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「あいつ、幼いのは見た目と性格だけだぜ」――チーナ・カガノヴィッチ駆逐艦アリシア艦長は言った


 アドリア海は内海の地中海の中でも、レヴァント半島とエトルリア半島に挟まれた静かな海域だ。アドリアの内奥にはベネチア、トリエステ、フィウメと言った古くからの港湾都市が点在し、ヨーロッパの海上貿易の中心を、古くからになってきた。


 イリリアもまたアドリア海に面した国であり、その恩恵を受けている。特にドゥラスはイリリア最大の港で、近年の経済発展に伴い取扱貨物量も激増している。


 そんなドゥラス市の北方沖合約80キロの地点で、フィウメを目指していたフルバツカの貨物船がエトルリアに拿捕されたのを確認したのは、哨戒中だったイリリア海軍哨戒艇『PB112』だった。


 PB112の通報を受けた海軍軍令部は、大統領に直ちにその情報を伝えると同時に、保有する駆逐艦を現場に急行させたのだった。


 エトルリア海軍駆逐艦『クインティノ・セラ』が一隻の貨物船に横付けしている様を、イリリア海軍駆逐艦『アリシア』女性艦長のチーナ・カガノヴィッチは露天艦橋から双眼鏡越しに見つめていた。


 よく日焼けをした彼女は、普段ならよく映えるだろう白い歯をかみしめている。


「まったく、厄介な場所で厄介なことを……」


「まったくですな」


 男性副長ラミズ・エディも眉を顰める。その時、メモを持った下士官が、副長の肩を叩いた。


「……、艦長、北方海域を哨戒中だった哨戒艇が、フルバツカ海軍の駆逐艦を発見した模様です。こちらに向かって全速力で南下中だとか」


 チーナはその報告を受けると、顔をゆがませて胃のあたりを抑える。


「うう、嘘だろう……。ここで海戦おっぱじめる気か……」


「同時にレオノラ提督より、全艦艇に向け非常待機命令が発令されました」


「おお……。『ペリカンは飛んだ』のか?」


「いえ。大統領は事態の平和的収拾を命じています。開戦はできる限り先延ばしにしたい、と」


 『ペリカンは飛んだ』は、イリリア政府内部で使用される非常警戒態勢の発令暗号であり、これが出された場合、全面戦争を始めるに等しい戦争体勢が整えられることになる。昨年のダルダニア事件での混乱を受けて新設された新制度だ。


「フルバツカ戦争が起きるんならできるだ~け裏に隠れてたいって提督も言ってたしなぁ。でももしかしてこれを収めるのって俺の仕事になんの?」


「提督からの具体的な指示は以上です。あの方は現場の裁量に任せますから」


「そーいうのテキトーって言うんだよ、畜生」


 チーナは毒を吐くと、再び双眼鏡をのぞく。エトルリアの駆逐艦は貨物船にぴったりと横付けされており、兵士たちが乗り込み何やら動き回っているのが見える。


「とりあえず話を聞かんことにはどうしようもないな……。カッター出せ、俺が出る。ラミズ、すこし艦任せるぞ」


 チーナは、行きたくねえな……。とぼそりと言いながらも、ぼさぼさ頭の上に制帽をかぶり直して艦橋を降りていった。


 数十分して、チーナは憤然とした表情を隠さず戻ってきた。


「艦長、『クインティノ・セラ』はなんと?」


 ラミズ副長が尋ねると、チーナはムスッとしたまま答える。


「拿捕したのは、シチリアマフィアとの交易の疑いがあるだと。違法活動を行う船舶に対する臨検は認められているからな」


「難癖というかいちゃもんと言うか……。で、フルバツカ軍が来ていることは?」


「言った。そしたら連中、俺らに警護しろ、みたいなこと言いだしてさ」


「はぁ……」


 ラミズは深いため息を吐く。


「なるべく早く終わらせて、本土に連れて行くなら早くしろとは言っておいたが……。そっちはどうだ?」


 チーナは制服の首元を緩めながらラミズを見ると、彼もまた険しい表情になった。


「南下中のフルバツカ海軍艦は嚮導駆逐艦の『ザグレブ』であると哨戒艇より報告がありました。すでに空軍による偵察機も出動し、監視体制を強めています」


「ルートはこっちか?」


「ええ。まっすぐこちらに。一四三〇の時点でコトルの南方沖60キロの地点に、現在時速20ノットほどで航行中」


「……嘘」


「本当です。航海長、地図を」


 ラミズは航海長が持ってきた海図の上に、ポケットの硬貨を置いた。ちょうどドゥラスの北西、アドリア海の真ん中あたり。


「言うまでもありませんが、我が艦の現在位置はここです」


 そして、そこから少し北に行った場所を指し示す。


「ザグレブは先の報告ではここに。すでに30分ほど経っているので……」


 指を少しずらす。さっきよりも硬貨の位置に近づいた。


「現在は、このあたりだと考えられます」


「……もうすぐ来るじゃねえか」


「はい。まったく、フルバツカはなぜ自国船が臨検にあったと分かったのか……。出動があまりにも迅速すぎます」


 イリリア海軍がこの現場を発見したのもたまたまだった。『アリシア』がここに急行できたのも、たまたまこの付近を航行していたからだ。出動もそれほど難しい案件ではない。


 しかし民間の船舶が拿捕されたという情報を、フルバツカ海軍がこんなにも早く入手することはほとんど不可能に近い。よしんば知らせを受けたとしても、軍を派遣する決断を、ここまで素早くできるものだろうか。


「あの貨物船乗ってんの、たぶん軍人だな」


「は?」


 チーナが突如口走った一言に、ラミズは首を傾げた。しかし、彼女は構わずに続ける。


「じゃなくても、ありゃ軍需品を運ぶ類の船だ。表ざたにしたくないレベルの、な。フルバツカ海軍が途中から護衛につく手はずだったんだろ。だからわりと近くに駆逐艦は待機していて、かつ貨物船がエトルリアに捕まったっていうことをすぐに知ることができた」


「現場の独断専行、と言うことでしょうか」


「かもな。こんなやべえ時にやべえ事件に首突っ込む許可をすぐ出せるわけねえ。ひょっとすると、エトルリアもわかっててやってるかもな」


「なるほど、その線か濃いかもしれませんね。軍令部に私見として報告します」


「ま、提督閣下なら気が付いてるかもしれねえけどな。あいつ、幼いのは見た目と性格だけだぜ」


 にやりと笑ったチーナに、彼もまたくすりと噴き出す。


「では、今後の方針でも聞くとしましょうか」


――――――――――――


「つまり、今回のフルバツカ軍の迅速、いや拙速な行動は、現場の独断である可能性が高いの」


 大統領府に駆け付けたレオノラの説明を、ユリアナはいつになく真剣に聞いていた。


 今までの危機とはレベルが数段に違う、本格的戦争への、それもイリリアを主戦場として行われるかどうかの瀬戸際なのだ。


 ちなみにミーナ海軍大臣は現場の指揮統制のために海軍省に閉じこもっている。


「でもまあ、古今東西現場の暴走から大戦争、っていうのは多いからねぇ」


 ユリアナは頭を抑える。盧溝橋事件からの日中戦争などその典型例だ。


「外交ルートでの抗議、っていうので何とかなるかな?」


「厳しいの。『ザグレブ』は現状、普通の無害航行を行ってるだけなの……。一発やってからなら何とかなるかもだけども」


「レオノラ提督、そういう言い方は慎んでください」


 ルカがお小言を飛ばした。


「…………。じゃあやるか」


「は? だ、大統領? 何言ってるの……?」


「エトルリアとフルバツカに、ドゥラス沖で起きている事案について通報。我が国は不慮の衝突を防ぐべく、臨検中のエトルリア海軍の防護に就く」


 ユリアナは顔を上げる。代わりにレオノラの額に、汗が一筋流れた。


「で、でも、それでは衝突を防ぐことはできないの! 現場にいるのは『アリシア』だけ。後の二隻は多分間に合わないの……。旧式艦『アリシア』と新鋭艦『ザグレブ』では、勝負は目に見えてるの!」


「エトルリア海軍の応援も期待できる。『ザグレブ』が新鋭駆逐艦と言えど、出動が現場の判断だとすればフルバツカ軍の応援は遅くなる……。違う?」


「それは、そうだけども……。大統領はそれでいいの? 本格的に開戦する可能性が大きいのに……」


 戦争を忌み嫌うかのようにふるまってきたユリアナがこんな判断をしたことを、レオノラは意外に思っていた。


 しかしユリアナはいつものようにからかうように笑う。


「私が嫌いなのは負ける戦争だけだよ、レオノラ」


 しかし本当にまずいな……。


 いったん軍令部に持ち帰る、といってレオノラが退席し、ルカも関係省庁との連絡のため部屋を出た後、ユリアナは一人空を睨んでいた。


 フルバツカ戦争の開戦はもはや秒読みであり、それ自体はもう覚悟はできていた。エトルリアの同盟国で、フルバツカと国境を接しているイリリアが、この戦争に対して何らかの貢献が求められることも。


 しかしイリリア軍の戦争準備態勢はまったくと言っていいほど整っていない。陸軍の主力ともいうべき戦車は先日ようやく試作1号車が完成したばかりで、量産には程遠い。肝心の部隊も、急な改革が祟って実働数を減らしてしまうという大失敗をやらかしたところである。


 海軍に関しては、建艦計画がなんとか動き出しただけで、実働戦力は旧式もいいところの駆逐艦3隻。とりあえず貧弱な武装の哨戒艇を増やしたことはファインプレーだったが、海戦の主力には成りえないだろう。


 空軍はハコは何とか整えたが、中味はまだまだカッスカス。制空権の確保だの防備だのには不安しか残らないレベルだ。


 だからこそユリアナは、国際合意がされていたエトルリア=フルバツカ国境係争地帯であるイストラ半島での戦争にとどめることによって、イリリアにかかる戦争負担をできるだけ減らそうと考えていた。


 しかしイリリア本土の目と鼻の先で両軍が偶然衝突したらどうなるだろうか。


 エトルリアもフルバツカもポピュリズムによって政権を維持しており、両国の世論は沸騰するだろう。そうなれば、海上での攻防は激しさを増すに違いない。


 周囲を山に囲まれたイリリアにとって、海上貿易は生命線であるのに、その生命線上で戦争なんてことになればイリリア経済にもたらす影響は破滅的だ。


 万が一そんな事態になれば、イストラ半島の帰属問題解決を目指した局地戦、という当初の戦争目的は吹き飛び、相手国海上交易路の破断、ひいては総力戦に発展する。フルバツカによるイリリア侵攻、まではいかずとも、何らかの攻撃が行われることだって十二分に考えられるようになるのだ。


「戦争は、国益のために政治の管理下に置かれるべきだって言うのに……。憎しみと面子に支配されたら引きどころが無くなるんだよ……」


「実にその通りですね、大統領」


「お帰り、ルカ」

 

 執務室に戻ってきたルカは、愛用の黒いファイルを開いて言った。


「ひとまず、公使館を経由して、両国に現在起きている事案について通報することになりました。エルザ外相の提案で『我が国は海上交易の安全を求める』との声明を追加しましたが」


「おお、どっちつかずないい表現。さすがエルザちゃんだね。文面はその線で進めて、できるだけ早急に」


「了解です。続いて産業省よりドゥラス沖合に対し、航行警報を発令するとの報告がありました。陸軍もまた、事態悪化に備え全軍に待機命令を出した、と。海軍も、とりあえず先ほどの指示に則って行動するとのことです」


 事案発生当初より、各省には経緯が通報されており、それを受けて各自が必要な行動がとれるようになっている。情報共有はユリアナが昔から口が酸っぱくなるほど行っているが、ここにきてその効果が現れたのだろう。


「わかった。30分後に臨時閣議を招集する。そこで今後の方針について討議するから、大臣たちに言っといて」


 

閲覧、ブックマーク、評価、コメント等本当にありがとうございます!!

今回登場した駆逐艦『アリシア』、実は以前あとがきでだけちらりと触れていました。自分もすっかり忘れていて、わざわざ自分のあとがきを読みに戻ったほどでしたが。

元は1912年に進水したエスターライヒ帝国海軍のタトラ級駆逐艦です。戦時賠償でイリリアにわたり、海軍の中核として頑張っています。

ちなみにザグレブ級駆逐艦は、ユーゴスラヴィアの嚮導駆逐艦『ドゥブロヴニク』が元ネタです。31年に進水し、14センチ単装砲を4門備えています。え? アリシアの主砲? 10センチ砲ですが何か? 主砲の大きさじゃ駆逐艦の強さは決まりませんよ(汗)

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