虹殻海老フライ、尾より先に香りが来る
虹殻海老は、殻を剥くと香りまで消えた。
「普通は、身を食べるでしょう」
第三用水路の番人オルドが言った。
隣では、娘のラナが、剥いた殻を朝の光へかざしている。虹殻海老は手のひらに収まるほどの小さな川海老で、身は半透明の白、殻には青、黄、赤の細い縞が走る。その色は光の反射ではなく、身から離した殻にもくっきり残っていた。
二人は黄金平原の箱を追って町へ来た。虹殻海老は、田植え前の用水路へ入り込んで若い水草を食べる。毎年捕るが、泥を吐かせるには清水が要る。町まで運んでも「身が小さい」と値切られ、殻ごと捨てられることも多いらしい。
メルが産地札、捕獲日、清水槽の記録を確かめた。
「食用種。清水で一晩泥を吐かせ、水を三回交換。冷却藻で当朝運搬。生食は禁止。中心まで加熱」
「三回?」とラナ。
「二回だ」とオルド。
「夜に私が替えた分を忘れてる」
オルドは札を見直した。二本の交換線の下へ、細い字で三本目が足されている。
「なら三回だ」
「次は最初から書いて。町の人は、お父さんの顔を見ただけじゃ分からない」
メルは三回目の時刻をラナに訊き、札へ書き加えた。それからようやくアキラへ頷く。
「これで料理できます」
アキラは一尾目の頭を外し、背を開いた。黒い筋を包丁の先で取り、腹側へ浅い切れ目を三本入れて、丸まった身を伸ばす。
殻は全部剥いた。
光麦粉を薄くはたき、溶いた月卵へくぐらせ、細かな黒パン粉をつける。熱した油へ静かに入れた。
しゃあ、と泡が走る。
衣は狐色になり、身は白く締まった。中心を割れば透明な部分はない。
アキラ、オルド、ラナで一片ずつ食べた。
衣の歯触りは軽い。身には小さいなりの弾力と甘みがある。けれど、箱を開けた時に立った青い柑橘に似た匂いが、ほとんどしなかった。
「町で出されるのは、いつもこの味」とラナ。
「悪くないだろ」とオルド。
「悪くないから、安くていいって言われる」
ラナは殻を一枚、アキラの鼻先へ持ってきた。身より強い香りがする。
「殻は硬い」とオルド。
「食べなくても、匂いは使えます」
頭殻と胴殻を水で洗う。布で押さえ、溝の水分まで取った。濡れたまま油へ入れれば跳ねる。
小鍋へ少量の油と殻を入れ、弱い火へかけた。
初めは、生の甲殻に似た匂いが勝つ。泡が大きい間は触らない。殻の虹色が赤金へ変わり、泡が細かくなった頃、青い果皮を炙ったような香りが立った。
「今です」とアキラ。
火から外し、殻を濾す。赤金色の油を清潔な小匙で冷たい小皿へ一滴落とす。湯気がおさまってから嗅ぐと、海老の香ばしさが先に来て、その後ろに青い匂いが残った。
香味油を、乾いた黒パン粉へ少しずつ混ぜた。多ければ衣が月卵をはじく。握れば一度まとまり、指を開けばほろりと崩れるところで止める。
二尾目。
粉、月卵、香味パン粉。油へ落とす。
泡が身の周りを細く走り、尾の付け根で小さくなる。衣の黄輪が重なり、身の中心まで白く不透明になったところで引き上げた。
網の上で十数える。すぐ皿へ置けば、底に蒸気がこもって衣が湿る。
切る前から、箱を開けた時の匂いがした。
ラナが待ちきれず、尾を持つ。
「熱い」とメル。
右手から左手へ移し、それでも端を齧った。
細かな衣が、さく、と軽く砕ける。すぐに白い身が歯を押し返した。青い香り、海老の甘み、焼けた殻の余韻。三つが同時ではなく、尾から頭の方へ追いかけてきた。
「身が小さいのに、いなくならない」
ラナは尾殻まで口へ入れようとした。
「そこは硬い」とオルド。
「味がついてる」
名残惜しそうに端だけしゃぶり、皿へ戻す。
ルチアは蜜玉葱を細く刻み、青酸果、花乳、塩で白いソースを作った。海老へかけず、小皿へ一匙だけ置く。
「一口目は、そのまま。二口目に少しだけ」と言う。
オルドは海老より先に、試作の二尾とは別に用意した、販売候補二十尾の籠を見た。
「これが売れれば、東水門の板を替える人を明日雇える」
「明日?」とルチア。
「水が増える前に直したい。次は百尾捕ってくる」
ラナの手が、空皿の上で止まった。
「百尾を一晩で泥抜きする清水はない」
「半分は捕った日に塩揚げへすればいい。平原ではそうして食べる」
「家で食べるのは、お母さんが清水へ移した分だけだった」
オルドは黙った。
ラナの母は、捕った日のうちに泥を吐かせた海老を香草で煮たという。泥抜き前の強い土臭さを、平原らしい味として町へ売るのは嫌だった。
「水門を直したいのは私も同じ。でも、急いだ海老を食べた人が、それを第三用水路の味だと思うのは嫌」
オルドは籠の持ち手を握った。水門の板も、三回目の水を替えた娘の手も、同じ用水路の仕事だった。
「二十尾で人は雇えない」と言う。
「板一枚ぶんにはなる」とルチア。「二十尾の代金へ、泥抜き三回の手間を入れる。次の数は、清水槽へ無理なく入る分を二人で決めて」
「町までの運び賃は?」
「別。安くはしない。高くして売れない可能性も、先に言っておく」
オルドはすぐに頷かなかった。
ラナは籠から、一番小さい海老を一尾取った。
「これは売らない」
「小さいからか」
「私たちが味を知らないまま、町へ説明できないから」
二十尾のうち一尾を、父娘の試食へ残した。
市場へ出したのは十九尾。売り札には《第三用水路・清水三回》と書いた。虹色の尾だけでなく、夜に水を替えた回数も同じ大きさの字にした。
最初の客は、荷運び人だった。
「小さいな」
「だから、尾より先に匂いを嗅いで」とラナ。
言われた通り、揚げたてへ鼻を近づける。青い香りに眉を上げ、一口で半分を食べた。衣が割れ、身を噛んでから、小皿のソースへ残りを少しだけつける。
「水路の海老って、泥臭いやつだろ」
「これは一晩、清水」とオルド。
「三回替えた」とラナ。
父の言葉へ、娘が足した。
荷運び人は尾を紙へ包まず、その場で食べ切った。空いた皿を返し、もう一枚の銅貨を出す。
「二尾なら、少し安いか」
オルドが答える前に、ルチアが首を横へ振った。
「二尾には、二尾ぶんの泥抜きと冷却と油がかかっています」
「身は串肉の半分だぞ」
「串肉と同じ物を食べたいなら、向かいにあります」
荷運び人は向かいの串肉を見た。それから、皿に残る赤金色のパン粉を指先で集める。
「今日は一尾でいい。次に腹が減った日は串肉にする」
もう一尾は買わなかった。それでも、最初の一尾を安くしろとは言わずに去った。
「二尾売れた方が、水門は早い」とオルド。
「一尾の仕事を安くしたら、次の水を替える人がいなくなる」とラナ。
父娘は同じ客の背中を見て、違う数を考えていた。
アキラは五尾ずつ揚げた。一度に入れすぎれば油の熱が下がり、衣が殻油を吸って重くなる。四尾目を入れた時の泡を見て、五尾目は十数えてから鍋へ入れる。
一組目を上げるたび、油へ落ちた黒パン粉を細い網ですくう。焦げた粉を残せば、次の衣へ苦みと黒い点がつく。香味油を混ぜたパン粉も、大鉢へ一度に全部出さず、五尾ぶんずつ小皿へ分けた。生の海老へ触れた粉は、次の組へ戻さない。
「町の揚げ物って、こんなに鍋を見てるの?」とラナ。
「海老が小さいので、待ってくれません」
「大きい方が楽か」とオルド。
「大きければ、中心まで火が通るのを待ちます。別の難しさです」
オルドは、また身の大きさで値を考えようとしてやめた。
二人目の客は、黄金平原から布を運んできた老人だった。虹色の尾を見て、買う前から顔をしかめる。
「これは、用水路で泥のまま揚げる小海老か」
「清水で一晩。水は三回替えました」とラナ。
「昔は塩を振って、泥臭いのを酒で流した」
「今日は、匂いを消すための酒はありません」
老人は一尾を買った。最初にソースをつけようとしたが、ラナが「一口目はそのまま」と止める。
「売り手が食べ方まで決めるのか」
「泥臭かったら、代金を返します」
ラナが自分の小袋から銅貨を一枚出し、卓へ置いた。本気らしい。
老人は衣の端を噛んだ。青い香りが抜けた後、白い身をゆっくり噛む。飲み込んでから、卓の銅貨をラナへ押し返した。
「酒がなくても、水路だな」
「泥の味?」
「泥の味じゃない。朝、水門を開けた時に立つ、冷たい水と水草の匂いだ」
オルドが初めて、売上箱ではなく客の顔を見た。
三人目は、海老を見たことのない町の子どもだった。尾の虹を指で触ろうとし、メルに止められる。
「食べる前に触らない。買わない物にも触らない」
母親が一尾を買い、半分に切って分けた。子どもは白いソースを全部かけようとしたが、母が小匙の先だけにする。衣の音が消えず、酸味は二口目の端にだけ残った。
「虹はどんな味?」と子ども。
「殻は食べません」とアキラ。
「じゃあ、見た味」
子どもはそう言って、最後まで尾を紙の上へ立てていた。
子どもは虹色の尾を見て立ち止まり、大人は殻を焼いた匂いで振り返った。身の大きさを見て買わない人もいた。値段を聞き、隣の串肉へ移る人もいた。
それでも昼鐘の少し前、十九尾目が売れた。
オルドは銅貨をすぐ数えた。ルチアはそこから食材代、油、卵、黒パン粉、場所代を引き、泥抜きの手間と運び賃を別の行へ残した。
「東水門の板、一枚ぶん」とオルド。
「一枚ぶんから直す」とラナ。
最後に、残した一尾を父娘で半分にした。
オルドは頭側。ラナは尾側。衣の厚さは同じでも、頭側の身は少し太く、尾側はよく弾んだ。
「どっちがうまい」とオルド。
「両方食べないと分からない」
ラナは自分の尾側をさらに半分にし、父の皿へ置いた。オルドも頭側を半分返す。
父は香味油の匂いを嗅ぎ、娘は酸味玉葱をほんの少しつけた。
「用水路でも作れる?」とオルド。
「油と卵とパン粉が要ります。先に、次の荷を同じ手順で町へ運べるか確かめます」とアキラ。
「まだ十九尾だもの」とラナ。
オルドは、さっき自分が言われた言葉を娘に取られ、鼻を鳴らした。
帰り支度をするラナは、売った海老の尾殻を一つ洗い、細い紐へ結んだ。その隣へ《捕獲鐘》《水替え三回》《冷却藻》の札を下げる。
「次の箱の目印」と言う。
「虹だけでは足りませんか」とアキラ。
「虹は、夜に水を替えてくれないから」
父娘が空籠を持ち上げる。来た時より軽いはずなのに、オルド一人では担がなかった。ラナと片方ずつ持ち、旧東門を平原の方へ歩き出す。
籠の横で、洗った虹殻の内側へ、三本線の札が細く映っていた。




