存在のない場所②
「存在しない、か。ああ、その通りだ。俺が出した問題に答えはなかった。だから答えも存在しない」
「答えは存在します! 私、ちゃんと答えました!」
「でも結果的には何もないだろうが」
「あります。存在しないっていう答えです」
皮肉な笑いにかられるのを何とか抑え、男は小さな子供を眺めるかのように澪を見つめた。見当違いな答えを言われるものとばかり思っていたために、この切り返しは予想にないものだった――そう思いながらも、実際は「存在しない答え」を形にしてくれることをどこかで期待していたのかもしれない、そうも考えていた。
澪の方では男の言うこと一々が不可解であるために一層身構える一方である。
「お前って本当に変な奴。お前はさ、昔の思い出を全部失うか、創造力を捨て去るか、一つに絞れと言われたらどっちを選ぶ?」
「比べる対象が……釣り合っていないと思うんですけど……」
「質問にけちつけるんじゃねぇぞ、こら」
「は、はい! えっと私は、思い出を失う方を選びます。やっぱり未来にしか生きていけないから」
「過去のもん全部忘れても、お前はお前でいられんのか?」
「……」
「全部だぞ?」
「ああああの! もしかして答えによっては私の記憶とか全部なくなっちゃうんでしょうかっ!」
「そんな馬鹿な話あるかよ、落ち着け」
同じ言葉をそっくりそのまま返してやりたいと、澪は正直な恐怖に苛まれながらも対抗意識を抱えていた。まるで澪の知る主人公の少年が言いそうな質問の類なのである。しかしながら、やはり同じ言葉でも言って然るべき人間と脅威にしかなりえない人間というのがいるようで、男というのはこの場合後者の代表例にも相応しい立ち位置であった。
こうしている間にも世界は回る。風こそ止んだとはいえ、時間が生活音を刻むのに際限はない。やがて来るべき夜がきて、来るべき昼が来る。ところで、主人公の言い分としてはこういうことだった。昼と夜を逆に呼ぶのは、すなわち体感時間が人より遅いからだと。主人公が昼を認識する頃にはすっかり夜になっていて、夜を認識する頃には昼になっているという具合にだ。そのいたちごっこの結果、人からは昼夜を逆に呼んでいるように見えたし、実際そうだったというわけだ。いくら本人の主張があったとしても、死んでしまえば周りの人間の主張がその人を形作る。だからこそ澪はその主人公と、願わくば話をしてみたいとさえ思っていたのだ。前世の記憶を持ち続けて生きるというのはどのような心持ちなのか、死ぬのは怖くはないのか、彼に未来はあるのかを。
「極端な話だとは思いますよ? だけど、実際みんな忘れてるじゃないですか。前世の記憶。生まれ変わるという決断の裏には、そういう質問があるかもしれませんし」
「みんな、か……。選べたらどんなに楽だろうな。俺にはあるよ、前世の記憶」
ここで澪が歓喜することをしなかったのは、男への警戒というのもあるが、一番は既視感にも似た何かに突如として襲われたからである。




