第159話 ミサキの決断
確かに、はっきりと聞こえた。
リーナの声が。
「……リーナ!?」
ミサキは反射的に湯船から飛び出した。
頭の中で響く、リーナの声。
「リーナ!?どこ!?」
驚きのあまり、ミサキは思わず声を上げた。
頭の中に直接響くこの声……まぎれもなく、リーナのものだった。
『天界で師匠の力を借りて、ミサキに呼びかけてるんです!今どこにいるんですか!? 無事なんですか!?』
「それが……実は……帰ってきたんだ……私の居た世界に……」
『ええっ!?』
リーナの驚きの声が響く。
『じゃあ……どうするんですか……?』
ミサキは湯船のふちに手をつき、ため息をつく。
リーナの声が、一瞬沈黙する。
『ミサキって……元の世界に帰るために冒険してたんですよね……?じゃあ……こっちにはもう帰ってこないんですか……?』
その言葉が、胸に突き刺さる。
「……それが……悩んでるんだ」
ミサキは視線を落とす。
「帰ろうか……ここに残ろうか……」
自分の世界に戻ってきた。
母親もいる。
平和な日常が待っている。
でも……
異世界で出会った仲間たち。
共に戦い、笑い、泣いた。
リーナ、エルメス、ジャンゴ、アクア、ツバキ、師匠……
リーナが何か言おうとした瞬間……
『おい、ミサキ。聞こえるか?』
今度は別の人の声が響いた。
「この声……師匠!?」
『今から1時間だけ考える時間をやる』
「……え?」
『それ以上は待てん。完全にゲートが閉じてしまう』
ミサキの心臓が、一気に跳ね上がる。
『1時間経ったら、答えがどうあれ一度迎えに来る。
こっちに戻るのか、そっちに残るのか――よく考えろ』
そう言い残し、師匠の声は消えた。
……たった1時間。
その間に、自分の未来を決めなければならない。
ミサキは、湯上がりのまま自室へ戻った。
部屋の窓から差し込む月明かりが、どこか懐かしくも、寂しげに感じられる。
ベッドに腰掛け、ふぅっとため息をついた。
……あの世界に戻るのか、この世界に残るのか。
それを決める時間は、あと1時間しかない。
(……どのみち、この問題に直面するのは、わかってたはずなのに)
自分は、それを考えることから逃げていた。
まるで、「元の世界に戻れる日が来るわけがない」とでも思っていたかのように。
だけど、今、選ばなければならないという現実が、目の前に突きつけられている。
ミサキは、ベッドに仰向けになり、天井を見つめた。
……ずっと戻りたかった。
この懐かしい現代日本に。
母親がいて、家があって、普通の生活ができる世界に。
でも……ずっと一緒にいたリーナと別れるのは、辛すぎる。
長い旅路を共にし、戦い、笑い、励まし合ってきた大切な親友。
彼女と、もう二度と会えないなんて、考えたくもない。
(でも……だからって……)
「リーナも一緒に来てくれ」なんて、言えるはずがない。
彼女には彼女の世界がある。
家族がいて、仲間がいて、彼女の人生がある。
それを全部投げ捨てて、こっちに来てくれだなんて……
そんなのは、ただのエゴだ。
(どちらを取るか……どちらを……)
選ばなければならない。
どちらかを選べば、どちらかを失う。
ミサキは、目を閉じたまま、何度も何度も考えを巡らせた。
だが……答えが、出ない。
どうしても、決められない。
すると
「シュン?」
扉を開けて、母親が話しかけて来た。
「……何か悩み事?」
ミサキは、驚いて顔を上げる。
「……なんで、わかったの?」
母親がクスッと笑う声が聞こえた。
「馬鹿ね。何年あんたの母親やってると思ってるのよ」
その言葉に、ミサキの胸がギュッと締めつけられる。
優しく微笑みながらも、どこか心配そうな顔。
「実は……」
ミサキは、すべてを話した。
異世界での出来事。
リーナや仲間たちのこと。
命を懸けた戦いのこと。
……そして、今、自分が選択を迫られていることを。
母親は、一言も口を挟まず、ただ静かに聞いていた。
ミサキの告白を、母親は静かに聞き終えた。
長い沈黙が流れる。
ミサキは不安になり、母親の顔を覗き込んだ。
しかし、そこにあったのは怒りでも、悲しみでもなかった。
優しく微笑む、いつもの母の表情だった。
「……昔っから、あんたは外に出るのが好きだったわね」
母親は懐かしそうに目を細める。
「小さい頃は、公園だけじゃ足りなくて、いろんな所に連れて行ったわ。
川や山、海……ドライブするのが大好きで、車であちこち連れて行ったっけ」
ミサキはその言葉に、幼い頃の記憶が蘇るのを感じた。
週末になると、母の車の助手席に座り、窓の外の景色を眺めながらワクワクしていた。
母は外に出かける時、いつもお弁当を作ってくれていた。
「それで、いつの間にか、一人で山に登るようになって……」
母親は小さく笑い、言葉を続けた。
「まさか、異世界に行ってたなんてね……」
その言葉には、呆れと驚き、そして少しの寂しさが滲んでいた。
ミサキは、拳をぎゅっと握りしめる。
「……心配、かけて、ごめんなさい」
母親はゆっくりと首を振った。
「ううん。帰ってきてくれただけで、元気でいてくれただけで、十分よ」
ミサキの胸が熱くなる。
母親は続けた。
「……ねえ、シュン。母さんはね、思うの」
ミサキは息をのんだ。
「貴方がその世界に行ったのは、決して偶然なんかじゃないって」
「え……?」
「きっと、貴方に合った世界は、そっちの世界なんじゃないかって」
ミサキは目を見開く。
「そんな……だって、私が居なくなったら母さんが……!」
「大丈夫よ」
母は、優しくミサキの肩に手を置いた。
「貴方が元気でいてくれるだけで、私は嬉しいの。それが親ってものよ」
ミサキの喉が、強く詰まる。
涙をこらえようとしたが、耐えられなかった。
「母さん……」
その時だった。
バシュッ!
背後の空間が歪み、まばゆい光のゲートが開いた。
ミサキは振り向いた。
「時間だ」
そこに立っていたのはラプラスとリーナだった。
不安そうにミサキを見つめるリーナ。
「どうするか決めたか?」
ラプラスが低い声で問う。
「もしかして……貴方たちが、シュンのお友達?」
母親が、一歩前に出て尋ねた。
リーナは、驚いたように目を丸くした後、すぐに深く頭を下げる。
「はい!ミサキには、とてもお世話になっています!」
母親は微笑みながら、リーナの手をそっと握った。
「自慢の娘です。シュンを、どうかよろしくお願いしますね」
リーナの瞳が、潤んだように揺れる。
「……はい!絶対に、ミサキを守ります!」
「……決まったのか?」
ラプラスが、ミサキに静かに尋ねた。
ミサキは、一度だけ母の顔を見つめ……
そして、しっかりと頷いた。
「うん。私は……そっちの世界に行くよ」
母親の表情が、優しくほころぶ。
「ミサキ」
ミサキは、ぎゅっと母を抱きしめた。
「……行ってきます」
母親も、そっとミサキの頭を撫でる。
「行ってらっしゃい……」
涙を堪えながら、微笑んで。
……光のゲートが、ミサキを包み込む。
……その姿が、少しずつ消えていく。
こうして、ミサキは異世界へと戻っていったのだった。
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