表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/29

虹殻海老フライ、尾より先に香りが来る

 虹殻海老は、殻を剥くと香りまで消えた。


「普通は、身を食べるでしょう」


 第三用水路の番人オルドが言った。


 隣では、娘のラナが、剥いた殻を朝の光へかざしている。虹殻海老は手のひらに収まるほどの小さな川海老で、身は半透明の白、殻には青、黄、赤の細い縞が走る。その色は光の反射ではなく、身から離した殻にもくっきり残っていた。


 二人は黄金平原の箱を追って町へ来た。虹殻海老は、田植え前の用水路へ入り込んで若い水草を食べる。毎年捕るが、泥を吐かせるには清水が要る。町まで運んでも「身が小さい」と値切られ、殻ごと捨てられることも多いらしい。


 メルが産地札、捕獲日、清水槽の記録を確かめた。


「食用種。清水で一晩泥を吐かせ、水を三回交換。冷却藻で当朝運搬。生食は禁止。中心まで加熱」


「三回?」とラナ。


「二回だ」とオルド。


「夜に私が替えた分を忘れてる」


 オルドは札を見直した。二本の交換線の下へ、細い字で三本目が足されている。


「なら三回だ」


「次は最初から書いて。町の人は、お父さんの顔を見ただけじゃ分からない」


 メルは三回目の時刻をラナに訊き、札へ書き加えた。それからようやくアキラへ頷く。


「これで料理できます」


 アキラは一尾目の頭を外し、背を開いた。黒い筋を包丁の先で取り、腹側へ浅い切れ目を三本入れて、丸まった身を伸ばす。


 殻は全部剥いた。


 光麦粉を薄くはたき、溶いた月卵へくぐらせ、細かな黒パン粉をつける。熱した油へ静かに入れた。


 しゃあ、と泡が走る。


 衣は狐色になり、身は白く締まった。中心を割れば透明な部分はない。


 アキラ、オルド、ラナで一片ずつ食べた。


 衣の歯触りは軽い。身には小さいなりの弾力と甘みがある。けれど、箱を開けた時に立った青い柑橘に似た匂いが、ほとんどしなかった。


「町で出されるのは、いつもこの味」とラナ。


「悪くないだろ」とオルド。


「悪くないから、安くていいって言われる」


 ラナは殻を一枚、アキラの鼻先へ持ってきた。身より強い香りがする。


「殻は硬い」とオルド。


「食べなくても、匂いは使えます」


 頭殻と胴殻を水で洗う。布で押さえ、溝の水分まで取った。濡れたまま油へ入れれば跳ねる。


 小鍋へ少量の油と殻を入れ、弱い火へかけた。


 初めは、生の甲殻に似た匂いが勝つ。泡が大きい間は触らない。殻の虹色が赤金へ変わり、泡が細かくなった頃、青い果皮を炙ったような香りが立った。


「今です」とアキラ。


 火から外し、殻を濾す。赤金色の油を清潔な小匙で冷たい小皿へ一滴落とす。湯気がおさまってから嗅ぐと、海老の香ばしさが先に来て、その後ろに青い匂いが残った。


 香味油を、乾いた黒パン粉へ少しずつ混ぜた。多ければ衣が月卵をはじく。握れば一度まとまり、指を開けばほろりと崩れるところで止める。


 二尾目。


 粉、月卵、香味パン粉。油へ落とす。


 泡が身の周りを細く走り、尾の付け根で小さくなる。衣の黄輪が重なり、身の中心まで白く不透明になったところで引き上げた。


 網の上で十数える。すぐ皿へ置けば、底に蒸気がこもって衣が湿る。


 切る前から、箱を開けた時の匂いがした。


 ラナが待ちきれず、尾を持つ。


「熱い」とメル。


 右手から左手へ移し、それでも端を齧った。


 細かな衣が、さく、と軽く砕ける。すぐに白い身が歯を押し返した。青い香り、海老の甘み、焼けた殻の余韻。三つが同時ではなく、尾から頭の方へ追いかけてきた。


「身が小さいのに、いなくならない」


 ラナは尾殻まで口へ入れようとした。


「そこは硬い」とオルド。


「味がついてる」


 名残惜しそうに端だけしゃぶり、皿へ戻す。


 ルチアは蜜玉葱を細く刻み、青酸果、花乳、塩で白いソースを作った。海老へかけず、小皿へ一匙だけ置く。


「一口目は、そのまま。二口目に少しだけ」と言う。


 オルドは海老より先に、試作の二尾とは別に用意した、販売候補二十尾の籠を見た。


「これが売れれば、東水門の板を替える人を明日雇える」


「明日?」とルチア。


「水が増える前に直したい。次は百尾捕ってくる」


 ラナの手が、空皿の上で止まった。


「百尾を一晩で泥抜きする清水はない」


「半分は捕った日に塩揚げへすればいい。平原ではそうして食べる」


「家で食べるのは、お母さんが清水へ移した分だけだった」


 オルドは黙った。


 ラナの母は、捕った日のうちに泥を吐かせた海老を香草で煮たという。泥抜き前の強い土臭さを、平原らしい味として町へ売るのは嫌だった。


「水門を直したいのは私も同じ。でも、急いだ海老を食べた人が、それを第三用水路の味だと思うのは嫌」


 オルドは籠の持ち手を握った。水門の板も、三回目の水を替えた娘の手も、同じ用水路の仕事だった。


「二十尾で人は雇えない」と言う。


「板一枚ぶんにはなる」とルチア。「二十尾の代金へ、泥抜き三回の手間を入れる。次の数は、清水槽へ無理なく入る分を二人で決めて」


「町までの運び賃は?」


「別。安くはしない。高くして売れない可能性も、先に言っておく」


 オルドはすぐに頷かなかった。


 ラナは籠から、一番小さい海老を一尾取った。


「これは売らない」


「小さいからか」


「私たちが味を知らないまま、町へ説明できないから」


 二十尾のうち一尾を、父娘の試食へ残した。


 市場へ出したのは十九尾。売り札には《第三用水路・清水三回》と書いた。虹色の尾だけでなく、夜に水を替えた回数も同じ大きさの字にした。


 最初の客は、荷運び人だった。


「小さいな」


「だから、尾より先に匂いを嗅いで」とラナ。


 言われた通り、揚げたてへ鼻を近づける。青い香りに眉を上げ、一口で半分を食べた。衣が割れ、身を噛んでから、小皿のソースへ残りを少しだけつける。


「水路の海老って、泥臭いやつだろ」


「これは一晩、清水」とオルド。


「三回替えた」とラナ。


 父の言葉へ、娘が足した。


 荷運び人は尾を紙へ包まず、その場で食べ切った。空いた皿を返し、もう一枚の銅貨を出す。


「二尾なら、少し安いか」


 オルドが答える前に、ルチアが首を横へ振った。


「二尾には、二尾ぶんの泥抜きと冷却と油がかかっています」


「身は串肉の半分だぞ」


「串肉と同じ物を食べたいなら、向かいにあります」


 荷運び人は向かいの串肉を見た。それから、皿に残る赤金色のパン粉を指先で集める。


「今日は一尾でいい。次に腹が減った日は串肉にする」


 もう一尾は買わなかった。それでも、最初の一尾を安くしろとは言わずに去った。


「二尾売れた方が、水門は早い」とオルド。


「一尾の仕事を安くしたら、次の水を替える人がいなくなる」とラナ。


 父娘は同じ客の背中を見て、違う数を考えていた。


 アキラは五尾ずつ揚げた。一度に入れすぎれば油の熱が下がり、衣が殻油を吸って重くなる。四尾目を入れた時の泡を見て、五尾目は十数えてから鍋へ入れる。


 一組目を上げるたび、油へ落ちた黒パン粉を細い網ですくう。焦げた粉を残せば、次の衣へ苦みと黒い点がつく。香味油を混ぜたパン粉も、大鉢へ一度に全部出さず、五尾ぶんずつ小皿へ分けた。生の海老へ触れた粉は、次の組へ戻さない。


「町の揚げ物って、こんなに鍋を見てるの?」とラナ。


「海老が小さいので、待ってくれません」


「大きい方が楽か」とオルド。


「大きければ、中心まで火が通るのを待ちます。別の難しさです」


 オルドは、また身の大きさで値を考えようとしてやめた。


 二人目の客は、黄金平原から布を運んできた老人だった。虹色の尾を見て、買う前から顔をしかめる。


「これは、用水路で泥のまま揚げる小海老か」


「清水で一晩。水は三回替えました」とラナ。


「昔は塩を振って、泥臭いのを酒で流した」


「今日は、匂いを消すための酒はありません」


 老人は一尾を買った。最初にソースをつけようとしたが、ラナが「一口目はそのまま」と止める。


「売り手が食べ方まで決めるのか」


「泥臭かったら、代金を返します」


 ラナが自分の小袋から銅貨を一枚出し、卓へ置いた。本気らしい。


 老人は衣の端を噛んだ。青い香りが抜けた後、白い身をゆっくり噛む。飲み込んでから、卓の銅貨をラナへ押し返した。


「酒がなくても、水路だな」


「泥の味?」


「泥の味じゃない。朝、水門を開けた時に立つ、冷たい水と水草の匂いだ」


 オルドが初めて、売上箱ではなく客の顔を見た。


 三人目は、海老を見たことのない町の子どもだった。尾の虹を指で触ろうとし、メルに止められる。


「食べる前に触らない。買わない物にも触らない」


 母親が一尾を買い、半分に切って分けた。子どもは白いソースを全部かけようとしたが、母が小匙の先だけにする。衣の音が消えず、酸味は二口目の端にだけ残った。


「虹はどんな味?」と子ども。


「殻は食べません」とアキラ。


「じゃあ、見た味」


 子どもはそう言って、最後まで尾を紙の上へ立てていた。


 子どもは虹色の尾を見て立ち止まり、大人は殻を焼いた匂いで振り返った。身の大きさを見て買わない人もいた。値段を聞き、隣の串肉へ移る人もいた。


 それでも昼鐘の少し前、十九尾目が売れた。


 オルドは銅貨をすぐ数えた。ルチアはそこから食材代、油、卵、黒パン粉、場所代を引き、泥抜きの手間と運び賃を別の行へ残した。


「東水門の板、一枚ぶん」とオルド。


「一枚ぶんから直す」とラナ。


 最後に、残した一尾を父娘で半分にした。


 オルドは頭側。ラナは尾側。衣の厚さは同じでも、頭側の身は少し太く、尾側はよく弾んだ。


「どっちがうまい」とオルド。


「両方食べないと分からない」


 ラナは自分の尾側をさらに半分にし、父の皿へ置いた。オルドも頭側を半分返す。


 父は香味油の匂いを嗅ぎ、娘は酸味玉葱をほんの少しつけた。


「用水路でも作れる?」とオルド。


「油と卵とパン粉が要ります。先に、次の荷を同じ手順で町へ運べるか確かめます」とアキラ。


「まだ十九尾だもの」とラナ。


 オルドは、さっき自分が言われた言葉を娘に取られ、鼻を鳴らした。


 帰り支度をするラナは、売った海老の尾殻を一つ洗い、細い紐へ結んだ。その隣へ《捕獲鐘》《水替え三回》《冷却藻》の札を下げる。


「次の箱の目印」と言う。


「虹だけでは足りませんか」とアキラ。


「虹は、夜に水を替えてくれないから」


 父娘が空籠を持ち上げる。来た時より軽いはずなのに、オルド一人では担がなかった。ラナと片方ずつ持ち、旧東門を平原の方へ歩き出す。


 籠の横で、洗った虹殻の内側へ、三本線の札が細く映っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ