「戦争、始まりそうなんだよね」――ユリアナ・カストリオティ大統領は言った
ティラナ技術工廠の倉庫の一つでは、技術者たちが緊張した面持ちで集まっていた。
彼ら彼女らは戦車開発プロジェクトチームのメンバーだ。いつも汚れたつなぎだの、ボロボロの古着だのしか着ないメンバーが、今日はピシッと軍の制服を着ている。
「……大統領の到着はいつごろになるのかしら?」
そわそわした様子のリーダーが尋ねると、そばに控えていた一人がうんざりしたように答えた。
「それ、5分前にも聞いてましたよ。あと1時間です」
「ここに大統領が来るなんて初めてなのよ! ああ、髪型これでいいかな?」
「あのね、リーダー。そういうこと気にする前にさ、アンさんどうにかしたほうがいいって」
「ああああ!! そっちもあったか!」
リーダーは頭を抱える。それから突如走り出し、
「アンっ! アン・クリスティーっ! いい加減しゃきっとしなさいよ、もうすぐ大統領が来られるのよ!!」
「へ~」
倉庫の隅で、アン・クリスティーはワインの瓶を大事そうに抱えながら寝転がっていた。
「そんなところで寝たら体冷やしますよ?」
見かねた技術者が声をかけるが、アンは気にも留めずに、
「へ~」
という気の抜けた返事を繰り返す。
「ほら、起きなさい!」
リーダーが軽く蹴飛ばして、アンはようやく重たそうに頭を起こした。
「ったく、昨日の酒が抜けてないんだからさぁ、ちょっとは配慮ってのを見せてほしいんだけど」
「今日の予定を知りながら浴びるほど酒飲んでたやつにしてやる配慮なんか無いわよ!」
「ったく、けち臭い国だこと。酒が飲めるのはいいんだけどさ」
彼女の母国である合衆国では、もう何年も前から酒類の販売が禁止されていた。最近どうにか解禁されたらしいが、禁酒法時代にまともな酒造業者はほとんどつぶれており、ほとんどが輸入品で、高級品なのだという。
ぐだぐだと管を巻くアンに、リーダーは口を酸っぱくする。
「けち臭い? 我がイリリアはあなたが背負ってた借金全部肩代わりしてあげただけじゃなくて、衣食住すべてをあなたとあなたの家族にも提供してるんだけど?」
「そりゃぁ、あんたんとこの大統領が私のクリスティー戦車が欲しいって言うからでしょー。嫌ならライセンス返してよ」
「う……」
「リーダーもアンさんも何してるんっすか! はやく準備しちゃいますよ。せっかく試製車両が完成してユリアナ大統領が見に来てくれるって言うのに」
どん詰まりのふん詰まりだった中戦車開発事業は、アン・クリスティーという合衆国人兵器設計士の投入により、驚くべき進捗を見せていた。
クリスティーM1931戦車の設計をほぼそのまま使用した車体と、大恐慌によって大量の在庫が合衆国の倉庫に眠っていた航空機用リバティエンジン、そしてエトルリアから提供された47ミリ対戦車砲Da47/32を流用した砲を組み合わせるという急ぎ技を繰り出したのだ。リベット打ちを採用したことで、イリリア国内の技術でもどうにか開発可能な車体となっている。
おかげでアンが来てから3か月後には、試作車両の完成にこき告げることに成功したのである。深緑かおる5月も、もう間もなく終わろうかと言う頃だった。
今日は試作車両の完成を祝して、大統領一行が視察に来る予定だ。おかげで、数日前から技術工廠あげての歓待の準備が進められている。
しかし、肝心の主任技術者であるアンはこの期に及んでも酒を飲み、リーダーにどやされていたのである。
リーダーらはアンを必死に説得し、どうにか正装をさせることができた。到着予定5分前のことだった。
――――
「こちらが開発に成功した我がイリリア初の国産中戦車、『試製35式』です。各種実験を現在行っており、今年の終わりには量産体制に移りたいと考えています」
ユリアナ達一行は、結局予定時間より少し遅れて到着した。
「へぇ、これがねぇ」
この戦車の最短時間での開発を命じた大統領は、興味深げに車両を見る。
「なんかあれだね、人民連邦のBTシリーズそっくりだね……」
「コンセプトデザインが同じですから」
リーダーは目をそらしながら答える。実際そちらよりだいぶダウングレードした一品に仕上がっていることは口が裂けても言えまい。
「で、そのコンセプトデザイナーさんは?」
「はい、こちらが今回、35式の開発を主導してくれた、アン・クリスティ主任技師です」
「どーも」
アンは眠たそうな瞳を隠そうともせずに頭を下げた。
「昨晩は盛り上がった感じ?」
ユリアナはにやりと笑うと、アンも悪びれ無く答える。
「そりゃもう。酒が旨い国って言うのはいい国だよね、間違いなく」
「ありがとう。ご所望なら舶来物も届けさせるから好きなだけ言ってね? フランドルワインでもドイトビールでもスコッチでも」
これを聞いたアンは飛び上がった。
「マジ? やったね、太っ腹! ほらリーダー聞いた? ここの大統領は素晴らしい人間だね」
「現金なやつね……」
リーダーはあきれるが、アンは気にも留めない。
ユリアナはニコニコとその様子を見て、そのままの表情で言った。
「だからこの戦車、今すぐ正式採用して」
あんまりに唐突な一言だったため、技術者チームの全員が聞き逃す。反応がなかったためか、ユリアナはもう一度言った。
「この戦車、今すぐ正式採用して。7月から部隊に配備するから」
「…………。は?」
リーダーが数秒待ってようやく言葉の意味を理解する。
「正式配備って……。試験車両ですよ、これ。まだやることが色々」
「その辺の色々はまあこの後何とかして、とりあえず作れる分作っちゃって。動くでしょ? 戦闘に一応問題はないでしょ?」
これにはアンが自信を持って頷く。
「まあね。使い古した技術と兵器の組み合わせだから、そうそうとんでもない不具合はないはず」
「じゃあ問題なし! よろしく。あとその子の大雑把な図面を被服工廠に」
「ちょっと待ってください!」
リーダーが割って入る。
「いきなり量産なんか言われても困ります! 大体なんでそんな急に」
「いやさ、ちょっと情勢がのっぴきならないとこまで来てて」
「え?」
数か月もの間世界の情報など一切収集せずに研究を続けていたリーダーは、その話に眉を顰める。
「戦争、始まりそうなんだよね」
――――――――
ユリアナが戦車工場を訪れる少し前。4月初旬のこと。
エルザ外務大臣は緊張した面持ちで、ブリーディングの第一声を放った。
「先日行われたエトルリア・フランク・連合王国の三国会談についてなんだけど、それを受けてフランクは正式に『武力による現状変更への不支持』を発表したわ」
「それでは、エトルリアがもくろんでいた結果は出せなかったということですか?」
ルカが期待を込めて顔を上げたが、エルザは首を横に振る。
「いいえ、同時にエトルリア外務省も声明を出しているのよ。『戦後条約体制を変更するいかなる動きにも反対する』って」
「はぁ? それではエトルリアは、フルバツカ問題の解決をあきらめたと?」
「これはね、ドイトラントを主眼に置いた声明よ。あとは人民連邦」
ベルサイユ条約破棄を公約とした戦線党による独裁体制が完成したドイトは、ザール市の編入を行うなど、対外的な動きを加速させていた。泥沼の大戦争を争ったフランクからすれば、ドイトラントの復活は悪夢以外の何物でもない。
一方、大戦期の革命で成立したプロレート人民連邦も、着実に体制を固め、社会主義国家として大恐慌の影響をまるで受けずに成長を続けている。
そこで二国を封じ込めるために、エトルリアの協力を得たいと考えているのが、現在の国際関係だ。
「エトルリアがドイトへの牽制を行ったということは、エトルリアがフランク・連合王国の対ドイトラント同盟に加わったという事。つまり、エトルリアがその条件として求めていたフィウメ併合を黙認するという取り決めが実現した可能性が高いわ」
「つまりそれは……」
ルカの表情が引き締まる。
「エトルリアが領土回収を行うが、整ったということよ。3国協調による交渉による併合に、エトルリアが目的を移したかもしれない」
「それはそれで困る、と言う話ですよね? 戦争が回避されれば、早急に戦力を整える必要はなくなりますが……」
「なに言ってんのよ。列強の都合で中小国家の領土の切り売りが行われるなんて、下手をしたら戦争よりたちが悪いわ。まったく、どうすれば……」
頭を抱えるエルザに、ユリアナは静かに命じた。
「外務省は引き続き事態を注視するように。たぶん、この体制は長く続かない。崩れるとしたら一瞬で、もしかしたらそこから一直線で事態が悪化するかもしれないよ」
「と、いうことは……」
「我が国は変わらず戦争準備に邁進する」
歴史上ストレーザ同盟と呼ばれたこの三国協調は、連合王国がドイトラントに対し海軍の再建を認める二国間協定を結んだことでもろくも崩壊することになった。
連合王国の裏切りともいえる行為にエトルリアは激怒。フルバツカ問題に関する列強間交渉のほとんどを打ち切り、単独での問題解決に走り出した。
6月に入ると、フルバツカに対し経済制裁を発動。さらにアドリア海での活動を活発化させ、フィウメ港での通商活動の妨害を公然と行うようになっていった。
「連合王国は何を考えているんでしょうか……。北海海軍協定はベルサイユ条約を死文化させる代物だというのに……。それに、エトルリアは完全にフレンチ・アングロ間から離脱したように見えますし……」
地中海情勢悪化を伝える外務省のレポートを、ルカはため息とともに放り出した。
「ま、連合王国は北アフリカと東地中海での権益を維持するって言う至上命題があるからねぇ。フィウメ問題を解決して完全態になったエトルリアに地中海で好き勝手やられるのは避けたかったんじゃない?」
先にレポートを読んでいたユリアナは、執務室の壁にかけられていたヨーロッパの地図を眺める。
「連合王国は島国だから。理想は大陸でドイト・エトルリア・フランク・人民連邦が互いににらみ合って均衡する、ってとこかな?」
「その弊害を真っ先に受けるのは、確実に東ヨーロッパ諸国になりますが……」
「レヴァントもひどい目に合いそうだねぇ、こりゃ。ま、そう上手いことはいかないだろうけど」
その時電話が鳴る。ユリアナが受話器を取ると、レオノラの声が聞こえた。
『ヤバいの大統領! エトルリア海軍が、ドゥラス沖でフルバツカの貨物船を拿捕っちゃったの! そこにフルバツカ海軍も出動してきて一食触発なの!』
「え、ドゥラスってうちの?」
『うちの駆逐艦『アリシア』を向かわせるけど……』
「うん。一応同盟国だからエトルリア側につくようにしよう。ただここで海戦は迷惑だから、双方に自制的対応を求めつつ……」
迫りくる戦争の足音を、ユリアナは確かに感じ取っていた。
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ちょっと時系列がややこしくなってしまいましたので、ここで整理させて頂きますね。
2月 アン・クリスティ、アン・フレル両名がイリリア政府により招かれる
4月 ストレーザ同盟(エトルリア・フランク・アングロサクソンの対ドイトラント同盟)形成
5月 北海海軍協定 エトルリアが対フルバツカでの強行策に出る。以降フルバツカ問題は急速に悪化。
末 35式中戦車完成
6月 エトルリアがフルバツカに経済制裁発動 YABAI!!




