肉を食べない小竜、眉毛を焼く
小竜は、照り焼きを嗅いで逃げた。
「竜なのに?」
アキラが訊く。
「俺も昨日までは、肉を食うと思ってました」
新人門番のヘスが、卓の下を覗く。
犬ほどの大きさの小竜が、ガランの入口席の下へ潜っていた。鱗は若草色。背中に小さな翼が二枚あるが、飛べそうにはない。尻尾で椅子の脚を巻き、鼻先だけを出している。
「東門の荷車に紛れてたんです。保護舎へ連れていく前に何か食べさせようと、肉を見せたら口を閉じて」
「肉食とは限らないでしょう」とメル。
「牙があります」
「草食の牙持ちもいます」
「火も吐きました」
「植物を焼いて食べる種かもしれません」
メルは小竜の鱗、目、爪を離れた場所から観察する。知らない生き物へ勝手に手は出さない。
小竜の鼻が、ひくひく動いた。
照り焼きからではない。
食材籠の方を向いている。
蜜玉葱。春人参。冬葉。雲芋。
アキラが一つずつ持ち上げる。
蜜玉葱では首を伸ばす。春人参を見せると、卓の下から半身を出した。
「人参ですね」
「生でやるな」とメル。
「生は駄目ですか」
「種が不明。少量を加熱し、食後を観察。調味料も単純に」
小竜は待ちきれず、人参へ一歩出た。
ガランの足にぶつかり、今度はその脚へ隠れる。
「俺は壁ではない」
「似ています」とヘス。
「どこが」
「大きさ」
ガランが新人を見下ろした。
「夜番を一つ増やすぞ」
アキラは人参と蜜玉葱を縦半分に切った。
鉄板へ切り口を下にして置く。油はほんの少し。動かさず、表面へ焼き色をつける。
人参の青い匂いが薄れ、甘い土の香りに変わった。蜜玉葱は切り口が飴色になり、縁から汁を出す。
小竜が卓の下から完全に出た。
前脚を調理台へかけようとする。
「待て」
ガランが胴を持ち上げた。
小竜は足を空中で動かし、口から煙を一筋出した。
「火を吐きますね」
「言ったでしょう!」
焼いた人参と玉葱を小鍋へ入れ、薄い鶏骨出汁で煮る。肉は使わないが、出汁まで避けるかは分からない。
メルが小皿へ一滴取り、小竜の前へ置く。
舌先で舐めた。
嫌がらない。
「鶏出汁は大丈夫そうですが、確定はしない。最初の椀は少量」とメル。
柔らかくなった人参と玉葱を木べらで潰す。裏ごし網を通し、花乳で伸ばす。塩は入れない。人参と玉葱の甘みだけにした。
橙色のスープが、小鍋の中でゆっくり波打つ。
「人用は塩を後から」とルチア。
ヘスとガランの椀にだけ塩を入れる。小竜用は浅い皿へ、ほんの半杯。
床へ置く。
小竜は勢いよく鼻を近づけ、熱さに首を引いた。
「まだ熱いですね」
アキラが皿を持ち上げようとする。
小竜が先に息を吸った。
「待――」
ぼっ。
小さな炎が皿の上を走った。
スープの表面が波立ち、アキラとガランの顔を橙色に照らす。
熱風が通り過ぎた。
炎はスープを冷ますどころか、表面を一度沸かし、浅い皿の縁を黒くした。
店内が静かになる。
ピコがアキラの顔を見た。
「右が短い」
「何が」
「眉毛」
ミミナがガランを見る。
「隊長は左です」
「何がだ」
「眉毛」
ニアが両方を見比べた。
「二人で一組なら、揃ってる」
「揃えなくていい!」
アキラとガランの声が重なった。
小竜が鼻を近づけると、メルが皿を遠ざけた。
「今のは冷ましたことになりません」
別の浅い皿へ少しずつ移し、湯気が細くなるまで待つ。小竜はその間、尻尾の先で床を三度叩いた。四度目を待ってから、メルが皿を戻す。
今度こそ、小竜はスープへ舌を入れた。
一口。
二口。
浅い皿の縁を前脚で押さえ、最後は鼻先を入れて飲みきった。
空の皿を舐めたあと、焼く前の春人参を見た。
「生は駄目」とメル。
小竜はメルを見た。
煙を一筋吐く。
「威嚇しても駄目」
研究員は動じなかった。
二杯目は出さない。食後の様子を見るため、水だけを置く。小竜は少し不満そうに尻尾を鳴らしたが、ガランの足元で丸くなった。
半刻後も、呼吸、鱗の色、動きに異常はない。
「保護舎へ、この材料と量を伝えます」とメル。
「明日も連れてきていいですか」とヘス。
「保護舎の許可と、同じ個体だと分かる首札をつけて。毎日同じ量では栄養が偏るので、主食は向こうで決める」
ヘスは頷いた。
小竜を抱き上げる。
入口で、若い夫婦が店内を覗いていた。幼い子どもが、アキラの短い眉毛を指さす。
「竜に焼かれたの?」
「冷ますつもりだったみたいです。眉毛だけ焼けました」
「また来る?」
「許可が出れば」
子どもは母親の袖を引いた。
「わたしも、そのスープ飲みたい」
ルチアが入口の札へ書き足す。
――人用の人参スープ。火はつきません。
少し考え、その下にもう一行。
――眉毛代込み。
「料金へ入れないでください」
アキラが言う。
「話題代よ」
ガランは残った右眉を押さえた。
「俺の分も取れ」
「二人で一組だから半額ずつ」とニア。
誰も頼んでいない計算だった。
保護舎へ移る段になると、小竜は前脚で空を掻き、ガランの外套の留め金へ尻尾を巻きつけた。
「俺は保護舎ではない」
「隊長が壁みたいだから安心するんです」とヘス。
「大きさだけ」とニアが足す。
ガランは二人を順に見たが、片方しかない眉では、いつもの半分ほどしか怖くなかった。
保護舎は東門の詰所裏にあった。石壁で囲まれた小さな庭に、脚を痛めた荷鳥、籠へ入った夜鼠、毛布を噛んでいる角兎がいる。食べ物の匂いが混じらないよう、肉食の区画と草食の区画は水路を挟んで離れていた。
世話係は、小竜が紛れ込んでいた荷車から二つの物を回収していた。
丸く硬い種と、若い根菜の葉。
葉の端には、小さな歯形が並んでいる。
「これを食べていたようです。ただ、落ちていた物を同じ個体が噛んだとは限りません」
「肉は?」とヘス。
「口を閉じたのでしょう」
「でも竜なら、そのうち必要になるかも」
ヘスは朝の報告で、《肉食の小竜を捕獲》と書いていた。荷車の下から引っぱり出した時、詰所の先輩が初めて背中を叩いてくれたのだという。
「草を食べるなら、捕獲じゃなくて迷子を拾っただけになる」
「仕事が小さくなるのか」とガラン。
「報告の字が大げさになります」
「なら直せ」
短い命令だった。
ヘスは保護舎の台へ朝の紙を広げた。《肉食》を二本線で消そうとして、メルに止められる。
「草食とも決まっていません。確認できたことだけを」
――肉を拒む。加熱した人参と玉葱を一匙完食。根菜葉へ反応。硬い種は未試験。
四行になった。最初の二文字より長く、格好はよくない。
「捕まえたことは消さなくていいですか」
「荷車の車輪へ入る前に出した。それは仕事でしょう」と世話係。
ヘスは《捕獲》を《保護》へ書き直した。今度はガランに見せず、自分で紙の端へ詰所印を押した。
世話係は答えず、ヘスが抱く小竜の鼻先へ、肉と葉を離して置いた。肉には顔ごと背ける。葉へは首を伸ばすが、すぐには噛まない。
メルは葉の表と裏を見て、茎を折り、出た汁の匂いを嗅いだ。町で小型の荷蜥蜴にも与えている根菜の葉で、毒草の特徴はないという。それでも、小竜が一度鼻を寄せただけでは、主食にできるとも、一度にどれだけ食べられるとも決められない。葉は加熱して一口だけ試し、硬い種は今夜は食べさせず、水へ浸して変化を見ることになった。
「今夜の一口だけ、さっき食べた人参へ、この葉を少し混ぜます」とアキラ。
「厨房へ戻る気?」とルチア。
「ここに蒸し鍋はありますか」
世話係が、動物用の小鍋を指した。人の料理道具とは棚から分かれている。
葉を流水で洗い、傷んだ先を切る。一枚をそのまま熱い湯気へ入れた。長く蒸せば青い匂いが消える。縁は曲がるが、茎を折るとまだ小さく音がするところで引き上げる。
細く刻み、店から持ってきた塩なしの人参スープを匙一杯だけ混ぜた。いつもの匂いの中へ、葉の青さが一本入る。
床へ置く前に冷ます。
「息を吹けば早い」とヘス。
「火を混ぜないなら、あなたの眉毛で試してもいいですよ」とアキラ。
ヘスは鍋蓋を顎の下まで上げた。
小竜は三歩近づいた。鼻を一度、二度と動かす。匙の縁を押し、緑の葉だけを舌先で拾った。
噛む。
次は人参ごと舐めた。
「食べた!」
ヘスが叫び、小竜が驚いて息を吸う。
ガランとアキラが同時に顔を伏せた。ニアは柱の後ろへ入り、ルチアは帳面を閉じる。
ぷす、と煙が一筋出ただけだった。
「拍手はしないでください」と世話係。
誰もしていない。ヘスだけが鍋蓋の後ろで、音を立てずに親指を上げた。
一匙を食べ終えると、二匙目は出さなかった。今夜は保護舎で呼吸と鱗を見て、明朝の食事は世話係とメルが決める。店は人参スープの作り方だけを渡し、動物の献立までは請け負わない。
戻ると、入口で待っていた子どもが、人用の人参スープを一椀だけ頼んだ。
「竜のと同じ?」
「あなたのは塩入り。花乳も少し多い。葉は入っていません」
「火は?」
「つきません」
子どもは少し考え、母親の銅貨を一枚、ルチアへ渡した。
人参と蜜玉葱は鉄板で焼き、甘い香りを出してから鶏骨出汁で煮た。木べらで潰し、網を通す。花乳を入れたあとは煮立てず、塩を指先ひとつ。橙色の表面が揺れなくなるまで、卓で待つ。
子どもは自分で息を吹きかけた。
「火がなくても、冷める」
「火を使わず冷ますと、少しかかるの」とルチア。
アキラとガランは、短くなった眉毛を見合わせた。
「僕たちも待てばよかったですね」
「お前は待てと言う前に顔を出した」
「ガランさんもです」
「俺は客だ」
子どもが笑い、人参スープをもう一匙すくった。店に残った火は竈の中だけで、今度は誰の眉毛にも届かなかった。




