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第6章:鏡界の囁きと頬の温度

酒場の重厚なドアが背後で「カチャリ」と音を立てて閉まると、劣悪なアルコールと鉄錆、そして死の余韻が混ざり合ったあの空気は完全に遮断され、警察の封鎖テープだけが夜風に寂しく揺れていた。 鉄錆街アイアン・ラスト・ストリートは何事もなかったかのように、街灯の下の群衆はすぐにいつもの喧騒と**諦め**を取り戻していく。 足を止めて哀悼を捧げる者もいなければ、閉ざされた寝室のドアを振り返る者もいない――この場所において、命の終わりなど路地の隅でひっくり返ったゴミ箱のようなものだ。蹴り飛ばしてしまえば、それで終わり。日々はただ、残酷に続いていく。


フェイは路頭に立ち、ダークブルーのスーツの袖口を夜風に揺らせていた。 彼は無意識に手を伸ばし、そこにはもうない眼鏡のブリッジを押し上げようとしたが、指先が触れたのは鼻梁の上の細かな灰だけだった。 視線が遠くの歪んだ鋼鉄の巨塔に落ちると、胸の奥から空虚な疲労感がじわじわと湧き上がってきた。


(シュウ……ユエンユエン……。あっちの世界は、今頃まだ昼間だろうか。俺が消えたことに、あいつはもう気づいているんだろうか……)


彼は首を振り、それらの思考を無理やり抑え込んだ。 少なくとも今、自分は生きてこの奇妙な通りに立ち、機械油と焼き肉の混ざった匂いを嗅いでいるのだ。


「飛の兄さん! また上の空ね!」


背後から、鈴を転がすような笑いを含んだ声が響いた。 マイが足早に追いかけてくる。緋色の忍者装束が、薄暗い街灯の下でまるで跳ねる火炎のように鮮やかだった。 彼女は両手を背後に組み、首を少し傾げて彼を見つめ、ポニーテールを軽やかに揺らした。「行きましょ! 警察が戻ってきて私たちをブタ箱に放り込むのを待つ気?」


飛は我に返り、口元に自嘲気味な笑みを浮かべた。「……俺はまだ、ここがどこなのか完全に把握できていないんだ。すべてが……夢のように思えてな」


舞はパチパチと瞬きをし、その瞳をキラキラと輝かせた。「夢? だとしたら随分とリアルな夢ね。さっきの中でのあなた、一気に犯人を引きずり出しちゃうんだもの! 警察官まであなたのハッタリに完全に気圧されてたわ」 彼女はそう言うと、不意に一歩前へ小さく跳ね、彼と肩を並べて歩き出した。肩が彼の腕に触れそうなほどの距離だ。「行きましょ、まずは落ち着ける場所を探すの。お礼に何かご馳走するわ!」


二人は鉄錆街を並んで歩いた。夜色の中に、一重一軽の足音が響く。 飛の動作には、まだどこかかすかな遅延タイムラグが残っていた。脳の命令に対して身体が半拍遅れる感覚。だが、彼はこの「400ミリ秒」に少しずつ適応し始めていた。 対する舞の足取りは極めて軽快で、一歩一歩に忍者特有のしなやかな弾力があり、今にも屋根の上へ飛び上がりそうだった。


「飛の兄さん、まず一つ質問に答えて」舞が不意に口を開いた。その声には純粋な好奇心が満ちていた。「あなた……本当に、鏡界ミラーレルムの人間じゃないわね?」


飛の足が微かに止まった。「鏡界?」


「そうよ、ここよ」舞はまるで「今日の天気は良いわね」とでも言うように、当たり前のような口調で言った。「みんなここで生まれ、育ち、商売をして……すべてが鏡界の一部。あなた、どう見てもここの住人には見えないわ。どこから来たの?」


飛の心臓が、ドクンと小さく跳ねた。彼は少し考え、真実を口にすることにした。 「俺が目覚めた時、この近くの廃墟に倒れていたんだ。スーツはこのままで、時計も動いていた……。だが、スマホの電波はなくて、何にも繋がらない。最初は異世界転移か、あるいは……極めてリアルな夢を見ているんだと思った。俺はもともと、海港城ハイガンシティという場所で仕事をしていたんだ。とても大きな都市で、高いビルがたくさん立ち並んでいる場所だ」


舞の瞳が瞬時に大きく見開かれ、明らかな驚きが浮かんだ。「ハイガンシティ? 聞いたことがないわ。それにスマホって何? あなた、本当に遠く、遠く離れた場所から来たのね」


飛は苦笑した。やはりこの世界にはスマートフォンが存在しないのだ。「あぁ……。今の俺は、どうすれば元の場所へ帰れるのか、それだけを知りたい」 彼は一呼吸置き、舞を見つめた。「君は? 君はどこの人間なんだ? なぜこの鉄錆街へ薬草を届けにきた?」


舞の笑顔が微かに収められたが、視線を逸らすことはしなかった。 彼女は通り沿いにある生錆びた街灯の柱に寄りかかり、両手を胸の前で組んだ。緋色の袖が夜風の中で静かに翻る。


「私は、赤雀村セキジャクムラの人間よ」彼女の声は軽快だったが、そこには確かな誇りが滲んでいた。「鏡界の北東にある、古くから続く忍びの村。村自体は大きくないけれど、私たちの流派は……『効率』を重んじるわ。私は村の次の代の継承者候補で、今回は、試練のために外に出てきているの」


彼女はそう言うと、視線を腰の暗銀色の短杖へと落とした。それをスッと引き抜くと、手の中で無造作に二回転ほど回して見せる。半透明の杖身の内部で、不思議な液体が微かに揺れ、幽い光を放っていた。「これが村の『聖器アーティファクト』。危険を察知する能力があるの。それと……少し変わった人間を感応する力もね」


飛はそれを聞きながら、微かに眉をひそめた。「継承者候補……。ずいぶんと重い責任を背負っているんだな。そんな女の子が一人でこんな場所に来て、危険じゃないのか?」


舞は肩をすくめたが、その笑顔は太陽のように燦然としていた。「危険なんてどこにでもあるわ、でもそれ以上に面白いもの! 自分の目で色んなものを見て、今まで村の中じゃ絶対に触れられなかった知識を知ることができるんだもの」


二人は再び歩き出した。距離が知らず知らずのうちに縮まっていく。 飛がさらに鏡界について尋ねようとしたその時、舞が突然足を止め、彼の真正面に真っ直ぐに向き直った。 街灯が彼女の影を長く引き伸ばしている。彼女は顔を上向かせ、その瞳を真っ直ぐに飛へと向けた。


「飛の兄さん。ちょっと口を閉じて、動かないで」 その口調には、少しだけ我がままを孕んだ、悪戯っぽい命令の響きがあった。


飛の胸が不意に跳ねた。言葉を発するよりも早く――


彼女の手が、真っ直ぐに伸びてきた。 その瞬間、飛の脳内の「遅延感知」が、奇妙なバグを起こした。遅いのではない。何かがおかしい。彼の肉体が反応する前に、脳が彼女の動作の「先」を視界に捉えていた。


彼女の手はこの角度から伸びてくる。 ここで止まる。そして、触れる――飛は硬直した。 後ろへ半歩下がれば、簡単に回避できる。その一歩はあまりにも容易なはずだった。その念頭は脳内で極めてクリアに弾き出されていた。


だが、彼は動かなかった。


次の瞬間。舞の指先が、彼の頬をきゅっとつまんだ。 温かい、生身の生身の人間の感触が、現実に追いついて彼の皮膚へと落とされる。


「えっ……!?」飛は全身を強張らせ、声が裏返った。「な、何をするんだ?」


舞の顔がすぐ近くにあり、二人の呼吸が交じり合いそうだった。 彼女は飛の顔をじっと観察し、口元の笑みをどんどん深くしていった。「あなたの顔……柔らかくて、なんだか少し不思議ね。鏡界の人間の肌だって柔らかいけれど、あなたの触り心地は……決定的に何かが違うわ! それに、すぐに赤くなる! **本当に、変わった人ね**」


飛の顔は、一瞬にして真っ赤に染まった。 三十代前半の、すでに家庭を持つ男が、若い女性からこれほど大胆かつ自然に肉体的な接触を仕掛けられたことなど、かつてあっただろうか。 心臓のテンポが完全に狂い、脳裏に妻のシュウの顔、そして娘の円円ユエンユエンのふっくらとした笑顔が高速でフラッシュバックする――罪悪感、狼狽、そして言いようのない気まずさが一気に混ざり合い、彼は今すぐ地面の割れ目にでも飛び込みたい気分だった。


「痛……っ、舞、まずは手を離してくれ……」 彼は不明瞭な声で抗議したが、身体は下手に動かせなかった。自分のあの呪わしい「遅延」のせいで、さらに無様な醜態を晒すのが怖かったのだ。


舞は楽しそうに目を細め、指先でその頬を名残惜しそうに二度ほど優しく撫でてから、ようやく手を離した。 彼女は半歩退くと、その瞳を三日月の形に曲げた。


「確認終了! あなた、やっぱり他の誰とも違うわ。飛の兄さん、あなたの論理的で、どんな時でも冷徹に不具合バグを見つけ出すあの姿……本当に面白い人。私が今まで出会ってきた男たちなんて、ただ力任せに武器を振り回すか、あるいは下劣な下心を持って近づいてくる奴らばかりだったわ。でも、あなたみたいに、ただ隣に立っているだけでこれほどの安心感をくれる人って、なんだか新鮮だわ」


飛はその真っ直ぐな称賛の言葉に完全に圧倒され、言葉に詰まった。 だが、彼はすぐにその自嘲的な笑みを引っ込め、眉を実務的にひそめた。彼は歩きながら、声を低く落とした。 「舞、さっきの事件なんだが……考えれば考えるほど、何かがおかしいんだ」


「え?」舞が首を傾げて彼を見る。


「犯人は、君が薬草を届けた『後』のタイミングを正確に狙ってあの仕掛けを作動させた。そしてバーテンダーを使って、すべての容疑を君に擦り付けようとした。これは、彼らが君の行動パターンを事前に完全に把握しており、かつあの酒場の習慣を熟知していたことを意味している」 飛の声は低く、そしてチーフエンジニアとしての冷静さを取り戻していた。「何よりも、あの『黒笠』の男は、おそらくずっと物陰から俺たちを見ていた。バーテンダーを道具として選んだのは行き当たりばったりじゃない、完璧な計画だ。君が前に言っていた『部屋が荒らされていた』とか『任務に罠が仕掛けられていた』というのも、おそらくすべて同一の黒幕によるものだ」


舞の足取りが遅くなり、その表情に廃土の戦士としての真剣な色が一気に戻った。「それじゃあ……マスターの死は、本当は私をターゲットにするためのものだったってこと?」


「その確率が極めて高い」飛は頷いた。「もっとも、これほど慎重な犯人だ。警察がいた時は姿を現さなかった。だが、今や現場は封鎖され、誰もいない。あいつなら、おそらく……残された痕跡を消去するために、あそこへ戻ってくるはずだ。金属ボックスの残骸、ローソクの切れ端、あるいは、俺たちがまだ気づいていない何かを回収するためにな」


舞の瞳が大きく見開かれ、ハッと気づいたように声を上げた。「そうか……! 私たち、さっきはバーテンダーを暴くのに必死で、現場の細かな痕跡をまだ完全に回収しきれていないわ! もし今、黒笠が証拠隠滅のために戻ってきているとしたら、私たちは最大の黒幕への手がかりを完全に失うことになる!」


飛は足を止め、彼女に向き直った。その瞳には、大人の男としての確かな覚悟が宿っていた。 「どうやら……もう一度、戻る必要がありそうだな。気配を消して近づき、あいつが本当に現れるかどうかをこの目で確かめる。――行く度胸はあるかい?」


舞は一瞬だけ呆気にとられたが、次の瞬間、その瞳に引き締まった光が再び灯った。 彼女は一歩前に進み、飛のスーツの袖の端をきゅっと掴んだ。布地越しに、確かな意思の力が伝わってくる。その声には、迷いのない信頼が満ちていた。


「飛の兄さん……行きましょ。**あなたがいるなら心強いわ**。私を連れていって!」


飛はうつむき、彼女の手が掴む自分の袖を見つめた。その眼窩の奥に、複雑な光が明滅する。彼は袖を引くことはせず、ただ静かに「あぁ」と短く応じた。


二人は身を翻すと、先ほどの酒場の方向へと向かって、迅速に、しかし足音を完全に殺しながら闇の中へ駆け出した。 夜風が鉄錆街を吹き抜け、舞のポニーテールが風の中で紅い炎のように翻る。 一足先に、飛のダークブルーの背中は、街灯の光の中で大きく、どこまでもブレない安定感を持って、彼女の先頭を進んでいた。


黒い影は、依然として暗闇の奥底で彼らの動向を凝視しているかもしれない。 だが、今回の飛は、もうただ逃げ惑うだけの異邦人ではなかった。 (本当のトラブルはここから始まる……。だが、少なくとも今、背後には俺を信じて背中を任せてくれる同伴者がいる)

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