には布が巻いてある。
「下焼きと具の加熱は厨房。毒見が終わってから、本人の分だけ卓で仕上げる」
「同じ物でなければ毒見になりません」と護衛。
「同じ鍋から分けます。毒見分を先に取り、残りを蓋つき皿で待たせる。確認後、少女の皿だけ窯へ戻す。追加する物はありません」
ルチアは工程を指で数えた。護衛も一つずつ復唱する。
二枚目の薄焼きは、具を載せる前まで厨房で火を通した。赤い夏実、瓜、青菜、栗豚は同じ鍋から毒見皿と本人皿へ分ける。護衛が先に確認し、空の鍋と残りの具まで見る。
その後で、少女の皿を卓上窯へ入れた。
「自分で開ける?」とルチア。
「熱いのでしょう」
「熱いです。布を持ち、顔を近づけない」
少女は手袋を外した。布で取っ手をつかみ、蓋を少しずつ持ち上げる。
白い湯気が上へ逃げた。
赤い夏実の縁では乳酪が小さく泡を出している。瓜の焼き目は濃くなり、青菜の茎は端だけが乾いた。どの野菜も見えていた。
少女は青菜を遠ざけたまま、瓜の一口を取った。
表面には薄い焼き目。歯を入れると、内側から熱い水分が出る。生の青臭さはなく、塩のあとに瓜そのものの甘さが来た。
「これは野菜?」
「薄緑瓜です」
「野菜って言わないの?」
「名前を知りたいと言ったので」
少女は二口目も瓜にした。
次に赤い夏実を半分だけ折る。焼いて水分を落とした果肉は、黒パンのソースほど濃く、酸味が先に来た。栗豚の脂が後から重なる。
「赤いけど、口の中が水にならない」
「残り半分は?」と乳母。
少女の手が止まる。
乳母はすぐ、口を閉じた。
「今日は半分と決めた」
少女は残りを皿へ置いた。
さきほど取っておいた冷めた赤い夏実を、指先で少しだけ味見する。酸味は同じでも、乳酪の脂が固まり、皮の歯触りが強い。温かい方と冷たい方を交互に見て、冷たい方はまかない皿へ戻した。
「温かい方なら半分。冷たい方はいらない」
「同じ野菜でも?」とピコ。
「同じ野菜だから、違いが分かったの」
ピコはその言葉を真似して復唱しかけ、アリシアに見られてやめた。
青菜には手をつけない。護衛がその皿を見たが、勧めなかった。
「次は、瓜を二つ。赤は半分。緑はなし」
ルチアが注文紙へそのまま書く。
「全部食べたとは書かないの?」とアキラ。
「食べていませんから」
少女は当たり前のように言った。
青菜の茎は一口も減っていない。アリシアはその皿を遠くへ置いたまま、ルチアの注文紙を自分の前へ引いた。
会計の時、ルチアが訊く。
「注文札に、何と書きますか。帽子の少女では、次に呼べません」
護衛がわずかに動いた。
少女は帽子を取り、銅色の髪を出した。
「アリシア」
「呼んでよい名前ですか」
「私が書く」
細い筆を持ち、注文の一番上へ自分で記した。
――アリシア。薄緑瓜二つ。赤い夏実半分。森青菜なし。黄玉葱は料理人が考え中。
「最後の一行は必要ですか」とアキラ。
「逃げないように必要」
「僕が?」
「玉葱が」
ピコが笑う。アキラも笑いかけ、黄玉葱の籠を見た。甘くせず、生の辛さも残さない火入れは、まだ決まっていない。
帰る前、護衛が残った青菜の薄焼きへ手を伸ばした。
「捨てるなら、私が」
「毒見で食べたでしょう」とアリシア。
「これは食事として」
「感想は要らない」
護衛は青菜を一口で食べ、無言で二度頷いた。
「頷くのも感想よ」
叱られた護衛は、三口目だけは顔を動かさなかった。
卓上窯の中では炭が赤く残り、空になった瓜の区画だけが、まだ薄く湯気を上げていた。




