第八話「全員、連れて帰る」
宇宙空間に出た瞬間、ゾック二号機のコックピットが静かになった。
コロニーの駆動音が消えた。人工重力が消えた。無重力。真空。星が、四方八方にあった。
ビグ・ゾックは、コロニーの外壁から数百メートルの位置で——止まっていた。
回転するミラーの反射光を浴びて、六十メートルの白い巨体が浮かんでいた。メガ粒子砲のバレルが鈍く光っている。クローが宙を掻いている。
だが——攻撃してこなかった。
(撃ってこない——?)
「エリカが、撃たせていない」
「え?」
「あの中でエリカが抗っている。ビーム兵器を使わせまいとしている。——あの子は、誰も殺したくないんだ」
(十二歳の女の子が——あの化け物の中で、一人で——)
ビグ・ゾックのクローが振るわれた。ゾック二号機に向かって。だが——遅い。あの巨体からすれば、虫を払うような動きだった。
ヴィンターが操縦桿を倒した。回避。横滑り。ホバーの慣性で流される。
「近づく。コアに取り付く」
「了解——」
ゾック二号機がビグ・ゾックの胸部に向かって突進した。クローを構えた。——だがビグ・ゾックの腕が振り下ろされた。巨大なクローがゾック二号機を弾き飛ばした。
衝撃。コックピットが揺れた。計器が火花を散らした。
「右腕——損傷大!」
「まだ動ける」
「まだ動けるって——」
もう一撃。ビグ・ゾックの左クローがゾック二号機の右腕を捉えた。金属が軋む音。引きちぎられた。右クローが闇の中に消えていった。
「右腕、喪失……」
「左がある」
「左だけでどうするんですか!!」
そのとき——エリカの声が聞こえた。
通信ではない。心の中に、直接。
「——カリーナさん」
カリーナは目を見開いた。
(聞こえた——エリカちゃんの声が——)
「——中に入って。私を出して。——お願い」
(私に——? なんで私——?)
「少尉。エリカちゃんの声が聞こえます」
「……お前に、聞こえたのか」
「中に入れって。私を出してって」
ヴィンターはカリーナを見た。一秒。
「……行けるか」
「行きます」
「ビグ・ゾックの胸部にメンテナンスハッチがある。取り付いたら、お前が中に入れ」
「少尉は?」
「ここで時間を稼ぐ」
「片腕のポンコツで?」
「片腕のポンコツで」
(——この人、笑ってる。今、絶対に笑ってる)
ゾック二号機がビグ・ゾックの胸部に向かって突っ込んだ。残った左クローが装甲に食い込んだ。火花。金属の悲鳴。巨体がのけぞった。
「——今だ!行け!」
カリーナは後席のハッチを開けた。ゾック二号機の装甲の上に出た。真空。無重力。磁気ブーツだけが装甲面に足を繋ぎ止めている。目の前にビグ・ゾックの胸部装甲。小さなメンテナンスハッチがある。
(高い。怖い。——でも)
エリカの声が聞こえていた。
「こっちだよ」
カリーナはハッチをこじ開けて、ビグ・ゾックの中に飛び込んだ。
---
内部は、暗かった。
配管とケーブル。グレーチングの床。非常灯の赤い光。——そして、戦艦のように広い。
(モビルアーマーの中って——こんなに広いの……?)
走った。エリカの声が導いてくれる。右。左。まっすぐ。階段。また右。
途中でオートマトンに遭遇した。車輪付きの小型砲台。カリーナは走りながらかわした。左腕をかすめられた。インナースーツが裂けた。血が滲んだ。
(痛い——でも止まらない!)
コアに近づくにつれて、空気が変わった。温かくなった。甘い匂い。培養液の匂い。
そして——庭園のような空間に出た。
金属の壁に囲まれた空間に、なぜか植物があった。人工の草。小さな花壇。ベンチ。——エリカのために用意された、偽物の庭。この化け物の内部に、少女のための箱庭が作られていた。
その奥にカプセルがあった。
透明な円筒形。青白い光。その中に——エリカが浮かんでいた。白いスーツ。電極が全身に繋がれている。目を閉じている。プラチナシルバーの髪が液体の中で揺れていた。
「エリカちゃん——!」
カプセルの前に、ディルク・ヘルマン所長が立っていた。いつの間にここまで来たのか。白衣は汚れ、眼鏡のレンズが片方割れていた。だが——立っていた。
「間に合ったか。——間に合ってしまった、と言うべきかな」
「エリカちゃんを出してください」
「出せない。出せばビグ・ゾックが止まる。中の強化人間たちが、全員脳死する。このシステムは——コアが抜ければ、繋がれた全員が道連れになる」
(——全員?)
「あの子は、それをわかっている。だから自分から入ったんだ。自分が犠牲になれば、繋がれた全員が助かると——」
「そんな——」
「この子は素材だ。人間を超えた存在になるための——」
「黙ってください」
カリーナの声は、自分でも驚くほど静かだった。
「あの子は、カレーが辛いって言ってました」
ヘルマンの言葉が止まった。
「お兄ちゃんが遅いって怒ってました。ポンコツのポッドに名前つけて、友達だって呼んでました。おこりんぼとか、ドジっ子とか。——そういう子なんです。素材なんかじゃない。神様になんかしないでください」
ヘルマンの表情が揺れた。眼鏡の奥の目が、一瞬だけ——人間の目に戻った。
「……私は——」
その隙に、カリーナはカプセルの制御パネルに走った。
「やめろ!リリースすれば——」
「全員助けます」
「不可能だ!コアを抜けば——」
「全員助けます。エリカちゃんも。中の人たちも。全員」
(——方法なんて知らない。でも——)
カリーナの指がリリースボタンの上で止まった。
心の中で——声が聞こえた。
エリカの声ではなかった。もっと多くの声。カプセルの向こう側から。ビグ・ゾックの中に繋がれた人たちの声。目を合わせなかった人たち。強化人間の成り損ないたち。
彼らが——叫んでいた。
(出してくれ)
(助けてくれ)
(——もう、疲れた)
カリーナの目から涙がこぼれた。
(聞こえる——聞こえるよ。みんな——)
その瞬間、閃きがあった。
さっきのシュツルムファウストのときと同じ。脳の奥で、何かが光った。
(——リリースと同時に、エリカンネルたちが外からビグ・ゾックの動力系を直接叩けば——コアを経由せずにシステムを落とせる。繋がれた人たちを道連れにせずに——)
カリーナは叫んだ。声に出して。心の中で。同時に。
「エリカちゃん!聞こえるなら——お友達に伝えて!外から動力を落として!」
カプセルの中で、エリカの目が開いた。
青い目が、カリーナを見た。
——頷いた。
---
ビグ・ゾックの外では、ヴィンターが限界だった。
ゾック二号機は片腕。脚部半壊。メガ粒子砲は——使えない。コアにエリカがいる。
ビグ・ゾックのクローが迫った。避けられない。覚悟した——
そのとき、四方から光が集まった。
ヴァンツェたちだった。
格納庫に残っていたエリカンネルが、全機、宇宙に出てきていた。数十機のポンコツが、ビグ・ゾックの周囲に群がった。一機一機は豆粒のようだった。武装もない。ただの鉄の塊。
だが——彼女たちは一斉に、ビグ・ゾックの動力系に取り付いた。排気口に。冷却ダクトに。推進剤パイプに。小さな体で、噛みつくように。
ビグ・ゾックが震えた。動力出力が乱れた。メガ粒子砲のチャージが途切れた。
エリカの声が——ヴィンターのヘッドセット越しに、聞こえた。
「お兄ちゃん。——今だよ」
ヴィンターはヘッドセットを外した。
世界の音が、一斉に流れ込んできた。エリカの声。ヴァンツェたちの声。ビグ・ゾックの中で叫んでいる人たちの声。そして——もっと遠くから、もっと深いところから、誰かの——
(——行け)
ヴィンターの手が操縦桿を握った。
ゾック二号機が動いた。片腕で。半壊した脚部で。ホバーが吹いた。慣性を殺しきれず機体が回転しかけた。だが——止まった。止められた。自分の力ではない何かが、機体を支えていた。
左クローがビグ・ゾックの胸部装甲に食い込んだ。メンテナンスハッチの横。カリーナが入っていった場所。
装甲を引き剥がした。
青白い光が溢れ出した。
「カリーナ!」
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カリーナはリリースボタンを押した。
カプセルが開いた。培養液が溢れた。エリカの身体が傾いだ。カリーナが受け止めた。
軽かった。驚くほど軽かった。
「エリカちゃん。起きて」
「……」
「起きてよ。お兄ちゃんが——外で待ってるよ」
エリカの目がゆっくりと開いた。焦点が合うまでに、三秒かかった。
「……カリーナ、さん?」
「うん。迎えに来たよ」
「……お兄ちゃんは?」
「外で頑張ってる。ポンコツで」
「……ポンコツ?」
「うん。すっごいポンコツ。でもかっこいいポンコツ」
エリカが——笑った。小さく。声に出して。
ビグ・ゾックが揺れた。動力が落ちていく。ヴァンツェたちの質量攻撃が効いている。エリカが抜けたことで、システムが不安定になっている。
だが——繋がれていた人たちは、壊れなかった。
エリカが最後の力で、彼らを切り離していた。一人一人、丁寧に。繋がりを断つのではなく、そっと手を放すように。
「……みんな、ごめんね。——ありがとう」
カリーナはエリカを背負った。走った。メンテナンスハッチへ。
ハッチを開けた。外の光。星の光。
ゾック二号機がしがみついていた。左腕だけで。ボロボロだった。
コックピットのハッチが開いた。ヴィンターが手を伸ばした。
「寄越せ」
カリーナがエリカを渡した。ヴィンターが受け取った。片腕で。
「エリカ」
「……お兄ちゃん」
「帰るぞ」
「……うん」
ビグ・ゾックが傾き始めた。六十メートルの巨体が、ゆっくりと宇宙の闇に沈んでいく。その表面に、ヴァンツェたちがまだ取り付いていた。役目を終えて、一機、また一機と離れていく。
エリカが振り返った。
「……ばいばい。みんな」
ヴァンツェたちのモノアイが、一斉に明滅した。
返事のように。




