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城壁の月見つくね、百本

「百本」


 ルチアが言った。


「もう一度」


「減らないわよ。夜警隊へ百本。日没の交代鐘まで」


 帳面には、ガランの太い字で本数が書かれていた。


 東門だけではない。北東から南東まで、城壁の夜警隊五組。初夏でも夜の城壁は風が冷たく、交代前に片手で食べられる物がほしいという。


「前は七本でした」


「七本を食べた十九人が、次は自分の組にもと言った」


 ガランは入口席で大盛りを食べている。


「十九人で七本?」


「切った」


「串を?」


「肉を」


「分けにくかったでしょう」


「だから百本だ」


 理由は分かった。


 問題は作り方だった。


 琥珀鶏は十二羽分。前日から解体所へ注文し、朝一番に検査済み肉が届いている。胸、腿、首、皮を分け、冷却石を敷いた棚へ入れていた。


「百本を昼から一人で叩くのは無理です」とアキラ。


「最初から一人に数えてない」


 ルチアが前掛けを渡す。


 ピコは包丁を使わず、皮の重さを量る。ニアは完成品を城壁へ試送。パン屋夫婦は包み葉を切る。メルは肉を冷たい棚から小分けに出し、常温へ置きっぱなしにしない役。


 ザックは手伝わない。


「百本を俺抜きで出せたら、次の勝負で認めてやる」


「何をですか」


「百本出せたことを」


「そのままですね」


 代わりに《火角亭》の大きな炭台を貸してくれた。


 アキラは肉を粗く叩く。胸肉は食感を残し、腿と首は少し細かく。刻んだ皮を混ぜ、塩、蜜玉葱、月卵の白身を加える。


 一度に混ぜるのは二十本分ずつ。大桶へ百本分を詰めれば、底と上で温度も混ざり方も変わる。


「串、一から二十!」


 ルチアが読み上げる。


 ピコが一個分を量り、アキラが平串へ巻く。中央を薄くし、両端を締める。


 二十一から四十。四十一から六十。


 同じ動作でも、手の温度で肉が柔らかくなる。十本ごとに手を冷水で洗い、布でよく拭いた。


「百本って、途中から串しか見えなくなる」とピコ。


「数を見て」とルチア。


「料理を見て」とアキラ。


「音も聞いて」とピコ。


「全員、違う仕事を言わないで」


 炭台へ二十本ずつ並べる。


 琥珀脂が落ちるたび、炎が小さく上がる。表面を焼き固め、返す。たれは豆蜜を薄くした物。店で出すつくねより、塩を少し強くした。


 冷たい風の中では、味を濃く感じにくい。そう考えた。


 最初の五本が焼けた。


 ニアが保温箱へ入れ、東門の城壁まで飛ぶ。


 半刻後、戻ってきた。


「塩辛い」


「風の中で?」


「ガランが二本食べて言った」


「試食は一人一本」とルチア。


「一本目で塩辛いと分かって、二本目で確かめたらしい」


「記録帳だからな」とピコ。


 店の中で味見する。


 濃いが、食べられないほどではない。むしろ飯や酒には合う。


「城壁では、冷えて塩が強く残る」とニア。


「寒ければ濃い味では?」


「寒いから、最初に熱い月茶を飲む。それと一緒だと塩が立つ」


 現地で何と食べるかまで、アキラは見ていなかった。


 残り九十五本。


「たれを薄くします」


「薄味で夜番が足りるか」とガランから伝言。


「月卵黄を別に持っていきます」


 その朝に採れ、半熟用の青い検査印が押された月卵だけを使う。黄身を清潔な蓋つき壺へ分け、豆蜜を少量混ぜる。つくね本体は塩を減らし、香ばしく焼く。食べる直前に黄身を添えれば、濃さを自分で変えられる。


「壺は五組に一つずつ。共用匙をつけて、直接二度づけしない札」とメル。


「串を浸すのは?」


「一口分を匙で皿へ取る。卵は冷却石箱で運び、到着後すぐ使い切る。残りは廃棄」


 月見の手順まで決まった。


 六十一本目から、ピコの手が遅くなった。


「指がつる」


「休んで」とアキラ。


「百までやる」


「休むのも仕事です」


 代わりにパン屋のサラが計量へ入り、ピコは焼き上がりの音を聞く役へ移った。


「右端、火が弱い」


 炭の位置を直す。


「四列目の三本、脂が落ちてない」


 肉の厚みを確かめ、位置を替える。


 日没の鐘が近づく。


 九十六。九十七。九十八。


 九十九。


「百!」


 ルチアが最後の串を数えた。


「五本、試食で使いました」とアキラ。


 全員が止まる。


「追加五本」とルチア。


「百本できたって言った!」


 ピコが机へ突っ伏した。


「納品は百本」


「試食は料理じゃないの?」


「売上には入らない」


 残った肉を集める。大きさは少し不揃いになったが、五本を成形できた。


 最後の五本を焼くあいだ、ニアが先の九十五本を五つの保温箱へ分けて運ぶ。ガランの交代組が店へ受取りに来た。


 日没直前、百本目が城壁へ届いた。


 アキラたちも東門の上へ上がる。


 風は店内よりずっと冷たい。石壁は昼の熱を失い始め、遠くの平原に月が上がっていた。


 夜警たちは薄塩つくねを受け取り、月卵黄を小皿へ一匙ずつ取る。串の先を絡めて食べた。


 肉自体は軽い塩味。焼けた皮の胡桃香が先に立ち、あとから濃い黄身と豆蜜が舌へ残る。黄身をつけない二口目も選べた。


「これなら茶と喧嘩しない」


 ガランが言った。


「一本目で分かりましたか」


「二本食べた」


「一人一本です」


「最初の五本は試食だ」


「納品の百本からも食べたでしょう」


 ガランは月を見上げた。


「城壁が軋んだ」


「石造り!」


 ミミナの声が、夜の城壁へ響いた。


 笑いが収まると、夜警たちは持ち場へ散った。食べ終えた者から空串を箱へ戻し、まだの者は風除け壁の陰へ移る。


 一人だけ、黄身の小皿を前に立ったままの若い門番がいた。今日が初めての夜番らしい。右手にはつくね。左手は、壁際を走る警報綱から離していない。


「そこへ皿を置けばいい」とガラン。


「石が濡れています」


 昼の雨が、壁のくぼみにまだ残っていた。新人は手袋の指で水を拭おうとしたが、今度は手袋が濡れる。つくねの香葉巻きは滑らない。それでも小皿と匙まで片手では扱えなかった。


「綱は離してもいいぞ」とミミナ。


「さっき、離すなと言われました」


「敵を見つけた時はね」


「まだ、どこまでが敵か分かりません」


 真面目に答えるので、ミミナは笑うのをやめた。


「街道の向こうで火を三つ振ったら敵。門下で一つなら荷車。分からなければ、綱を引く前に私を呼ぶ」


 新人は頷いた。だが綱は握ったままだった。手順を一度に聞いた夜は、一本でも手を放せる仕事を増やしたくないのだろう。


 アキラが紙包みで受け皿を作れないか考えている間に、新人は濡れた手袋で匙を持ち上げた。


「ガランさん、新人の黄身が落ちました!」


 ミミナの声が上がった。小皿が傾き、黄身はつくねではなく手袋の指へ黄色い筋を作っている。新人は警報綱を握った方の手を、まだ壁から離せなかった。


「味は?」とガラン。


「まだ食べてません!」


「黄身を落としても、つくねは残る」


 新人は串をそのまま一口噛んだ。薄塩の肉と焼けた皮だけ。黄身なしでも食べられるが、目は隣の小皿を追っている。


 アキラも、試食で割った一本の端を思い出した。粗い胸肉は冷えても噛み応えがあり、細かくした腿と首が隙間へ肉汁を残す。刻んだ皮を噛めば、黄身がなくても胡桃に似た香りは出た。


 百本全部が失敗だったわけではない。


 けれど、目の前の一人は、ほかの夜警が選べた食べ方を選べずにいる。


「食べ終わってから、串を一本貸してください」


「作り直すんですか」


「百本は無理です。次に試す一本だけ」


 新人は少し安心した顔で、黄身のついていない半分を食べた。初仕事の夜に、自分のせいで百本やり直すと言われたら、味どころではなかっただろう。


 アキラは余った平串を一本取り、先端を小刀で平たく削った。小皿の縁へ引っかけ、匙のように黄身を少量すくえる形にする。


「これなら片手でいけます」


「百本、全部削り直す?」とピコ。


「今日はもう配り始めています。削り直すなら、次の試作からです」


 新人へ渡す前に、メルが木屑とささくれを確かめ、湯で洗った。濡れた手袋のまま持つ。平たい先へ黄身は乗ったが、最初の角度では半分が落ちた。


「成功してない」とピコ。


「だから一本だけです」


 二度目は皿を壁のくぼみへ置き、串を寝かせて引いた。黄身がつくねの片側へ細く残る。新人はようやく食べた。


 平たい木先で黄身の膜が破れ、濃い橙色が焼けた鶏皮の割れ目へ入った。噛むと薄塩の肉が先にほどけ、冷たい黄身が一拍遅れて舌へ広がる。熱い月茶を飲んでも、豆蜜の甘みだけが短く残った。


「温かいです」


「味を聞かれてるぞ」とガラン。


「手もです」


 初めての夜番で、声が硬かった。一本を食べ終える間に、見張る方角、交代の合図、月茶の場所を隣のミミナへ三つ訊けた。


 南東の組から来た門番が、空箱の匂いを嗅いだ。


「次の満月は、こちらにも二十本」


「合計百二十」とガラン。


「今夜の百本を作ったばかりです」とアキラ。


「予約だ」


 ルチアは本数の横へ、条件を先に書いた。


 串先の片手試作。黄身の冷却箱。受取五組。肉と月卵が同量そろうこと。強風で運べない時はつくね本体だけ、または延期。


 注文を受けた時に押す店印は、まだ朱肉の横に置いたままだった。


 城壁の上では、百本目まで食べ終わっていた。空箱に串は百本戻ったが、黄身の小皿一つには黄色い指跡が残っている。


 新人が洗って消そうとすると、ミミナが止めた。


「店へ返す。次に直す人が見る」


「汚したまま?」


「失敗した場所だけ」


 月明かりの下で、小皿の縁へ指四本ぶんの黄色がついていた。百本完食の空箱より、その一枚の方をアキラは先に受け取った。

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